第8話

文字数 974文字

『霊力とは、体を流れる「気」だ。その「気」を感じ取り、真言や霊符の力、つまり神の力を借りて自在に扱えることができる者が、陰陽師と呼ばれる。頭のてっぺんから髪の一本一本、指先から爪の先まで、全てにそれは宿る。自分を象っている全ての細胞を意識し、認識し、それらに宿る「気」をコントロールする術を身に付けることが、陰陽師としての第一歩となる』
 影正のノートには、そんな風に書かれてあった。正直、曖昧すぎてよく分からなかった。体の中を流れるのは血液と酸素と水分、それを運ぶ無数の細胞と――それから何だっけ。と理科の授業で習った記憶を掘り起こす。
 気だの何だのと言われても、生まれてからこれまで一度もそんなことを気にしたことはなかったから、すぐに理解はできなかった。
 けれど、夕方。自室にこもって影正のノートを読みふけっていた時、ふと窓の外の風景が目に映り、突然実感した。
 夏の夕暮れ。小高い場所に建つ家の窓からは、沈む太陽に真っ赤に染められた島の風景が一望できる。段々畑やミニチュアのような家々、静かに波を立てる海。影正の通夜の準備に追われる両親や、手伝いに来てくれた近所の人たちの慌ただしい声。(ひぐらし)の鳴き声に重なる海の遠音。まだ熱を残したままの海風は潮の香りを運び、土と緑の匂いと共に頬を撫でる。
 見慣れた風景のはずなのに、何故か初めて絶景を見たような感動を覚えた。霞が突然晴れて、どこまでも広く色鮮やかに、鮮明に視界に映ったような、そんな感じだった。
 いつも見てきた景色、いつも感じてきた感触、聞こえていた音、嗅いでいた匂い――そして、時間を巻き戻していくように変わりゆく、数え切れない程の人々の残像と笑い声。全てが突風のように一気に体に流れ込んできて、全身を激しく駆け巡った。
 お前はここで生まれ生きてきたのだと、決して忘れるなと体の中で叫ばれているような気がして、息が詰まった。
 自然と、涙が零れ落ちた。
 全てここで、この場所で。自然に囲まれたこの島で。千年以上前の頃から受け継いできた幾つもの命の先に、自分がいる。自分を象る全てのものは、この島で育まれたのだと、初めて実感した。
 とたん、細胞が沸騰したかのように急激に体温が上昇した。体の中に流れる、長い年月を経て受け継がれた血が、やっと産声を上げたように思えた。
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