第8話

文字数 2,139文字

 全力疾走したあとのような呼吸をしているが、これはこれで回復した証拠だ。呼吸が整うのを待ってから、華が静かに尋ねた。
「紫苑、どう?」
 紫苑は、長く息を吐いてから口を開いた。
「傷口は、塞がった」
 声に覇気はないが、話せるのなら良し。けれど、完治するまでには至らなかったようだ。これが大河なら、きちんと治癒できていたのだろう。まあこればっかりはなぁ、とこっそり諦めの息をつく。
「足りないなら、あたしが……」
「必要ない。少々時間はかかるだろうが、治癒している」
「そう、よかった。さっきはごめんなさい。酷い言い方をして」
「いや。あれで良い。助かった、感謝する」
 ううん、と華は小さく首を左右に振り、未だ治癒中の夏也と鈴へと視線を投げた。
「鈴、夏也は?」
「案ずるな。もうすぐ終わる。弘貴、少し待て」
「はーい」
 華が二度目のよかったを呟いてほっと息をつき、弘貴は間延びした答えを返す。
 腹を貫かれた夏也を見た時、本当に心臓が止まった。対戦相手の振り分けに、問題があったとは思わない。このメンバーであの相手なら、むしろ妥当だ。ただ。
 視界の端でゆっくりと腰を上げた華を、視線で追いかける。離れた場所で座り込んでいる春平の元へ向かう足取りに、わずかな迷いと戸惑いが見えた。さすがの華も、どう声をかけていいのか分からないのだろう。
「弘貴」
 不意に呼びかけられて、弘貴は紫苑を振り向いた。
「すまなかった。だが、助かった。礼を言う」
 ゆっくりと体を起こし、ぐ、と顔を歪めた紫苑に、弘貴は苦笑いした。大丈夫だと言っているのに。借りを作りたくないのか、もしくは意外と気にするタイプなのだろうか。
「気にすんなって。誰がどう見ても緊急事態だったし、宗史さんも怒らねぇよ。それにさ」
 弘貴は空へ視線を投げ、微かに目を細めた。
「何が何でも、死ぬわけにいかねぇだろ」
「……そうだな」
 紫苑は胡坐を組むと一瞬驚いたように目を見開き、口元の血を拭った。
 大河のことはもちろん、こんなくだらない事件を起こした奴のせいで死ぬなんてまっぴらごめんだし、仲間を失うなんて考えたくもない。雅臣の言う正しい人だとか正しい生き方だとか、小難しいことなんか分からない。集まったのではなく集められたという話しも、確かに驚きはしたけれど、正直どうでもいい。
 そんなことよりも、大切なことがある。
『僕さ、ここに来て、良かったなって思うよ』
 そう言ったのは、廃ホテル事件の前日。春平も分かっているはずだ。どんな思惑があったとしても、寮に入って救われたという事実は変わらない。
 それでも霊力を封印してしまったのは、これまで抱え込んでいた様々な感情を考えもしなかった話に刺激され、さらに不自然な事実を裏付けされてしまったから。自信のなさや陰陽師を続けることへの不安、さらに宗一郎たちへの不信感。最悪のタイミングで全てが合わさってしまった。
 華に支えられて立ち上がり、春平がゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。深い俯きと小さな一歩に、躊躇いと罪悪感が溢れていた。
「弘貴。もしや……」
 紫苑が小声で声をかけ、ちらりと春平を見やった。さすがだ。来た時は分からなかっただろうが、改めて状況を思い返して察したらしい。
「ん」
 そっけなくひと言返すと、紫苑は「そうか」と呟いて目を伏せた。
 春平は陰陽師に向いている。誰がどう評価しようと、春平自身が否定しようと、そう思っている。
 弱さも、嫉妬も、劣等感も。誰もが持っていて当たり前の感情で、別段変わったことでなければ恥ずかしいものでもない。だから昨夜、春平に話した。園長には言っていない、もう一つの、自分の本心を。
 驚いた顔はしていたが、それでも春平は納得し切れていない様子だった。
 まさかあんな話を聞かされるとは思わなかったし、戦いの前にあまりごちゃごちゃ言うのもなぁと思い食い下がることはしなかったが、やはり無理にでも吐き出させるべきだった。あるいはもっと早く話をしていたら。今からでも間に合うだろうか。そう思う反面、本来争いごとを嫌う彼を、再びこちらへ連れ戻してもいいのかと思う自分がいる。このまま――霊力を封印したままの方が、春平にとっては幸せなのではないかと。
 ――四年前の選択は、間違っていたのだろうか。
 春平が、少し離れた位置で足を止めた。体の横で握った拳が微かに震え、それに目を落とした華が、痛々しげに眉を寄せた。
 しばらく、誰も口を開かなかった。重苦しい空気に、耳が痛くなるような静寂が落ちる。
 自分が迷っているせいもあるのだろうか。今何を言っても春平には届かない気がして、かける言葉が見つからない。もし自分が春平の立場だったら、どんな言葉をかけて欲しいだろう。
 やがて、華が薄く唇を開き、意を決したように心持ち身を乗り出した。
「ごめん……」
 ぽつりと呟いたのは、春平だった。
「ごめんなさい……、僕が……っ」
 微かに震えた声を詰まらせて、春平はぎゅっと唇を噛んだ。
 状況から見て、春平が自分のせいだと思うのは当然だ。霊力を封印しなければ、捕獲されても逃げられた。そうすれば紫苑が助けに入ることはなかったし、夏也が朱雀を援護から外して隙を作ることもなかった。確実に、雅臣たちを制圧できた。けれど。
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