第1話

文字数 4,342文字

「単独捜査がバレたんでしょうか」
 ハンドルを握る手に力を込めて、北原(きたはら)が緊張した声色で言った。
「それならお前らって言うだろ。熊さんの言い回しからすると、多分俺だけだ」
「なんでですか、意味が分からないんですけど!」
「俺もだ。いいから落ち着け、戻れば分かる」
 動揺して事故でも起こされたらそれこそ時間の無駄だ。諌められ、北原は不満そうにそうですけどと呟いた。
 熊田(くまだ)は間違いなく「お前」と言った。しかし、何があったのか尋ねた紺野(こんの)に熊田は言葉を濁し、とりあえず早く戻れと言って電話を切った。
 一体、何が起こっている。
 右京署に到着し、紺野と北原はエレベーターを待つ時間すらもどかしく、階段を駆け上った。
 捜査本部の扉を勢いよく開けて飛び込むと、ざわついていた室内が瞬時に静まり返り、戻っていた捜査員たちから一斉に刺さるような視線を向けられた。長机についている加賀谷(かがや)たちの回りを熊田と佐々木を含んだ捜査員が数名取り囲み、他の者たちは資料を手に訝しげな顔をしている。
 紺野と北原は、息を切らして怪訝な表情を浮かべた。
「こん……」
「紺野」
 熊田の言葉を遮って、加賀谷が腰を上げた。
三宅孝則(みやけたかのり)という男を知っているな?」
 ずいぶん懐かしいその名に、紺野は眉を寄せた。何故、彼の名前が。
「ええ……」
 ますます怪訝な顔になった紺野へ、加賀谷は捜査員たちの間を縫ってゆっくりと歩み寄った。
「白骨遺体は、その三宅だ」
 紺野は目を大きく見開いた。
「まさか……」
「そのまさかだ」
 愕然と呟いた紺野の前で足を止め、加賀谷はさらに続けた。
「お前の姉、紺野朱音(こんのあかね)の元夫だそうだな」
 するりと問われた質問に、北原が弾かれたように紺野を振り向いた。
 紺野は混乱する頭を落ち着かせるように一度大きく深呼吸をし、改めて加賀谷を見据える。なるほど、捜査から外される理由が分かった。ここで動揺して余計なことを口走るわけにはいかない。落ち着け、と自分に言い聞かせて気を立て直し、口を開く。
「はい。間違いありません」
 はっきりと告げられた肯定に捜査員たちからは小さなざわめきが起こったが、加賀谷は至って冷静な顔だ。
「十五年前、一人息子が朝辻家の養子として引き取られ、朝辻昴(あさつじすばる)と名前を変えている。法律上は従弟になるが、お前の甥だ。二年前から行方不明だそうだな。まだ見つかっていないらしいが、本当か?」
 すでに朝辻へ聞き込みに行ったらしい。この様子では、おそらく実家の方も調査済みだ。だが、居所を聞くということは、昴は朝辻に連絡をしていないのだろう。
「はい、本当です」
 明確に肯定すると、加賀谷は目を細めた。真偽を探るような目付きで見据えられ、紺野は寸分違わず見返した。二人の間に緊迫した空気が流れる。
 引いたのは加賀谷の方だ。
「分かった。だが、事件捜査に身内が関われないのは知っているな」
「昴を疑っているんですか」
「離婚を切り出したのは三宅の方らしいじゃないか。それをきっかけに母親は精神を病み、入院先で自殺した。自分を捨て、母親の死の原因を作った父親を恨み、犯行に及んだ。十分有り得る話だろう」
 淡々とした口調と冷ややかな目に、神経を逆撫でされる。紺野は腹と拳に力を入れ、奥歯を噛み締めた。ふざけるなと言ってやりたいが、客観的に見ると確かに否定できない。
 沈黙を肯定と取ったらしい。加賀谷が背を向けた。
「自宅で待機していろ」
 紺野は鋭く加賀谷の背中をねめつけた。
「……分かりました」
「ちょっ、紺野さん!」
 ぼそりと呟いて踵を返した紺野の腕を北原が掴んだ。
「北原」
 加賀谷が声を張り、北原が振り向いた。
「お前は残って資料整理だ。捜査から外されたくないだろう」
 ぐっと声を詰まらせ、悔しげな顔でゆっくりと腕を離す北原に、紺野が囁いた。
「報告は俺がする。お前は動くな」
 返事の代わりに沈黙を返した北原に、紺野は足を踏み出した。
 疑心、懐疑、猜疑。あからさまな疑いの空気と眼差しを遮断するように、紺野は捜査本部の扉を閉めた。とたん舌打ちをかまし、渋面を浮かべて廊下を早足で進む。
「どうなってんだ……っ」
 捜査員たちからの疑心以上に、昴の父親が鬼代事件と関わっている事実の方が苛立ちを募らせる。殺害状況から見て健人である可能性が高いが、犯人の中に三宅を恨む奴がいたのか。それとも、こちらを動揺、あるいは挑発するために警察内部の協力者がわざわざ調べたとでもいうのか。もしそうだとしたら、何故三宅だった。それに、田代の身辺から三宅の名は出ていないのだ。田代とは無関係、あるいは何か見落としているものがあるのか。
 挑発――いや違う。
 紺野は口の中で呟いた。
「待て紺野!」
 荒っぽい足音と共に追いかけてきた声は熊田だ。紺野が速度を緩め、足を止めて振り向くと、熊田はそのままの勢いで腕を掴んで詰め寄った。
「お前、俺が気付かないとでも思ったか? お前ら一体何を調べてる。何を知ってる。言え!」
 その鋭い声と威圧感に、一瞬怯んだ。捜査のイロハや刑事としての心得は、全て熊田から教わった。さすがにごまかせなかったか。だからといって、答えるわけにはいかない。
 紺野は、真っ直ぐ見据えてくる熊田の視線から逃げるように顔を逸らした。唇を一文字に結び、しかしやんわりと掴まれた腕を解く。
「熊さん。――北原を、頼みます」
 そう告げて背中を向ける間際、苛立たしげに顔を歪めた熊田がちらりと視界に映った。
「紺野ッ!」
 熊田は叱咤するように声を荒げたが、階段を使って右京署を出ても、追っては来なかった。
 片側一車線の道路の向こう側にも、数台ほど停められる署専用の駐車場がある。ひとまず府警本部に戻るかと、道路を渡ろうとしてふと足を止めた。
「あ、そうか」
 車の鍵は北原が持っているのだ。紺野は嘆息して逡巡した。署の目の前にバス停はあるが、この系統では、本部の最寄りのバス停に行くには乗り換えが必要になる。面倒だし、頭を冷やしたい。一本ですむ系統のバス停まで歩くか。
 時刻は午後四時を回っている。まだじりじりと地上を照らす夏の日差しの中を歩きながら、ふと一抹の不安がよぎった。
 北原は大丈夫だろうか。一人にしたことではなく、熊田に問い詰められてべらべら話すのではないか、という方の不安だ。あの熊田に迫られて白状しない根性が、果たして彼にあるか。佐々木が止めてくれればいいが。
「……不安だ……」
 紺野はぼそりと呟いた。
 右京署の近くには、かの聖徳太子から賜った仏像を本尊とした、603年に建立された京都最古の寺である広隆寺がある。太秦映画村、東映京都撮影所も徒歩圏内だ。さらに最寄駅である京福嵐山本線の太秦広隆寺駅も近く、一帯は観光客で溢れ返っている。
 三か月前にも事件捜査で通っていたのに、ずいぶんと懐かしく思える。
 紺野は広隆寺の前で足を止め、晴れた青空を背景に荘厳な佇まいをみせる楼門を見上げた。左右には木造の巨大な阿吽の仁王像が安置されている。こちらの建立は1702年らしいが、重機や機械などがない時代だ。これだけのものを人の力だけで造り上げたのかと思うと、尊敬の念を抱かずにはいられない。職人たちの物作りへの愛情、こだわり、誇り、あるいは意地や執念にも思えるが、何にせよ人の力は偉大だ。
 彼ら職人たちのように、この事件も刑事としての誇りと意地と執念で解決へと導かなくてはならないのに。
 背後から、観光客が歓声を上げながら横を素通りした。ちらりと彼ら越しに右京署の方を見やる。カーブの辺りに二人の男の姿が見え隠れしている。
 分かってはいたが、やはりか。監視を付けられている。互いに刑事だ、気付かれることは承知の上だろう。だが、これでは寮に行くどころか下平とも迂闊に会えないし、電話で報告もできない。となると、府警本部に顔を出したあとは、大人しく自宅に戻るしかないか。
 紺野は嘆息して足を進めた。
 先程気付いた可能性に、心が揺らぐ。
 朱音は、離婚後精神的に不安定になり、入院中の病院で自殺した。当然それは警察のデータに残っている。
 少女誘拐殺人事件に関わった捜査員たちの身元を調べ始めてから、約一週間。方法はともかく、協力者がそれに気付いて紺野と北原の身辺を洗い出し、朱音のことを知り、三宅に行きついた。
 この事件の目的が二人を捜査から外すため、あるいは牽制だったとして、狙うのなら一番手っ取り早いのは家族だ。警察の職員名簿から実家の住所は分かる。だがあえてそこを狙わず、今は他人の三宅を狙ったのは、おそらく警告。
 これ以上首を突っ込むな、と。
 もしそうだとしたら、田代の周辺から三宅の名前が出なかった理由に合点がいく。
 ただ、矛盾もある。滋賀県の山中で発見された男女四人は、生きていた。井口宙(いぐちそら)の証言から推察すると、あの場には紫苑(しおん)の他に隗か皓のどちらか、あるいは陰陽師もいた。つまり、奴らは正気を失った紫苑から宙たちを助けたのだ。また榎本の件も同様で、さらに(さい)と紫苑に与えられたのは犯罪者で、奴らは意図して犯罪者を探している。
 もしも、もしもだ。宮司の矢崎徹(やざきとおる)刀倉影正(とくらかげまさ)は、陰陽師の存在や大戦のことを初めから知っていた。つまり、事件に深く関わっている人物だ。犯人たちが、事件関係者と犯罪者以外の人間は殺さないと決めているとしたら、三宅が殺害されるのは不自然だ。彼自身は、事件に一切関わっていなかった。
 となると、たまたま三宅が犯人たちの誰かに恨みを買っていたと考える方が納得できる。
 犯人たちは、三宅への恨み、紺野と北原を捜査から外し牽制するという三つの目的を同時に果たしたことになる。
 しかし、新たな疑問も湧いてくる。事件関係者と犯罪者以外の人間を殺さない理由だ。混沌に陥れてから恐怖を味わわせるつもりなのか。何故そんな面倒なことをする?
 そしてもう一つ。殺害する条件があるのなら、何故、冬馬(とうま)たち三人を(はる)の誘拐事件に関わらせたのか。彼らは何も――。
「……(いつき)か」
 三年前、故意ではないにしろ、彼らは樹を見殺しにするところだった。
 確かにあれは法律に反する行為だ。良親(よしちか)から全てを聞き、故意ではないと分かった上で、あれすらも奴らにとっては許せなかったのか。だが、樹が冬馬たちを助けることは想定できたはず。まさか、ちょっとした制裁だとでも言うつもりか。
 影正が残した言葉が脳裏をよぎった――憎しみに囚われるな。
 犯罪被害者や遺族だからこそ、犯罪に過敏に反応する。一種のアレルギー反応だ。仕方がないとも思うが、認めるわけにはいかない。
 紺野は大きな溜め息をついて、思考を切り替えた。
 もし奴らが殺害する人間を選んでいるのだとしたら、家族が狙われる可能性はかなり低くなる。もちろん油断は禁物だが。
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