第4話

文字数 2,271文字

 視界を塞ぐ、大量の白い煙。隙間から左近の結界の光がうっすらと覗き、しかし悪鬼の姿は見えず、触手が襲ってくる様子もない。代わりに飛び出してきたのは、三体の朱雀。そしてやっと感覚に触れた。背後に、悪鬼の気配。
 大河は恐る恐る首を回し、視線を落とした。右腕全体から顔を出しているのは、五本の黒くて鋭い先端。真っ赤な液体がこびりつき、ぽたぽたと滴り落ちている。
 自分の身に何が起こっているのか自覚する前に、背後から朱雀へ向かって無数の触手が伸びた。一体は貫かれ、一体は触手へ、もう一体は本体へ大量の炎を吐き出す。触手は空中で燃え盛り、本体は炎に飲まれた半分と触手を切り離して素早く上へ逃げた。そして無数の触手を伸ばし、二体の朱雀を串刺しにした。
 護符と独鈷杵の影響があり、さらに本体を半分失ったせいだろう。悪鬼は腕を貫いた触手を勢いよく引っこ抜いた。
「――ッ!」
 抉られた肉や切断された神経が擦れて引っ張られ、この世のものとは思えない激痛が脳天を突く。霊刀が消え、手の中から独鈷杵がこぼれ落ちた。
「あああ――――ッ!!」
 大河は目を見開き、背中を丸めて絶叫した。左手で右肩を強く掴んで前のめりに倒れ込み、体を縮ませる。
「う……っ、ぐぅ……っ」
 顔を歪めて食いしばった歯の隙間から、自分のものとは思えない低い呻き声が漏れる。
今すぐ腕を切り落としたいと思うほどの激痛なのに、腕の感覚がない。体も思考も支配されて、いっそ気を失いたいのに痛みがそれを許さない。腕にぽっかりと開いた五つの穴から大量の血がとめどなく溢れ、地面をどす黒く染めてゆく。
 突如、左近の結界の外側にもう一つ、結界が張られた。


 鎮守の森の上空。足元では結界を覆い尽さんばかりの触手が体当たりし、絶え間なく火花が上がっている。
 変化するべきかどうか迷いながら、左近は真っ赤な刀に炎を纏わせて一回転した。火炎放射器のように凄まじい勢いで炎が放たれ、三百六十度から襲いかかった触手を全て飲み込んだ。触手伝いに飲み込まれることを危惧したのか、本体がすぐさま触手を切り離した。
 いくら神とはいえ、この数の悪鬼を一人で相手にするのはさすがに骨が折れる。頭上から襲いかかる触手を、片手で結界を掲げて防ぎつつ落下し、左近は鬱陶しそうに顔をしかめた。
 悪鬼は二手に分かれている。一方は結界の破壊、一方は左近の足止め――もとい排除。そう簡単に破壊されないと自負しているが、こう数が多いとさすがに多少不安にもなる。あくまでも多少だ。
 左近は刀に大量の炎を纏わせ、木のてっぺんに着地するなり力任せに薙いだ。広範囲に飛散した火玉が凄まじい勢いで空を切る。結界を攻撃していた無数の触手と本体の下部に激突し、もうもうと煙が上がる。
「やはり、変化した方が早いか」
 足止め役の悪鬼と破壊役の悪鬼、双方から触手が伸び、左近は木のてっぺんからてっぺんへとあちこち移動しながら刀を振るう。
 外から見えないのはあくまでも鎮守の森の中であり、上空は丸見えだ。北、東、西側は山々が連なっているが、道路が走っているし、南の麓には民家がある。いくら田舎でもこの時間、絶対に人は出歩いていない、一台も車が通らないという保障はない。夜に真っ赤な朱雀は遠目でも目立つのだ。しかし、使いと同じく、朱雀の姿になれば炎を吐ける。火力自体は人型と大差ないが、連続放出時間は朱雀の方がはるかに長い。廃ホテルで悪鬼に襲われた際、志季がやったらしい結界に炎を纏わせる方法もあるが、これだけ巨大だと神気の消耗も激しい。結界が攻撃できないとなれば、全ての悪鬼は当然こちらを狙う。いくら結界の破壊を阻止できても、戦えなければ本末転倒だ。長時間の戦闘には向いていない。
 結界がいつまでもつか分からない不安はともかく、悪鬼と一人で戦っている大河の心許なさ、ついでにそろそろ覚え始めた苛立ちを天秤にかけると、「神社上空に現れた神」の姿を人に見られるリスクは些細なものだ。それに、「特別神事」という閉鎖理由がある。例え見られても、都合よく解釈してくれるだろう。多分。
 加えて、先程悪鬼を逃した屈辱もある。
 左近は小さく舌打ちをかまし、大きく飛び上がってゆらりとその輪郭を歪ませた。次の瞬間、ドンッ! と森の中から爆音が響いた。何ごとかと下を一瞥すると、一部の木々がメキメキと乾いた音を立てながら押し上げられ、傾いた。代わりに顔を見せたのは、二枚の土壁だ。
 左近は目を丸くした。
「結界の応用……!」
 大河は向小島で霊符を媒体とした結界を見ている。それをヒントにしたのだろう。とはいえ、誰にも教わっていないはずなのに、自分で気付いて実行するなんて。
「何を……」
 するつもりだと口にするより早く、朱雀の炎と黄金色に輝いた結界が覗き、じわじわとこちらへ近付いた。押し潰す気か。
 左近は口元に微かな笑みを浮かべた。
「また、ずいぶんと信用されたものだ」
 左近の結界は簡単に破られない。そう信じていないと、結界で押し潰すなんて作戦、思い付いても実行しないだろう。向小島の時といい、自分にない発想はなかなか侮れない。炎で焼き尽くすより、はるかに手っ取り早い方法。
「ここは、素直に倣うか」
 十七年間、戦いとは無縁の生活を送ってきた普通の高校生。間違いなく足手まといになると思っていた。初陣に廃ホテルでの事件、向小島の争奪戦――この短期間で、ここまで成長するとは。
 左近は触手を叩き切りながら木のてっぺんに着地すると、もう一度大きく跳ねて両手を結界へかざした。直後、大河の絶叫が響き渡った。
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