第13話

文字数 4,184文字

 扉が閉まり、浮遊感と共に階下へと降りるエレベーターの中で、紺野と北原は同時に長く息を吐いた。
「あいつ、冬馬っつったか。確実に気付いてたな」
「紺野さん、突っ込みすぎですよ。もう見ててはらはらしました」
「悪い、ついやり過ぎた。でも色々分かったから許せ」
 口ではそう言うが反省の色が見えない紺野に、北原は呆れたように溜め息をついた。
「それにしても、ずいぶん警戒してましたね」
 ああ、と紺野は腕を組んで壁に背を預けた。
「それは俺も気になった。あいつらにとって、イツキって名前はいわくがあるみたいだな」
「三年前、ですか?」
「可能性としては高いと思うぞ。あのわざとらしい様子じゃ確実に何かやってやがる」
「下平さんも、知らないの一点張りだって言ってましたね。警察(おれたち)に知られるとまずいこと、でしょうねぇ」
「だろうな」
 一階に到着し、扉が開いた。外では数組のグループがエレベーター待ちの列を作っていた。大盛況で何よりだ。
 紺野と北原は客数人と入れ替わり、来た方へと戻る。
「確実に分かったのは、あいつらはイツキのことは知らねぇが、成田樹のことは知ってるってことだな」
 もし冬馬たちが噂を流したのだとしたら、紺野たちを問い詰めるような真似はしないだろう。ということは、今のところ樹を見ていないという証言も本当だ。
「ですね。噂に関しては本当に困ってるみたいでしたけど、二人を結び付けてましたからね」
「ああ。相当親しかったんだろう。樹の力のことも知ってるぞ、あいつら」
「ええ」
 普通、下の名前が一致するというだけで、もしやと思っても「心当たりがある」とは言わないだろう。しかも、でも違うと思うと否定した理由が「行方不明」だ。もし力のことを知らなければ「そんなことできない」あるいは「聞いたことない」などと言う方が自然だ。
 つまり彼らには、心当たりがあると言えるほどの理由があった。それが、名前、除霊師、アヴァロンという三つの共通点。
「てことは、だ。成田樹はその頃からすでに力を使ってたってことになる。ただ霊感や霊力があるって口で言うだけじゃ信じねぇだろうし、実際に力を使って何かしてたんだろう」
「ああ、そうなり……え、待ってください。それってつまり」
「噂のイツキと同じ、高額の依頼料を取って除霊師を名乗ってたのか、それとも内々なのかは分からねぇけど、確実にその手の何かをやってたのは間違いねぇ」
「俺たちに知られたくない何かって、もしかしてそのことですかね。事と次第によっては詐欺にもなりますし、下平さんに口を割らなかった理由も納得がいきます」
「そこだ。もしあいつらが詐欺まがいのことをしてたとしたら、三年前、突然姿を消した樹の存在は脅威だろうな。警察にタレこまれる可能性がある」
「あ、だから自分たちも探したって」
「仲間だとか言ってやがったが、わざとらしすぎなんだよ。俺たちが警察だって分かった上で、樹の存在をほのめかすようなことを言ったのも、俺たちが樹のことを知ってるとでも思ったんだろう」
「ということは、冬馬たちは樹くんを探してる?」
「かもな。噂を聞いて焦ったんじゃねぇか?」
 北原は怪訝な表情を浮かべた。
「じゃあ、噂を流した奴の目的は、冬馬たちを利用して樹くんを探すためだったってことですか? どう考えても流した奴は樹くんのことを知ってますよね」
「無くはないが、行方不明ってことになってるのなら、京都にいるかどうかすら分かってねぇはずだ。あまりにも不確定すぎる。それに、同一人物だって線は否定できねぇだろ」
 そうか、と北原は俯き加減でまた唸った。
「まあ、三年前の何かは何となく分かってきたが、噂のイツキの方はほぼ収穫なしか」
 ああいう場所は、初対面でもその場のノリでその場限りの仲間意識が生まれるらしい。しかも互いに本名を名乗る必要もない。全くの偽名か、下の名前か、あだ名でも失礼にならない。さらに酒も入っていて記憶が曖昧な客も多い。もし噂を聞いた客がそうなら、途中で糸口が途切れてもおかしくない。冬馬たちもそれで調査を断念したのだろう。
 今は、噂だけが一人歩きをしている状態だ。
「あの、紺野さん」
 俯いて思案していた北原が顔を上げた。
「やっぱり、不自然じゃないですか? あの噂」
「どういう意味だ?」
 不自然と言うより、不思議ではあるが。怪訝な表情を浮かべて見やると、北原も同じような表情をしていた。
「だって、高額の依頼料を取る除霊師、ですよね? 客の側から見れば、高額の依頼料を払って除霊してもらったってことですよ。除霊って、直接会ってするものですよね。それなのに、どんな奴か分からないっておかしくないですか。下平さんは自称除霊師って言ってたので、まだ仕事を受けていないとも考えられます。でも、もしイツキ本人が流したとしても、仕事が欲しいなら自分だって言うはずだし、連絡先すら分かっていません。それに、さすがに依頼料が高額だとは言いませんよ。どう考えても不自然です、絶対何か裏があります」
「……確かに、言われてみればそうだな……」
 ネットでは噂が流れていない。しかし実際に噂が出回っているということは、確実に誰かが話を聞いている。それなのに「どんな奴か分からない」というのは不自然だ。連絡先や容姿、おおよその年齢などの特徴が噂と一緒に流れてもいいはずだ。本業であれ副業であれ、そうでないと仕事は来ない。
「北原、お前」
 冴えてんな、と褒めてやろうと振り向いて、紺野は顔をしかめた。
「もし噂自体が嘘でイツキがいないのだとしても、噂を流した奴はいるよな。何が目的なんだ? 確実に樹くんを知ってる奴だよな。でも三年前に行方をくらませた樹くんに今さら何の用なんだ。やっぱり詐欺まがいのことか、それとも個人的な恨み? 他に何か可能性は……」
 唇に手を添え、ぶつぶつと一人呟いている。
「……久々に出たな」
 相変わらず言っていることはまともだが、何度見ても異様だ。ここ最近、症状が出ていないから完治したのかと思っていたが違ったようだ。いや、病気ではなく癖だが。すれ違う人々が怪訝な、と言うより気味悪そうに冷たい視線を投げて避けていく。やはり近藤に精神科医を紹介してもらうべきだろうか。
 紺野は盛大に溜め息をつき、とりあえず放っておくことにした。危害はない。実害はあるが。
 北原は別人として考えているようだが、今の段階では、成田樹とイツキが同一人物なのかそうでないのかは明確に判断ができない。
 もし同一人物だった場合、わざわざ自分に似せた噂を流す理由が分からない。姿は見せず、かつて出入りしていた場所に自分と同じ名前で同じ仕事の噂を流すということは、つまり自分の存在を匂わせることになる。では、何故そうする必要があるのか。
 詐欺まがいに関係することだとしたら、仲間割れ、あるいは裏切られた復讐のための布石と言ったところだろうか。しかし冬馬は「もしあいつだとしたらうちに顔を出す」と言った。ならば、仲間割れや裏切りと言った原因で樹が姿をくらませたのではない、ということか。そうなると、では何故姿を見せないのかという疑問が残る。仲違いでないのなら、わざわざこんな遠回しなことをする必要はない。それとも、他に理由があるのか。
 一方、別人だった場合、目的がさっぱり分からない。北原が言ったように、樹のことを知っている奴の可能性が高いが、それだけだ。樹個人に恨みを持つ者がおびき寄せるために流したとも考えられるが、樹が噂を耳にするという保証がないのに、こんなことをする理由は何だ。
 京都市内を哨戒範囲としているのなら、哨戒中の樹を見かけたという可能性もあるが、それが耳に入る保証にはならない。それに、冬馬は見ていないと証言している。
 そもそもこの噂を調べ始めたのは、鬼代事件と関連があるかどうかをはっきりさせるためだ。このタイミングで、事件と関わりかつ被疑者である樹に関する噂が流れること自体、作為的であり人為的にも思える。ならば、事件と関連付けて推理するべきだ。しかし、どう繋がる。
「って、おい北原っ」
 紺野は、駐車場を通り過ぎようとした北原を引き止め、引き摺るようにして助手席に押し込んだ。駐車料金を支払い、ついでに横の自動販売機でコーヒーを二本買って車に戻る。
「おい」
 未だトリップしたままの北原の頬に冷えた缶を当ててやると、ひっと声を引き攣らせ、わずかに飛び上がった。
「ほら」
 女のように胸で両手を握り締めて凝視してくる北原に頬を引き攣らせ、コーヒーを渡してやる。
「びっくりした……ありがとうございます。すみません、いただきます」
 北原はやっと正気に戻ってプルトップを開け、美味そうにコーヒーに口をつけた。紺野も一口飲んでからドリンクホルダーに入れ、シートベルトを締める。
「で? 謎は解けたか?」
 少々の皮肉を込めて尋ねると、北原は大きく溜め息をつきながらシートベルトを締め、首を横に振った。
「どう考えても矛盾と謎が残ります。お手上げです」
「俺もだ」
 二人は同時に溜め息をつき、紺野はゆっくりと車を発車させた。
「タイミング的に鬼代事件と関係があると思ったんですけど、考えすぎなんですかねぇ」
「せめて噂の出所が分かればな」
「そうなんですよねぇ」
「噂の出所も、イツキの正体も分からずじまいか……どうなってんだ」
「陰陽師が関わっているだけに、幽霊だったりして」
「幽霊が噂流したっつーのか? あ、まさかあいつ、昔弄んで捨てた女とかいるんじゃねぇだろうな」
「樹くんモテそうですもんねー」
「だったら管轄外だな。明たちに依頼してアヴァロンの除霊だ除霊。そしたら噂自体無かったことになるかもしれねぇぞ」
「まさに心霊現象ですねぇ、貴重な体験かも。でも、依頼料取られるんですかね?」
「本人にやらせりゃいいだろ」
 一瞬おかしな沈黙が流れ、また同時に溜め息が漏れた。
「何真顔で馬鹿なこと言ってんだ、俺ら……」
「疲れてるんです。しょうがないです」
「さっさと帰って寝るか」
「寝ましょう」
 そうするか、と紺野が呟き、今日何度目かの溜め息が車内に漏れた。
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