第15話

文字数 3,516文字

 茂が筒状の地図を持って戻ってきた。子供用の日本地図のポスターで、しかもかなり大判だ。
「全員、こちらへ」
 宗一郎がローテーブルへ皆を呼び、お茶菓子の入ったかごと携帯を手元に引き寄せた。そして茂は、藍と蓮を避けてテーブルいっぱいに地図を広げる。東北の方がはみ出てしまっているが、構わないのだろう。何が始まるのかといった様子で、双子が手を止めて顔を上げる。
 宗一郎だけが床に移動し、他のソファ組はそのままだ。ダイニングテーブル組が、ソファ組に気を使いつつぐるりとローテーブルを囲む。
「知っている者もいるだろうが、改めて説明する」
 宗一郎はそう前置きをし、お茶菓子を印の代わりにして、錫杖の使い道を含め「それ」を説明した。
 聞いたことがないわけではない。しかし、あくまでも「そう見える」というだけで、一般人からしてみれば信じがたい。偶然にも後付けのようにも思えるし、そもそも証拠がないのだ。だが、自分の今置かれた状況が、「それ」が事実だという確固たる証拠。疑う余地はない。
 それに、この世を混沌に陥れることが目的なら、これ以上のうってつけはないだろう。
「敵側の狙いはこれだ。お前たちは、各地へ赴き阻止しろ。そこで先程の話しだ。どうやら敵側の人員も潤沢ではないようだから、手一杯だろう。我々が食い止めている間に、調査に入っていだたきたい」
 さらりと告げられた指示はひとまず置いておいて、つまり、栄明と使いの同行は悪鬼対策か。人員は潤沢でなくても、悪鬼は呆れるほどの数だろう。自宅を放置したと言っても、何があるのか分からないのだ。紺野たちが顔を見合わせ、無言で頷き合う。
「分かりました」
 紺野が代表で承諾を口にした。
「よろしくお願いします。それと、楠井家の住所によっては、武家屋敷の方も頼みたいのですが」
「分かりました。調べるならそっちもと話していたので、ちょうどいいです」
「助かります。詳細は追ってご連絡します」
「はい」
 宗一郎がぐるりと視線を巡らせた。
「お前たちの担当箇所やコンビはこちらで決める。いいな」
「はい」
 陰陽師ら全員が、真剣な面持ちで硬い返事をした。
 これが、宗史の言った「事態が大きく動く」ことだとしたら、宗一郎たちは大河が京都へ戻ってくる前、いや、事件が発生した時から気付いていたのだ。決定的となったのは、柴と紫苑の証言。ひいては、敵側もこちらが気付くことは想定内、ということになる。
 昨日、宗一郎が口にした「総力戦」という言葉が、脳裏に蘇った。
「それと、大河」
「あ、はい」
 大河は我に返って背筋を伸ばした。
「お前は明日、島へ戻りなさい」
「――え?」
 一瞬、頭が真っ白になった。まさか離脱しろと言うのか。絶句した大河の間抜けな顔を見て、宗一郎が喉で低く笑った。
「事件から外れろと言っているのではない。島へ戻って、独鈷杵を回収して来いという意味だ」
 独鈷杵を回収――ゆっくりと頭で反復して、やっと思考が戻る。
「あ、そうか。はい、分かりまし、え? なんで?」
 しどろもどろに返事をしたと思ったら、素で聞き返した大河にどっと笑い声が上がった。宗一郎は堪え切れずに上半身をひねり、俯いて肩を震わせている。携帯の中では同じような光景が繰り広げられ、刑事組が何の話か分からず顔を見合わせた。
「お前、わざとじゃないだろうな?」
「え? 何が?」
 目を据わらせた宗史にずいと迫られ、大河はきょとんと目をしばたいた。
「こいつにそんな芸当できるわけねぇだろ。天然だよ天然」
 けらけらと笑いながらフォローした晴に、そうそう、と樹たちから同意の声が上がる。何のことだ。小首を傾げる大河を見据え、宗史は深い溜め息を吐いた。
 何の話しだ、と下平が樹に尋ねた。
「こうなったら話しが進まないだろうが」
 渋い顔でそう言って向けた視線の先は、宗一郎。自分の行動の何がそんなにウケたのか分からないが、何かやらかしたらしいことだけは分かる。夜の会合でも同じようなことをした。とはいえ、今回はそんなに変なことをした自覚がないし、そもそも、宗一郎の笑いの沸点の低さにも問題があるのに。
 大河は少々理不尽に思いつつ、ごめんなさい、と口にする。
「いやでも、回収ってことは独鈷杵あったんだよね。送ってもらえばいいじゃん」
「不用意に動かせないだろう。どこから見張られているのか分からないんだ。今のところ不審な人物がいたと連絡はないが、警戒するべきだ」
 速攻で反論をくらい、大河はぐっと声を詰まらせてから、折れた。
「ですよね……」
 これからのことを考えると、影綱の独鈷杵が必要なら必ず狙ってくる。
 狭い島だけに近所づきあいは濃厚で観光地にもなっておらず、その上、船以外で渡る術はない。そのため、島外の人間が来ると噂になる。もし敵側の誰かが島へ入ればすぐ耳に入るだろうが、隗と皓がいる以上、どこからでも自由に島へ出入りできるのだ。それこそ、紫苑のように。
 悪鬼で移動できるのならどうして使わなかったのだろうと思うけれど、紫苑は島の正確な場所を知らないし、先程の「収容施設襲撃」の話しを聞く限り、悪鬼に命じて辿り着けるとは思えない。ましてや健人が同行するなら、悪鬼に乗っての移動はかなり辛いだろう。かといって、鬼を連れて公共機関は使えない。もし狙ってくるのなら、また同じように船を使うのだろうか。
「大河は本当に面白いな」
 息を吐きながらそんなことを口にした宗一郎へ、大河はむっとして鋭い視線を投げた。絶対褒めてない。またしても視線を逸らされたが、もう慣れた。本当にどうにかならないのか、あの笑い上戸は。
「えーと、それとだ」
 笑いすぎで話すことを忘れたのか。宗一郎は逡巡し、ぽんと手を打って宗史を見やった。
「宗史、晴、お前たちも行きなさい」
「はい」
「了解」
 言われずとも、といった声だ。ソファの後ろにある小ぶりの旅行鞄はそれだったらしい。ということは、今日も寮に泊まるのか。
「それと、宗史」
「はい?」
 宗史が一度瞬きをしたあと、宗一郎は満面の笑みを浮かべてとんでもないことを告げた。
「独鈷杵の回収に失敗した場合、一生、桜との会話を禁ずる」
 驚きの声すら出なかった。唯一、携帯から明の噴き出した笑い声が聞こえたくらいだ。
 椿の件の処分だろうが、一生ということは、生涯? 一緒に住んでいるのに? 冗談でしょ。さすがにそれはやり過ぎでは。誰もがそんなことを思いながら、窺うようにそろそろと宗史へ顔を向けた。大きく目を見開いて宗一郎を凝視し、一人だけ時間が止まったように固まってしまっている。愕然の見本のような様相だ。
 宗史の両側で大河と晴が同時にびくりと肩を跳ねて身を引き、他の者たちも顔を引き攣らせた。藍と蓮が握っていたクレヨンを放り出し、柴と紫苑の足にしがみつく。
「ねぇ、ちょっと、大丈夫……?」
「い、生きてる……?」
「お、おい、宗史……?」
「宗、だ、大丈夫か?」
 恐る恐る、樹、弘貴、志季、晴が声をかけるが反応がない。まさか本当にショック死したなんてことはあるまい。遠慮がちに茂や紺野たちからも心配の声がかかる。
「宗史さん……?」
 大河はゆっくりと手を伸ばした。次の瞬間、
「ひ……っ」
 作りものだと思っていた人形が突然動いたくらいの恐怖と驚きだった。伸ばした手をがっしり掴まれた大河と晴が、引き攣った悲鳴を上げた。
「……晴、大河」
 宗史はおもむろに口を開き、瞬きもせず宗一郎を見据えている。静かな苛立ちを浮かべたその横顔に、大河と晴は返事の代わりにごくりと喉を鳴らした。
「死ぬ気で、独鈷杵を回収する。いいな」
「……はい……」
 ゆっくりとした口調と低い声が有無を言わさないと言っていて、大河と晴はかろうじてそう口にした。こんな状態の宗史に逆らえる奴がいたらぜひお目にかかりたい。青ざめた顔の大河と晴へ、皆から憐憫めいた視線が投げられた。目的が変わってきていないか。
 するりと手が離れて、大河はこっそり息を吐いた。敵側が襲撃してきて独鈷杵の回収に失敗すれば、宗史は今日から一生桜と会話ができないことになる。病的なシスコ――いや、桜をとても溺愛している宗史が、耐えられるとは思えない。もし親子喧嘩なんぞに発展した日には、敵側がこの世を混沌に陥れる前に日本が沈没しそうだ。
 これは本当に死ぬ気でやり遂げなければ、自分たちの身も危ない。
「敵側の襲撃がなかった場合は別の処分を考えるが、確率で言うと来る方が断然高い。油断するなよ」
「……はい」
 不遜な笑みを浮かべて他人事のようにそんなことをのたまう宗一郎が心の底から憎い。大河、宗史、晴から睨まれながらも、宗一郎は笑みを崩すことなく話しを進めた。
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