第9話

文字数 5,522文字

 廃ホテルを後にして市内へと戻る車内で、下平は一息ついてから口を開いた。
「さてと、お前ら。誰が一番近いんだ?」
「あ、俺なんですけど。圭介、今日泊まっていいか? この恰好で帰ったら親心配するから」
「おう。お前んとこの親、心配症だもんな」
「もういい加減子離れして欲しい。いくつだと思ってんだか」
 少々うんざりした様子でぼやきつつ、携帯をいじる。愚痴をこぼしながらも親に心配かけさせまいとするあたり、関係は良さそうだ。メッセージでその旨を伝えているのだろう。圭介が告げた住所を、冬馬が苦笑いを漏らしながらナビに打ち込んだ。
 圭介が一人暮らしをしているアパートは南区。表示された地図をちらりと確認し、あの辺りかと見当を付ける。
「それでだ。俺から質問する前に、お前らからは何かあるか?」
 改まった声で尋ねると、智也と圭介は顔を見合わせた。察しはつく。冬馬は説明しなくていいと言ったが、気になって当然だ。
「あの、確認だけいいですか」
「何だ?」
 智也が恐る恐るといった様子で言った。
「さっきの二人、っていうか、あいつらの何人か……人、じゃないですよね……?」
「人じゃねぇな」
 あっさり肯定した下平に、圭介が重ねて尋ねた。
「じゃ、じゃああの冬馬さんの怪我を治した美人も」
「人じゃねぇぞ」
 またもやあっさり出た肯定に二人は顔を見合わせて、何故か前のめりの体勢で興奮したように言った。
「式神!」
「正解だ」
 クイズを出した覚えはないのだが。おお、と感嘆の声を上げると、二人はいやでもさぁと思案顔になった。正解しても何も出ないのだから真剣になられても困る。
「あのでっかい犬は?」
「見た目色々あんじゃね?」
「犬も式神だ」
 この話題をあまり引っ張るわけにはいかない。下平がしらっと口を挟むと、智也と圭介は同時に視線を向けた。
変化(へんげ)って言うらしくてな、契約した術者の力の強弱によって人型にも獣型にも姿を変えられるらしい」
 へぇ、すげぇ、と冬馬も揃って感嘆の声を漏らした。
「じゃあ、角の奴は?」
「ありゃ鬼だ」
 さらりとした答えに、智也と圭介が目をしばたいた。冬馬は面白そうに笑いを堪え、肩を震わせている。
「……鬼?」
「の、コスプレ?」
 智也の付加に、下平と冬馬が同時に噴き出した。現代人にとって架空の存在であるはずの陰陽師と式神をすんなりと受け入れて、何故鬼を受け入れられないのだろう。あの身体能力を目の当たりにしているのに。しかもコスプレときた。
「本物だ。平安時代のな」
「……へぇ……」
 曖昧な返事をするあたり、いまいちぴんときていないようだ。まあ結局のところは、
「信じるも信じないもお前ら次第だ」
 こうなる。どちらにしろ何も問題はない。例え信じて人に話したとしても、実際目にしていない人間からすれば、ただの妄想か幻覚としか思えない内容だ。いや、問題はあるのか。薬物検査や精神科を勧められる。
 何やら真剣な面持ちで口をつぐんでしまった智也と圭介を置いて、下平は本題に入った。
「他にないならこっちから質問だ。良親ってのは何者だ」
 気を取り直すように、冬馬が深呼吸をして答えた。
「系列店の店長です。祇園にあるミュゲというホストクラブの」
「祇園の店長が何で俺のことを知ってるんだ」
 祇園は東山警察署の管轄だ。面識があるはずない。
「アヴァロンの元スタッフなんですよ。でも半年くらいでミュゲに移ったんです。辞めてからも時々来ていたので、智也と圭介のことも、樹のこともよく知っています。下平さんのことは当時からやたらと避けてましたね。昔警察と何かあったんじゃないですか?」
「そういうことか」
 パトロールで立ち寄ると言ってもしょっちゅうではない。店内に入るのも、未成年の目撃情報を聞いた時や揉め事に遭遇した時、事件の聞き込みをする時、あるいは抜き打ちか、近所で未成年がうろついていれば確認のために入ることはある。しかし、入ったとしてもあの大勢の客と照明では、全スタッフを把握するのは難しい。
 そもそもスタッフと顔見知りになるにも、店外清掃や休憩で外に出てきた時、顔見知りのスタッフからの紹介などによるものだ。ただし店長は責任者であるため、交替する前に紹介される。持ちつ持たれつの関係は大切だ。
「次だ。三年前のことを詳しく話せ」
 冬馬は一呼吸置いてから、口を開いた。
 良親の言葉から何となく察していた。けれどこの三年間ずっと心に引っ掛かっていた真実は、改めて聞くと想像していた以上に悲惨なものだった。
 樹の行方を冬馬たちに尋ねた時、彼らは言った。いなくなった、探したけれどいない、と。あの言葉は、全くの嘘ではなかった。冬馬たちは探したのだ、方々手を尽くして。ただ、良親だけはそれを快く思っていなかったらしい。それもそうだろう。
 目の前で大怪我を負っている人間を放置すれば、保護責任者遺棄罪という罪に当たる。どのような行為が「遺棄」に当たるのか論点が多く難しい罪ではあるが、要扶助者――瀕死の樹を放置、置き去りにした冬馬たちの行動は間違いなくそれに当たる。また、樹が死亡していた場合、保護責任者遺棄致死罪に該当する。三年以上、二十年以下の懲役刑だ。遊び半分だった肝試しが、重罪になる。
 もしそれを知っていた上で、樹があの場所で死亡していたら冬馬たちはどうしていたのだろう。などという愚問が浮かんだ。必ず出頭すると、今なら断言できる。良親はともかく、冬馬たちはそういう奴らだ。
「どう探しても、行方が分かりませんでした。樹は補導歴があるので、身元はすぐに判明するはずです。それなのに、テレビやネットのニュースにも上がらないし、あんな状態で病院に担ぎ込まれないわけないのに。一体何がどうなっているのか、あの時はさっぱり見当もつきませんでしたけど……」
 十中八九、陰陽師たちの誰かに保護されたのだろう。冬馬も気付いている。椿の治癒を経験しているのだから疑う余地はない。
 バックミラーを見やると、後部座席の二人が沈痛な面持ちで俯いていた。突然、樹の腹が切り裂かれて大量の血が流れればパニックを起こして当然だ。しかも心霊スポットで、霊感のある樹が「いる」と言ったのだ。自己防衛が働くのは人の本能として間違っていない。だが。
「お前ら、二度とやるなよ。樹に悪いと思ってるなら、これから先そういう人を見かけたらちゃんと助けろ。いいな」
 樹が訴えることはないし、目撃証言も物的証拠もないだろう。法的に裁けない。けれど、だからと言って許されるべきではない。生涯をかけて、人知れず償わせなければいけない。この三人なら言わなくても自ずとそうしただろうけれど、あえて言ったのはきちんと自覚させるためだ。
「はい」
 三人は声を揃えて頷いた。
 途中で自動販売機に寄ってそれぞれ飲み物を購入し、下平は数時間ぶりの一服を堪能した。警察車両は全車禁煙だ。一本でも吸おうものなら即座にバレる。それに貧血の人間に副流煙を吸わせるわけにはいかない。
 しばしの休憩を挟み、再び車を走らせる。
「今回のこと、どう関わってどこまで知ってたのか説明しろ」
 さっそく端的に要求すると、冬馬がスポーツドリンクの蓋を閉めながら口を開いた。
 始まりは、イツキの噂。アヴァロンで噂が回り始めたのは先月、七月の半ばくらいだったらしい。初めは樹が生きて戻ってきたのかと思ったそうだが、自分に似せた噂を流す意味が分からない。ひとまず、ありもしない噂を流されるのは、店の評判を落とす原因になりかねない。全スタッフに、もし客から話をされたら否定し、どこの誰から聞いたのか探れと指示を出した。けれど一向に出所は掴めず、噂だけがどんどん広がって行く。噂の内容から、三年前をなぞらえていることは間違いない。良親に問い質しても知らないと言う。
「結局は良親の仕業でした。仲間を客に紛れ込ませて曖昧な証言をさせたそうです」
 アヴァロンの客数を考えると、一人や二人紛れ込ませるのは容易いだろう。なるほどな、と下平の納得した声を聞き、冬馬は続けた。
 自分たち以外に三年前のことを知っているのは樹しかいない。では本当に樹が、と思いつつ出所を探っている最中に、良親から陽の誘拐を手伝えと脅された。リンとナナを人質に。
 陽のことは男子中学生という以外、名前すら知らなかったという。決行日が決まったら連絡すると、ただそれだけを言われたそうだ。
 そして次は、身分を隠した紺野と北原がイツキを探して来店した。
「何かあると思ってカマをかけてみたんですが、さすがに引っ掛かってくれませんでした。一瞬、詰問口調になりましたけどね」
 刑事にカマをかけようと思うその根性が称賛に値する。そして紺野は引っ掛かりかけたのか。彼らしいというか、やはりまだまだ甘いというべきか。下平は二人に向けた溜め息をついて、先を促した。
「その日――日を跨いでたので翌日になりますね。樹が来ました」
 堂々と真正面から来店した樹に、冬馬は警戒したと言った。
「良親も言ってましたけど、恨まれて当然だと思っていたので。ただ、店で問題を起こされるのは困ります。客やスタッフを巻き込むわけにはいきませんから。もし噂を流したのが樹だとしたら、場所を変えて話すつもりでした」
 けれど樹は噂の内容を知らなかった。そして、仕事に誘った。
「お前、何で誘ったんだ」
 恨まれて当然だと言いつつも仕事に誘う矛盾した行動。下平の質問に、流暢だった冬馬の口が止まった。しばらくして冬馬は俯き、ぽつりと呟いた。
「さあ……何ででしょう」
 自分でもよく分かりません。そう言った冬馬の声には、嘲笑が混じっていた。
 そして昼前に、良親から誘拐実行の連絡が入った。昇に急用で休むと連絡を入れ、アヴァロンで智也と圭介と落ち合い、良親が寄越した迎えの車に乗って指定の場所で待機した。迎えに来た男、つまり譲二から手順を聞き、その時までひたすら車の中で待つ時間は苦痛でしかなかった。ただ、考える時間は有り余るほどあった。
「最近は、子供にGPSを設定している親が増えてるらしいので、彼も可能性は高いと思いました」
 だから電源を切る役目を買った。切る直前、GPSが設定されている表示を見て、一旦は切ったものの鞄に入れたフリをして陽と自分の間に隠し持った。
「マナーモードは」
「自分が使っている以外の機種の操作を、もたつかずにできます?」
「できねぇな」
 下平は素直に白旗を上げた。
「電源を入れるタイミングを計っていた時に、ナナからメッセージが来ました」
「ナナから?」
 ええ、と頷いた冬馬を横目で見やり、そういえばと思い出す。
『どうしてここに下平さんが』
『リンとナナはどうしたんですか』
 あの時、冬馬はそう言った。まるでナナが下平に連絡を入れたことを知っていたような言い回しだった。
「まさか、お前が俺に連絡しろって言ったのか」
「はい。下平さんなら絶対に動いてくれると思ったので」
 リンとナナを人質に取られた時、二人に注意を促すことも考えたらしい。けれど、果たして理由を伝えずにただ気を付けろと言って気を付けるかどうか。どうするか悩んでいた昨夜、グランツでの出来事を聞いた。
「奴の噂は聞いてたので、利用することにしたんです。二人も噂は知ってたし、少しでも不審に思ったらすぐ下京署に連絡して、下平さんに繋いでもらえ。俺にも連絡しろと。リンは少し不安でしたが、ナナはしっかりしてるので対処できると思いました」
 例の二人からの依頼の話は聞いていないらしい。
「でもまさか、あの場所に下平さんが来るとは思いませんでした。驚きました」
 冬馬に来たナナからの連絡内容は、「男につけられています。撒いてリンの職場に向かっています。下平さんからの連絡待ちです」というものだった。仕事のメールだと偽って「人の多い場所でリンと合流して動くな。絶対に何もするな」と返信した。下平なら絶対に二人を保護してくれると信じて電源を入れ、車を降りる直前に鞄に戻した。
 陽を逃がせば、あとは譲二を倒して携帯を取り上げ、智也と圭介を連れて逃げればいい。この時点でナナから保護されたとの連絡はなかったが、譲二さえ倒してしまえば良親や仲間への連絡が遅れる。時間は稼げる。だがそんな思惑は読まれていた。
「さすがに元プロボクサーには敵いませんでした。容赦なくやられました」
「あいつプロだったのか」
 そのわりには晴に全く歯が立たなかったようだが。プロとは名ばかりだったのか、それとも晴が強すぎるのか。
 譲二にやられっ放しの冬馬を、智也と圭介はさすがに庇ったという。けれどそこで初めて、冬馬も標的だということを知らされた。こいつを庇えば女がどうなるか分かってんだろと脅され、冬馬でさえ敵わなかった相手に、智也と圭介は従うしかなかった。
 だから冬馬に謝っていたのか。二人は志季に運ばれた時、半泣きで冬馬に謝罪していた。何度も、何度も。辛いとか、苦しいとか、そんな言葉では言い表せないほど心が痛んだだろう。
 良親は、初めから冬馬が裏切ると読んでいた。となると、冬馬が二人を気にかけていることも、二人が冬馬を慕っていることも承知の上で、冬馬を裏切らざるを得ない状況に智也と圭介を追い込む気だったのだ。
 良親という男は、何故そこまでして冬馬たちを追い詰める必要があったのだろう。それともこれも、平良が仕組んだのだろうか。
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