第6話

文字数 4,981文字

 土御門家から寮までの帰り道、ひたすら水天と火天の初級の真言を暗唱させられた。宗一郎に。おかげですんなり言えるようになったが、巨大な活字になった真言に追いかけられる夢を見て飛び起きる羽目になった。この話をしたら宗一郎の腹はよじれてくれるだろうか。
「オン・ビリチエイ・ソワカ」
 真言を唱えると、周囲の土がまるで生き物のように浮かび上がった。そして一部から順に、蛇のように伸びて前に突き出した霊刀に巻き付いた。ぐるぐると回る様は、理容室の店先にあるサインポールのようだ。
 時間にしてほんの数秒。大河の目の前であっさりと地天の術を行使したのは、昴だ。
「形状は水天や火天と同じなんですね」
 水飛沫が上がる水天や真っ赤に燃え盛る火天と違い、土なだけに見た目も色合いも地味だが。
「うん。じゃあ、放ってみるから離れててね」
 そう言われて大河は縁側ぎりぎりまで離れた。左脇に霊刀を構えた昴の視線の先には、大河が張った少々歪な形をした中級の結界。その中央には、以前、(いつき)が叩き割った石が居座っている。あの時で七度目らしい樹の暴挙に、(しげる)がとうとう元に戻すことを諦めたのだ。また使うしちょうどいいよね、と自分に言い聞かせるように呟いた茂の背中には、やはり哀愁が漂っていた。
 昴は腰を落として結界を見据える。ゆっくりと深呼吸をして息を整えると、軽く息を止めて真横に霊刀を振り抜いた。速度は速くない。素人でも十分目で追えるスピードで、巻き付いていた土が飛び出すように霊刀から放たれ、一直線に結界へ向かう。
 初陣の時に見たものとは違うが、廃ホテルで見た怜司(れいじ)の水天と同じだ。鞭を思わせるような動きをした帯状の土が、結界の真正面に突き刺さるように激突した。パンッと甲高い音が響いて土煙が上がり、結界を覆い尽くす。初めて地天の術を行使した時よりは、はるかに軽い衝撃音だ。ちなみに縁側には、あの時と同じように念のため一面結界が張られている。張ったのは、リビングで双子と一緒にお勉強中の茂だ。
 やがて、収まる煙の中から石と剥がれ落ちた霊符が姿を見せて、大河は肩を落とした。
「駄目かぁ……」
 残念な溜め息と共に唸った大河に、昴は霊刀を消しながら言った。
「本来なら十分な強度だと思うんだけど、形が歪だとどうしてもそれが発揮されないんだよね。多分、無意識に強度の方に意識が偏ってるんじゃないかな。それさえ気を付ければあとは反復練習あるのみ、頑張ってね」
 的確なアドバイスに加え、垂れ目をさら下げて優しく励ましてくれる昴に思わず涙ぐむ。
「昴さん優しい……っ。樹さんなら絶対飛び蹴りされてた……!」
 初級はすんなりできたのになんでできないの、と幻聴が聞こえてきそうだ。両手で顔を覆って泣き真似をする大河に、昴は笑い声を上げた。
「それだけ大河くんに期待してるってことだよ」
「……ほんとにそう思います? 牙を召喚させようという下心はないって?」
「う、うーん、それはねぇ……」
 顔を覆った指の隙間から恨めしげな視線で見やると、昴はぎこちない笑顔で視線を逸らした。
「あの人にとって所詮俺は(きば)を召喚する道具でしかないんです」
「大河くんの中の樹さんはちょっと酷すぎない?」
 やさぐれた物言いに昴が突っ込んで、顔を見合わせてくすくすと笑う。
「さて、一回やってみようか。属性の術だし、そんなに時間はかからないと思う。でも加減してね。地天の術は中級がないから、初級の略式でも最大の効力を発揮させるとごっそり地面を削っちゃうんだ」
「はい」
 大河は尻ポケットから独鈷杵を取り出しながら縁側から離れつつ、難なく霊刀を具現化した。廃ホテルの時無意識に具現化したくらいには装飾も整ってきたらしいが、樹からはまだ合格が出ない。
「すごいなぁ、もうすっかり慣れたね。独鈷杵の訓練始めて、まだ四日目くらいだよね」
「それは慣れざるを得なかったというか、危機感を覚えたので。まだ死にたくないです」
 真顔で返した大河に、昴は小さく噴き出した。
「じゃ、じゃあやってみて」
「はい」
 肩を震わせる昴と場所を交代すると、大河は昴と同じように霊刀を前に突き出した。深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
 島で略式を行使した時は巨大な土人形ができてしまい、庭の土を丸坊主にして雪子(ゆきこ)に叱られた。初めて地天の術を行使した時も、地面を抉るほどの威力だった。あんなふうにならないように落ち着いて、霊力を加減して、先程見たお手本をイメージする。
「オン・ビリチエイ・ソワカ」
 いつもより丁寧にゆっくりと真言を唱える。
 すると、その唱え方に合わせたようにじわじわと足元の土が浮かび上がり、まるで遠慮するように霊刀に纏わり付いた。ぐるぐると回る速度も遅い。
「うん、いいね。でもちょっと霊力を抑えすぎかも」
「すみません……」
 肩を竦めた大河に、昴はううんと首を横に振った。
「謝ることじゃないよ。でも、あまり抑えすぎるとちょっとね。試しに放ってみてくれる?」
「はい。でも目標は?」
「なくても大丈夫」
 意味ありげににっこり笑った昴に首を傾げつつも、大河は言われるがまま半身の体勢で腰を落とし、左脇に構えた。とりあえず取り残されている石を目標に定める。昴ほどの威力は出ないだろうから、激突しても大ごとにはならないだろう。せいぜい罅が入るか、少し砕けるくらいだ。
 大河はきゅっと唇を引き締めて、素早く横に振り抜いた。すると霊刀を纏っていた土の帯が勢いよく飛び出して空を切った。
 しまった力みすぎた! 縁側はともかく、あの勢いで激突したら罅や少し砕けるどころか、砕け散って茂お手製の花壇がただでは済まない。それは茂があまりにも可哀想すぎる。大河が顔を青くした直後、一直線に飛んでいた土の帯が、突然元気をなくしたように速度を落とした。放物線を描きながら、ばらばらと地面に散らばっていく。
「え……?」
 てっきり大惨事になると思っていたばかりに拍子抜けし、大河は目をしばたいた。あんなにも勢いが良かったのに、一体何ごとだ。
「えー?」
 振り抜いた恰好のまま大河が間の抜けた声を漏らすと、昴が笑い声を上げた。
「振り抜いた瞬間は勢いがいいんだけど、霊力が足りないとすぐに元に戻っちゃうんだ。原理としては結界と同じだよ」
 大河は構えを解いた。
「えーと、つまり、霊力が足りないと発動しても効力は発揮されない?」
「そういうこと。イメージはできてるし、霊力の加減だけだから大河くんならすぐに慣れるよ」
 昴は分厚い雲に覆われた曇天を見上げた。多分に湿気を含んだ空気は、雨が降り出す前の匂いがする。
「予報通りの時間に降りそうだね。もう少しやって覚えちゃおう。さっきより霊力量多めにね」
「はい」
 気合を入れて大河は霊刀を前に突き出した。
 略式を行使するのに必要最低限な霊力量。さっきのは、反応はしたけれど攻撃するには足りなかった。もう少し多めに、けれど多すぎないように。
 あ、そうだ。ふと気付いた。必要最低限の霊力量が分かっていれば、もし霊力が少なくなった時、行使できるかどうかの判断ができる。敵と対峙した時、発動しなかったと分かってからでは遅い。ならば、ぎりぎりのラインを計っておくほうがいい。
 よし。大河は少しずつ霊力量を上げながら略式を繰り返した。
 現在、学生組は宿題中、樹と怜司は就寝中、柴と紫苑は潜伏先を探りに出ていて、(はな)夏也(かや)は少し離れた場所で独鈷杵の訓練中だ。
 今朝九時過ぎ頃に一階に下りると、すでに学生組は部屋に引っ込んでいて、柴と紫苑もいなかった。朝食をいただいている最中に、華から右近(うこん)が日記を取りに来たことを聞いた。樹か怜司が柴に聞いて、宗一郎に連絡したのだろう。独鈷杵のこと何も書かれてなかったみたいねぇ、と残念そうに華から聞かれ、そうなんですかと知らないふりをした。嘘をつくことに罪悪感を覚えたが、それ以上に気になったのは、昴のことだ。
 いつも通りに笑って雑談をし、掃除を終わらせ、いつも通りに庭で訓練をする昴を見て、少し気分が落ち込んだ。彼が内通者でなければ、父親が殺害されたことをいつか知ることになり、内通者であるならばすでに知っているかもしれないのだ。ただ、知っていて、あんなに笑えるものなのかな。そんな風にも思うけれど、内通者がいることは確定している。
 どちらに転んでも、複雑であることに変わりない。今ごちゃごちゃ考えても仕方がないのも事実だ。自分が(かい)とまた対峙する日が来るように、いつか必ず分かる時が来る。ならば、昴だけではない、誰であったとしても受け止められるように、今度こそきちんと覚悟をするまでだ。
 その時、皆の支えになれるように。
 昼から雨、夕方からは豪雨になるらしく、降る前にせめて地天の略式の訓練だけでもしておこうということになった。
 とりあえず準備運動を兼ねて軽く手合わせをし、これまでの総復習と真言の暗唱、新しい結界の訓練を終わらせてから、茂が双子のお勉強タイムなため昴から手ほどきを受けることになった。
 そして、今に至る。
 四度目くらいだろうか、手本より若干緩慢な動きをする程度の霊力量で、昴がこれならと言って張った結界に見事激突し、土煙を上げた。さすがに破るほどの威力はなかったが、いざという時の足止めや目くらましにはなる。
 この感覚か。あとは何度か繰り返して体に馴染ませて覚えておかなくては。イメージはそれで刷り込まれるし、霊力量を上げるだけなら問題ない、と思う。
「さすが、やっぱり大河くんは飲み込みが早いなぁ」
 縁側の前から、昴に感心した声を掛けられて我に返る。
「休憩入れようか。大河くん、汗だくだよ」
「あ、はい」
 言われてから気付いた。体はもちろん、頭や額から汗が滝のように流れ、顎からぽたぽたと滴り落ちている。大河は息を吐いて霊刀を消し、縁側へ向かう。張り付いたTシャツとジーンズが気持ち悪い。ちょうど勉強が終わったらしい茂が縁側に様子を見に来て、貼り付けていた霊符を剥がした。すっと空気に溶けるように結界が消える。
「うわ、大河くんすごい汗」
「ジーパンが張り付いて動きにくいです」
 独鈷杵を縁側に置き、タオルを手に軽く屈伸すると、今にも破れそうなほどジーンズ全体が突っ張った。
「訓練中にお尻のところが破れそうで怖い」
 汗を拭いながら神妙な面持ちで心配する大河に、茂と昴が笑った。
「デニム生地って丈夫だけど、心配になる時あるよね」
「それ分かります。ドキッとします」
「あ、やっぱり皆あるんですね」
 あるある、と茂と昴が同時に頷いた。怪我防止もそうだが、丈夫なジーンズは破れ防止のためでもあるのだろう。女性陣にパンツを晒すことを考えると、多少の動きにくさは目をつぶるべきか。
「ところで、どう? 進捗は」
「さすがですよ。飲み込みが早いです」
「やっぱりか。教え甲斐があるでしょ」
 縁側に腰を下ろし、ええ、と頷いた昴に、大河は照れ臭そうにはにかんだ。樹は褒めてくれないから、こう褒められるとくすぐったい。
「このまま水天と火天の訓練もしたいんですけど、この天気じゃちょっと無理ですかね」
「あー、そろそろ降りそうだね。あまり酷くなかったら縁側でできるんだけど、今日は難しいかな」
 悩ましい顔で空を見上げた茂のシャツの裾を、(あい)(れん)がちょいちょいと引っ張った。
「あ、お片付け上手にできたかな?」
 顔を緩ませ、藍と蓮に連れられて和室へと向かう茂を見送り、大河と昴は笑いを噛み殺した。柴と紫苑がいる時は二人にべったりなので嬉しそうだ。
「それにしても、すごい湿気だねぇ」
 ペットボトルの蓋を開けながら、昴がうんざりした顔で曇天を見上げた。訓練を始めた頃よりもさらに分厚くなった雲は空全体を覆い尽くし、強くなった庭の土の匂いが鼻腔をくすぐる。湿度が上がっている証拠だ。ただ、体中汗まみれなので今さらという気がしないでもない。大河はタオルを首にかけ、腰を下ろしてペットボトルの蓋を捻る。
「夕方から豪雨でしたっけ」
「雷も鳴るって。大河くん、平気?」
「はい。昴さんは?」
「全然平気。雷って、ちょっと綺麗だよねぇ」
 雷が綺麗だという人は初めてだ。ふふ、とどこか楽しそうに笑って空を見上げる昴を引き気味で見やる。どう見ても苦手そうなのに意外だ、と思う以上に、自分の周りにはこんな人ばっかりだなと思う。
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