第11話

文字数 2,814文字

「大河」
 宗史が呼びかけた。
「お前の話しの真偽はともかく、こうなった以上、昴は覚悟をしている。俺たちを本気で潰しに来るぞ。それだけは忘れるな」
 本気で攻撃されれば、こちらも本気で立ち向かわなければ命を落とす。もちろん死にたくないし、殺したくないし、殺すつもりはない。けれど、健人は死ぬつもりなのかもしれないと推理したのは自分だ。もしかすると昴も同じかもしれない。こちらに殺す気がなくても、最悪の結末を迎える可能性は十分ある。
 皓は未だによく分からないけれど、古からの憎しみに囚われているだろう隗と千代を解放し、皆や昴はもちろん、事件関係者全員、これ以上死傷者を出さずにこの事件を終わらせたいなんて、それこそ甘いのかもしれない。そうするにはどうすればいいのかも分からない。
 だからこそ、今見るべきものを見て、自分ができることをやらなければ。
「うん」
 強く頷くと、宗史と晴は呼応するように頷いた。
 ふと、大河は顔を曇らせた。椿のことを、聞くつもりはない。もちろん心配はしている。けれど、宗史と椿、お互いが信じて実行したのだ。ここはもう、椿を信じて待つしかない。それはいい。それはいいのだが――。
「あの……」
 宗史と晴のことだ。朝も二人一緒だったし、自分なんぞが心配するまでもないだろうと思う。でも、大人だって影正のように迷うことはある。とはいえ、聞いていいものか。
 宗史と晴を交互に見やり、視線を泳がせて口ごもる大河に、二人は小首を傾げた。
「なんだよ、まぁた何かやらかしたのか? 怒んねぇから言ってみろ」
 茶化したように晴が尋ねると、大河は「あ、うん、あの」とごにょごにょ口の中で呟いて、上目遣いで見上げた。
「二人は、大丈夫……?」
 どうやら予想外だったらしい。宗史と晴は虚をつかれた顔をした。やっぱりおこがましかっただろうかと思って視線を逸らすと、晴がくっと笑った。
「なんつー顔してんだ。お前に心配されるほどヤワじゃねぇよ。でもま、ありがとな」
 にっと笑った晴に少しほっとして、大河は宗史へ視線を投げた。
「ありがとう、大河。大丈夫だよ」
 そう言って柔らかく微笑んだ宗史に、さらに顔の筋肉が緩む。
「それなら、よかった」
 相好を崩すと、宗史と晴が喉の奥で笑って肩を震わせた。何がそんなにおかしいのだろう。首を傾げながら、そうだと思い出す。
「ねぇ、ちょっと聞いてもいい?」
「うん?」
「事件とは関係ないんだけどさ、樹さんを保護したのって誰? 宗一郎さん?」
「ああ」
 すんなり頷かれて、大河は困惑した。
 樹は、アミューズメント跡地で悪鬼に襲われた。その近くにあるらしい供養塔に結界を張ったのは宗一郎。この話と樹が生きている事実から考えれば、同じ日、同じ時間帯に近くにいてもおかしくない。でも、それはそれでやっぱりおかしい。晴と志季なら、牙と同じで治癒しきれなかったのかもしれないと思ったのだが。
「それがどうかしたか?」
「んー。じゃあ、治癒したのって右近か左近だよね」
 ますます困惑顔をした大河に、宗史と晴は質問の意図を察した。
「ああ、傷のことか」
 当然のように言い当てられ、大河は瞬きをした。
「うん、そう。今頃気付いた。なんで傷跡が残ってるんだろうって」
「俺も気になって聞いたことがあるんだ。父さんが言うには、治癒の途中で人が来て完治できなかったらしい」
「でも、そのあとでもできたよね」
「その前に寮を抜け出した」
「うわ、マジで? 痛みとか貧血とか酷かったんじゃないの?」
「そのはずだけどな。次の日には戻って来たけど、樹さんが人を寄せ付けなかったから、治癒の続きができなかったと聞いてる」
「あー、前に凶暴な野良猫って言ってたもんね」
 宗史と晴は無言で頷いた。なるほど、そういう理由だったのか。抜け出した間に何があったのか気になるけれど、さすがに余計な詮索だ。
 そっか、と大河が納得すると、テーブルに置いてある晴の携帯が震えた。陽だ。
「おお、どうした?」
 今日の会合のことだろうか。大河は自分の携帯を確認する。もう十一時近い。会合は一時からだから、それまで少しでも宗史を休ませてやりたい。これで終わりなら、と思っていると、晴が突然驚きと興奮が混じった声を上げた。今にも携帯に噛み付きそうだ。
「マジかそれ! 了解、伝えとくわ」
 嬉しそうな顔をしているが、何だろう。大河と宗史は顔を見合わせた。晴はじゃあなと携帯を耳から離し、何の前置きもなく言った。
「北原さん、目ぇ覚めたらしいぞ」
 突然の朗報に驚きすぎて、一瞬思考が停止した。先に我に返ったのは宗史だ。
「本当か」
「マジで!?」
 前のめりになった宗史の声で大河が我に返り、テーブルに身を乗り出す。晴が、「ああ」と満面の笑みで大きく頷いた。嬉しさのあまり続きの声が出せずに、三人で顔を見わせる。
 不意に晴が片手を上げ、反射的に大河も手を上げた。
「やった!」
 歓声と同時に晴とハイタッチを交わす。クラッカーを鳴らしたような、乾いた音が派手に響いた。勢いのまま立ち上がり、宗史の元へ小走りで駆け寄る。宗史がははっと笑いながら手を上げ、二度目の乾いた音が鳴る。頭の中で、勢いよく飛び出した色とりどりの紙テープと紙吹雪がひらひらと舞っている。
「よかったぁ!」
 北原が襲われて今日で三日目だ。嬉しさと安堵と脱力を同時に吐き出して、大河はそうだと顔を輝かせた。
「俺、皆に教えてく……」
「俺の味方は大河だけかあぁぁ!」
 宗史と晴を見やりながら告げた大河の言葉が、意味不明な叫び声に遮られた。ほんの数秒前の歓喜が嘘のようにしんと静まり返り、三人揃って何ごとかと扉へ視線を投げる。
 乱暴に扉が閉まる音がして、これまた乱暴に廊下を駆け下りる足音が聞こえた。
「……何、今の」
「味方って、何の話だ?」
「弘貴の声だったな」
 大河、晴、宗史が順にぼやき、三人顔を見合わせる。弘貴も茂と華から話しを聞いていたはずだが、一体何の話をしたのだろう。
 はて、と小首を傾げ、大河ははっと我に返った。今は弘貴の意味不明な言葉などどうでもいい。
「皆に教えてくる!」
「大河」
 くるりと身を翻した大河を、宗史が咄嗟に呼び止めた。
「何?」
 もどかしげに振り向いて尋ねると、宗史は一瞬口ごもった。珍しい。言いあぐねたように薄く唇を開いて閉じ、もう一度ゆっくりと開く。
「会合のあと、もう一つ、話がある」
 やけに真剣な声。何だろう。
「うん、分かった」
 不思議な顔をして頷くと、宗史は少しぎこちなく笑った。よく分からないが、今は少しでも早く皆に教えたい。
「じゃあ、って、宗史さん。お昼も持ってくるから会合まで動かないでよ。いい?」
 ちょっと目を離すとすぐに無理をするのだ。釘を刺しておかないと何をするか分かったものじゃない。目を据わらせた大河に、宗史は苦笑いを浮かべた。
「ああ、分かってる。頼むな」
「うん!」
 大河はぱっと顔を明るくして、部屋を飛び出した。
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