第1話

文字数 5,788文字

「俺です。救出完了しました。今から戻ります」
 真ん中が吹き抜けになった薄暗い非常階段を、紺野(こんの)北原(きたはら)が持つ小型の懐中電灯の明かりが照らす。コンクリートが剥き出しの壁は戦闘中の揺れで亀裂が入り、階段も罅割れて所どころ欠けている。カラフルな落書きと埃とカビ臭さは言わずもがなだ。
 先頭を行く紺野と北原の後ろに(いつき)怜司(れいじ)が続き、大河(たいが)(はる)宗史(そうし)(せい)椿(つばき)志季(しき)(さい)紫苑(しおん)と、避難訓練のごとく二列に並んで行儀よく階段を下りる。ちなみに、現在は六階から五階へ下りる途中だ。
「やっぱ暗いな」
 宗一郎(そういちろう)に報告の連絡を入れる宗史の隣で、晴が携帯を起動させた。
 六階までは、紫苑が開けた穴から差し込む月明かりでうっすらと見えていたが、窓もなく、下りるごとに暗さを増していく。懐中電灯の明かりも周囲を照らすには申し分ないが、この人数だ。全員の足元へは届かない。
「あ、俺も点けよっと。柴、紫苑、足元見えてる?」
 最後尾の彼らが滑り落ちたら洒落にならない。宗史も電話中で反響するため、声量を抑え気味にして尋ねる。
「ああ」
 返ってきたのは柴の声だ。
「良かった。じゃあ俺たちのとこだけでいいか」
「夜目が利くみたいですね」
「鬼だからかな?」
「多分。あ、そうだ」
 大河が携帯を起動させライトを点灯させると、陽が思い出したように鞄を探った。自分たちの足元を照らせば、自然と前列の樹と怜司の足元も明るくなる。
「あれ?」
「どうしたの?」
 後ろで「分かりました、では」と報告を終わらせる宗史の声がした。
「いえ、電源が入ってるんです……切らなかったのかな……」
 煌々と光を放つ液晶に視線を落として首を傾げる陽に、晴が後ろから口を挟んだ。
「いや、切れてたらしいぞ。電源が入ったって連絡来たし」
「陽、携帯を触った奴は?」
 尻ポケットに携帯をしまいながら宗史が尋ねる。
冬馬(とうま)さん以外は多分誰も……でもどうやって……」
「陽くんは見てないの?」
「はい。目隠しをされていたので」
「そっか。どうやったんだろう。切ってから鞄に入れたんだよね?」
「ええ、鞄を開けられた感覚はありました。……あ、もしかして」
「入れたフリして持ってたんだろうね。途中で着信があったら切ってないのバレるし、一旦切って入れるタイミング計ってたんじゃない?」
 前から樹が代弁した。だったらサイレントモードにすれば、と思ったが、慣れない機種の操作は少々手間取るだろう。わずかでも不審な動きがあれば疑われる。彼らは人質を取られていたのだ。
「そうだと思います。後部座席に三人いて、僕と冬馬さんの間に鞄が挟まってたのでちょっと狭かったんです。隠しておけるかもしれません。車を降りるときにも鞄を触られたし、その時に戻したのかも」
「じゃあ陽くんが誘拐された時に冬馬さんもいたんだ」
「はい。冬馬さんは車で待機してて、あとの二人は先程のお二人、もう一人は晴兄さんが伸した人です」
「やっぱあいつか。スタンガン持ってたからもしかしてと思ったけど」
 あと二、三発殴ってやるんだったな、と晴が顔を歪めて舌打ちをかました。
「電源を切る時に、GPSが設定されていることが分かったんだろうな」
「だから電源入れたんだ、俺たちに知らせるために。……良い人だね」
「ええ……」
「私もそう思います。下平(しもひら)様と冬馬様、お二人に結界は反応しませんでした」
 微笑んでそう言った椿に、そうだったかなと大河は記憶を掘り起こした。何せあの状況で、目にしていても気に止めていなければ記憶に残らない。だが側にいた椿が言うのなら間違いないし、宗史らもそういえばそうだなと顔を見合わせている。
 一切の邪気を持たない人間はいない。誰しも、多かれ少なかれ負の感情は持ち合わせている。けれど結界は――神はあの二人を穢れだと、敵だと認識しなかった。それに冬馬は陽を逃がそうとした上に、場所まで知らせようとしてくれた。
 本来ならこんな事件に関わるような人ではないのだろう。巻き込んでしまったという罪悪感が頭をもたげた。
「それで、おじさん何だって?」
 晴が話題を変えた。
「それなんだが、今から戻って報告となると遅くなるから明日にするそうだ」
 大河は携帯の時計を確認した。十時を回っている。今からだと十一時を過ぎるだろう。
「全員これだしなぁ。かなり込み入った話になるだろうし」
「ああ。ただ、俺たちは樹さんと陽から先に聞いておけと」
「了解」
「分かりました」
 樹と陽が了承した。
 この一連の事件はもちろん、柴と紫苑からも聞くことはたくさんある。敵側についての有力な情報が何か得られれば、また一歩前進する。そして、大河にとっては同じくらい重要な、やらねばならないことがある。
 ふと、椿が吹き抜けから上を見上げた。
「どうした?」
 志季が尋ねた。
「いえ、ちょっと心配で……かなり体力を消耗していらしたので」
「どぅわっ!」
 突如、奇妙な声を上げて北原が階段から滑り落ちた。ごとんごとんと硬い物が転がる音と、北原が尻を打ちつけた鈍い音が反響し、全員がぎょっとして足を止める。懐中電灯の光があちこちを泳いだ。大丈夫ですか!? と口々に心配の声を上げる。
「おい、大丈夫か。なんで懐中電灯持ってんのに踏み外すんだよ」
「い、いきなり崩れました、びっくりしたぁ」
 紺野が小走りに階段を駆け下りて、手を差し伸べる。いたた、と腰をさすりながらその手を掴み、立ち上がった。
「皆、そこ欠けてるから気を付けて」
 北原の視線を辿って紺野がライトを向けると、下から四段目のコンクリートの踏み面部分が大きく欠けていた。欠片は北原が落ちた拍子に一緒に踊り場まで転がったようだ。紺野が足で端に避けた。
「何度か揺れたからな。他にあるかもしれないから、気を付けろよ」
「でもあれだけの揺れで崩れないって、結構頑丈だよね、この建物」
 欠けた部分を避けながら下りる怜司と樹に倣って下りる。
「北原様、お怪我はありませんか」
 椿が尋ねると、北原は大丈夫とはにかんだ。様付けが照れ臭いらしい。
「ごめん、話し遮っちゃって」
「いえ、気になさらないでください。お怪我がなくて何よりです」
 椿が微笑むと、北原はまた締まりのない顔で頭を掻いた。隣から紺野が白けた視線を向け、それで、と続けた。
「心配って、冬馬か?」
 全員が踊り場に下り、上を見上げる。
「はい。あの出血量ですと貧血を起こされるでしょうし、できれば安静にしておかれた方がいいかと」
「確かに、七階からだと時間かかりますよね」
「しかもこの状態だし、危ないかも。大丈夫かな……」
 椿と陽と大河が眉尻を下げて顔を見合わせる。智也(ともや)圭介(けいすけ)が冬馬を支えるにしても、階段を使って下りるには骨が折れるかもしれない。
「志季、椿、行ってくれるか」
「はい」
 宗史の指示に、椿が顔をほころばせ、志季は少々面倒そうに溜め息をついた。
「りょーかい。あー、でも、お前は残った方がいいんじゃね? また誰かさんが転げ落ちて怪我したら治癒しなきゃなんねぇだろ。俺苦手だし、他にできる奴いねぇしさ」
 ニヤついた顔で視線を投げた志季に、北原が面目ないと言った顔で苦笑いを浮かべた。
「まあ、ここまで酷い状態だと有り得なくもねぇよな」
「だろ? でもさすがに野郎四人は抱え切れねぇから、お前らどっちか付き合え」
 晴に同意し、志季は柴と紫苑に視線を投げた。まさかそう来るとは思わなかった。思わず大河らが視線を投げると、紫苑が眉根を寄せ、柴は無表情のまま、数秒間、空白の時間が流れた。
「分かった、私が行こう」
 柴の申し出に、紫苑が目を丸くして勢いよく振り向いた。動揺するところなのか。
「お待ちください、柴主(さいしゅ)。でしたら私が行きます。柴主のお手を煩わせるわけにはいきません。式神、行くぞ」
「お? おお」
 早々に志季を急かし、紫苑は少々不機嫌な顔で手すりに飛び乗った。何故私が、と顔に書いてある。
「紫苑、頼みます」
 椿が告げると紫苑は上を見上げたまま、ああと答えた。手すりを蹴り、吹き抜けを通って高く飛び上がる。手すりから手すりへと、ジグザグに飛び移りながら上がって行く。
「んじゃちょっと行ってくるわ。先に下りてろよ」
「志季、お願いしますね」
「はいよ」
 紫苑の軌道を辿って姿を消す志季を見送りながら、大河はふと不安にかられた。
「てか、大丈夫なのかな? さっきもちょっと怖がってたけど」
 智也と圭介のことだ。冬馬の怪我を治癒したこともそうだが、女性の方が恐怖心は和らぐように思う。
「下平さんがいるから大丈夫だろ。行くぞ」
 大河の心配をさらりと流し、紺野が先に進む。その後ろに続きながら、樹が何の前置きもなく尋ねた。
「紺野さんたちさぁ、僕たちのこと調べたでしょ」
 紺野と北原が肩を跳ね上げたまま、階段を二、三段下りた。何やらバツの悪そうな雰囲気を漂わせている。沈黙は肯定と取ったのか、樹が盛大に溜め息をついた。
「別に責めてるわけじゃないから。下平さんと会ったのは、身元調査が先? それとも哨戒の件?」
 落ち着いた声だ。観念したように紺野が息を吐いた。
「身元調査が先だ。その時にお前の噂を聞いた。それから少年襲撃事件だ。俺たちは単独で捜査してるから、正攻法は使えねぇ。事件の詳細を知るには、どうしても鬼代事件のことを話す必要があった。担当外の事件だし、お前の噂のこともあったしな。正直言って、俺たちだけじゃ限界があるんだよ」
「下平さんにはどこまで話したの?」
「全部だ」
「……そう」
 樹が呆れたような溜め息をついた。ここに到着した時、紺野たちを見て言ったやっぱりという言葉はそういう意味だったのか。少年襲撃事件は下京署の管轄で、それを調べている紺野たちは下平と接触するだろうと分かっていたのだ。さらに、紺野たちが自分たちの身元調査をしていると気付いていた。
「樹くん、俺たちが調べてるってどこで気付いたの?」
 北原が尋ねた。
「二人が寮に来た時。あれ、不自然だったもん」
「不自然って、どこがだ?」
「紺野さん、何かあった時のために名前を教えろって言ったでしょ。普通そういう時って連絡先を聞くものじゃない。だから変だなって思ったの。それと、僕たちに直接名前を聞くってことは、宗一郎さんたちに依頼されたんじゃなくて、独断なんだろうなって。この事件に陰陽師が関わってるって気付けば、当然僕たちを疑うだろうし」
 紺野と北原が感嘆の息を漏らした。
「下平さんから頭が回る奴だって聞いてたが、納得だ」
「樹くん、刑事に向いてそうだね」
「やめてよ。公務員なんてガラじゃない。それで? 僕たちの疑いは晴れた?」
 紺野たちだけに向けた質問でないことは、わずかに上がった声量で分かった。大河は視線を落とした。
「ああ。お前と怜司、それと大河、お前も除外だ」
「えっ、俺も疑われてたんですか!?」
 まさかの告白に、大河は弾かれたように視線を上げた。
「ごめんね、大河くん」
「可能性としては低かったけどな。関係者を疑うのは捜査の基本だ」
 もっともにも開き直りにも取れる弁解に、えー、と不満の声を漏らしかけて思い留まった。関係者であり陰陽師という条件だけで寮の皆を疑っているのは自分も同じだ。文句を言える立場ではない。
「大河くんにこんな事件起こせるような甲斐性ないでしょ」
 けなされているように聞こえるが、こんな事件を起こす奴じゃないという意味にも聞こえる。大河は目を据わらせて樹の後頭部を睨んだ。
「……褒め言葉ですよね、それ」
「それ以外に何があるの」
 だったらもっと素直に褒めて欲しい。さらりと流した樹に大河は小さく溜め息を吐き、陽が不憫そうな視線を投げた。
「で? 宗史くんたちは?」
 樹は何でもないように尋ねた。やっぱり気付いていた。大河と陽がちらりと振り向く。宗史と晴が顔を見合わせ、頷いた。
「俺たちも紺野さんたちと同意見です。お二人は違うと報告しておきます」
 大河と陽が顔を見合わせてほっと息をついた。
「そ、良かった。まあ、疑われても仕方ないから文句は言わないけど」
「状況が状況だからな。逆の立場でも疑う」
「怜司くん、真っ先に僕を疑ったもんね。酷いよ、相棒を疑うなんて」
「お前ほんとにしつこいな。ケーキ買ってやったろ」
 そうか機嫌を損ねたら甘い物を与えたらいいのか、と大河は樹の取扱説明書にこっそり付け加えた。それはそれで出費が増えそうだが、いつまでも嫌味を言われるよりはマシだ。
 あれで僕の心の傷は癒えないよ、今さら文句言うな、と不毛な喧嘩を始めた二人に宗史が溜め息をつく。話が逸れている。と、
「おーい、あいつら下ろしてきたぞ」
 志季の声と二人分の足音が上から近付いてきた。飛び跳ねるようにして、上から志季と紫苑が姿を現した。
「御苦労様。冬馬さんは大丈夫そうだったか?」
 一旦足を止めて、宗史が尋ねる。最後尾に二人並んで、ああと志季が答えた。
「さすがに顔色悪かったけど、バンジーみたいで楽しかったって言えるくらいには元気だったぞ」
「そうですか、安心しました。お二人とも、ありがとうございます」
「意外とタフだな、あの兄ちゃん」
 椿がほっと息をつき、晴が感心したようにぼやいた。確かに、と大河はこっそり同意する。血や埃まみれだったが、それでも整った容姿であることは十分見て取れた。優男だと思っていたがそうでもないらしい。
「あと、おっさんがお前らに礼言っといてくれってさ」
「そうか、分かった」
 自然と全員が足を進め、宗史が話を戻した。
「では本題に入りましょう。まずは陽、お前が聞いたことを話してくれるか」
「はい。僕が聞いたのは、内容までは分かりませんが、樹さんの噂の件と、良親さんがどこまで把握しているかです」
 そう前置きをして、陽は良親が冬馬へ話したことを伝えた。
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