第17話

文字数 2,812文字

「それから、宗一郎さんが右近に乗って二人を迎えに来たんだ。弘貴くんと春くんもびっくりしてた。だって、龍だよ龍。もう何が何だか分からないのに話はさくさく進むし、詳しいことは後日って言われて一日放置されちゃうし。でも宗一郎さんの名刺や弘貴くんたちの連絡先は携帯に登録してあるし。ああ夢じゃないんだなぁって思ったよ」
 茂は苦笑しながらも懐かしそうに笑った。
 ドラマのような展開のオチは宗一郎だったか。春平が電話をしていたらしいが、驚いていたということはまさか宗一郎が右近に乗って来るとは思わなかったのだろう。連絡を受けて、面白そうだと思ったに違いない。新しい陰陽師候補の確認や当主の役目などといったものは二の次だ。絶対。
 大河は、宗史が宗一郎を必死に止める様を想像して遠い目をした。ほんと大変だな、あの人。
「宗一郎さん、昔からあんな感じなんですね……」
 嘆息してぼやくと、茂はくすくす笑った。
 それにしても、あんな状況で一日放置されたのか。さっさと説明をした方が親切だと思うのだが。それとも、大きく変化する生活への心の準備をさせるためだったのか。
「大河くん」
 一転し、神妙な声で呼ばれて視線を上げると、茂の真っ直ぐな視線とぶつかった。
「僕はね、彼が――山下透が事故のことを覚えてないと言った時、殺してやりたいと思った」
 さらりと告げられた言葉に、特に驚きはしなかった。人を殺しておいて覚えていないなど、無責任にも程がある。その点では、渋谷健人と似たような状況だ。茂が健人のことを知ったら、どう思うだろう。
「下半身不随になったと聞いても、罪を受け入れて反省して悔やんでいると聞いても、自殺しようとしたと聞いても、嬉しかったし驚いたけど、気持ちは変わらなかった。僕はずっと、彼を殺してしまいたいと思っていた。多分、今でもそう思っている」
 茂は一旦言葉を切って息をついた。
「僕は、運が良かったんだ。あの時、妻と娘がいて、弘貴くんと春くんに助けられたとしても、霊力がなければ、陰陽師にならないかと言われなければ、きっと今頃彼を殺していた。自分や教え子を責めつつ、やっぱり原因は彼だと思っていたからね」
 茂の考えは間違っていない。あの日、殺人行為に当たる選択をしたのは透一人だ。
 喪失感の中で生きるのは、きっと酷く虚しいだろう。そんな時に、憎しみや恨みが唯一残されたものだとしたら、人はどうするだろう。これが自分の生きる意味だと思い込んで、一線を越えてしまうかもしれない。
 茂は恵美と真由が死んだのは自分のせいだと言った。それは、透への憎しみを少しでも和らげるためだったのではないのか。殺してしまいたいという気持ちを抱えながらも、しかし犯罪だと理解しているからこそ、たくさんの教え子たちにそう教えてきたから茂だからこそ、自分へ矛先を向けた。深い悲しみの中にありながら、ぎりぎりの理性を保っていた。
 弘貴と春平は正しい。茂は、「ちゃんと先生」なのだ。
「しげさんは、たくさんの教え子と、弘貴と春に救われたんですね」
 思わずそんな言葉を口にすると、茂は一瞬目を丸くして、ふわりと笑った。
「うん。とても感謝してる」
 透への恨みを忘れることは、決してないだろう。けれど陽と同じように、寮で皆と暮らすうちに少しずつ癒されたのだ。
 茂は、内通者ではない。
「あのね、大河くん」
「はい」
「大河くんが山口に帰ったあと、弘貴くんが寂しそうに言ったんだ。大河くんは二度と来ないだろうなって。でも僕はね、戻って来なくていいと思っていたんだよ」
 唐突な否定に一瞬唖然とした。もしかして、歓迎されていなかったのか。大河は眉尻を下げて拳を握り、肩を竦めて俯く。
「戻ってきたら、どうしても影正さんを殺害した相手と対峙することになる。その時の大河くんの気持ちを考えると、戻って来るべきじゃないと思っていた」
 大河は目を丸くして、弾かれたように顔を上げた。
「でも大河くんは、向き合うことを選んだ。辛くても、向き合うことから逃げずに戻ってきた。その覚悟と勇気を無駄にしてはいけない。だから、できる限りのことをして支えてあげなければと思った」
 あんなことがあったからとか、素人なんだからとか、態度が悪かったからなどではなく、隗と対峙した時の気持ちを考えてくれていたのか。だからこうして、自分から過去を話してくれた。同じ立場にいる者として。
「覚えてるかな。大河くんが戻ってきた日、華さんがおかえりなさいって言ったこと」
「え、あ、はい」
 しどろもどろに答えて頷く。もちろん覚えている。華のあの一言で、今の自分が帰る場所はここなのだと思えて、とても嬉しかったのだ。
「ここへ戻って来ることがどういうことか、彼女が気付かないはずないんだ。それなのに、戻ってきてくれて嬉しいって風にも取れる台詞を言うとは思わなくて。大河くんが立ち直ってくれて嬉しいのはもちろん分かるんだけど、こんな状況だから、変だなって思った。だから、あとで華さんに聞いたんだ。どうしてあんなことを言ったのか。そしたらね、彼女も僕と同じことを考えていたよ。そしてこう言ったんだ。帰る場所がある、待っていてくれる人がいるというのは、それだけで力になる。だから辛いことがあった時、一人じゃないんだって思って欲しいからって」
 あ、と大河は口の中で呟いた。実家から野菜が届いた日のことを思い出した。土御門家へ行く道すがら、茂と華は言った。
『何か困ってるなら相談に乗るよ?』
『あまり一人で考え込まないでね。皆いるから』
 二人は、そう言ってくれたのだ。あの時からすでにこうなると分かっていて、あんな言葉をかけてくれた。
「華さんだけじゃない。皆、君のことを心配してる。今朝の美琴ちゃんのあれも、彼女なりの気遣いなんだと思うよ。思いきり動いたら頭がすっきりするし、考えがまとまる時があるって知ってるんだよ。それに、あんなに強引に手合わせするの、初めて見たから」
 ただの八つ当たりか仕返しだと思っていたのに、予想外の答えが返ってきた。本当にそうだとしたらとても嬉しいけれど、ちょっと照れ臭い。
「もっと分かりやすく気遣って欲しいです」
 美琴が聞いたら、甘えるんじゃないわよ、とか言われそうだ。はにかんだ大河に、茂がははっと笑った。
「美琴ちゃんだからねぇ。まあ、僕からしてみればあれが可愛いんだけど、あとちょっとだけ素直になってくれればねぇ」
 特に弘貴くんに対して、と付け加えて茂は嘆息した。大河は短く笑って、大きく息を吐いた。
 茂は、昨日のことを気にかけてくれている。同じ被害者遺族として、寄り添ってくれようとしている。茂だけではない。華もこうなることに気付いて気を使ってくれていた。昨日、あの場にいた皆は確実に気付いている。香苗の報告では省かれていたけれど、健人の件もある。宗史たちも、きっと気付いている。
 皆に、心配をかけてしまっているのだ。
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