第8話

文字数 4,412文字

「ああ、そうだ大河」
「えっ!?」
 唐突に呼ばれた驚きとムカついていた勢いで返事をしたせいで、無駄に大きな声が出た。宗史が驚いた顔で振り向いた。
「お前、顔が怖いぞ」
「樹さんにムカついてた」
 即答した大河に、そうか、と宗史が苦笑いを浮かべ、晴が肩を震わせた。何で笑われるのか分からない。怪訝な視線を投げる大河に、宗史が前を向き直りながら言った。
「知ってるかもしれないが、樹さんが指定した場所は両方とも有名な心霊スポットだ」
「……は? 心霊スポット?」
 思ってもみない情報を口にした宗史に、大河はきょとんと目をしばたいた。確かに「廃」ホテルにアミューズメント「跡地」だ。そうであってもおかしくない場所ではある。ただその手の場所は、何かの見間違いや誇張されたものもある。だが、
「それ、ガチで?」
「ガチだ」
「結構有名なんだけどなぁ、知らねぇのか?」
 その手の専門家が言うのなら本物だ。知らない、と首を横に振る。
「アミューズメント跡地がある近辺は、平安時代から江戸時代にかけて処刑場だったんだ。江戸時代には多くの供養塔が建てられていたんだが、明治に起こった仏教を排除しようとする運動や近代の開発に伴って破壊されてしまった。ゆえに眠っていた霊が呼び起こされ、心霊現象が多発していたんだ。ただ、新たに供養塔が建てられたおかげで数は減って、残った浮遊霊も姿を現して驚かしたり、写真に一緒に映り込んだりする程度で、現象そのものは大したことなかった」
 その意見は陰陽師だからでは、という突っ込みを飲み込んだ。一般人からしてみれば恐怖でしかない。
「でも、心霊スポットとして有名になってから、肝試しに来た人たちの夜中の話し声はもちろん、勝手に空き物件や工場の敷地内に入られたり、挙げ句の果てには煙草の不始末でボヤや盗難事件まで発生したらしくて、近隣住民が迷惑していたんだ」
「うわ最低。浮遊霊じゃなくて、人間が迷惑かけてんじゃん」
 何とも切ない話だ。大河は顔を歪めた。
「その通りだ。だから自治会で注意書きをした看板を立てたり、空き家には鍵を増やしたりもしたらしいが効果が無かったそうだ。それで工場の社長が伝手を頼ってうちに依頼してきた。悪鬼化した浮遊霊もいたから調伏したが、それで全てじゃなかったから結界で封印したんだ。それからは目撃されていない。ちなみに、その結界は父さんが張ったものだ」
「おお、さすが宗一郎さん」
 さぞや強力な結界を施したのだろう。
「廃ホテルの方は?」
 どちらかと言えばこちらの情報に興味がある。何せ今から向かう場所だ。
「向こうは色々噂がある。バブルが弾けたあと廃業して首を吊ったオーナーの幽霊が出るとか、客が焼身自殺したとか、火事があって大勢亡くなったとか。現象はアミューズメント跡地の方と大差ない。ただ、何故か持ち主が分からないという謎はある」
「ああいうのって、権利書とかあるんじゃないの?」
「普通ならな。役所にも記録が無いらしい。しかも近くに何もないから苦情を言う人がいない。俺たちが確認に行っても気配は感じるけど姿を現してくれないし、どうしようもない」
 なるほど、だから樹は廃ホテルだと即答したのか。アミューズメント跡地の近くには民家があるが、こちらにはない。
「出て来ないんだ。陰陽師だから?」
「そう。あの気配は悪鬼じゃないから、無理に浄化するのもな。大した被害もないし」
 浮遊霊は確かに神出鬼没だが、物影に隠れて宗史たちの様子を窺っていたのかなと想像すると、何だか可愛い気がする。
「だが、数は多い。もしあの場所なら、騒ぎを起こせば興奮して悪鬼化する可能性もある。注意しておけよ」
 そう繋がるのか。
「分かった」
 大河が力強く返答すると、宗史は満足気に頷いた。
 こんな状況で言うのは不謹慎だが、話をして少し緊張感が解けた気がする。大河は静かに息を吐き、真っ直ぐ前を見据えた。
『亡くなってるのよ、ご両親とも』
 野菜を届けに行った日に聞いた、華の言葉が脳裏を掠った。
 残された三兄弟。明と晴の気持ちを考えると、心臓が痛い。宗史からしても陽は弟同然の存在だろう。二人とも、そう見えないだけで気が気ではないはずだ。
 いつものことではあるが、大河の質問に丁寧に答えていたのも心霊スポットの話題も、気を紛らわすためかもしれない。その証拠に、会話が途切れたとたん、二人揃って組んだ腕と握ったハンドルをそれぞれ指でトントンと叩いている。
 スムーズとは言えない車の流れ。
 ふと思い立ち、大河は車窓に顔を向け建ち並ぶビル群の上を仰ぎ見た。
 もし柴と紫苑がいて、連れて行ってくれと頼んだら、引き受けてくれるだろうか。
 ぐるりと見える範囲を見渡すが、彼らの姿は見当たらない。公園襲撃事件と昨日の迷子事件。二度助けてくれた。なら今も、と淡い期待を抱いたが、そう都合よくはいかないらしい。そもそも、彼らが味方だとは限らないのだ。
 大河は少し残念そうな息をついた。と、宗史の携帯が鳴った。
「俺だ」
 言いながらスピーカーに切り替える宗史を見て、大河はシートベルトを伸ばし、運転席と助手席の間から顔を出した。閃の声が車内に響く。
「それらしい輩は見当たらん。ただ、様子がおかしい」
「どういう意味だ」
「結界が破られている」
「何!?」
「マジか!」
 宗史と晴が同時に声を上げた。
「まだ周囲を漂っている者はいるが、ほとんどはどこかへ移動したようだ。残った気配からして、おそらく悪鬼化している」
 まさか、と宗史が呟いた。
「分かった。今渋滞だ、犯人たちはまだ到着していないかもしれない。しばらく待機。しげさんたちに結界を張り直すよう伝えてくれ。父さんたちには俺から伝える」
「承知した」
 すんなり通話が切られ、宗史はスピーカーを解除して宗一郎へ繋ぐ。閃からの報告と指示の内容を伝え、了解しましたと返答すると、続けて誰かに繋いだ。
「俺です。今、閃から報告が入りました」
 相手は樹か。同じ内容の報告をし、ええおそらく、と応じたあと通話を切った。
「俺らの方が当たりみたいだな」
 晴が硬い声で告げた。
「多分な。大河、さっきの報告を聞いて何か気付いたことは?」
 突然の質問に、大河は「えっ」と動揺し、視線を上に向けた。
 破られた結界は、宗一郎が張ったものに間違いない。結界が破られたということは、封印されていた霊は解放されている。しかも悪鬼化しており、さらにどこかへ移動した。では、どこへ。晴は、俺らの方と言った。二か所とも樹が指定した場所で、一方はすでに敵の手が伸びていた。つまり。
「廃ホテルに移動した!?」
「そうだ。さらに気付かないか?」
「えーと……」
 悪鬼が移動すること自体はおかしいことではない。しかし、あの場所に封印されていたのは浮遊霊だったはずだ。浮遊霊が結界を破られたからといって、突然悪鬼化するとは――。
「千代の、仕業……?」
 大きく目を見開いて呟くように答えた大河に、宗史が頷いた。
「上出来だ。だが浮遊霊をどうやって悪鬼化させたのか、彼女自ら従えて移動したのか、それとも呼び寄せているのかまでは分からない。何せ、千代の能力は謎が多い」
「どっちにしろ、現場には悪鬼がうようよいるってことだ」
 晴が忌々しげに舌打ちをかます。
「って、それ陽くん大丈夫じゃないよね!? あっでも先に椿と志季が行って……」
 ふと、違和感を覚えて口をつぐんだ。
 何のために、わざわざ封印を解いて悪鬼化し、集めているのだろう。もしも陽を食らわせるためだとしても、拘束されているはずだから大量の悪鬼は必要ない。それに敵側はこちらに式神がいることを知っている。見当がつけばその場所に式神を飛ばすことくらいは予想できるはずだ。つまり。
「足止め!?」
「お、気付いたか。冴えてんなぁ」
 偉い偉いとおどけた風に褒める晴の横顔は、強張ったままだ。
「足止めの方が可能性は高いな」
 宗史が神妙な声色で言った。
「で、でも椿と志季だしそんなに時間かからないんじゃ……」
「いや、断言できない」
 紫苑をほぼ相討ちにまで追い込んだ二人なら、と思った大河の見解を、宗史は躊躇なく否定した。唖然とする大河を置いて、宗史は淡々と理由を述べる。
「廃ホテルから少し離れている場所にあるダムは、以前は自殺の名所だった。今は入場管理されていてかなり減ったと聞いているが、心霊スポットの一つなんだよ」
「京都心霊スポット多いな!? 未練引き摺ってる人どんだけいんの!?」
「まだまだあるぞ。今度聞かせてやる」
「いらんわ! って、そうじゃなくて、つまりそのダムの浮遊霊も悪鬼化してる可能性があるから数が多すぎるってこと、だよね……?」
 ふと、さらに気が付いた。千代の仕業で廃ホテルへ悪鬼が集結していて、しかも千代はもしかしたら廃ホテルにいるかもしれなくて。だからつまり。
「はあ!? 廃ホテルの浮遊霊も悪鬼化してんの!?」
「可能性としては有りだ。冴えまくってるな、大河」
「茶化すなってば!」
 こんな時にさえ茶化す余裕があるのか、それとも、そうしなければ平静を保てないのか。
「ただこちらに有利なのは、宇治川がすぐ側にある、ということだ」
「宇治川?」
 川、つまり、水。
「椿!」
「そうだ。水神の眷族だからな。もしかしたら、橋姫も力を貸してくれるかもしれない」
「橋姫って?」
瀬織津姫(せおりつひめ)、通称橋姫。宇治川を守護する水神であり女神だ。千代が故意にダムの浮遊霊を悪鬼化させているのなら、縄張りを荒らされたことになる。さぞご立腹だろうな」
「……神様を怒らせたら、どうなるの?」
「さあ? 水神だからな、宇治川の氾濫だけで済むかどうか」
 大河はごくりと喉を鳴らした。宇治川の氾濫以外に何があるのだろう。あまり想像したくない。それでなくとも梅雨から夏にかけては水害が多発する時期だというのに、加えて悪鬼が怒らせた神の報いを人間が受けるのは、とばっちりに思えるが。いや、千代も元々人間だったのだから、そう言い切れないのか。でも今は人ではないから、やっぱりとばっちりなのか。
 どっちだ? と大河が一人首を傾げていると、晴が小さく舌打ちを打った。高速の料金所までの道は一車線しかなく、入口から長い列ができている。
「やっぱ混んでんな」
「向こうも条件は同じだ。椿と志季が足止めを上手くかわせば、奴らが到着した時点で救出できる」
「……だといいけど」
「こればかりは断言できない。二人を信じるしかない」
 だな、と晴が呟いた。
 大河は静かに座席に座り直し、車窓に目を向けた。視界を遮る防音壁が今の自分たちの状況を如実に表しているように見えて、目を背けた。
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