第1話

文字数 3,960文字

 目が覚めたら、携帯の時計は九時を回っていた。力が抜けるほどの結界を張った影響なのか、少々の倦怠感を覚えつつも飛び起きたが、すぐに諦めの溜め息をついて大河(たいが)はのろのろと身支度を整えた。さすがにこの時間、(いつき)はすでに夢の中だ。
 寮に戻ってきたのは午前一時近かった。寮に着くまでには、抜けていた体の力は何とか歩けるまでに回復していて、心配してくれる二人とは大丈夫だからと言って別れた。意外と心配性だなと思いつつ入ったリビングは静まり返り、キッチンのダウンライトの明かりだけが灯されていた。ダイニングテーブルには(はな)の書き置きと一緒に、おにぎりが二つとほうれん草のおひたしが用意されていた。
『大河くんへ。初陣お疲れ様です。お腹が空いていたら食べてください。食器は水につけておいてもらえると助かります。ゆっくり休んでくださいね。華』
 共同生活をしているせいなのか、それとも元々そういう性格なのか。気が利きすぎる。感謝しながら平らげ、きちんと食器を水につけ、風呂に入って部屋に戻ったのが、二時頃。吸い込まれるように布団にもぐって、三分と経たずに熟睡した。
 携帯の目覚ましは繰り返し設定にしてあるから、今朝も五時に鳴っているはずなのだ。だがまったく記憶がない。にも関わらず、目覚ましは解除されていた。俺って器用、と自画自賛なのか負け惜しみなのか、大河は自分に賛辞を送りつつ階下へ下りた。
 リビングの扉を開けると、珍しい光景が飛び込んできた。
 ローテーブルでは、(しげる)と双子が何やらおもちゃを使ってゲームをしている。知育玩具というやつだろうか。そして縁側に夏也(かや)が腰を下ろし、庭では(すばる)と華が霊刀で手合わせをしていた。学生組は宿題の時間だ。
「おはようございます」
 声をかけると、茂と夏也が同時に振り向いた。(あい)(れん)はおもちゃに夢中だ。
「ああ、おはよう大河くん」
「おはようございます」
 挨拶を交わすと、夏也が腰を上げた。
「朝食はどうしますか。パンにしておきましょうか」
「はい、お願いします。すみません、中途半端な時間で」
「気にしないでください。昨日はお疲れさまでした」
「ああいえ。ありがとうございます」
 淡々と労われ、大河は苦笑いを浮かべた。確かに淡々としてはいるが、冷たい感じがしないのは不思議だ。
「うん、よくできました。昨日はできなかったけど、今日はできたね。藍ちゃんも蓮くんも一杯頑張ってえらいね。花丸だ」
「花丸」
「花丸」
「じゃあ、お片付けしようか」
 はーい、と元気に返事をする藍と蓮の声と、満面の笑みを浮かべて双子を見つめる茂を横目に見ながら、大河は相好を崩して縁側に腰を下ろした。
 微笑ましすぎる室内とは逆に、庭では華と昴の緊迫した手合わせが続いている。
「華さんも独鈷杵(どっこしょ)使えるんだ。うわ、すご……」
 霊刀同士の手合わせは初めて見るが、さすがに二人とも扱い慣れた感じだ。
 霊刀を軽々と振って休む間もなく攻撃を仕掛ける昴に対し、華は防戦一方だ。しかし、昴のスピードも大したものだが、あれを全て防ぐ華の実力も相当なものだ。と、昴が上から下へと霊刀を振り上げ、横に構えた華の霊刀の刀身を叩き折った。折れた刀身はくるくると回りながら宙を舞い、すぐに消え失せた。それを見た昴がわずかにほっとした表情を浮かべる。そのわずかな隙を狙い、華が素早く昴の懐に飛び込み、短刀へと形を変えた霊刀を昴の喉元へと突き付けた。下から上目遣いで見上げる華を、昴が息を詰めて見下ろす。時間が止まったように、二人が見つめ合ったまま動きを止めた。
「勝負あったね」
 片付けが終わったらしい茂が、言いながら隣に腰を下ろした。手には哨戒ノートがある。後ろから藍と蓮が走り寄り、蓮が大河、藍が茂の膝の上に陣取った。
「油断大敵よ、昴くん」
「すみません……」
 体を離しながら霊刀を消し、注意を促す華に昴が申し訳なさそうに頭を掻いた。
「でも、昴くん日に日に強くなっていくわねぇ。そろそろあたしじゃ力不足だわ」
「いえそんな。僕なんか、まだまだです」
「ほら、僕なんかって言わない。一年で独鈷杵使えるようになるなんてすごいんだから、もっと自信持って」
 ね、とにっこり微笑まれ、昴は照れ臭そうにはいと頷いた。
「華さんが訓練してるところ、初めて見ました。すごい、強い……」
 独鈷杵を扱えるということは、それだけ霊力も強いということだ。霊刀は折られてしまったが、昴の攻撃を全て防いだ上に隙をついて短刀へと変えて追い込む判断力は、一朝一夕で身に付くものではない。自分だったら霊刀を折られた時点で戦意消失する。
「華さん、前に樹くんとやり合って勝ってるんだよ」
「えっ!?」
 耳を疑った。あの樹を負かすなんてどれだけ強いのか。ぎょっと目を向いて振り向くと、茂が懐かしそうに微笑んだ。
「樹くんが訓練を受ける前のことだけどね。それでも彼、すでにかなり強かったと思うよ」
「強いって、喧嘩ですか?」
「多分ね」
 意外だ。飄々とした性格から喧嘩とは無縁なイメージだが、もしかして素行が悪かったのだろうか。もしそうだとして喧嘩慣れしていたとしたら、その樹に勝つ華も相当だ。
「やあね、しげさん。いつの話してるんですか」
 まとめた髪を解きながら、華が苦笑いを浮かべてこちらに歩み寄ってきた。ふわりと甘い香りが漂った。
 うわいい匂い、と思いつつ、大河は用意されていたタオルを二人に渡した。ありがとう、と言いながら昴が隣に腰を下ろす。手を伸ばした蓮に独鈷杵を手渡すと、小さな手に握り締めてぶんぶんと振り回した。どうやら昴たちの真似をしているらしい。
「だって、忘れられないよ。すごかったから」
「ありがと、大河くん。ほんっと、心底ひねくれてましたよね、あいつ」
 華は盛大に溜め息を吐いた。自己紹介の時もそうだったが、華が「それ」だの「あいつ」だのと言う相手は樹以外いない。よほど何かあったのだろう。
「僕は懐かしかったけどね。こういう生徒いたなぁって――ああ」
 ふと、茂が大河を振り向いた。
「僕、以前は中学の教師をしていたんだよ」
「あ、はい。聞きました。弘貴(ひろき)(しゅん)の受験の勉強見てたって」
 と言うことは、二年以上前からここにいたことになる。
「うん、弘貴くんもね、色々と大変だったな……」
 懐かしげに、しかし遠い目をして空を見上げた茂の様子から察するに、相当苦労したようだ。とは言え、自分も省吾(しょうご)の兄の大吾(だいご)にかなり迷惑をかけたから、とやかく言えない。すみませんありがとう元気ですか、と今は山口で一人暮らしをしながら大学に通う大吾に心の中で手を合わせた。
「そうだ華さん。おにぎりありがとうございました。お腹空いてたんで助かりました」
「どういたしまして。よかったわ」
「と、そうだ。大河くんこれ」
 我に返った茂が、横に置いていたノートを差し出した。哨戒の報告用のノートだ。哨戒ルートを決める参考にするため、何かあってもなくても必ず記録を付け、全員が目を通す決まりになっている。
「樹くんと怜司(れいじ)くんの報告なんだけど、ちょっと気になることがあってね。早めに読んでおいてくれる?」
「はい、分かりました」
「それとね、樹くんから訓練の指示があったから、そのまま伝えるね」
 蓮を挟んでさっそくノートを開きかけた大河に、茂がにっこりと微笑んだ。何か嫌な予感がする。
「僕が起きるまでに真言を三つ覚えるように。浄化と調伏と結界、一つずつ。それと、巨大結界を見せろ、だそうだよ。巨大結界って何のことだい?」
「何で知って……っ」
 最後まで言い終わる前に気が付いて、長く溜め息をついた。確かに宗史(そうし)は樹に報告を上げると言ってはいたが、まさかあれから帰宅してすぐに書き上げたのか。樹が起きている時間に、二人の間で何かやり取りがあったのだろう。
「宗史さん、仕事早すぎ……」
 どこまで真面目なんだあの人、とぼやく大河に皆が首を傾げた。と、
「大河くん、お待たせしました」
 夏也から声がかかった。パンと卵が焼けた香ばしい香りに、腹が鳴った。
「はーい」
 弾んだ声で返事をしてノートを閉じ、蓮を抱えて床に下ろす。
「仕事の話を聞きたいところだけど、とりあえずご飯食べて、その後でノート確認して暗記しておいで」
「はーい……」
 一転して気だるい声を漏らしながら腰を上げる大河に、皆から小さな笑い声が漏れた。
 大河の席はカウンターと対面の位置、お誕生日席だ。腰を下ろし、スープに口を付けながら庭へ視線を投げる。独鈷杵を弄ぶ藍と蓮の側に華が腰を下ろし、昴と茂が庭へ出た。
 茂からは何度か体術の指導を受けたが、宗史や樹とは別の意味で怖い。あの穏やかな笑みを張りつかせたまま攻撃され、防御される。相手の表情や呼吸などから動きを予測しろ、と影正(かげまさ)から叩き込まれたがそれが通用しないのだ。予測できない相手はどうすればいいのじいちゃん! と何度心で叫んだか知れない。昴はどう攻略するのだろう。
 ふと、さっきの会話を思い出した。
 茂は、自ら自分の過去を口にした。隠しているというわけではないらしい。ならば、茂になら、聞いてみてもいいだろうか。ここへ来ることになった理由を。
 不意に、昴が困惑した表情を浮かべて身構えたまま、動きを止めた。
「昴くん、どうしたんだい? 相手の動きを読まないと」
「よ……っ読めません……っ」
 昴の追い込まれた声に、大河はハムエッグを口に放り込みながら大きく頷いた。
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