第25話

文字数 5,621文字

 いや、ここで詮索する必要はない。本人に聞けばいい話だ。怜司は気を取り直し、二人を見据えた。
「話は変わりますが、横山さん」
「うん?」
「犬を飼っていませんでしたか。茶色の柴犬です。目の上に、眉のような黒い模様が入った」
 言うや否や、横山はぽかんとした顔になった。川口が頭にハテナマークを飛ばして二人を交互に見やる。
「な、んで、そんなこと知ってるんだ。確かに、高校まで飼ってたけど……、俺、話したか?」
 驚きのあまりおかしなところで声を詰まらせた横山に、怜司は首を横に振った。
「いえ。そこに――」
 すっと腕を上げ、横山の背後を指差す。怜司の目には、横山の周りを柴犬がゆったりと浮遊する光景が見えている。くるりと反転して腹を上に向け、水面でたゆたうような動きを見せた。一瞬間が開き、横山と川口が同時に勢いよく振り向いた。あるのは、期間限定メニューと日本酒の再入荷を知らせるポスターが貼られた木目調の壁だ。
 固まった二人を横目に、怜司は続けた。
「川口さん」
「えっ!?」
 これまた勢いよくこちらを向いた川口の目は、まん丸に見開かれている。もし見知らぬ人だったら怖がらせてしまうかもしれないが、どうもそうは見えない。
「白髪の男性に心当たりはありますか。髪を一つにまとめて、軍パンにパーカー、ブルゾン姿で……えーと、ギター、ですか?」
 つい、ノリノリでギターを弾く仕種をする男性に尋ねる口調になってしまった。怜司が見えていることに気付いているのだろう、男性はにかっと笑い、親指を立てて手を突き出した。なんというかこう、ファンキーなご老人だ。
「それ……多分、じいちゃんだ。岩手のじいちゃん、五年前に死んだ!」
 横山がえっと驚き、岩手のじいちゃんは満足げに腕を組んで頷いている。間違いないようだ。川口が興奮気味にテーブルに身を乗り出した。
「いい年して若い女とロックとレゲエが好きで、へったくそなギターいっつも聞かされてた!」
「あ」
 思わず声が漏れた。
「えっ、何、何だ?」
 興奮したまま川口は体勢を戻し、怜司と背後をせわしなく振り向く。
「いえ……、今、思いっきり頭を殴られました……」
 しかも拳だ。もちろん素通りしたし川口に衝撃はないけれど、見ている方としてはつい反応してしまう。言うや否や、川口は条件反射のように両手で頭のてっぺんを抑えた。
「子供の頃、いたずらするたびによく殴られてた……」
 川口の活発さと恋愛脳は祖父譲りではないのか。呆然と呟いた川口に、少々呆れ気味に「そうですか」と返す。
「お前、見えるのか……?」
 驚きを隠せない様子で横山が尋ね、怜司ははいと素直に頷く。
「信じてもらえますか」
「そりゃ、なぁ……」
 横山が同意を求めると、川口は何度も小刻みに頭を縦に振った。
「ここまで言い当てられたら、信じるしかねぇだろ。あっ、でもさ」
 川口は頭を押さえていた手を下ろし、複雑な顔をした。
「それって、要するに取り憑かれてるってことだよな?」
「ああ……」
 自分たちの背後をじっと見つめて逡巡する怜司に、横山と川口は強張った面持ちでごくりと喉を鳴らした。
 残念ながらその手の専門家ではないので、正確には分からない。栄明たちに聞くか、本人に聞けば分かるだろうが。視線の先では、犬が横山に甘えるようにすりより、祖父は笑顔でぽんぽんと川口の頭を叩いている。
「……取り憑かれている、というよりは」
 口を開いた怜司に、二人が心持ち身を乗り出した。
「多分、心配しているんだと思います」
 目に映る一人と一匹には、取り憑くという言葉は似つかわしくない。おそらく、横山は犬をとても可愛がっていたのだろう。また川口も、何だかんだと仲が良かったのではないのか。そして亡くなった時、二人は悲しみに暮れた。あまりにも悲しむものだから、心配で二人を見守っている。そんなふうに見える。
 怜司の答えに、横山と川口は何度か瞬きをし、テーブルに目を落としてゆらりと体を引いた。その顔には寂寥が浮かび、けれどどこか嬉しそうだ。
 川口がおもむろにグラスを掴み、残りのウーロン茶を一気に飲み干した。そして、どかんとテーブルに置き俯いたと思ったら、ふっと息を吐くように笑った。
「しょうがねぇジジイだな。GWに墓参り行ってやるから、大人しく岩手で待ってろよ」
 口調は乱暴だが、声は少しだけ震えている。そんな川口を横目で見ていた横山も、ふと笑った。
「今度、好きだったドッグフード買ってやるからな」
 見えるはずのない祖父と愛犬に語りかけるような二人の声色はとても温かく、また祖父と愛犬も優しい目で二人を見下ろしている。
 部屋中に、しんみりした空気が漂う。と、突然横山が勢いよく視線を怜司に投げた。目を丸くして凝視するその眼差しは、何かに気付いたようだ。
「お前、まさか……」
 信じられないといった声に、川口が首を傾げて二人を交互に見やる。
「すみません。嘘を言いました」
「嘘?」
 問い返したのは川口だ。怜司は頷いて、二人を目に止めた。
「順を追って説明します」
 神妙な声色に、横山と川口だけならず、岩手のじいちゃんも愛犬も、興味津々な顔をして怜司を見ている。
 桂木家へ行ったきっかけ、栄明や郡司、鈴の正体、そして香穂の自殺の理由。さらに、自分が何をしようとしているのか。怜司は包み隠さず全てを話した。
 二人は、栄明たちの話では驚き、自殺の理由を聞けば悲痛な面持ちを浮かべた。「クソ野郎が」と川口が苦々しく悪態を吐き出しはしたものの、余計な口を挟むことなく、黙って怜司の非現実的な話を聞いていた。また祖父も同じで、激怒したように口を動かし、愛犬は空気で察したのか、怜司を慰めるようにすり寄る仕種を見せた。
「調査に必要な資金は全額負担していただけるそうです。それと、危険を感じた時は、式神を護衛に付けてくれると。横山さん、川口さん」
 改まって呼んだ怜司に、二人は背筋を伸ばした。
「危険を承知でお願いします。どうか、協力してもらえないでしょうか」
 テーブルに額がくっつくほど深々と頭を下げた怜司を、横山と川口は真剣な眼差しで見下ろした。
「分かった」
 即座に決断したのは、川口だった。まさかの早さに、怜司は勢いよく顔を上げた。
「俺も」
 立て続けに答えを出した横山にまたしてもぎょっとする。頼んでおいて驚くのもおかしなことだが、いくらなんでも早すぎやしないか。
「あの……」
「ちゃんと理由がある」
 さすがに狼狽した怜司を、川口が手の平を向けて制した。ぴんと人差し指を立てる。
「一つ。いい加減馬鹿息子にはうんざりしてた。これはうちで働く奴みんなそうだと思う。二つ。俺らもあいつを恨む理由がある。できればこの世から抹殺してやりたい」
 隣で腕を組んだ横山が同意の相槌を打つ。そして川口は指を三本立て、歯を見せてにっと笑った。
「三つ。愛した女のために危険を顧みず真実を暴こうとする、その気概が気に入った」
 川口らしい理由に横山が脱力し、まあ間違ってないけど、と一人ごちた。
 一方で祖父は、よく言ったと言わんばかりに満面の笑みで川口の肩に腕を回し、もう片方の手で頭を撫でている。愛犬に至っては、横山の背中におぶさり頭に顎を乗せる始末だ。さすがに話を理解しているとは思えないが、動物的本能で嗅ぎ取ったのだろうか。
 確かに、二人にも龍之介を恨む理由がある。だが本当に何があるのか分からないのだ。もう少し慎重に。そう怜司が戸惑っていると、祖父がこっちを見ろというふうに手を振った。小首を傾げた怜司に祖父は川口を指差し、次に自分を指差した。そして胸を張って両手を腰に当てる。
 しばし思考を巡らせる。つまり、川口には自分が付いている、と言いたいのだろうか。守るから、と。
 隣に視線を滑らせると、愛犬は先程からべったり張り付いて離れようとしない。怜司はふと口元を緩めた。可能かどうか分からないが、もしもの時は幽霊らしく驚かすつもりなのだろうか。だとしたら、ある意味人間より心強い護衛だ。
 横山がやれやれと溜め息をついた。
「それともう一つ。自分のためでもある。このままでいくと、将来は馬鹿息子が支社長になる可能性大だ」
「ああっ、確かに! それは死んでも嫌だ!」
 川口は両手で頭を抱えて天井を仰いだ。
「だろ? あいつの下で働くなんて絶対ごめんだし、かと言ってあんな奴のせいで辞めるなんて屈辱だ。これは、自分のためでもあるんだよ」
 向けられた眼差しには、覚悟を決めた強い力がこもっている。川口が頭から手を離した。
「そうそう。お互い理由があって目的も同じ。何も迷うことなんかねぇ。ってことで」
 川口はにっと笑って手を差し出した。
「同僚兼仲間ってことで、よろしくな」
 倣うように横山も手を伸ばす。怜司は目の前の二つの手に目を落とし、きゅっと唇を一文字に結んだ。視線を上げ、挑むような眼差しで二人を見据える。
「はい。よろしくお願いします」
 順に握手を交わし、作戦会議に入る前にドリンクの追加をした。その間に、怜司は横山に言われて残り物の料理に箸をつけた。
 仲間の条件はこうだ。
 最低限必要なのは、経理部と人事部に所属する者。それと、社外の人間が数名。龍之介の噂を探るために本当は各部署に欲しいところだが、人数が多いほど情報は漏れやすくなるため却下。
 経理部は横領の証拠集めと、花輪の行動を探るため。社外の人間は、花輪に金が流れているのは間違いない。金の受け渡しが振り込みなのか手渡しなのか分からないため、退社したあとの花輪の行動を交代で監視する必要がある。社内の人間だと、顔を知られている、もしくは顔を見られたあと社内で鉢合わせする可能性があるため危険だ。だが龍之介に恨みを持つ者という条件は外せないので、必然的に、花輪が知り得ないであろう者、かつ退職者が対象となる。それと、草薙の銀行口座を調べるためだ。現在無職、あるいは転職しても構わないと言えるほど恨んでいる者が望ましい。
 そして人事部は、その退職者の住所を知るためだ。引っ越している可能性もあるが、それはそれで諦めるしかない。
 また、草薙が使っている大手銀行の頭取は賀茂家の氏子らしい。しかし、可能性は限りなくゼロに近いが、支店長をはじめ共犯ではないと言い切れないため、軽率に手を回せない。かなり危険な役目ではあるが、何かあった場合は仲間を必ず保護すると栄明は断言した。
「言い切れるって、すげぇな……」
「陰陽師の家の権力って、どうなってるんだ……」
 横山と川口は、感心したような恐々としたような顔でぼやいた。顔を見合わせて目配せし、息を吐いて気を取り直す。
「よし、集める仲間の条件は分かった」
「とにかく、馬鹿息子の噂の真偽を調べるところからだな」
「ああ。っと、そうだ川口。お前、花輪節子のこと浅田(あさだ)さんから何か聞いてないのか。俺、聞いたことないぞ」
「それなんだよなぁ……」
 例の腐れ縁の人か。川口は腕を組んで考え込んだ。やがて「うーん」と低く唸り、首を傾げる。
「やっぱ知らねぇなぁ。そもそも、そんなに派手になってんなら経理部に行った時に目に付くと思うんだよな」
「てことは、見た目は変わってないのか」
「かも。浅田に聞くのが一番手っ取り早いんだけど……」
 怜司はすっかり冷えた鶏の唐揚げを飲み込み、グラスを持ち上げた。
「その浅田さんは、どういう人なんですか?」
「ああ、漫画アニメのオタクで同人誌描いてる。でも周りには言ってねぇから、隠れオタクってやつだ」
 さらりと返ってきた答えに、怜司は目をしばたいた。話には聞くが、まさか身近にいたとは。子供の頃や中学までは漫画も読んでいたし、話題のアニメも見ていたが、卒業する頃にはもっぱら小説の方へ興味が移ったため、もう何年も疎遠になっている。漫画家志望だった友人を思い出し、少し懐かしい気分になった。
 川口によると、浅田愛花(あさだあいか)は「仕事はオタク活動をするための資金稼ぎ」だと公言しているらしい。趣味仲間は多いようだが、そちらを重視しているためあえて会社での人付き合いを避け、飲み会などの類はほとんど出席せず、ゆえに存在感も薄い。部内では「仕事は真面目だが、人間不信で変わった人」と認識されているそうだ。ただ、同人誌を描くにあたってネタ集めは欠かせないらしく、常にこっそりひっそりアンテナを張り、耳をそば立てているそうだ。昼休みは社内を歩き回って人間観察とネタ集めに勤しんでいるというのだから、徹底している。
「見た目はそういうふうに見えないよな。普通に可愛い」
「だから隠れなんだろ。つーか、聞くのはいいけど、あいつ好奇心旺盛なところあるぞ。事情を話さないと答えてくれねぇかも」
「浅田さんが協力してくれれば一番いいんだけど。警戒されないだろうし」
「友達いねぇからな」
 確かに、経理部にいて川口と腐れ縁の浅田の協力が得られれば一番いいのだが、何の恨みもない者からしてみれば、リスクしかない。ただ、不謹慎ではあるが、好奇心が強いのなら興味を示してくれる可能性はかなり高い。背負うリスクと天秤にかけて、彼女がどう判断するか。
「川口さん。失礼なことを聞きますが、浅田さんは口が堅いですか」
 部内で寡黙でも、趣味仲間にぽろりと喋られると困る。
「ああ、それは保証する。口止めしたことが漏れたことねぇから。多分、ネタとして人に使われたくないんだと思う。さすがに今回のことはネタにはしねぇだろうけど……、どうする?」
 真剣に問われ、怜司は逡巡した。恨みがないという部分を除けば、浅田は適任だ。
「交渉の余地はあります。とりあえず、花輪の話を振って様子を見ましょう」
「了解。とりあえず電話してみるわ」
「お願いします」
 川口は内ポケットから携帯を引っ張り出した。その間に怜司と横山がテーブルの上の皿を片す。スピーカーに切り替えられた携帯が真ん中に置かれ、三人は心持ち身を乗り出して携帯に視線を注ぐ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み