第5話
文字数 2,311文字
*・・・*・・・*
伊弉諾神宮 は、兵庫県淡路市多賀に建立されている。
淡路島は「国生みの島」として古来より淡路国として存在し、天皇家と深い繋がりがあったとされる島だ。温暖な気候のため農業が盛んで、たまねぎと酪農が特に知られている。淡路市、洲本市、南あわじ市の三つに分かれており、淡路市は本州と明石海峡大橋で、南あわじ市は四国の徳島県鳴門市と大鳴門橋で繋がれている。
神戸市垂水区 の東舞子 から明石海峡大橋を使って淡路島へ入るのだが、橋を渡っている最中に、全員が揃って感嘆の声を上げた。
空と海が繋がっているような錯覚を起こすほど、一面真っ青な風景。航路になっているため、何艘もの船が白い波飛沫を上げながら行き来し、太陽の光に照らされた海はますます青く、船体は真っ白に輝いて見える。と、遠目に見ると美しいけれど、実際は潮の流れが速くサメも出没するため、人が泳ぐのはもちろん、海の難所と呼ばれるなかなか荒っぽい海峡なのだ。また大鳴門橋は「鳴門の渦潮」が有名で、渦潮見物のための遊歩道が併設され、間近で体感できる。
神戸出身だからと思っていたが、窓にへばりつくようにして風景を眺める美琴の様子からすると、どうやら初めてらしい。
「向小島へ行った時も、海に橋が架かっていた。人の力は、素晴らしいな」
しみじみ称賛したのは、言わずもがな柴だ。もちろん重機や色々な装置が使われたのだろうが、それを作ったのも、また人だ。
もし、もしもだ。人と鬼が共存していたら、今の世の中はどうなっていたのだろう。人の知恵と鬼の力。互いに認め合い、協力し合って世の中を発展させていく。そんな世界に――ふと思い浮かんだ妄想を、茂は小さく頭を振って霧散させた。鬼は、人を食わなければ生きていけない。だから人は恐れ、淘汰したのだ。
けれど、柴と紫苑だけなら、何か方法があるかもしれない。この二人だけは、せめて。
胸の奥でそう願いながら、茂は「そうだね」と笑顔で頷いた。
世間は夏休みの上にお盆休み中だ。予定より時間がかかるだろうかと思っていたが、意外にも車は順調に距離を稼ぎ、五時を少し回った頃には予約を取った食事処に到着した。
午後六時。
そろそろ夕飯でもという時間。伊弉諾神宮近くの食事処で海の幸を堪能した茂、美琴、香苗、柴、右近の五名は、運良く取れた個室でごちそうさまと手を合わせた。
「やっぱり海が近いと新鮮だねぇ。美味しかった」
満足した顔でお茶を飲む茂に、隣の美琴と香苗がうんうんと頷いた。
「柴、口に合ったかい?」
向かいの席で湯呑を持った柴が、こくりと頷く。テーブルの上には、綺麗に平らげられた御膳がある。
「川魚などを食すことはあったが、やはり、美味いものだな」
「お前の縄張りは、海から遠かったのか」
ナフキンで口元を拭きながらさらりと尋ねた右近に、ああ、と頷いて、柴は湯呑に口を付けた。確か、刀は父親から譲り受けたものだと聞いている。柴も紫苑もあまり自分のことを話さないので躊躇っていたが、聞いたら意外とすんなり答えてくれるのだろうか。
「ところで、これからのことなんだけどね」
茂が御膳を横に避けながら話題を変えると、美琴たちも倣った。
「結界は、右近に任せていいのかな」
自分たちでも張れないことはないけれど、どう考えても式神の結界の方が強固だ。
「ああ、引き受けよう。しかし、この敷地の形状だと全体に張ると民家も巻き込む。見える者がいないとは限らんぞ」
「そうなんだよね。だから」
携帯に地図を表示させ、伊弉諾神宮を拡大してテーブルの真ん中に置く。全員が身を乗り出して覗き込んだ。
「本殿がある敷地と、あとは個別に結界を張る」
茂は本殿をぐるりと囲み、点在する見どころを指差した。
神宮の敷地内は、大体こんなふうだ。
正面の大鳥居から長い参道が延び、途中途中に、土産屋や食事処の「せきれいの里」や、陽の道しるべ、放生 の神池 などの見どころがある。そして池に架けられた神橋を渡った先に桧皮葺 の正門があり、その向こう側が拝殿や本殿、御神木のある敷地になっている。また、西鳥居の脇には参集殿、東鳥居には淡路出身の英霊 (特に戦死者の霊を指す)や代々の神職を祀る淡路祖霊社 が建立されている。そして周囲には、鎮守の森。
「ただ、建物の配置や参道、あと結界の形状を考えると、外から完全に見えないように張るのは不可能なんだ」
「どうしても高さが出るからな」
「そう。それと、この参集殿は道路から丸見えだから、申し訳ないけど結界が張れない」
西鳥居脇の参集殿は、神宮の敷地ぎりぎりの位置に建っており、歩道ごと結界を張ることになる。結界が見えるほど霊感が強い者がそういるとは思えないが、見られるとまずい上に、通行の妨げになり「通れない歩道」などと言われ、間違いなく怪奇現象として噂になる。
「でもこればかりは仕方がない。最優先事項は、本殿を守ることだ。それに、参集殿は端にあるし、敵も本殿を狙ってくるだろうから、多分大丈夫だと思うんだよね。断言はできないけど」
「では、参集殿以外すべてに結界を張ればよいのだな」
「うん。お願いできる?」
「承知した」
強く承諾した右近に頷き返し、茂は美琴と香苗を見やった。
「それと、術を行使すればどうしても音は響くだろうけど、それを気にして躊躇しないように。特に、香苗ちゃん」
「はいっ」
香苗が身を引いて姿勢を正した。
「地天を行使することを、躊躇わないでね」
地天はどうしても地面が揺れる。近隣住民たちに、地震と勘違いさせてしまうだろう。しかしそれを気にして躊躇えば、命に関わる。語気を強めて言い聞かせると、香苗はきゅっと唇を結んで頷いた。
淡路島は「国生みの島」として古来より淡路国として存在し、天皇家と深い繋がりがあったとされる島だ。温暖な気候のため農業が盛んで、たまねぎと酪農が特に知られている。淡路市、洲本市、南あわじ市の三つに分かれており、淡路市は本州と明石海峡大橋で、南あわじ市は四国の徳島県鳴門市と大鳴門橋で繋がれている。
空と海が繋がっているような錯覚を起こすほど、一面真っ青な風景。航路になっているため、何艘もの船が白い波飛沫を上げながら行き来し、太陽の光に照らされた海はますます青く、船体は真っ白に輝いて見える。と、遠目に見ると美しいけれど、実際は潮の流れが速くサメも出没するため、人が泳ぐのはもちろん、海の難所と呼ばれるなかなか荒っぽい海峡なのだ。また大鳴門橋は「鳴門の渦潮」が有名で、渦潮見物のための遊歩道が併設され、間近で体感できる。
神戸出身だからと思っていたが、窓にへばりつくようにして風景を眺める美琴の様子からすると、どうやら初めてらしい。
「向小島へ行った時も、海に橋が架かっていた。人の力は、素晴らしいな」
しみじみ称賛したのは、言わずもがな柴だ。もちろん重機や色々な装置が使われたのだろうが、それを作ったのも、また人だ。
もし、もしもだ。人と鬼が共存していたら、今の世の中はどうなっていたのだろう。人の知恵と鬼の力。互いに認め合い、協力し合って世の中を発展させていく。そんな世界に――ふと思い浮かんだ妄想を、茂は小さく頭を振って霧散させた。鬼は、人を食わなければ生きていけない。だから人は恐れ、淘汰したのだ。
けれど、柴と紫苑だけなら、何か方法があるかもしれない。この二人だけは、せめて。
胸の奥でそう願いながら、茂は「そうだね」と笑顔で頷いた。
世間は夏休みの上にお盆休み中だ。予定より時間がかかるだろうかと思っていたが、意外にも車は順調に距離を稼ぎ、五時を少し回った頃には予約を取った食事処に到着した。
午後六時。
そろそろ夕飯でもという時間。伊弉諾神宮近くの食事処で海の幸を堪能した茂、美琴、香苗、柴、右近の五名は、運良く取れた個室でごちそうさまと手を合わせた。
「やっぱり海が近いと新鮮だねぇ。美味しかった」
満足した顔でお茶を飲む茂に、隣の美琴と香苗がうんうんと頷いた。
「柴、口に合ったかい?」
向かいの席で湯呑を持った柴が、こくりと頷く。テーブルの上には、綺麗に平らげられた御膳がある。
「川魚などを食すことはあったが、やはり、美味いものだな」
「お前の縄張りは、海から遠かったのか」
ナフキンで口元を拭きながらさらりと尋ねた右近に、ああ、と頷いて、柴は湯呑に口を付けた。確か、刀は父親から譲り受けたものだと聞いている。柴も紫苑もあまり自分のことを話さないので躊躇っていたが、聞いたら意外とすんなり答えてくれるのだろうか。
「ところで、これからのことなんだけどね」
茂が御膳を横に避けながら話題を変えると、美琴たちも倣った。
「結界は、右近に任せていいのかな」
自分たちでも張れないことはないけれど、どう考えても式神の結界の方が強固だ。
「ああ、引き受けよう。しかし、この敷地の形状だと全体に張ると民家も巻き込む。見える者がいないとは限らんぞ」
「そうなんだよね。だから」
携帯に地図を表示させ、伊弉諾神宮を拡大してテーブルの真ん中に置く。全員が身を乗り出して覗き込んだ。
「本殿がある敷地と、あとは個別に結界を張る」
茂は本殿をぐるりと囲み、点在する見どころを指差した。
神宮の敷地内は、大体こんなふうだ。
正面の大鳥居から長い参道が延び、途中途中に、土産屋や食事処の「せきれいの里」や、陽の道しるべ、
「ただ、建物の配置や参道、あと結界の形状を考えると、外から完全に見えないように張るのは不可能なんだ」
「どうしても高さが出るからな」
「そう。それと、この参集殿は道路から丸見えだから、申し訳ないけど結界が張れない」
西鳥居脇の参集殿は、神宮の敷地ぎりぎりの位置に建っており、歩道ごと結界を張ることになる。結界が見えるほど霊感が強い者がそういるとは思えないが、見られるとまずい上に、通行の妨げになり「通れない歩道」などと言われ、間違いなく怪奇現象として噂になる。
「でもこればかりは仕方がない。最優先事項は、本殿を守ることだ。それに、参集殿は端にあるし、敵も本殿を狙ってくるだろうから、多分大丈夫だと思うんだよね。断言はできないけど」
「では、参集殿以外すべてに結界を張ればよいのだな」
「うん。お願いできる?」
「承知した」
強く承諾した右近に頷き返し、茂は美琴と香苗を見やった。
「それと、術を行使すればどうしても音は響くだろうけど、それを気にして躊躇しないように。特に、香苗ちゃん」
「はいっ」
香苗が身を引いて姿勢を正した。
「地天を行使することを、躊躇わないでね」
地天はどうしても地面が揺れる。近隣住民たちに、地震と勘違いさせてしまうだろう。しかしそれを気にして躊躇えば、命に関わる。語気を強めて言い聞かせると、香苗はきゅっと唇を結んで頷いた。