第7話

文字数 3,585文字

 茂は霊刀を握る手に力を込めた。
 目的はこちらの戦力の分散。彼らの標的基準を考えると、近くの集落を巻き込むつもりはない。あくまでも河合尊の殺害が目的。またこちらも派手な戦闘は避けたい。おそらく霊刀か肉弾戦を予測しているはず。さらに、悪鬼に掴まって浮かんでいたということは、移動手段は悪鬼。隗は柴と交戦中。ならば、むやみに攻撃を仕掛けさせはしない。霊刀で断ち切れば、それだけ力を失っていくのだ。とはいえ一対二であることに変わりはなく、しかしいっときでも早く展望台へ行かなければならない。人命最優先。
 仕方ない。
「オン・ノウギャバザラ・ソワカ」
 茂は内心で近くの集落の人々に謝り、口の中で真言を唱えた。瞬時に顕現した水が刀身に絡みつく。健人が素早く霊刀を構え、同じように水天を行使した。
 振り抜いたのは、二人同時。茂は、振り抜くと同時に身を翻して展望台の方へと駆け出した。背後で水塊同士がぶつかって破裂する音が響いた。
 寮に入って三年。地道に体力づくりをして、体を作ってきた。そこらの五十代よりは動けると自負している。けれど、さすがに二十代の若者の体力には劣る。
 追いかけてくるのは足音。それと悪鬼の気配。茂はできるだけ真っ直ぐ、木々の隙間を縫って森の中を駆け抜ける。
「オン・ビリチエイ・ソワカ」
 蹴る足すれすれに、悪鬼の触手が地面に突き刺さる。茂は目前に迫った大木を直前で避け、さらに走る。背後で、ガガガッ! と触手が幹に刺さる乾いた音がした。
帰命(きみょう)(たてまつ)る。地霊掌中(ちれいしょうちゅう)遏悪完封(あつあくかんぷう)阻隔奪道(そがいだつどう)――」
 茂はポケットから霊符を取り出しながら振り向いた。さらに地面を後ろへ滑りながら身をかがめ、追ってくる健人と悪鬼を見据えて、霊符を地面に叩き付けた。
急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
 最後の真言を唱えるや否や、ゴゴゴ、と小刻みに地面が揺れた。健人が目を丸くし、咄嗟に地面を滑ってバランスを取り、左腕を上げる。すぐさま頭上にくっついていた悪鬼が、伸ばしていた触手を引っ込めてその腕を絡め取った。
 予想通り。
「オン・ビリチエイ・ソワカ!」
 襲ってきた三本の触手を、霊符を地面に置いたまま中腰で後ろへ飛んで避ける。立て続けに真言を唱えた茂に、健人が表情を険しくした。
「オン・ノウギャバザラ・ソワカ!」
 茂の霊刀には土が、健人の霊刀には水が集まって絡む。その一瞬の間に、霊符と周囲の土を巻き込んだ地面は盛り上がり、悪鬼は上昇する。不意に、悪鬼が逃げるように来た方へと方向を変えた。
 霊刀を振り抜いたのは、茂の方が一歩速かった。悪鬼を狙って右から左へ一閃。空を切る帯状の土を追いかけて、地面から五本の棒状の塊が勢いよく伸びた。まるで蛇のように、逃げる健人と悪鬼を追う。
 一歩遅れて放たれた無数の水塊が、土の帯に激突した。派手に上がった土煙を飛散させつつも、再び形を再構築しながら棒状の塊は健人に襲いかかる。
 このまま見届けている暇はない。茂は踵を返して再び駆け出した。
「オン・ビリチエイ・ソワカ」
 できるだけ距離を取ってから発動させなければ、すぐに崩される。
帰命(きみょう)(たてまつ)る。鋼剛凝塊(こうごうぎょうかい)怨敵守護(おんてきしゅご)牆壁創成(しょうへきそうせい)――」
 走りながら真言を唱え、霊符を引っ張り出して振り向きざまに追い付かれていないか確認する。遠目に棒状の塊がきゅっと縮んだのが見えた。体ごと振り向いて地面を滑って止まり、かがんで霊符を地面に叩き付ける。イメージは細くて長い、高い壁。
急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
 真言を唱え終わるや否や、ゴゴゴと地面が揺れ、地面がもこっと盛り上がった。全長二十メートルほど。だが二足分の幅しかない。茂はその場から動かずに、形成される土壁に乗ったまま一気に上へとせり上がる。
 枝葉に叩かれながらあっという間に森を抜け、視界が開けた。すぐにぐるりと視線を巡らせる。
 突如として森に出現した万里の長城のような高い壁は、ゆうに木々の高さを超え、展望台の方へと伸びている。一番端は、池の側を走る道路の少し手前。木々を避けて形成されているため緩やかに曲がっているが、問題ない。ただ、柴の姿が見当たらない。
 と思った時、ザッ! と音をさせて森の中から柴が飛び出し、わずかに遅れて隗が姿を見せた。隗が展望台側で、少し距離が離れているが壁の横。しかも、茂よりも上空。
「柴ッ!」
 茂は叫ぶと同時に霊刀を消し、壁の上を展望台の方へと向かって駆け出した。
 重力に従って落ちながら横目で一瞥した柴へ、隗が蹴りを放った。左腕で防ぐが、隗の力ならば吹っ飛ばされる。ならば。
 柴は振り抜かれた足を素早く右手で掴み、そのまま道づれとばかりに一緒に横へ吹っ飛んだ。そして両手で掴み直し、くるくると一回転半して壁とは逆の方へと放り投げた。
 投げると同時に手を離した柴は、反動で壁の方へと流れ落ちる。放物線を描いて枝葉の中へ落ち、着地したのは壁の側面、高さは中程だ。とん、と軽く足を付け、そのまま上を仰いで両足に力を入れる。と、下方からドゴンと轟音が響き、土煙が上がって壁面に罅が走った。健人が壁の一部を破壊したらしい。
 柴は襲う罅から逃げるように飛び跳ね、壁の上に着地するとすぐに茂を追って駆け出した。視界の端に、悪鬼に腕を絡め取られた隗の姿が映る。健人が連れていた悪鬼より小さい。分裂させて回収に回したか。
 破壊された部分から崩れ始め、柴を追うように壁が瓦解してゆく。
 一方茂は、壁の端近くまで来ていた。壁が崩れ落ちる轟音と足音が追いかけてくる。肩越しにちらりと確認すると、柴だ。隗を退けたらしい。足を止めることなく前を向き直り、さすが、と呟く。
 そして端まで辿り着くと、勢いを殺すことなく空中に身を放った。
 両腕と両足、体全体を反らせ、走り幅跳びの選手さながらのフォームを維持したまま、思わず空を見上げた。一帯を照らす白い月、満天の星。ああ、綺麗だなぁ、とのんきな感想が脳裏を掠った。と、不意に視界の端に柴が映り込み、同時に腰に腕が回された。そのままぐんと前へ引っ張られ、勢いよく景色が後ろへ流れていく。
 柴の首に腕を回し、茂は肩越しに後ろを振り向いた。小ぶりになった悪鬼が二体。隗は腕を絡め取られ、健人は輪っかになった触手に乗って追いかけてくる。そして壁は、ドドドドと鈍い音を響かせ、豪快に土煙を上げて崩れ落ちた。息を整えながら、集落の皆さんごめんなさいすみません、と心の中で平謝りする。
 使用したのかこの気温で蒸発したのか、富栄池の水の量は少なく、水辺は砂地が見えている。柴がその水辺に着地し、大きく膝を曲げて抉れるほど強く地面を蹴った。ごうっと耳元で勢いよく風が唸る。
 足元を流れる水面は、山の稜線と白い月を鮮明に映し、さながら鏡のようだ。そんな幻想的な光景に感動を覚える暇もなく、一気に飛び越える。
 後ろでは、分裂させた分、力が弱く速度が上がらないらしい。隗から悪鬼が離れ、健人の悪鬼と融合した。とたん、隗が速度を上げ、健人が水天を行使した。この体勢では反撃しづらい。
「柴、来る!」
「顔を庇え」
 木のてっぺんからてっぺんに移動していた柴が、言うなり森の中に飛び込んだ。身を隠して移動し、時間と距離を稼ぐつもりか。咄嗟に顔を伏せて腕で庇う。すぐに浮遊感がなくなり、今度は地面を走る振動が伝わってきて、茂は顔を上げた。着地した衝撃はほとんどなかった。大人一人を抱えているのに、この体力と身体能力。話には聞いていたが。
 すごいな、と感心していると、柴は地面を滑って足を止めた。そして深く膝を折り、強く地面を蹴った。再び顔を伏せる。まるで、頭上から突風が吹いたような勢いだった。体に沿って風が下へ吹き抜けていくのが分かる。
 けれど、そんな感覚も枝葉に叩かれる時間もほんの一瞬で、ふわりとした浮遊感を覚えて茂は顔を上げた。驚くほどの高さ。だがちょうどいい位置だ、展望台らしき建物が眼下に見える。
 茂は目を凝らして状況を確認した。黒い塊は悪鬼、拘束されている人が二人。道路と芝生の境目に一人、道路に一人。下平、尊、雅臣。あと一人は誰だ。熊田と佐々木だとしても、人数が合わない。とはいえ、考えている暇はない。と、
「やめろぉ――――ッ!!」
 下平の絶叫が木霊した。
「柴、悪鬼の上に放り投げて!」
 どうするのだと聞くことなく、柴は霊刀を具現化した茂をひょいと持ち上げて腰骨のあたりで掴み直し、そのまま押し出すようにぽんと放り投げた。道路と芝生の境目にいる人物は雅臣。水を纏わせた霊刀を手にしている。となると、道路にいるのは尊。雅臣が霊刀を振り抜いた。
 まずい、間に合うか。
「オン・ノウギャバザラ・ソワカ!」
 空中で水天を行使し、尊目がけて空を切る帯状の水の塊を狙って、力いっぱい霊刀を振り抜く。甲高い破裂音を聞き、振り向いた雅臣の忌々しげな視線を受けた直後、茂は悪鬼の中へ落下した。
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