第6話

文字数 6,663文字

 草薙はテーブルに前のめりで宗一郎に訴えた。
「納得できません!」
「何がでしょう?」
 興奮する草薙とは打って変わって、宗一郎は酷く冷静だ。
「何故宗一郎殿は責任追及をされないのか! 鬼は人を食う化け物です。奴らが世に放たれたらどうなるかは想像に難くない。そうならないために千年以上も土御門家は秘匿し、刀倉家は守人となった。だが骨は盗まれ鬼は復活した。どう考えても怠慢だ! ならば両家に責任を取っていただくのが当然! それに、宗一郎殿のご子息とはいえ、宗史様も鬼の復活を阻止できなかった挙げ句取り逃がした! 何かしらのけじめは必要かと!」
 また「責任」だ。確かに、理屈としては正しい。先の明だけを責め立てる一方的な理屈よりはよほど理論的だ。だが、どうしても賀茂家以外の陰陽師家に責任をなすりつけようとしているように聞こえるのは何故だろう。いや、賀茂家と言うよりは宗一郎以外のと言った方が正しいかもしれない。どちらにしろ、崇拝だか忠誠心だかは立派だが、大河が引っ掛かったのは、そこではない。
「土御門家、刀倉家、そして宗史様は今回の件から外すべきです!」
「な……っ何を馬鹿なことを!」
「そうだ! いくら宗一郎殿の力があっても、土御門家と宗史様の協力なしで打破できるとは思えん!」
「気でも違ったか!」
 両家から非難の声が次々と上がる。だが草薙も負けてはいなかった。
「私は正気です! 式神を含め五人も揃っておきながらとんだ失態だ! 今は寮の者たちもいる! 中には宗史様と互角ほどの実力者もいると言うではないか! ならば……!」
「っせぇな……っ」
 どこからともなく聞こえた低い呟きが、草薙の言葉を遮った。草薙がきょとんと目をしばたいて周囲を見回した。
「何だ? 誰か何か言ったか?」
「うるせぇっつったんだよ」
 ぎょっと目を丸くしたのは影正だけではない。そこにいる全員の視線が大河へと注がれる。
 大河は俯いたままゆらりと腰を上げ、二列のテーブルの間を通って草薙の前まで歩み寄った。前のめりの体勢のまま、草薙は少々怯えた様子で大河を見上げた。
「な、何だおま……」
「さっきからごちゃごちゃごちゃごちゃうるせぇんだよッ!」
 草薙の言葉を遮って叫んだ大河の声は、見事に空気を震わせた。影正仕込みのトレーニングのお陰だ。
 びりびりと肌を刺す声は草薙を圧倒するには十分だったらしい。憤慨した大河の声に弾かれたように身を引き、口を開けて間抜けな顔で呆然と見上げている。
「あんたさっきから何なんだ。責任だ、けじめだって。今そんなこと言ってる場合じゃねぇことくらい俺にだって分かる。優先順位って言葉知らねぇのかよ。空気読めよおっさん」
「おっさん……っ!な……っ何たる無礼……!」
「それと!」
 低い声で流暢に暴言を吐く大河に苦言を呈そうとした草薙の言葉をぴしゃりと遮り、大河はぐるりと勢いよく首を回した。
「宗史さん、晴さん」
 矛先が向けられると思っていなかったのだろう。二人が同時に顔を引き攣らせた。
「悔しくねぇのかよ、あんなこと言われて。俺はめちゃくちゃ悔しいからな!!」
 言い放つと、大河は再び草薙に向き直った。
「大体あんた! 鬼見たことねぇんだろ! 戦ったことねぇんだろ! あいつらがどんだけ強ぇか知らねぇだろ! 宗史さんも晴さんもじいちゃんも椿も志季も命かけて塚を守ろうとしたんだ! あんたがどんだけ偉いのか知らねぇけど、上から目線でえらっそうに勝手なことぬかしてんじゃねぇよクソジジイ!!」
「大河ッ!!」
 大河以上に張った声を上げたのは影正だった。はっと我に返った大河が振り返る。
 影正はすくっと立ち上がり大河に歩み寄ると、躊躇なく平手で頬をひっぱたいた。乾いた音が座敷中に響き、水を打ったように静まり返る。
 影正は、ひっぱたかれて右に傾いだ首をそのままに呆然とする大河の腕を引っ張り、頭を押さえつけて無理矢理正座させた。
「草薙殿、不肖な孫が大変失礼な真似を致しました。今後このようなことがないよう、重々言い聞かせます。ここは私に免じて穏便にお収めください。まことに申し訳ございません」
 大河の頭を押さえつけ、影正も畳に額を擦り着けるように深々と頭を下げる。
 その様子を唖然と眺めていた草薙が、注がれる全員の視線に我に返り掠れた声を出した。
「な、何と無礼な奴だ。目上の者に対しての礼儀がまったくなっておらん。もういい、私はこれで失礼する!」
 草薙は荒っぽく立ち上がり、足音も荒く出入り口へ向かう。
 強く頭を押さえつけられたまま、大河は数センチ先の畳を凝視して唇を噛んだ。影正に力任せに殴られて、熱が冷めた。
 感情に任せて行動するのは自分の悪い癖だと分かっている。だが、それでもあの戦いがどれだけ危険なものだったか知りもしない奴に、失態だ怠慢だと罵られるのはどうしても我慢ならなかった。
 皆、命張って守ろうとしたのに。悔しい。
 大河は零れそうになる涙を堪えるために、硬く目を閉じた。
 徐々にざわつき始めた声と、畳を踏む微かな揺れで会合が終了したのが分かった。それでも影正が押さえつけている手は緩むことがない。こそこそと話す話し声、湯飲み茶碗がぶつかる音、布巾でテーブルを拭く音、座布団を片す音、障子が開く音、廊下の床が軋む音。玄関が開きっぱなしになっているのだろう。外からは話し声が届き、車のエンジン音が響く。申し訳ございません、と微かに聞こえたのは宗史と晴の声だ。
 ああ、そうか。
 そこまで気が回らなかった。大河をここへ連れて来たのは宗史と晴で、そうするよう指示を出したのは宗一郎だ。それを明も知っていた。大河が無礼を働けば、影正だけでなく四人も責任を負うことになる。下げなくていい頭を下げさせた。
 叩かれた頬の痛みが自分の軽率さを責めているように思えて、畳を引っ掻くように拳を握った。
 聞こえていた車の音が聞こえなくなり、寮の皆も戻った頃。
「影正さん、大河くん」
 正面から、足袋の白が視界に映った。この声は宗一郎だ。
「皆さん帰られました。頭を上げて下さい」
 そう言われてやっと、影正が手を緩めた。大河はゆるゆると頭を上げたが、顔は俯いたままだ。
「少し話しましょう。ここでは何ですので、寮の方へ」
 側に膝をついて、大河、と優しく声をかけてきたのは宗史だ。のろのろとした動きで立ち上がり、先を行く宗一郎の後をついて行く。
 来た時と逆の道順で寮へ戻り、長い廊下を歩いて、宗一郎はずらりと並んだ引き戸の一部を開けた。
 中は対面型のキッチンに、リビングダイニングが広がっていた。大げさに聞こえるが、広がっていると言っても過言ではないほどの広さだ。ダイニングにはテーブルと椅子、リビングにはU型のソファ、中央にローテーブルが置かれ、家電量販店か芸能人のお宅拝見番組でしか見たことのない大きなテレビが壁に掛けられている。リビングの奥には小さいながらも和室が設えられ、その襖から、こちらの様子を窺うように幼い二人の子供がこっそりと顔を出している。その側では、割烹着姿の中年女性が散らかった絵本などを片していた。
 寮の皆は、キッチンで作業をしたり、ダイニングテーブルの席についてくつろいでいた。中に一人うつぶせで眠っている者もいる。皆無言だ。
 やっぱり皆呆れてんだろうな、とまだ紹介すらされていない人たちの反応を気にしながら、大河はすすめられたソファに腰を下ろした。
 隣には影正、逆隣は宗史と晴が、向かい側に宗一郎、明、そして一人の少年と並んで腰を下ろした。
 とたん、
「ぶはっ」
 突然、宗一郎が噴き出したのを皮切りに、大爆笑が起こった。
「あっはっはっはっはっ!」
「もう、ほんとに君は……っ!」
「大河お前……っ」
「ヤバい、腹筋がヤバい!」
「お前という奴はもう……っ」
 宗一郎、明、宗史、晴、影正が口々に途切れ途切れに何か訴える。
 つい今の今まで重苦しい空気が流れていたのに、これは一体どういうことだ。絶対こんこんと説教されるんだろうなと覚悟をしていた大河は顔を上げ、きょとんと目をしばたいて回りを見渡した。寮の皆も腹を抱えて笑い転げている。
「え、ちょ、何?」
 思いがけない展開に呆気に取られる大河の背後から、誰かが肩に手を置いた。振り返ると同じ年頃の少年が腹を押さえながら、
「グッジョブ!」
 と、満面の笑みで親指を立てた拳を突き出し、げらげら笑いながらダイニングテーブルの席についた。
「はあ?」
 素っ頓狂な声を上げた大河に、宗一郎が目尻の涙を拭いながら言った。
「まさか、あの場面で君が飛び出してくるとは思わなかったよ」
「私もです。初めて見ましたよ、貴方のあんな顔」
 明が眼鏡を外し、くつくつと笑いながら宗一郎の顔を覗き込んだ。
「あれはさすがに私も予想できなかったからね。久々に呆気に取られた」
 ふふふふ、と漏れる笑い声を押し殺し、宗一郎は実に楽しそうに腕を組んだ。
 いやいやいやちょっと待て。大河は動揺しながら隣で肩を震わせる影正に訴えた。
「ちょ、何でそんな楽しそうなんだよ? 俺、本気でヤバいことしたって思ってて。じいちゃんにも殴られたし!」
 拳骨を食らうことは幾度とあったが、あんなにも目いっぱいビンタをされたのは初めてだった。正直なところ、完全に納得しているわけではないが、迷惑をかけたと分かって本気で反省したのに。それなのに何で皆笑っているのだろう。
「それはお前、アレだろ」
 呼吸困難気味の呼吸を整えながら、晴が「なっ」と宗史の肩を叩いた。宗史は口元を覆っていた手をそのままに頷いた。
「ポーズだよ。ですよね、影正さん」
「ああ、まあ。そうとも言えるが、クソジジイはさすがに」
 ぶふっと噴き出した影正に、大河が訝しげに眉を寄せた。
「ポーズ?」
 一体何の、誰に対してのポーズだ。
「ああでもしなければ、あの場は収まらなかっただろう?」
「う……すみません」
「いや、責めてるんじゃないんだ。えーと、だからね」
 ふっと笑いを漏らした宗史の後を晴が引き継いだ。
「だーから、ああでもしないと大爆笑に包まれてたってことだよ。そんなことになってみろ、草薙のおっさん、怒り狂って収拾つかなくなってたぜ? この状態見れば分かるだろ。皆、結構必死に笑い堪えてたんだよ」
 なあ、と全員をぐるりと見渡しながら同意を求めると、皆が頷いた。
 列席者含め、皆の草薙への評価は大体分かった。要するに、賀茂家もしくは宗一郎へ異常なほど心酔した困ったちゃんなのだろう。心酔するだけなら個人の自由だが、草薙のように公私混同して状況を見誤ると、評価は一気に下落する。
「それにね、あの人、草薙製薬会長の次男だから。一応大河の行動を咎めておかないと後々面倒だからね」
 宗史が補足した説明に全身から血の気が引いた。聞き覚えがあると思ったら、テレビだ。
「く、草薙製薬って、あのCMとか流れてる、アレ!?」
「そう、アレ」
「な、何で早く……ってか何でそんな大企業の偉いさんがいるんだよ!? どういう関係!?」
 草薙製薬は、日本の製薬会社の中でトップクラスの大企業だ。医薬品の研究、開発、製造及び販売を主要事業としており、テレビCMではもちろん、番組の提供などで頻繁に耳にする。日本人で知らない者はいないと言っても過言ではないほど、一般に知れ渡った企業だ。
 そんな企業の偉いさんが何故陰陽師の会合に参加しているのか。いや、そもそもあの列席者たちは一体どこの誰だ。草薙が製薬会社会長の次男ならば、他の人たちもきっとそのレベルかそれ以上の肩書を持った人物なのだろう。
 固まった大河に、宗史が苦笑いを浮かべた。
「意外だと思うかもしれないけど、大手企業の役員や政治家や著名人って、気にする人が多いんだ。特別な日の吉方位、凶方位とか。陰陽師は、呪術の他に占術を得意とするからね」
「ああ、風水とかそういうの?」
「そう。特に土御門と賀茂は有名だから。中には草薙さんのような、極端な信者みたいな人もいるんだ」
 ああでもあの人は極端すぎるかな、と宗史は困った顔を浮かべた。
「今日あそこにいた他の人たちも、そういう肩書持った人?」
「ああ」
「それってつまり、両家にとって大切な人たちなんだよね」
「ああ、まあ。彼らは、両家のそれぞれの氏子代表だから。でも、気にすることない。大丈夫」
 大丈夫と言われても、そんな人たちの前であんな悪態をついてしまったのだ。これから先、宗史たちの立場に悪い影響を与えるかもしれない。そう思うと簡単に浮上できない。
でも、と大河は肩をすぼめた。
「さっき、宗史さんと晴さん謝ってたし……ごめんなさい。俺、気ぃ回らなくて」
「さっき? ああ、あれか」
 思い出したのか、宗史がふっと噴き出した。
「あれは、晴が堪え切れなかったんだ。それにつられて他の人たちも笑っちゃって。まだ草薙さんがいたから思い切り睨まれてね。その謝罪。大河が悪いわけじゃない」
 宗史の声が何だか妙に優しくて、大河は余計に喉が詰まった。
 ありがとうございます、と小さく呟いて、大河はきゅっと唇を結んだ。今これ以上言葉を発すると、泣いてしまいそうだ。
「ところで」
 おもむろに明が口を開いた。
「皆は、自己紹介終わってるのかい?」
 そう言えばまだ、まだです、そういや後回しになってたな、と声が上がる。
「お二人は明日には帰るけど、これも何かの縁だし、良かったら」
 そう言って明が微笑むと、真っ先にグッジョブ少年がはいはいと元気よく手を挙げた。
「俺」
「ちょっと待った。一つ提案が」
 グッジョブ少年の言葉を遮ったのは二十代後半くらいの男だ。
「この人数だ。テンポよく行こう」
 男は指でくいっと眼鏡を押し上げ、さも重要事項のように神妙な声で言った。今にも眼鏡がきらりと光りそうだ。グッジョブ少年が白けた視線で男を見つめる。
怜司(れいじ)さん、アレでしょ。霊符無しで式神召喚した話し早く聞きたいんでしょ」
「霊符無し式神召喚!」
 グッジョブ少年の言葉で起爆したように、突然テーブルに突っ伏して寝ていた男が叫びながら勢いよく立ち上がった。大河が何事かと俯いていた顔を上げると、男はずかずかとソファを回って大河の前に仁王立ちした。
「君だよね」
「……は?」
 零れそうだった涙がすっかり引っ込むほど、見下ろしてくる目は虚ろだ。怖い。
 男はおもむろに大河の肩をがっしり掴み、至近距離で言った。
「霊符無しで式神を召喚したのは君だよね。早く聞かせてよ。どういう状況でどうすればそんなことができるのか。何かコツでもあるの? 特別な真言とかあるの? ねえ」
「怖い怖い怖い怖い! 何なのこの人! 怖いんだけど!」
 くっつきそうなほど顔を近づけて迫ってくる男に、大河は堪らず悲鳴を上げて宗史と晴に助けを求めた。
「ちょっと(いつき)さん、落ち着いて」
「よぉーし、一旦落ち着こうか。分かったから、話すから、な」
 宗史と晴が笑いながら助け船を出した。助けてくれるのは嬉しいが、何故二人して笑っている。樹と呼ばれた不審な男は、引き剝がされるとそのまま電池が切れたように晴の隣に沈んだ。オンオフが激しい男だ。
「こ、怖かった……」
 半泣きで胸を掴むと、まだ心臓がばくばく言っている。悪鬼や鬼に襲われた時より怖かったかもしれない。
「悪い大河。ちょっと…………個性的なんだ、彼」
 その間はなんだよ変わってるの間違いだろ! 瞬き二回分、あからさまに表現を選んだ宗史に、心の中で盛大に突っ込んだ。
「もう、話が進まないわねぇ。しょうがない、はい皆! 席について!」
 学校の先生よろしく、キッチンに立っていた女性が手を叩いて皆をダイニングテーブルへ誘導する。樹はそこでいいわ、と放置発言に慄いたのは大河だ。怖いからついでに連れて行って欲しいとは言えない。
 彼女の誘導で全席が埋まり、二席ある子供用の足の長い椅子には、和室から中年女性に連れられた幼い子供が収まった。中年女性はそのまま明の背後へと待機した。
 大河と影正の位置から皆の位置は左手真横だ。大河と影正は斜めに体を動かし、できるだけ皆の顔が見えやすいよう座り直す。
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