第5話

文字数 4,111文字

 じゃああとで、と告げて通話を切り、続けて昇に繋ぐ。この時間はまだ開店準備中だ。こちらはコール二回で繋がった。
「もしもし。あんた今どこで何してんですか。犯人追いかけたって馬鹿なんですか? 怪我なんかしてないでしょうね」
 開口一番、矢継ぎ早に叱責が飛んできた。この口調はかなりお怒りだ。非常階段に出たらしい、背後から扉が閉まる重厚な金属音が聞こえた。
「大丈夫だ。悪い、心配かけて」
 ここは素直に謝るに限る。冬馬が謝罪すると、昇は盛大に溜め息をついた。
「もうね、昔から無茶ばっかりするのは知ってますよ。でも今回ばかりはさすがの俺も呆れました。心配するこっちの身にもなってもらえます?」
「悪い」
「まったく、樹がいた頃はあいつが冬馬さんのストッパー役になってたのに。あいつこの前店に来ましたよね。うちに戻せないんですか。そしたら俺の心労も少しは減る」
 どう見たらそう見えるのか分からないが、昇にはそんなふうに見えていたらしい。冬馬は苦笑いを浮かべた。
「仕事してるみたいだから無理だな」
「ああ、そうか、そうですよね。なんだ残念。で、状況は?」
 廃ホテルの翌日もそうだったが、昇の忌憚のなさは昔からで、どっちが店長なのか分からない。それはともかく、さすがに素直に話せない。昇やスタッフには悪いが、勘弁してもらおう。
「追いかけてる途中でたまたま巡回中のパトカーを見付けたから、事情を説明した。ただ、龍之介は捕まえたけど、応援が間に合わなくて実行犯の奴らは逃がした。向こうの人数の方が多かったからな」
「でも龍之介は捕まえたんですね。よっしゃ、主犯が捕まったなら実行犯もすぐに捕まります。さすが冬馬さん、追いかけて正解」
「……お前、さっき馬鹿呼ばわりしただろ」
「それはそれで間違ってません。結果次第で評価は変わるんです」
「お前な……」
 都合が良すぎやしないか。冬馬は溜め息と共に何度目かの苦笑いを浮かべた。
「じゃあ、今警察ですか」
「ああ。まだちょっと時間がかかりそうなんだ」
「分かりました。とりあえず、休みの奴に連絡したんで店は回ります。皆にはまだ言ってないんですけど、何となく察してるみたいで心配してるんですよ。全部話して構わないですね?」
「そうしてくれ。あとで顔出すから」
「了解です。っと、じゃあ戻ります。もうくれぐれも無茶しないように。いいですね」
「分かってる。皆のフォロー頼むな」
「はい」
 いつもと変わらない声色の返事で通話が切れ、冬馬は長く息を吐いた。
 店は問題ない。智也の怪我の具合は気になるが、リンとナナは圭介や家族がいるから大丈夫だろう。精神的に立ち直るのに少し時間はかかるだろうが、これでやっと、日常に戻れる。寮の方は、何が起こっているのか分からないが、尋問でもするのだろう。そのあと龍之介は警察に連行され、実行犯もすぐに捕まる。
 冬馬はぼんやりと携帯の画面を見つめた。
 安堵しているのは、間違いない。でも、このもやもやした気持ちは何だろう。
「誰か、怪我をしたのか」
 不意に、前を見据えたまま左近が口を開いた。冬馬は我に返って顔を上げた。
「ああ、智也が――」
 冬馬は襲われた時の状況と、圭介からの報告を簡単に伝えた。すると、左近はやはりかと小さく呟いた。
「左近、聞きたいことがある」
「何だ」
「平良の仲間に悪鬼を操れる奴がいることは、下平(しもひら)さんから聞いてる。でも俺たちは何ともない。護符のおかげか?」
 元々冬馬たちも悪鬼に食わせる計画だった。見えないため、襲われなかったと断言はできないけれど、実際全員無事だったのだ。
 左近は背中を向けたまま言った。
「いいや。奴らは、お前たちを襲う気がなかったのだろう。奴らに協力するふりをしていたにすぎん」
 冬馬は眉をひそめた。
「じゃあ、平良たちは初めから龍之介を裏切るつもりだったのか」
「ああ。不意をついて志季と椿を足止めしたとしても、時間的にお前たちが騒げばすぐに人が集まって当然だ。もしお前たちも悪鬼に食われていたとしても、志季と椿はそう簡単にやられはせん。奴らが騒げば同じこと。むしろ、お前たちを助けようとより激しい戦闘になり、注目を集めただろう。どちらにせよ、計画そのものが無謀だったのだ。龍之介の気の短さと頭の悪さ、敵の甘言に惑わされた結果だ。さらに護符を持っていたことも予想外だっただろう」
 さらりと悪口が挟まった気がするが、淡々と指摘されて納得する。こちらからしてみれば、龍之介たちがどう動くか分からない中での警戒だったのに、いざ蓋を開ければこうも穴だらけだったとは。
「それと、智也といったか。奴を侮ったことも、敗因の一つだ」
 そう付け加えられて、冬馬は目を丸くした。
「廃ホテルの件では軟弱な奴だと思っていたが、あながちそうでもないようだな」
 ――ああ、そうか。
 左近の背中を見つめて、冬馬はやっと自覚した。
 男の腕を捻り上げた時には、智也が男に腕を切られていた。今までの智也なら、ナイフを見たとたん竦んで、怯えた顔を見せただろう。怯えた表情は、相手に余裕と油断を生ませる。だが、計画と違うことへの焦りもあったのだろうが、男は刺した。位置的に見えなかったけれど、智也は怯えることなく、引くこともしなかったのだ。さらに今後のことも考え、治癒しないと自分で判断した。
 また圭介も、智也はおらずナナはリンのことで手一杯な中、椿の言い訳を考えて警察に対応し、昇に連絡を入れた。今までの圭介なら、ここまでできなかった。パニックになって、まともに話すらできなかっただろう。
 さらに昇。彼は、店やスタッフのことをよく見ていて信頼が厚い。冬馬も、新しいイベントの立案や新人の採用など、ありとあらゆることを副店長より先に彼に相談していた。店長でもおかしくない実績と資質があるのに、未だホールリーダーに収まっているのは、彼に出世欲がないためだ。
 そして他のスタッフたち。人が集まれば当然確執が生まれるし、意見が割れることもある。アヴァロンも例外ではない。けれど、比較的人間関係は良好で、彼ら個人個人の人となりは、保障できる。
 自分がいなくなっても、店は滞りなく回るだろう。
 冬馬は目を落とし、自嘲気味に息をついた。
 自分が望んだのだ、彼らの成長を。本来喜ぶべきその結果を、いざとなったら寂しいなんて――。
 本当に、自分勝手だな。冬馬は口の中で小さく呟いて、視線を上げた。
「もう一ついいか」
「ああ」
「あいつらが捕まったらここでのことも話すだろうし、そうすると俺も話さないわけにはいかない。構わないのか?」
 龍之介は、陰陽師や式神、悪鬼のことも仲間に話していた。警察が信じるとは思えないが、聴取に来ることは間違いない。不都合はないのだろうか。
 冬馬が奴らより先にここへ到着していた言い訳は、できないわけではない。龍之介に狙われていたことは分かっていたのだから、賀茂家と交流があったため龍之介が来たと連絡をもらい、まさかと思って先回りしたとでも言えば何とかなる。桜は家から出られないらしいから、母親に翠月流の生徒だったと口裏を合わせてもらうことになるが。
 逃げた立場を、こんなところで利用するとは思わなかった。
 冬馬がわずかに顔を曇らせると、左近はしばらく間を開けて言った。
「……奴らは、おそらく生きてはいまい」
 その言葉の意味を、すぐに理解できなかった。冬馬は何度か瞬きをした。
「……どういう意味だ」
 尋ねると、左近は端的に尋ね返した。
「犬神に邪魔をされたであろう」
「ああ……」
 男たちを追いかけようとした時のことだ。やはりあれは犬神だったらしい。確かに、龍之介は置き去りにしたのに男たちを庇ったことに、違和感を覚えたけれど――。
 冬馬は目を見開いて、身を乗り出した。
「まさか食わせるつもりか?」
「ああ」
 すんなり肯定され、冬馬は唖然としたまま目を落として口を覆った。
 口封じする気だったのか。しかし、それなら主犯の龍之介共々口を塞がなければ意味がないのではないか。例え龍之介が黙秘したとしても、ボイスレコーダーもあるし、自宅やあるいは溜まり場があれば、調べればすぐに分かる。それに、連絡を取っていたのなら携帯に履歴が残る。ならば何故、龍之介だけを見逃したのか。そもそも、初めから裏切るつもりなら何故手を組んだ。
 ゆったりと流れる雲が、月の光を隠した。
「冬馬」
 不意に声をかけられ、我に返って顔を上げると、廊下の明かりにほんのりと照らされた紫暗色の瞳と目が合った。
「お前は、自分がなすべきことをせよ。あとは全てこちらで対処する」
 真っ直ぐ向けられた真摯な眼差しをしばし見つめ、冬馬は脱力するように息を吐いた。
「そうだな……」
 今回の件が、他の事件と絡んでいるのは明確だ。その全ての情報を知らずに、正確な推理はできない。それに、こちらの事件は解決した。詳しいことは警察が調べるだろうし、結果も教えてくれる。智也たちや店のこと、事情聴取と、やるべきこともある。あとは、彼らに任せるのが正解だ。
 雲が流れ、遮られていた月の白い光が優しく庭を照らす。
「お前は――」
 再び口を開いた左近へ視線を投げる。白く照らされた幻想的な庭を背景に、室内から漏れる明かりを受けた左近の瞳が、ガラス玉のように透き通った。
「生きておればよい」
 その一言に、冬馬は息をのんだ。
 家族への罪悪感、祖父と自身への嫌悪、犯してしまったたくさんの罪や間違い、決して消えることのない後悔。自分は疫病神だと、いっそ生まれてこなければよかったと思っていた。
 左近の真意は分からない。けれど、自分の中の弱さや卑屈な感情の全てを見透かされ、その上で赦されたような感覚に陥った。
 生きても、いいのだと。
 わずかに目を細め、微かに震える唇を噛む。
 下平は言った。
『これから先、お前は樹にとって支えになる。お前が樹を強くする』
 たとえ傍にいられなくても、会えなくても、生きることで樹の支えになれるのなら、もう迷うことはない。たくさんの罪と後悔を抱えたまま、生きていく。
 同じ時代(とき)を生きる、大切な人のために。
 冬馬は、静かに目を伏せた。
「――ありがとう」
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