第16話

文字数 4,424文字

「ところで、柴、紫苑、お前たちはどうする?」
 意外な方へ話しが振られ、視線が集まった。本人たちもまさか聞かれるとは思っていなかったのだろう、藍と蓮を膝に乗せながら、目をしばたいた。
 藍の頭越しに、柴が広げられた地図に視線を落とす。しばらくじっと眺めたまま、やがて柴が口を開いた。
「その距離を移動するには、今から出立せねばならぬな」
 影綱の故郷であり、自分が封印されていた場所を見てみたいと思うのも当然だ。
「いや、新幹線のチケットはお前たちの分も確保してある」
「――は?」
 空耳だろうか。一斉に間の抜けた声で聞き返すと、宗一郎はうきうきした顔で言った。
「いい具合にキャンセルが出てな。あとで宗史にパスワードを送るから、駅で……」
「ちょ、ちょっと待ってください」
 身を乗り出して慌てて止めたのは宗史だ。
「まさかとは思いますが、柴と紫苑も、新幹線で行けと……?」
「何か都合が悪いか?」
「悪いですよ!」
「悪いだろ!」
 即座に突っ込んだ宗史と晴以外は、何言ってんだ! という言葉を根性で飲み込んだ。
 初めて京都に来た時、それと戻ってきた時もそうだった。宗史と晴が並んで歩くと、やたらと目立つのだ。あちこちから女性の熱い視線が飛び交い、しかも本人たちはそれに気付いているのかいないのか、涼しい顔で人波をすり抜ける。そんな二人の隣を歩くのは、何と虚しかったことか。さらに柴と紫苑が加わろうものなら、いっそどこかでコスプレイベントでもやっているのかと思われて、撮影会が始まってもおかしくない。何せあの二人は、他人から見れば完璧なコスプレ野郎なのだから。
 このメンバーで新幹線に乗りたくない。というのが、本音だけれど。
「しんかんせんというのは、蛇のように長く、馬よりも早い、鉄の乗り物のことだな?」
 不意に誰にともなく柴が質問し、そう、うん、とぽつぽつと答えが返ってくる。
「人が、たくさん乗っているのだろう。怯えさせたくはない。やはり先に出立して……」
「待って。俺はいいと思う」
 言葉を遮った大河へ、驚きの視線が集まった。
「多分、ていうか絶対注目されるだろうけど、コス……仮装って思われるから、見ただけじゃ誰も怖がったりしないよ。それに、二人が方向音痴だとは思わないけど、迷うかもしれないじゃん。あとほら、せっかくなんだし」
 へらっと笑って付け加えた大河に華が驚いたように瞬きをして、密かに頬を緩ませた。
「しかし……」
 決めかねるように逡巡する柴につられて、皆からも渋い声が漏れる。不意に宗一郎が動いた。
「こうなるだろうと思って、用意した物がある」
 ソファの側に置いていた紙袋を引っ張り寄せる。茂たちが慌てて広げていた地図を巻き、床に置いた。
 二つの大きな紙袋の中から出てきたのは、黒いまん丸な箱が二つ。宗一郎が蓋を開けたとたん、ああ、と納得の声が上がった。これなら角を隠せる。
「あれ、それ……」
「おじい様と栄晴さんの、パナマハットですね」
 晴が小さく呟き、宗史が懐かしそうに目を細めて言った。宗史の祖父の物はともかく、栄晴の物をいつの間に。
「おや、覚えていたか。晩年には使っていなかったはずだが」
「夏に出掛ける時は、必ず被っていらしたので」
 祖父の話しだろう。そうか、と宗一郎はどことなく嬉しそうに呟いて、箱から取り出した。狭いツバに、頭の部分はてっぺんが中折れし、リボンが巻かれた帽子だ。色はナチュラルとベージュの二色で、素材は何だろう。麦わら帽子と似ているが、もっと細かい植物のようなもので編まれている。
「これ、あれだよな。イタリアの男の人が被ってるイメージ」
「ああ、分かる。お洒落な人が被るやつ」
「そうそう」
 帽子に特別興味がない大河と弘貴の知識はその程度だ。茂が補足した。
「明治時代から昭和初期にかけて、このパナマハットとカンカン帽は紳士の夏の正装だったそうだよ。祖父が言ってた」
「カンカン帽って?」
 大河が聞いた。
「夏に被ってる女性を見たことないかな。ツバが狭くて、頭の部分が平たい麦わら帽」
「あっ、あれか。可愛いですよね、あれ。そういえば、昔の写真でも男の人が着物を着て被ってるけど、正装だったってことは……」
「うん。もともとは男性用だったんだって」
 へぇ、と感心の声が上がったところで、宗一郎が帽子を手に取った。
「こちらが柴、こちらが紫苑だ。回してくれ」
 柴はベージュ、紫苑はナチュラルの方だ。サイズがあるため、色は選べないらしい。弘貴と春平と美琴が、まるで献上品を運ぶように両手でツバを下から支え、慎重に受け渡していく。
 柴と紫苑は、一旦藍と蓮を床に下ろして帽子を受け取った。ツバを両手で持ち、膝にしがみついた双子と一緒になって物珍しげに帽子を眺め回す。柴がふいと視線を上げた。
「良いのか?」
「ああ。持っていても使わないのでな、母にも許可は取ってある。宗史」
 着物といい、柴は気を使うタイプらしい。不意に指名された宗史が、はいと返事をして腰を上げた。
 柴から帽子を受け取った宗史はツバを前後に持ち、横から顔を覗き込んだ。額に帽子の前部分を当ててから、ゆっくりと被せる。それを横目で見ながら、紫苑も自分で被った。宗史は前に回り込み、角度を微調整してから紫苑の方も確認すると、すっと横へ避けた。
 とたん、おお、と歓声が湧き上がる。二人とも顔立ちや姿勢が綺麗な上に、着物を着慣れていて貫禄があるため、違和感がない。もちろん角は隠れていて、時代が時代なら、どこぞの高貴な家柄の若旦那様でも通用しそうなくらい似合っている。タイムスリップしたみたいだ。いや、ある意味そうなのだか。
「粋だなぁ」
 ほう、と感嘆を吐きながら言った熊田に、同意の声が上がる。
「うん、いいじゃないか。大きさは?」
 宗一郎が満足そうな笑みで尋ねると、二人はこくりと頷いた。
「問題ない」
「私もだ」
 と、膝にしがみついたまま見上げていた双子が、興奮気味に声を揃えて叫んだ。
「かっこいい!」
 きらきらした目で見上げられ、柴は一度瞬きをして、微かに口元を緩ませた。一方、紫苑は例の複雑な顔をしている。
「光栄だ」
 膝によじ登る双子を抱き上げた柴と紫苑を見ながら、宗史と晴が顔を見合わせた。
「まあ、確かにコスプレだって思われるだろうし、爪は付け爪、目はカラコンでごまかせる。いいんじゃね?」
 晴が苦笑いで言うと、宗史は諦めたように息をついた。
「分かった。じゃあ明日、一緒に行こう」
 藍を抱えた柴が、宗史と晴、大河を順に目に止める。
「迷惑をかけるやもしれんが、よろしく頼む」
「うん」
 双子を抱えているため浅く会釈をした柴と紫苑に、大河は満面の笑みで、宗史と晴が苦笑して頷いた。自分の立場を分かった上でのものなのだろうが、謙虚というか気を使いすぎるというか。他人行儀でちょっと寂しくも思うけれど、だからこそ皆の信頼を得たとも言える。柴の配下の鬼たちも、そうだったのだろうか。
「晴、お前はタクシーで京都駅へ向かいなさい。茂さん、宗史たちをお願いできますか。右近を護衛に付かせます」
「ああ、人数ギリギリですね。分かりました」
 乗車人数がギリギリのため、茂と右近で二人一組にしたのだろう。
 ひとまず帽子は箱に納められ、地図を片し、ダイニングテーブル組が席に戻る中、宗一郎が言った。
「宗史、日記と訳が荷物に入っている。大河、差異はなかったから、日記は持ち帰って大切に保管しておきなさい。ご両親にもお礼を伝えておいてくれ」
「はい。分かりました」
 宗史がさっそくソファの後ろへ回って荷物を漁る。
「それと訳の方は――」
 宗一郎がダイニングテーブルへ視線を投げると、樹と怜司が握った拳を突き合わせた恰好で振り向いた。今まさにじゃんけんをする寸前だ。大河は読めと宗一郎から言われているが、明日から帰省するため読む時間がない。貸す約束をしていたし、どちらが先に読むか決めようとしているらしい。
「続けなさい」
 苦笑いで続きを促され、二人は同時に頷いて顔を見合わせる。
「いくよ、怜司くん。じゃーんけん、ぽん!」
「よしっ!」
 すぐに怜司が力強い勝利の声を上げた。樹はチョキを出したままテーブルに沈む。
「チョキが憎いー」
 悲痛な恨みごとに、大河たちの和やかな笑い声がリビングに響く。
 宗史が大河に日記を手渡し、勝利者の怜司へ風呂敷ごと訳を持っていく。
 しげさんの方が読むの早いですから、じゃあお言葉に甘えて、と華と茂が平和的にさらなる順番を決めている。俺らは時間できたら見せてもらおうぜ、そうだね、と話す弘貴たちは、訓練を優先してとりあえず辞退したらしい。
「どうぞ」
 両手で差し出され、両手で受け取った怜司は、樹と下平の向こう側からひょいと顔をのぞかせた。
「大河、借りるぞ」
「はい」
 怜司が珍しく浮かれているように見えて、大河はくすりと笑った。こんなにも読みたがられては、今頃影綱も恥ずかしいやら嬉しいやらで複雑だろう。大河は手の中の日記に目を落とし、表紙をひと撫でした。
 一体、どんなことが綴ってあるのだろう。
「どうした?」
 晴に尋ねられ、大河は顔を上げた。宗史が戻ってきて、隣に腰を下ろす。
「んー、俺、読むの遅いからあとでいいって思ってたんだけど、でも、興味出てきたなって思って」
 もちろん、気にならなかったわけではない。独鈷杵や攻撃系の術が伝わっていない理由を知りたいと思っていた。でもそれ以上に気になるのは、影綱自身のこと、平安京での生活、柴たちとの時間、島へ戻ってからのこと。改めて考えれば、影綱はなかなか怒涛の人生を送っていたのではないか。
 片田舎に浮かぶ小さな島出身の子供が一人で都に赴き、誰も知り合いがいない土地で学問と陰陽術を並行して学び、鬼と出会い、戦に巻き込まれ――友人をその手で封印した。
 都にいたのはたった数年。彼は、自分の人生をどう思い、何を考えながら残りの人生を生きたのだろう。
 日記が読めれば手っ取り早かったのだろうが、さすがにそんな知識も頭もない。
「樹さんたちならすぐに読めるだろうし、そう急がなくてもいいんじゃないか?」
 宗史が笑みを浮かべて言った。
「うん。そうだね」
 気にはなるが、訳は逃げない。やることもある。大河は笑みを返してローテーブルに日記を置いた。
 一方、公平に決めたにもかかわらず、樹は諦め悪く怜司の手元を狙っている。
「怜司くん今すぐ読んで、一分で読んで」
「アホか、読めるわけないだろ」
「速読できないの?」
「お前はできるのか」
「できるわけないでしょ」
「本当に理不尽極まりないなお前。広辞苑で殴ってやろうか」
「それは確実に死ぬからやめて」
 冗談なのか本気なのか分からない軽口を叩きつつ、奪い取ろうとする樹と阻止する怜司の攻防戦に、さらに大きな笑い声が響く。
「こら樹、いい加減にしろ。子供みたいなことすんな」
 笑いながら止めに入った下平に、樹は「ちぇー」とぼやいてしぶしぶと手を引いた。
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