第12話

文字数 5,074文字

 確認が終わったらしい父親に呼ばれて再び荷物を鞄に押し込み、今度はしっかり肩に掛ける。さっそくゴミ袋を運ぶように命じられた。
 これまで溜め込んでいた分と今日出たゴミ袋を合わせると、五十袋近い数になっていた。加えて新聞や雑誌の古紙もある。この量を全部下まで運ぶとなると、かなり時間がかかる。いっそベランダから放り出した方が早いが、袋が破れでもしたら他の住民たちに大迷惑だ。そもそもこの量を積めるのか。
 自宅の鍵を香苗に預けた父親と女は、駐車場に出て荷室の扉を開けるとそのまま乗り込んだ。自分たちでやる気はないらしい。何様だクソが、とは弘貴の悪態だ。
 ひとまずベランダからバケツリレーよろしく玄関前にゴミ袋を出す。
「あの女、かなり質が悪いな」
 ベランダから室内の大河にゴミ袋を渡しながら、弘貴がぼやいた。
「俺もそう思う。やり慣れてる感じだよね」
 これまでの会話から、あの女はやはり香苗の実の母親ではない。とはいえ、実母も香苗を虐待していたのだ。そんな両親から香苗のような子供が生まれたなんて信じられない。
 今世紀最大の奇跡だ、と大河は春平にゴミ袋を手渡しながら膨れ面をした。
 一度に全部を外廊下には出せない。適度なところで弘貴と香苗を残し、大河と春平で一階まで下ろしていると、帰宅してきた住民からあからさまに不快な顔をされた。すみません、と謝ると、すれ違いざまに「いっそ出て行けばいいのに」とぼそりと呟かれて、肩身の狭い思いをした。ただ手伝わされている自分たちでさえ気まずく思うのに、父親と女は本当に何とも思わないのだろうか。
 荷室にはごちゃごちゃと工具が置かれているが、商用車のバンらしくかなり広さがあり、自宅と違って整理されていた。どうせ仕事仲間がしているのだろう。だが、手当たり次第に詰め込むと乗り切らないかもしれない。工具に当たって袋が破れないように、かつ端からきちんと詰め込む。その間も父親と女は運転席と助手席で何やら楽しそうに笑いながら煙草をふかしていた。殴り飛ばしていいかな、と目を据わらせて指を鳴らした大河を春平が慌てて止めた。
 結局、ゴミ袋はなんとか荷室に詰め込んだが古紙は乗せ切れず、後部座席の大河たちの足元に置くことになった。
 鍵を返すと、早く乗れと父親に急かされ、弘貴、香苗、大河、春平の順番でしぶしぶと後部座席にすし詰め状態で乗り込む。乗車定員をオーバーしているのではないのか。
 エンジンをかけた父親の隣で、女が香苗の携帯の電源を切った。GPSが切られたことで茂たちはすぐにこちらへ向かうだろうが、到着する頃にはすでにおらず居場所を特定できないという寸法だ。
 歯がゆい気持ちで、ダッシュボードに放り投げられた携帯を凝視する。と、携帯の下敷きにされた一枚の紙切れに気付いた。もしかして――。
「やっぱ臭ぇな。おい、窓開けろ」
 当たり前だ馬鹿、と窓側に乗った弘貴と春平が口の中で悪態をついて窓を開ける。周囲の人たちには申し訳ないが、吐いたりしたら収拾が付かなくなる。だが、籠った腐臭と夏の湿気た空気が入れ替わっても、背後からの臭いは消えない。怒りもあって胸がむかむかする。
 今度の休みはどこに行くだの、競馬がどうだの、パチンコ屋の新台入れ替えがどうだのといった二人の耳障りな会話を、意識的に遮断して大河は隣の香苗を横目で見やる。
 膝に置いた鞄を両手で抱え、身じろぎ一つしない。ごめんなさい、と謝ってからずっと黙ったまま俯いている。掃除や鞄を取られたこと、人質にされたことを申し訳なく思っているのだろう。絶対に香苗のせいではない。けれど彼女が気に病むのなら、せめて不法投棄は阻止しなければ。しかしどうやって。
 そんなに長い時間ではなかった。街中を抜けて山陰道に入り、あとはひたすら道なりだ。外灯に照らされたラブホテルやデイサービス施設を横目に通り過ぎ、山の中を進む。弘貴と春平も何か策を考えているのか、一言も口を開かない。
 やがて、左手に「亀岡市」の標識が見えた時、春平がぴくりと動いて振り向いた。さらに右手に霊園の看板が見えたとたん、弘貴が弾かれたように窓枠に手を掛けた。何ごとかと大河が目をしばたき、香苗も顔を上げて車窓に目を向けた。
「まさか……っ」
 弘貴が、遠ざかっていく看板とすぐ脇にあるバス停を目で追いかけて呟いた。同じようにして、春平と香苗も目を剥いている。
「止まってください!」
「は? 何でだよ、止まるわけねぇだろ」
 声を上げた春平に父親が鼻で笑った。道路の両脇に数件の民家が立ち並び、使われているのかいないのか、シャッターに落書きをされた倉庫を通り過ぎる。すぐ先にある歩道橋の下をくぐり、さらに進んだ。
「首塚に行く気じゃねぇだろうな!?」
 弘貴の言葉で思い当たった。首塚といえば、あの酒吞童子(しゅてんどうじ)の首塚しか思い浮かばない。
 平安時代、都の若者や姫君が次々と神隠しに遭うという事件が頻発し、安倍晴明に占わせたところ酒吞童子の仕業だと分かり、源頼光一行が討伐に向かった。奇策ののちに討ち取られた首は、一旦京へと持ち帰られた。だがその途中、現在の京都市と亀岡市の国境に位置する老ノ坂峠(おいのさかとうげ)で、地蔵尊に「不浄なものを京に持ち込むな」と忠告され、この地に埋葬されたらしい。一説によると、酒吞童子は死に際に改心し、死後は首から上の病に苦しむ人々を助けたいと望んだため大明神として祀られ、霊験あらたかと言い伝えられている。
「だったら何だよ」
「あそこはまずいんだよ! 今すぐ戻れ!」
 前のめりになって、必死の形相で声を荒げる弘貴に危機感を覚えた。険しい表情をする春平を振り向いた大河とは逆に、父親と女は嘲笑する。
「春、もしかして……」
 春平は無言で頷いた。
「絶対に行くなって言われてる」
 宗一郎たちが言うなら間違いない。大河はごくりと喉を鳴らした。
「まさか心霊スポットとか信じてんのか? 図体はでかくてもやっぱ子供だな。馬鹿馬鹿しい」
「確か、廃モーテルもそうよね。でもあれ、まったく根拠がないらしいじゃない。いるわよねぇ、そういう根拠もないのに心霊現象とか信じてる奴。今時そんなのあるわけないでしょ」
 大明神として祀られる一方で、「京都最恐の心霊スポット」としても有名な場所でもある。鳥居をくぐると呪われる、手水舎(ちょうずや)で手を洗わずに参拝すると呪われる、半端な気持ちで行くと呪われるだのと言われており、突然電子機器の調子が悪くなったり心霊写真も撮れるらしい。赤い服の女を見たという幽霊の目撃情報があるにはあるが、塚に行く途中にある廃モーテルで殺害された女の霊だという説もある。しかしその事件も、新聞などのメディアに一切残っておらず、単なる噂の域を出ない。
 ただ、訪れた者は口を揃えて言う。ここには長時間いられない、いたくない、と。
 先にトンネルが見えた。暗闇の中、煌々と光った大きな口を開けている。外灯は設置してあるが、この距離ではトンネルの名が記された題額も標識も読み取れない。ただどこかおどろおどろしい雰囲気が漂っている。
 父親は速度を落とし、左ウインカーを点滅させた。トンネルの手前にあるのは、森へと伸びた暗くて細い脇道。タイヤがアスファルトを擦り、前輪が舗装された脇道へと入った――次の瞬間。
「ッ!」
 四人が揃って息を詰め、体を強張らせた。マジか、と弘貴が呟き、春平と香苗も顔を青くした。ぞくぞくとした悪寒が背中を走る。ついさっきまで吹き込んでいた風は生ぬるかったのに、脇道に入ったとたんひんやりとした空気に変わった。だがこの悪寒はそのせいではない。
 ここはまずい。
 本能が訴えた。護符のおかげで廃ホテルの悪鬼でさえ何ともなかったのに、この悪寒。大河は気を立て直し、前のめりになって運転席と助手席から顔を出した。
「おい! マジでヤバいから引き返せよッ!」
 両側を森に挟まれた、外灯も何もない真っ暗な山の中。頼りはヘッドライトの明かりのみだ。しかも車一台分程しかない道幅のため、さらに速度を落とした父親が怒号を響かせた。
「うるせぇな! ここまで来て今さら何言ってんだ!」
「今さらも何もねぇだろ! いいから……っ」
「ねぇ」
 大河の言葉を女がしかめ面で遮った。女はシートから体を離して振り向くと、顎をしゃくった。
「あの子のこと庇ってんの?」
「は?」
 何のことだ。眉をひそめて女の視線を辿り、脱力したようにシートに腰を下ろす。すると、香苗がゆっくりと顔を上げた。
「その子が怖がってるからそんなに大騒ぎしてるんでしょ」
 一体何を言っているのか理解できず、二の句が継げなかった。弘貴も春平も、香苗自身も目をしばたいている。女がわずかに顎を逸らし、不遜な笑みを浮かべた。
「あんたずっと何も言わないけど、そうやって黙って震えてれば男が助けてくれると思ってるんでしょ? いいわね楽で。あたしねぇ、あんたみたいな女、大っ嫌いなの。男にすがるしか能がない女って醜くて虫唾が走る」
 女はわざとらしく両手で自分の体を抱いて一つ震えると、前を向き直った。
 男にすがるしか能がない。誰が?
 唖然とする大河の隣で、香苗が顔を歪ませて唇を噛み、俯いた。
「一体何を……」
 春平が怒りを殺した声で問い質そうとしたその時、ドンッ、と鈍い音が空気を振るわせた。弾かれたように大河たちと女が振り向く。弘貴が拳をドアに打ち付けた音だ。
「おいてめぇ何やって……っ」
「調子乗んなよお前」
 弘貴が低い声で父親の言葉を遮り鋭い視線でねめつけると、女は体を硬直させた。
「誰が何だって? 黙って聞いてりゃ知った風な口利きやがって。何様だてめぇ」
 女が、慄いた顔で助けを求めるように父親を見やった。こんなに怒りを露わにする弘貴は初めてだ。だが、その気持ちは分かる。
 我に返った香苗が慌てて弘貴の腕に触れた。
「ひ、弘貴くん、大丈夫だから……」
「大丈夫なわけねぇだろ。仲間のことここまで言われて黙ってられるか」
 舌打ちをかましたのは父親だ。車を急停車させると、素早くシートベルトを外して車外に飛び出した。すぐさま後部座席のドアを引っ張り開け、弘貴の胸倉を掴んで怒号を響かせる。
「調子乗ってんのはお前の方だろうがクソガキ! 誰に向かって口利いてんだ!」
「誰に向かって!? 何様のつもりだ馬鹿! いい年こいて掃除一つまともにできねぇ奴が偉そうに!」
「弘貴くんやめて!」
 胸倉を掴んで揉み合う弘貴の後ろから、香苗がしがみついた。まずい、と呟いて春平がドアを開けて飛び出し、大河は中腰で運転席と香苗の間に体を割り込ませた。足元にある古紙の束が邪魔だ。体勢が悪い。何とか運転席のヘッドレストに左腕を回して体を固定し、右腕を伸ばす。
 娘が見当違いに罵られても口一つ挟まなかったくせにとは思うが、弘貴が本気で手を出したら洒落にならない。
「弘貴やめろ! 落ち着けって!」
「やめてください! 弘貴もやめろ!」
 外から背後に回った春平が父親の腕を掴んで引っぺがし、やっと二人が離れたところで、女が口を挟んだ。
「もう忘れたの? 拡散するって言ったでしょ」
 こいつ! 大河が苦々しい顔で素早く振り向いて睨み付けると、女は携帯画面を向けて笑みを浮かべた。暗がりに浮かんでいる画面には、香苗の名前と住所と携帯番号、そして「あたしの友達がパパ探してるんだけど」から始まって卑猥なメッセージが添えられた、SNSの入力画面が表示されている。
「あたしの裏アカのフォロワー全員に知られるわよ。そこからどんどん広がって行くけど、それでもいいのなら続けなさい。なんだったら出会い系にも登録してやるけど?」
 裏アカウントは素性を隠して設けられる。誹謗中傷やモラルを問われる言動、また卑猥な内容だったり売春だったりと、自分と関連付けられたくない振る舞いをするためのものが多い。個人情報を流すということは、ただ愚痴や日々の不満を漏らすためではなく、女の裏アカウントはその手のものが投稿されている、ということだ。
 ああ、と父親が春平の腕を振りほどき、にやりと口角を上げた。
「こいつの裏アカ、結構ヤバいぜ」
「てめ……っ」
「弘貴!!」
 大河と春平の諌める声が重なった。弘貴がぴたりと動きを止めて歯を食いしばり、舌打ちを打った。すでに入力済みならば、指先一つで拡散される。
 女も女だが、父親も父親だ。この男は、娘を娘だと思っていない。そのくせ都合のいい時だけ親子だと主張して、香苗を利用する。
 親として、人として最低だ。
「この一帯を縄張りにする、酒吞童子をさ」
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