第16話

文字数 2,034文字

 大河たちを見送り、省吾たちと途中で別れた雪子は、ゆっくりと自宅への坂道を登りながら畑を見渡した。
 鈴たちが手伝ってくれたおかげで、踏み荒らされた畑はすっかり元通りだ。けれど、駄目になってしまった野菜も多く、廃棄するしかなかった。
 罰当たりな、と怒ったのは鈴。悲しげな目をしたのは柴。もったいないことを、と呟いたのは紫苑。人と神と鬼が、同じものを見て同じことを思う。それがやけに奇妙で、とても嬉しかった。
 先日、ビデオ通話で初めて目にした鬼は、話を聞いていた以上に美しく、そして穏やかだった。大河を傷付けたことに対して頭を下げられ、必ず守ると言い切った時、本当にこの二人は鬼なのかと疑ったほどだ。実際会って、ますます疑った。挨拶に食事の作法。何か手伝うことがあればと申し出てくれる気遣い。テレビや筋トレグッズに興味を示す姿。どう見ても、鬼とは思えなかった。
 けれど、深紅の瞳や二本の角、そして何よりあの人間離れした身体能力が、彼らは鬼なのだと証明していた。
「でもまあ、何も問題はないわよねぇ」
 彼らが鬼だろうと悪魔だろうと、助けてくれたことは事実で、好意的であることは間違いない。事件が終わったあとどうするのかは、おそらく宗一郎や明たちが決めるのだろう。そして彼らは、それに従うのだろう。
 もう二人の存在は島中で噂になっているようだし、いっそこの島で暮らせばいいのに。などと口を出す権利は、自分にはない。でももし、二人がここで暮らすとしたら。
「二人とも大きいから、おじいちゃんたちの部屋はちょっと狭そうねぇ」
 さすがにベッド二台は入らない。平安時代で生きてたんだからやっぱり布団かしら、と一人ごちていると、庭木の隙間からちらちらと赤い光が覗いた。精霊だ。鈴が呼んだのだろうか。
 雪子は早足で坂を登り、風呂の焚き口の方から庭へ回り込んだ。
「まあまあ、たくさんねぇ」
 やはり精霊だった。庭を埋めつくさんばかりの精霊が、戯れるように鈴を取り囲んでいる。
「戻ったか。おかえり」
「ただいま」
 すうっと数体の精霊が宙を滑り、出迎えるように頭上を周回する。雪子はそれを見上げ、ふふと微笑んだ。
 秘密を知った上で陰陽師の家に嫁いだが、術を見せられた時はさすがに唖然とした。加えて本物の式神や鬼に精霊。もう、庭木が喋ったとしても驚かない。妙な耐性が付いたものだ。
「どうしたの? こんなにたくさん」
 鈴が、手の平に乗せていた一体の精霊を空に放った。
「私も戻らねばならんのでな。念のために、お前たちのことを頼んでおいた」
 踊るようにくるくると回り、シャボン玉のように浮遊する精霊たちを見上げる。夕焼けにはまだ早い時間。真っ青に晴れ渡った空と赤い精霊のコントラストが綺麗だ。
 雪子はふと顔を曇らせ、開けっ放しの縁側から室内へ視線を投げた。
 さっきまで賑やかな声が響いていた室内には誰一人おらず、しんと静まり返っている。いつもは気にならない蝉の合掌が寂しさを運んできて、少しばかり耳障りだ。
 どう止めても聞かない。大河はそういう子だ。だから許可をした。けれど、本当にそれで良かったのかと思う。影正の時と同じ間違いを犯しているのではないかと、不安で不安で、堪らなくなる。
 こうしてただ無事を祈り、待つことしかできない自分の無力さが、無性に歯痒い。
「雪子」
 不意に呼ばれ、雪子ははっと我に返って振り向いた。
 ふわふわと浮かぶ精霊の赤に照らされ、赤紫色に染まった鈴の瞳が、真っ直ぐこちらを見下ろしている。
「心配するな、不安になるなとは言わん。だが――信じろ」
 気圧されるほどの強さで、鈴は言った。
「お前が信じる気持ちや祈りは、大河へと届いている。それは強さの源となる。だから、信じて待っていろ」
 神である鈴が断言する。祈りは、届いているのだと。
 ぐっと息を詰まらせて、雪子は唇を噛んだ。
 宗史や晴、柴に紫苑、式神たち、寮の皆に宗一郎や明。それに、刑事たちとも知り合いになったと聞いている。大河の回りにはたくさんの大人がいて、仲間がいて、彼自身も強く成長している。
 不安も心配も、大河が無事に帰ってくるまで消えることはない。けれど、子供を信じなくてどうする。壁にぶち当たるたびに乗り越えてきた姿を、すぐ傍で見てきたではないか。
 こぼれそうになった涙を堪えるように、雪子はゆっくりと深呼吸をして、顔を上げた。
「ありがとう、鈴ちゃん」
 少しだけ涙を滲ませて、けれど微笑んだ雪子に、鈴は満足そうに頷いた。
「時に雪子、夕餉の支度をするのだろう? 私も手伝おう」
「戻らなくていいの?」
「奴らが京へ到着するまでに戻ればよい。それと、悪いが勝手に電話を借りたぞ」
「明さんに? あ、そうだわ。朝のうちにお野菜送っておいたから。伝えてくれるかしら」
「承知した」
 こっそり涙を拭い、鈴と一緒に縁側から室内へ上がる。
 楽しげにメニューをあれこれと上げる二人を見守るように、精霊たちは姿が見えなくなるまでふわふわと浮いていた。
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