第15話

文字数 2,633文字

 挨拶をして菊池家をあとにし、門扉を出たところで、下平は全身で溜め息をついた。
 紳士的で理性的ではあったけれど、必死に怒りを押し殺しているようにも、自分たちの不甲斐なさを責めているようにも見えた。尊たちをもっと責めてもいいはずなのに、いや、責めたかっただろうに、努めて冷静に対応しようとする姿は、非常にいたたまれなかった。
 一方で尊たちは――あれは、かなり堪えただろう。罵詈雑言を浴びせかけられる覚悟で訪れたはずだ。それが、まさか自分たちにも非があるなどと言われては、酷くやるせない気持ちになったに違いない。これから先、一生そのやるせなさと罪悪感を抱えて生きていくことになる。
 また、尊以外のカツアゲをした連中の親は、今どんな気持ちで日々を過ごしているのだろう。心配はもちろんだろうが、彼らは、謝罪どころかその事実を認めなかった。本山涼、末森克己の親は、うちの子に限って、というお決まりの台詞を吐き、証拠はあるんですかとのたまい、挙げ句の果てに雅臣や尊がそそのかしたのではと勘繰った。反対に、中川大介は母親の再婚相手との不和という問題を抱え、家庭内暴力を繰り返していた。彼の親は、口では否定はするものの、内心納得しているように見えた。彼らはあれ以来、何の音沙汰もない。
 息子の失踪の理由も分からず、もうこの世にいないと知らされないまま、一生息子を待ち続ける。
 真実を知った河合家と、知らないままの彼らと。果たしてどちらが辛いのか。
 比べるもんじゃねぇか。下平は自嘲気味に嘆息した。どちらも辛いことに変わりはないのだから。
 パーキングに戻ると、榎本たちが精算機の前で待っていた。互いに会釈を交わすと、智至が頭を下げた。
「今日は、お忙しい中立ち会っていただいてありがとうございました」
「いえ」
 ちらりと母親を一瞥する。一点を見つめて、何か考え込んでいるような、魂が抜けたような覇気のない顔をしている。
「お父さん、先に車に乗ってて。俺が清算するから」
「そうか? じゃあ頼むな。五番だ」
「うん」
 智至は尊に金を渡すと、真理子の背中に手を添えた。
「では、お先に失礼します」
 智至は会釈をして、真理子を連れて車へ向かった。気丈に振る舞って見せてはいるが、丸まった背中は酷く頼りない。
 二人を見つめながら、尊がぽつりと言った。
「昨日、お母さんに言ったんだ」
 下平と榎本が、尊に視線を戻す。助手席に真理子を乗せ、運転席に回り込む智至を見つめるその目は酷く悲しそうで、とても切なげだ。
「お母さんの気持ちは、ちゃんと分かってる。でも……ずっと、重かったって」
「……そうか」
 先程の、尊に手を伸ばしかけて引っ込めた真理子の姿を思い出した。なるほど。子供のためにと思って注いできたはずの愛情を否定されれば、あんなふうにもなるか。
 真理子の愛情の全てが、間違っていたわけではない。親からすれば子供はいくつになっても子供だ。けれど、相手は一人の人間なのだ。もちろん問題がないのなら話は別だが、子供の成長や人格を考慮せず過剰に注ぎ続けるだけの愛情は、いつしか重荷になる。それはもう、愛情の押し付けだ。ただ。
 下平は頭を掻いた。
「俺も親だからな。お母さんの気持ちが分からんでもない」
 尊が振り向いて下平を見上げた。
「子供を育てるってのは、考えてる以上に難しいんだよ。人を育てるんだからな。ままならないことなんかしょっちゅうだ。尊」
 一旦言葉を切り、見上げてくる目を真っ直ぐ見据える。
「親も人間だ。完璧な親なんかいねぇし、迷うこともあれば、間違うこともある。あんまり、責めてやるなよ」
 尊はじっと下平を見つめ、ふと視線を落とした。
「うん、分かってる。俺も……、俺も、お母さんに甘えてたから。鬱陶しいなって思いながら、でも何かあった時はお母さんが何とかしてくれるって、すげぇ勝手なこと思ってた。だから大丈夫、責めたりしない」
「そうか」
 おそらく、家族一人一人が自分自身を振り返り、それを互いに伝えたのだろう。丸一日をかけて。家族の間でどんな会話がなされたのか、詳細を聞くほど無粋ではない。下平がひと言返すと、尊は微かな笑みを浮かべて頷いた。
「そうだ、お前、展望台であったことどこまで話した?」
「あ、うん……、それが……」
 尊はバツが悪そうに視線を逸らし、自分の腕をさすった。
「謝ったけど、許してもらえなかったって言った。仲間がいて凶器を持ってたから、下平さんが怪我をして、他の刑事さんも来てくれたけど、結局逃げられたって。話してもさすがに信じないだろうし、心配かけるかと思って……どこまで話していいのかも、分からなかったから……」
「いい判断だ。大筋は合ってるから、嘘じゃねぇ。気にすんな」
「うん、ありがと」
 被害者だと思っていた息子が実は加害者だったなんて衝撃的な告白をされたところに、あんなことを話しても余計に混乱させるだけだ。
「じゃあ、そろそろ行かなきゃ」
「おう。あ、榎本、車のドア開けて待ってろ。サウナだろ、あの中」
「はい。分かりました」
 榎本が小走りに走り去り、下平と尊は手早く精算を終わらせた。
 ふと、雅臣は両親や野瀬歩夢たちに手は出さないと教えた方がいいだろうかと思った。そうすれば、少しは安心できるだろう。尊を呼び出した時のあれはあくまでも脅しで、犯人たちの標的は犯罪者なのだから。
 けれどそれは尊次第で、絶対だと断言できない。油断を誘うような情報は禁物だ。
 下平は車の前で足を止め、尊を見下ろした。
「尊。渡したお守りは持ってるな?」
 尋ねるや否や、尊は不安そうに顔を曇らせた。
「うん」
「いいか、また何かあったらすぐに連絡しろ」
「はい」
「よし。じゃあ、気を付けて帰れよ」
「うん。ありがとうございました」
 尊は素直に頷くと、深々と頭を下げて両親が待つ車へと小走りに駆け寄った。尊が車に乗り込み、発車する。目の前を通り過ぎる間際、智至と尊がもう一度会釈を寄越した。
 会釈を返し、車が道路へ出てから、下平と榎本は示し合わせたように息をついた。
「河合尊、雰囲気が変わりましたね。どこか吹っ切れたというか」
 運転席に乗り込んで、榎本がぽつりと言った。
「ああ。まだ不安はあるだろうけどな」
 おそらく、河合家はこれから少しずつ軌道修正していくだろう。時間をかけてゆっくりと。しかし、またいつ襲われるかと不安に怯えながら。けれど、厳しいことを言うなら、それはこれまでの代償でもある。尊も両親も承知の上だ。
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