第1話

文字数 2,285文字

 本来まとめ役の宗一郎は笑い上戸発動中で、こんな時の収拾役である宗史や怜司、茂は騒動の中心にいるので頼りにできない。
 どうすんのこれ、と大河が困り果てていると、紺野が盛大に溜め息をついた。
「つまりあれか。あのじいさんは美琴がお気に入りで、しかもヤバい感じなんだな?」
 曖昧に表現した紺野に、弘貴たちが大きく頷いた。
「俺たちは初めて会いましたけど、とにかくエロジジイらしいっすよ」
「よし」
 弘貴のあからさまな表現に納得し、紺野は腰を上げた。内ポケットを探りながら、縁側でディフェンスをしていた宗史と晴の間を掻き分ける。
「乾千作さん」
 視線を浴びながら突然割って入った紺野を、千作は動きを止めて不機嫌顔で見上げた。
「初めまして。京都府警の、紺野と申します」
 見るからに作り笑いを浮かべて警察手帳を掲げ、「京都府警」を強調して自己紹介をする。背中が「なんかしやがったらしょっぴくぞこの野郎」と言っているのが分かる。千作はじっと紺野を見上げ、ふんと鼻を鳴らした。
「警察は好かん」
「父さん!」
「構いません。慣れているので、お気に、なさらず……」
 紺野の顔から笑顔が消え、代わりに頬が引き攣った。作造の顔が怖い。
「いいえ、そういうわけにはいきません。父さん」
 作造の刺すような眼差しに、千作がびくりと肩を揺らして一歩引いた。とたん、晴たちが呆れと安堵の息をつきながら踵を返す。宗史と宗一郎、右近と左近を残し、「おい、いいのか」と戸惑う紺野も一緒だ。どうやら任せて大丈夫らしい。
「皆さんにご迷惑をかけないという条件でしたよね。まさかお忘れですか」
 どうやら、そもそもは作造一人での訪問予定だったようだ。千作が無理を言って押し通したのだろう。
 さっきまであたふたとしていた人と同一人物とは思えない。眼差しも口調も酷く冷ややかだ。完全に作造の逆鱗に触れたらしい。
「わ、わしは別に何もしておらん、ぞ?」
 またこちらも別人のようにおどおどし始めた。
「よくもそんなことが言えますね。毎度毎度、皆さんを困らせるからこんなことになるんでしょう。いい年をして学習してはいかがですか。これ以上、乾家当主として不当なふるまいをなさるのなら、これまでのことを全て若菜(わかな)に話します」
「な、何じゃと! 作造、お前……!」
「それが嫌なら、当主として恥ずかしくないふるまいをしてください。師匠」
 父さんが師匠になった。これは本気だ。若菜は、作造の娘。千作の孫だろうか。だとすれば、孫娘は可愛いだろう。彼女に知られたくない様子だし、自分の行動がどういったものか自覚があるらしい。自覚があるのなら説得しやすいが、質が悪いとも言える。
 戻ってきた晴と志季が、しかめ面で「どっかの誰かさんもな」とぼやきながら大河の横をすり抜けた。画面の中では、明が俯いて顔を覆っている。バカ受けだ。
 千作は、ぐぅ、と悔しげに低く唸った。
「わ、分かった」
「結構」
 まったく、とぼやいて作造は縁側に足を向けた。その背中に、千作が憎たらしい顔でべっと舌を出す。本当に分かっているのか、このじいさん。大河は呆れ顔で、縁側に残ったもうひと組の師匠と弟子へ視線を投げた。
「父さん、千作さんが来るなら先におっしゃってください。いつまで笑ってるんですか、早く戻ってください。窓を閉めますよ」
 右近と左近が、口を覆って肩を震わせる宗一郎の腕を掴み、引き摺るようにして席へ連れて戻る。あれか、面倒な師匠というのはもはやデフォルトなのか。大河は、未だ不機嫌なままの自分の師匠を一瞥した。殺気立った目で「殺るなら断然夜。とりあえず寝込みを襲って寮に拉致ってから」とぶつぶつ呟いている。怖い。
 そしてもうひと組。こちらは師匠と弟子ではないが。
「おいこら明。こういうのはお前の役目だろうが。その笑い上戸いい加減どうにかしろ」
 紺野が隣から携帯を覗き込みながら、もう一人の笑い上戸へ苦言を呈した。
「す、すみ、ませ……」
 言葉になってない。大河と紺野が溜め息をつく。明兄さん笑いすぎです、と陽の声が聞こえる。毎度毎度、宗史と陽は大変だ。
「お前ら、苦労するな」
 紺野は同情たっぷりでそんな言葉をかけ、励ますように大河の背中を叩き席へ戻った。やっぱり親があれだと子供はしっかり育つんだな、と言いながら。まったくだ。
 くだらない一幕は何とか収束した。下平はけらけら笑いながら楽しんでいたが、熊田と佐々木と紫苑は終始ドン引きだった。柴は平常心というより、状況を理解しようとするがゆえの無表情だったように思える。笑い上戸が収まる気配がないので、熊田と佐々木に宗史たちが平謝りする羽目になったのは、ちょっと可哀想だった。
 皆が席に戻り、携帯はスタンドに戻され、千作と作造は柴と紫苑の前に腰を下ろした。お茶を出した華が、椅子を用意すると言ったのだが、品を渡したらすぐに失礼するのでと作造が辞退したのだ。香苗と夏也を見て、千作がきらりと目を輝かせたのは見間違えではない。何かやらかせば即座に締め殺――いや、阻止できる距離だ。
「ほう、お前たちが例の鬼か。またずいぶんと美丈夫じゃのう」
 その一方で、二人にこれっぽっちも臆せず声をかける。どうやら事情を知っているらしい。
 ちなみに、作造が持っていた「品」は、柴と紫苑が座るソファと、宗一郎たちが座るソファの隙間に置かれた。またローテーブルの端っこ、ダイニングテーブル側には、美琴の独鈷杵だろう、紫の小さな風呂敷が置かれている。
 仏具師である千作たちが何故事情を知っているのか。作造が抱えているのは何なのか気になるが、とりあえず美琴の独鈷杵だ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み