第16話

文字数 3,500文字

          *

 どれだけ信用がないのだろう。大河はあの時の宗史の疑いの眼差しを思い出し、息をついた。
 それはともかく、独鈷杵だ。
 雅臣は「後悔するのはお前の方だ」と言った。そして、言い返した大河に対して何も反論しなかった。あの推測が当たっている証拠だ。
 だとしたら、自分が影綱の独鈷杵を使うのは、奴らの思うつぼなのではないか。
 まるで息をするように霊刀を具現化できることが、こんなにも怖いなんて。
 大河はぎゅっと唇を結んだ。
 弥生に霊刀を向けた時、思ってしまった――このまま(たお)せる、と。
 弥生は敵だ。影正を殺し、今度は影唯を殺そうとした。許せるわけがない。でも、犯人たちを殺したくて術を覚えたのではない。ただ止めたかっただけ。こんなこと、やめさせたかっただけなのに。
 影唯たちを失いかけた恐怖と、怒りや憎しみに囚われて弥生を殺そうとした自分への恐怖で、手の震えが止まらなかった。
 あの時使っていたのが宗史の独鈷杵だったら、あんなふうに思わなかったのではないか。ならば影綱の独鈷杵は、自分が使わない方がいいのではないか。敵の思うつぼにもなるし、何より、自分が怖い。感情を制御できる自信がない。
 せっかく茂が「大丈夫」だと言ってくれたのに、思い出す余裕すらなかった。
 だからといって、このままやめるつもりはない。いっそ両家のどちらかで保管してもらえば、いや、持っていないと知られたら襲撃されるかもしれない。桜や妙子たちがいる。危険だ。なら――。
 海にでも捨ててしまえば、と考えた直後、携帯が着信を知らせた。びくりと大仰に体を震わせて我に返る。
 びっくりした、と口の中で呟いて目を落とした携帯の画面には、茂の名。メッセージだ。
「しげさん?」
 またタイムリーな。こんな時間にどうしたのだろう。向こうで何かあったのだろうか。大河は独鈷杵を横に置いて携帯を持ち上げ、メッセージを開いた。
『寝てたらごめんね。無事回収できたって明さんから連絡をもらったよ。お疲れ様。明日の帰りは夜になるみたいだから、ゆっくり羽根を伸ばしておいで。それと、樹くんから伝言。間違っても独鈷杵を忘れるなんてことないように、だって。じゃあ、本当にお疲れ様。おやすみ』
 うっ、と大河は言葉を飲んだ。まるで心情を見透かしていたかのような伝言だ。
「盗聴器でもつけられてるんじゃないの、俺」
 冗談はさておき、樹は独鈷杵見たさゆえに釘を刺したに違いない。となると、忘れるどころか捨てましたなんて言った日には、海に潜ってでも回収させられる。間違いない。彼の勘の鋭さというか、タイミングの良さは一体何なのだろう。恐ろしすぎる。
 大河は長くて深い溜め息をついて、返信した。ありがとうございます、忘れずに持って帰ります、おやすみなさい。そして、観念したようにピースをした犬のスタンプを添えた。
 アプリを閉じて、恨めしげに独鈷杵へ目を落とす。
 何の制限もなく具現化できるのは、確かに有難いし気持ちがいい。だからこそ危険であり、こちらにあってもあちらにあっても都合が悪い。厄介な代物だ。
 そういえば、影正の話では、晴明は独鈷杵を贈った理由を明かさなかったらしいが、普通の独鈷杵では許容し切れなかったからという理由だけではないのだろうか。
 大河は再び携帯を置いて独鈷杵を手に取り、改めてまじまじと眺めた。
 千年以上も昔の時代に、ここまで透明度の高い水晶を使い、こんなにも緻密な細工を施してまで贈った理由。持ち手の中央は楕円形に盛り上がり、小さな五芒星が。そこから左右の()へ向かって、花弁のような模様が彫り込まれている。透明なので見落としそうになるが、よくよく見ると、花弁の中に数本の線が描かれている。美琴の独鈷杵は龍だったが、こちらが伝統なのか一般的なのか、宗史の独鈷杵とデザインが似ている。
「ん」
 ふと、気付いた。
「ごぼう、あっ」
 五芒星と言い終わる前に確信が持て、大河は目を丸くして一人声を上げた。
「これ、護符なんだ……」
 弥生に霊刀を向けた時に感じた、手の平を刺すようなピリッとした痛みは、負の感情、つまり邪気に五芒星が反応したのだ。ということは、雅臣は独鈷杵を回収できなかったはずだ。だから間に合った。あれほどの憎しみを抱えているのなら、悪鬼を取り憑かせていなくても反応しただろう。それに、神社に到着する前の悪鬼の瘴気には当てられたのに、神社一帯を覆った悪鬼の瘴気には何ともなかった。すでに独鈷杵を持っていたからだ。
「あれ、でも……」
 護符は自身の邪気にも反応するものなのだろうか。隗と再会した時もお守りを持っていたが、何も――いや、気持ちが悪かった。そうだ、吐き気がしたのだ。神社で会った少年が悪鬼を生む時、気持ちが悪そうな様子はなく、苦しいといった感じだった。てっきり負の感情そのものに対しての吐き気だと思っていたが、あれは護符が邪気を排除しようとしたがゆえの反応だったのだ。
 護符はお守り袋に入っているし、尻ポケットか鞄に入れている。反対に独鈷杵は、手にじかに持つものだ。直接肌に触れているから、刺すような痛みを感じた。
 となると。
「使って、いいんだ……」
 もちろん、普段使う分には問題ないとはいえ、自分自身でも感情を制御するように心掛けないといけない。でも、文字通り、お守りになる。
 しかしそうなると、疑問が残る。独鈷杵のことは、柴と紫苑の封印場所を知っていたくらいだから、朝辻神社の文献にも記述があったことは間違いない。特徴なども知っていたはずだ。
 敵側からしてみれば、大河の負の感情を利用するのに、護符代わりの独鈷杵がこちらに渡るのは都合が悪い。加えて、膨大な霊力量を持つ者に使わせるために、独鈷杵を狙った。しかし、護符代わりになると知っておきながら、どうして狙ったのか。
 雅臣をはじめ、こんな事件を起こすほどの憎しみを抱えているのなら、扱うどころか触れないと分かるだろうに。
「あ、いや、平良は別か……」
 奴は北原が持っていた護符が効かなかった。となると、触れるのも使うのも奴だけ。いや、それなら今回の争奪に参加している。あるいは、雅臣だけが触れなかった。でもそれなら雅臣に回収させないだろう。
「……んん?」
 怪訝な顔で首を傾げる。疑問に気付いたのはいいが、答えが出ない。しばらく思案したあと、大河は無意識に腰を上げた。宗史たちに、と思ってはたと我に返る。さすがに今日は駄目だ。寝ているところを起こしたくない。
 やっぱり宗史たちのようにとはいかないか。分かっていたことだが、自分を残念に思いつつ座り直す。
 大河は、改めて独鈷杵に目を落として眉を寄せた。疑問といえば、他にもある。
 二年前、満流が向島の漁港にいたのは、おそらく独鈷杵を探すため。しかし、子供が一人で向小島に渡れば間違いなく噂になるはずなのに、聞いた覚えがない。島へは渡らなかったのだ。正確な場所を知らなかったから結局諦めたとも考えられるが、せっかくこんな所まで来たのだ。念のために見て回ろうとは思わなかったのだろうか。
 もう一つ。独鈷杵を探しに来たということは、少なくとも二年前にはすでにこの事件が計画されていたことになる。年単位で計画を立てるほどの憎しみ。本当に土御門家への復讐だけが理由だろうか。
 それと、晴明が護符代わりになる独鈷杵を影綱に贈った理由。
「影綱も、何かあったのかな……」
 晴明が護符を贈るほどの、何か。
 大河はなぞる指を止め、息を吐いた。疑問は宗史たちが気付いているだろうから明日聞けばいい。影綱については日記に書かれているかもしれない。急いで知る必要があるわけではないし、とにかく今は。
「寝よ」
 一人ごちて腰を上げ、机の上に独鈷杵を二本並べて置く。影綱の独鈷杵が使えると分かったからには宗史に返すべきなのだろうが、まだ少し、ほんの少しだけ不安だ。
 せめて、あの感覚に慣れるまでは借りていてもいいだろうか。
 大河は二本の独鈷杵をじっと見つめ、ぺこりと頭を下げた。
「さっきは厄介とか思ってすみませんでした。改めて、これからよろしくお願いします」
 影綱と宗史にあつらえて作られた、二本の独鈷杵。二人分の歴史と時間と思いがこもっている。大切に使わなければ。
「……今日、思いっきり落としたけど。ごめんなさい」
 でもあれは悪鬼が悪い。責任をなすりつけて顔を上げ、くるりと背を向けた。電気を消して、布団にもぐりこむ。
 そういえば、一階では今頃、人間と鬼が布団を並べて一つの部屋で寝ているのだ。
「……シュールな絵面だなぁ」
 大河はその様を想像して、笑いを噛み殺した。
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