第5話

文字数 4,856文字

 明はついと視線を投げた。
「では次に、先ほど少し触れましたが、紺野さん。お願いします」
「え、ああ」
 はいはい、と緊張感のない返事をすると、紺野は同じように咳払いをした。えー、と語尾を長く伸ばしてから話に入る。
「俺……私の祖母の実家は、山科区のとある神社です。詳しくは言えませんが、事件のことで神社関係者に聞きたいことがあって訪れました。そこで初めて知ったのですが、祖母の実家は陰陽師の家系だそうです。しかもその証拠として、平安時代に起こった鬼と陰陽師の戦や、鬼の封印場所が書かれた書物が残されていたそうです」
 明と宗一郎以外の一同がざわめいた。
「え、あれって、うち以外にないんじゃなかったっけ」
「ああ、そう聞いてる。どういうことだ」
 こそこそと影正に耳打ちすると、影正も初耳だったらしく目を丸くしている。
「ちょっと待て、どういうことだ」
 発言したのは草薙だ。またこいつかよ、と大河は眉を寄せた。
「君はその書物を見たのかね」
「……いえ」
「ならば書物があるという証拠にはならん。刑事がとんだガセネタを掴まされたもんだ」
 侮辱された上に鼻で笑われたことが気に障ったのか、紺野の表情が一変した。隣の北原がはらはらした様子で見守っている。
「では聞きますが。あの神社の宮司が何故、あんたたちが信じている鬼と陰陽師の戦の話を知っている? あの話を知っていること自体が、書物があった証拠では?」
「その宮司がこの事件の首謀者とも考えられる。別のところから仕入れたのかもしれんだろう」
 今度は紺野がふんと鼻で笑った。
「首謀者なら知らないと主張するのが自然だ。何でわざわざ疑われるようなことを刑事の俺に言う必要がある?」
「ちょ、紺野さんっ」
 見るからに挑発的な態度に、北原が慌てて止めに入る。だが一度入ったスイッチは簡単にオフにはならないようで、悔しげに口をつぐんだ草薙を見届けると、今度は明を見据えた。
「つーか、土御門さん。あんた前に書物は一切残されてねぇっつったよな。それこそどういうことだよ。刀倉家にあるんじゃねぇか。しかも賀茂家の存在のことも、当主が知ってることも何で黙ってたんだ」
「ちょっと紺野さん失礼ですよっ」
 本格的に諌めに入った北原を明は「構いませんよ」と止めた。
「それについては謝罪します。しかし、あの時点では刀倉家の存在、ひいては柴の封印場所を秘匿するために必要な処置でしたので、ご理解ください。賀茂家につきましては、聞かれなかったので」
「……は?」
 紺野と北原の声が重なった。明がにっこりと笑い、もう一度言った。
「ですから、他に知っている者はいないのかと聞かれなかったので、お教えしませんでした」
 さも当然の対応だったと言いたげだ。紺野の肩が小刻みに震え、北原がそれを見て竦んでいる。聞かなかった紺野の失態だと言えばそうだが、聞かれなかったから教えなかったと堂々と言える明も相当神経が太いらしい。
「それはそうと、話を進めましょう」
 そう切り出したのは宗史だ。さすがに話の進まなさ具合に痺れを切らしたようだ。晴が苦笑いを浮かべている。
「要するに、紺野さんのお婆さまのご実家に残されていた書物が、今回の事件の情報源になった可能性がある、ということですね?」
「ああ」
「先ほど書物を確認していないと仰いましたが、それは何故でしょう?」
「それなんだが……」
 紺野はすっかりくだけたようだ。正座から胡坐に代わっている。北原の方も諦めたようで、話を聞く体勢だ。
「宮司に確認したら、一年前に紛失していたらしい。どうやら俺ら警察とあんたら、お互い追いかける人物は同じのようだな」
「は?」
 声を上げたのは宗史と晴だ。
「紛失したって……」
 唖然と問い返す宗史に、紺野の表情が硬くなった。
「実は、それについて少し確かめたいことがあってな。まさかここで見つかるとは思わなかったが……」
 紺野はよっこらせと腰を上げ、昴の前に立ち塞がった。まさかまた組み伏せたりするんじゃ、と危機感を覚えたのは大河だけではない。北原と陰陽師の仲間たちが一斉に緊張を走らせた。
 さすがにここまで警戒されると刑事でなくとも分かる。紺野は深く溜め息をついて、両手を上げた。
「もう手ぇ上げたりしねぇって。聞きたいことがあるだけだ」
 勿体ぶってはいるが、話の流れから紺野が昴に何を聞きたいのかは明らかだ。先に切り出したのは昴の方だった。
「叔父さん、まさか、僕がその書物を盗んだって言いたいの?」
「察しがいいな」
「何で、僕がそんなことする必要があるの」
 俯いて顔を上げようとしない昴の前に、紺野は片膝をついてしゃがみ込んだ。
「昴、お前は十三年間あの場所で暮らした。お前が盗んだと疑われても仕方がない。俺は刑事だ。分かるな?」
 語りかけるように、だが甘えのない声だった。
 しばらく緊張を孕んだ空気が流れ、昴がゆっくりと顔を上げた。痛々しいくらい傷付いた、今にも泣き出しそうな顔だ。
 真っ直ぐに紺野の目を見据えて訴える。
「僕は、そんな話し聞いたことない。書物があることも、知らなかった」
「本当だな?」
 こくりと頷く。
「断言できるな?」
 容赦なく問い詰める紺野の顔は、刑事のそれだった。
「知らない。僕は何も知らない。そんな話し知ってたらこんなにも悩まなかった。僕も、母さんも……」
「なら何故二年前、黙って家を出た」
「……叔父さんは、僕が何て言われてたか知らないでしょう?」
「どういう意味だ」
 昴は言い辛そうに口ごもると、意を決したように語った。
「どうしてなのか分からないけど、学校でも近所でも、母さんのことが話題になってた。頭がおかしくなって病院に入ってるって。頭がおかしい母親から生まれて捨てられた子供だって、そんな子供もおかしいんじゃないかって、ずっと言われてた」
「豊さんたちは、知ってたのか」
「知らない。皆、分からないように影で言ってたから」
「何で言わなかった! 豊さんに言えないのなら俺に……っ」
「言えると思う!? 叔父さんにとっては実の姉でしょう!? 頭がおかしいって言われて黙っていられるの!?」
「っそれは……っ」
義父(とう)さんだって、身内のことそんな風に言われて黙ってるような人じゃないのは僕が一番よく知ってるし、宮司が近所の人たちと揉めるわけにはいかない。でも……っ何も知らない奴らに母さんのことそんな風に言われて耐えられなかった! だから家を出た! それ以外方法がなかったんだよ!」
 くしゃりと昴が顔を歪ませて、吐き出すように訴えた。わずかに紺野の瞳が揺らいだ。だが、静かに息を吐いて目を伏せ、開いた目からは一切の揺らぎは消えていた。
「この二年、どこで何してた」
「……派遣のバイトに登録して、ネットカフェを転々としてた。一年前、派遣先で霊現象の相談に乗ってくれる陰陽師がいるって噂を聞いて、必死に探してここに来た。紹介状がないと受け付けてくれないって聞いたから、直接会って相談に乗ってもらおうと思って」
 今時なら、携帯一つで仕事は探せる。当時未成年だった昴は賃貸契約ができなかっただろうが、家がなくても日銭が稼げればネットカフェや安価なカプセルホテルで雨風はしのげる。辻褄は、合う。
「本当ですよ」
 会話に割って入ったのは明だ。
「彼が来たのは一年前です。かなり困っている様子でしたので特別に話をお聞きしました。彼の置かれていた状況も理由の一つですが、かなり霊力が強いように見えましたので、こちらの事情を説明して寮に入っていただきました。間違いありません」
 明の説明に、寮の皆も大きく頷いている。嘘をついているようには見えない。紺野は逡巡し、息を吐いた。
「分かった。信じよう」
 紺野は短く告げて立ち上がると、黙って席に戻り腰を下ろした。
「刑事さん」
 越智が口を開いた。
「盗まれたと分かった時、何故宮司は警察に通報しなかったのですか。すぐに通報していれば手掛かりがあったかもしれないのに」
「宮司が書物のことを知ったのは小学生の頃だったそうだ。だが本人を始め親族内に霊感を持つ者がいなかったせいもあって、まったく信じていなかったらしい。そのためつい一年前まで忘れていたそうだ。書物がないことに気付いたのがちょうど夏祭りの忙しい時期で、見落としたんだろうと思ってそのまま気にしなかったらしい」
「なんと……」
 越智が呆れた溜め息をついた。言いたいことは分かる。神社の所有物は、歴史的価値がある可能性がある。それをおざなりにするとは宮司として自覚が足りない。そう言われれば返す言葉もない。だが、もう後の祭りだ。
「今から調べてもらうことは……」
 漆原が言った。
「紛失していることに気付いたのが一年前で、それ以前にすでに盗まれていた可能性もある。それに、一度掃除をしているらしいから、下足痕(げそこん)はおろか盗む時に手袋をしていれば指紋も出ねぇだろうな。防犯カメラはあるが、さすがに一年以上も前の映像を残してねぇだろ。今さら調べても無駄だろうよ」
 淀みなく一蹴され、男はそうですかと肩を落とした。
 事件の情報源がおそらく紺野の祖母の実家の神社であることは分かった。そして、唯一の容疑者であった昴の疑いも晴れた。だが、それゆえに新たな謎が生まれた。
 おもむろに律子が口を開いた。
「書物を盗んだ犯人と、犯人が書物の在り処を知り得た手段。鬼代神社の事件、鬼の行方と共に、そちらも調べる必要がありますね」
 一斉に重苦しい溜め息を漏らした。警察同様、こちらも特別な情報を持っているわけではない。地道に情報を集めるしか術はない。
「紺野さん、北原さん」
 沈黙を破ったのは宗一郎だ。
「重要な情報の提供、感謝致します。できれば、これからも何かあればご報告をお願いしたいのですが。もちろん、こちらも何かあればご報告致します」
「そりゃ、そうしてもらえればこっちも助かるが……ただ、俺たちは警察の人間だ。本来捜査上の情報は提供できない。だから今回と同じ、警察には不要、だがあんたたちには有益な情報だけだ。それでもいいのなら協力しよう」
 つまり、今回紺野たちが情報を流したのはそれが理由なのだろう。警察が鬼や陰陽師やらのおとぎ話を信じるわけがない。警察にとってその手の情報は不要なものだ。だが、こちらにとってはそうではない。捜査が進まない今、わずかでも事件解決への糸口となるのなら、陰陽師と手を結ぶことを選んだのだろう。
 ただの暴力刑事じゃないんだ、と大河は紺野への印象を少し変えた。
「構いません。よろしくお願いします」
 宗一郎は頭を下げると、今度は末席の宗史と晴に視線を投げた。
「宗史、晴」
「はい」
 宗史と晴の畏まった声が重なった。
「お前たちは、引き続き寮の者と協力して哨戒、調査を担当してもらう。一日に一度は必ず私と明殿に詳細な報告を上げろ。それと、寮の者は二人一組で行動することを厳守だ」
「はい!」
 寮の者、全員がまるで軍隊のように揃った返答をした。
 宗一郎が話を始めた途端、空気が変わった。張り詰めてはいるが、自然と背筋が伸びるような、心地よい緊張感だ。
 それが宗一郎個人の人柄によるものなのか、それとも陰陽師家当主たる者の特徴なのか、大河には分からない。だが、心地の良い低く落ち着いた声が響く中、宗一郎の一語一句を聞き逃さないようにと、皆が集中して耳を傾けたのが分かった。
 こういう人をカリスマって言うんだろうな。大河は頭の片隅でそんなことを考えながら、宗一郎を眺めていた。
「他になければ本日の会合は以上……」
「お待ちください宗一郎殿!」
 ぴく、と大河の小鼻が膨らんだ。せっかく心地良く眠っていたところを無理矢理叩き起こされた気分だ。言わずもがな、草薙だ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み