第6話

文字数 2,788文字

           *・・・*・・・*

 やはり、少々体が重い。
 上から襲ってきた皓の拳を、柴は両腕を交差させて防ぎ、後ろの木へと後退した。追いかけるように皓の拳が連続して何発も打ち込まれる。
 視界の端で、志季が式神の攻撃を受けて落下し、紫苑が逃げるように森へ飛び込んだ悪鬼を追った。
 顔面を狙った蹴りが飛んできた。がっしりと細い足首を掴むと、一回転して勢いのまま森の中へ向かって放り投げ、即座にあとを追う。
 落下したであろう地点に軽い所作で着地し、柴は静かに周囲を見渡した。地面には、皓が着地したらしい窪みは残っているが、本人がいない。
 高まっているのは、宗史と晴の霊気。甲高い破裂音と剣戟の音が響く。ほぼ同時に、悪鬼の気配が消えた。紫苑の方からはまだ感じ取れるが、順調に減っている。
 とはいえ、よほど強力な悪鬼らしい。紛れて感じ取りづらくはあるが、相手は旧知の仲だ。微かな気配でも十分。
 不意に、右からそのよく知る気配が感覚に触れた。
 ひょいとしゃがみ込んだ柴の頭上を、拳が素通りした。片手を地面について片足を伸ばし、皓の足元を狙って振り抜く。皓は後方へ飛び退いた。
 柴は一回転して止まり、低い姿勢のまま皓を見上げた。しばし、二人の間に沈黙が落ちる。
 やがて皓が溜め息をついて、顔をしかめた。
「やっぱり動きづらいわね。それより、柴」
 一つぼやいたと思ったら、腰に両手をあてて胸を張った。
「何よ、その恰好は」
 突然の苦言に、柴は逡巡しながら立ち上がった。何かおかしいだろうか。
「髪を切ってイケメン度が上がったんだから、服を着なさいよ、服を。もったいないわね」
 いけめん。大河もそんなことを言っていた。確か、顔立ちの良い男、という意味だったか。
「今度会う時は洋服を着てきなさい。紫苑にもそう言っておいて、いいわね」
 まるで見下ろすような目付きと命令口調に、柴はゆっくりと首を横に倒した。一体何の話だ、と今さらながら思う。ただ、「今度」と言った。やはり、ここで殺すつもりはないらしい。
「まったく。せっかくなんだから、もっと楽しめばいいのに」
 顔をしかめ、ぶつぶつと不満そうにぼやく皓の言葉に、柴は思い出す。大河と華も、似たようなことを言っていた。せっかくなんだから、と。
 柴は静かに皓を見つめ、言った。
「では、何故お前は、奴らに協力する?」
 楽しめというのなら、こんな血生臭いことに関わらなければいい。柴が問うと、皓は「あら」といった顔をした。
「何言ってるのよ。あれから千年も経ってるのよ? 情報は必要でしょ。それに、あたしたちだって食べなきゃ生きていけないもの」
「情報を得、食うために、奴らに協力しているのか」
「そうよ。それに、協力してくれれば寝床もくれるっていうから。いいわよね、ベッド。布団も柔らかくて気持ちいいわ」
 昔から何かにつけて面白がる傾向はあったが、千年経っても健在らしい。格好といい、言葉通りこの時代を謳歌しているようだ。潜伏場所を問い質したいところだが、さすがに答えないだろう。いや、それよりも。食料を交換条件としているのなら、こちらが把握している以上の人間が食われている。
「でも、やっぱり窮屈ね。あの頃も誰かれ構わずってわけじゃなかったけど、この時代は殺しちゃうと何かと面倒みたいだし。精気も吸い尽くすわけにはいかないから、結構手間だわ」
 皓はうんざりした顔で嘆息した。
 人の世に法があるように、鬼にも決まりがあった。人が絶えれば鬼も絶える。ゆえに、子供や年頃の男女を襲うことは良しとされず、ある程度の制限があった。ただ、ちょうどその年の頃の人間が一番美味いのは確かで、欲のまま食い散らかす配下にない鬼たちと、何度も刃を交えた。
「罪人か」
「ええ」
 精気はともかく、罪人以外の人間は食うなと言い含められているのだろう。
 しかし、そもそもこの戦自体――いや、千代と隗がこの戦に関わっていること自体が、不可解なのだ。千代と隗は、人の滅亡を望んでいたはず。にも関わらず、罪人に限った条件を飲むだろうか。それとも、何か目的があってのことなのか。
 それに皓。紫苑から、同じ質問をしたがはぐらかされたと聞いている。それが何故、ここにきてあっさり白状したのか。ただの方便か、それとも気が変わったのか。理由としては真っ当だが、彼女は気まぐれだ。鵜呑みにはできない。
「ならば何故、私たちに協力した?」
「協力?」
 皓は小首を傾げ、閃いたようにぽんと手を打った。
「ああ、隗が勝手に公園で昴を襲った日のこと?」
 勝手。やはりあれは隗の独断だったか。
「そうだ」
「言ったでしょ。特に理由なんかないわ。ただの気まぐれよ、気まぐれ」
 そう言って、皓はふふふと笑った。
 あの時、紫苑と二人がかりでも結界を破ることはできた。けれど、体力が万全でない上に寮の場所を知らなかったため、隗の気配は追えても皓がいなければもっと時間がかかっただろう。皓の協力があったからこそ、助けられた。
 結果だけを見ると、皓が完全に奴らの仲間になったとは思えない。だが彼女の性格を加味すると、可能性は半々。
「勝手にと言ったが、隗は何故、そのようなことをした」
「さあ? 気が変わったとは言ってたけど、正確なことは分からないわ。でもまあ、ある程度の察しはつくわね」
「何だ」
「そのうち分かると思うわ」
 皓の口元に、意味深な笑みが浮かんだ。
「隗が、あたしたちを裏切った理由もね」
 柴は驚いたように目をしばたいた。皓は、裏切った理由に気付いているのか。
 話せ、と口にしようとしたその時、上だ、と叫ぶ宗史の声が木霊した。弾かれるように揃って上を見上げる。何があった。柴が両足を踏ん張ると、今度は上空から大河が真言を唱える声が響いた。同時に、紫苑がいるであろう方角から感じていた悪鬼の気配が消えた。紫苑の方が早いか。
「あの子、大河って言ったかしら」
 上を見上げたまま、皓がぽつりと呟いた。大河の霊気が一気に膨れ上がる。
「影綱と、全然似てないわね」
 どこか寂しげな、落胆したような声だった。
 あの頃、皓は「変な奴ね」と言いながらも、影綱に会いに来ていた。もちろん会えない時もあった。けれど、会えば美しい野花が群生する場所や、山菜や薬草がよく採れる場所を教え合い、他愛のないことで笑い合っていた。人と鬼が、穏やかな時間を共にしていた。
 影綱の霊力を受け継いだ大河に、皓は面影を追ったのだろう。けれど――。
「いや、そのようなことはない」
 皓が、静かな声で断言した柴に視線を戻した。一度瞬きをし、微かな笑みを浮かべる。
「そう」
 確かに、姿形は似ていない。けれど、胸の内は、とてもよく似ている。
「さてと」
 皓が、気を取り直すように息をついた。
「悪いけど、行かせるわけにはいかないわ」
 そう言って向けられた不遜な笑みに、柴は一瞬だけ目を伏せた。
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