第1話

文字数 3,214文字

 児童養護施設では、死別、育児放棄、虐待、病気療養や長期入院などで養育ができないなど、様々な事情を抱えた児童が生活を共にしている。
 春平、弘貴、夏也が育ったのは、右京区にある児童養護施設ひまわり園だ。少し小高い場所に建ち、定員は四十五名。春は花見、夏はキャンプや海水浴、秋は紅葉狩り、他園との交流野球大会、冬はクリスマス会にスキー教室、正月は餅つき大会と、他にもたくさんの行事が行われ、その中の一つ、夏祭りが今日、催される。
 ひまわり園では、在園児童らの保護者や卒園した子供たち、近所の住民らを招き、ボランティアの屋台だけでなく、子供たちが考えた屋台も並び、最後は花火が配られて毎年大賑わいだ。
 春平たちの元へ案内が届いたのは、一か月前。そして今日の午前中に、角谷勇介(かどたにゆうすけ)からも連絡が入った。施設にいる友人で同じ高校に通う、活発で陽気な同級生だ。
 しかし、こんな状況で参加するのはいかがなものか。もちろん、子供たちの様子も気になるし友人もいる。夏休み前に鬼代事件が起こって行動が制限されたため、ろくに遊びにも行けていない。他の友人からの誘いも「ちょっとその日は」と言って断り続けている。本音を言えば、一日くらいと思わなくもない。けれど今は、気持ちに余裕がない。
 どうするか迷っている間に弘貴が茂たちに相談し、さらに宗一郎と明へ話しが回っており、行ってきなさいと許可が下りた。気分転換にいいだろうと。
 毎年、参加するのは春平たちだけでなく、茂や華、双子も一緒だった。だが今年は、双子は不参加だ。何かあった時、危険に晒すわけにはいかない。とはいえ、春平たちだけでは少々心許ないので、茂だけ同行することになった。
 昴は敵だと知らされ、柴と紫苑も不在。その上、毎年楽しみにしていた夏祭りにも行けない。案の定、双子はごね続け、しまいには泣き喚いてふてくされ、そのまま寝落ちした。
 まずかったかなと、行きづらそうな顔をしている春平たちに、
「大丈夫よ、気にしないで楽しんできなさい。今日は大河くんたちも帰ってくるし、かき氷でも作ってあげれば機嫌直してくれるわよ」
 華はそう笑って送り出してくれた。茂の提案で、帰りに花火を買って帰ることにした。
 午後五時過ぎ。近くのコインパーキングに車を停めて施設に到着した時には祭りは始まっていて、ざわめきと賑やかな笑い声が響き、近所の住民だろう人々が続々と園内へ入って行く。浴衣を着た女の子が、歓声を上げて春平たちの横をすり抜けた。以前来たのは中間テストが終わった直後だから、三か月近く前になる。
 門の前で、勇介が会場の案内チラシを配っていた。
「勇介」
「おー!」
 弘貴が声をかけると、勇介はぱっと顔を明るくし、チラシ片手に大きく手を振りながら走り寄ってきた。
「うぇーい!」
 陽気な掛け声と共に、弘貴、春平、夏也、茂と順にハイタッチを交わす。自然と笑みがこぼれ、春平は無意識にほっと肩の力を抜いた。
「同じ学校なのに、めっちゃ久しぶりって感じだな。夏也姉もおじさんも、お久しぶりです」
「お久しぶりです、勇介くん。元気そうですね」
「久しぶり」
「うん、すげぇ元気。あれ、今日はお姉さんと双子いないんすか?」
「うん。ちょっと用事があってね」
「なんだ、残念」
「あー、弘貴お兄ちゃんたちだー!」
 今度は小学生くらいの少年少女数名が、春平たちの姿を見るなり一斉に駆け寄ってきた。勇介は私服だが、各々浴衣やじんべいを着ている。
 あっという間に取り囲まれて、抱きつくというよりは激突するといった方が正しい勢いでしがみつかれる。
「うわっと。お前ら、ちょっとは加減しろよー」
「皆、久しぶり。元気だった?」
「皆さん、元気そうでなによりです」
「皆、元気だねぇ」
 頭を撫でてやると、子供たちはくすぐったそうに肩を竦める。高学年くらいだろうか。小さな子供たちを笑顔で見守っていた一人の少女が、茂を見上げてからきょろきょろと辺りを見回した。
「おじさん、綺麗なお姉さんとあの子たちは?」
「今日はちょっと用事があってね、来られないんだ。ごめんね」
 なんだー、と残念そうな声が上がり、茂は嬉しそうに微笑んだ。残念がるほど楽しみにしていたと知れば、やはり嬉しいだろう。
「そんじゃ、お姉さんと双子の分まで楽しんでってくださいね。そしてこいつらの面倒よろしく」
 勇介が笑顔で本音を付け加えてチラシを手早く春平たちに配り、行ってらっしゃーいと背中を押して送り出す。
「スーパーボール取って、スーパーボール!」
「あー、ずるい。射的が先だって」
「ヨーヨー釣りしようよ!」
「輪投げしたい!」
「はいはい。じゃあ皆、適当に休憩所で。弘貴くん、お小遣い使いすぎないようにね」
「子供じゃないから!」
 好き勝手に言う子供たちに手を引っ張られながら、春平たちは会場のあちこちに散らばった。
 来園者は実費だが、在園児童には手作りの引き換えチケットが配られる。たこ焼きや焼きそば、わたあめ、フランクフルト、かき氷などの食べ物系の屋台はもちろん、子供たちが企画したペットボトルを使ったボーリングや、空き缶をいかに高く積み上げるかで景品が変わるゲーム屋台も大盛況だ。
 子供たちと一緒にのほほんとたこ焼きをつまむ茂はともかく、ゲームに負けてムキになる弘貴や、何故か店番をしている夏也に呆れつつも、懐かしさと安堵で気持ちがほぐれていく。真夏の暑さに、屋台から漂う香ばしい香り。子供たちの歓声や人のざわめき。
 まるで、帰るべき場所に帰ってきたような、身が凍る寒さの中で日だまりを見つけたような、そんな感覚。
 寮は好きだ。それぞれ過去を抱え、ひとつ屋根の下で暮らす。小さな問題や不便はあるけれど、いつも笑いが絶えない。人数は違っても、施設と同じだ。
 でも今は、緊張とプレッシャーで、少し息苦しい。
 凄惨な事件の中、宿題や訓練に追われ、こうして許可がなければ外出もできない。さらに、大河のこと。争奪戦についての詳細はまだだが、昨日のうちに無事回収できたことは聞いている。昴たちの過去、これから起こること。
 楽しい思い出ばかりではない。けれど、思い出深いこの場所で何も知らない人たちに交じり、ほんのひと時でも事件のことを忘れたいと思うのは、我儘だろうか。
「じゃあ春お兄ちゃん、あたしたち交代の時間だから行くね」
「しっかりね、頑張って」
「はーい」
 気が付けば、七時を回っていた。
 ひらりと手を振って背を向けた子供たちに、手を振り返す。まだ遊びたいとごねる子供たちを、駄目だよ順番なんだからと諭す彼女は、五年ほど前、全身に痣を作ってここへ来た。鋭い眼差しで大人を敵視し、触れられることを極端に嫌がった。それが今では、小さい子供たちの面倒をよく見る優しいお姉さんだ。
 春平は口角を緩め、休憩所へ足を向けた。
 会議テーブルと折り畳み椅子で簡易的に作られた休憩スペースの一角では、茂がペットボトル片手に優しい目で会場を眺めていた。一緒にいたはずの子供たちは、店番に行ったのだろう。
「あ、春くん。楽しかったかい?」
「はい。弘貴と夏也さんは?」
「弘貴くんは缶を積むゲームにハマってて、夏也さんはまだ子供たちと一緒だよ。そろそろ帰らないといけないんだけどねぇ」
「弘貴、またやってるんですか? 今月のお小遣い大丈夫かな……」
 学生組へは、毎月決まった額の小遣いが定期代込みで支給され、仕事をすればその分が上乗せされる。洋服代などの雑費は茂たちが先に立て替え、あとで寮費として報告することになっているが、誕生日やクリスマスプレゼントとして貰ったりすることの方が多い。弘貴と共有で使っているパソコンも、二人分のクリスマスプレゼントとお年玉の代わりに買ってもらったものだ。ハイスペックではないが、授業の課題で使ったり報告書を書いたり、あとは調べ物をしたりする程度で不便はない。
 眉をひそめてぼやいた春平に、茂が空笑いした。
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