第11話

文字数 5,534文字

 下平と冬馬が良親の部屋を訪れていた頃、大河たち四人は和室でへたり込んでいた。すっかり陽が落ちて、辺りは真っ暗だ。
「や、やっと終わった……」
「この短時間でよくやった、頑張った俺ら!」
「僕、掃除に慣れてて良かったって心の底から思った……」
「あの、皆ありがとう。本当にありがとうございます」
 疲労困憊の顔で後ろ手をついた大河、四つん這いの弘貴、胡坐を組んだ春平に、香苗が正座をして深々と頭を下げた。
 せめて七時、遅くても八時までには終わらせないと近所迷惑になる。それに父親と女がいつ帰って来て、また横暴なことを言い出さないとも限らない。さっさと終わらせてさっさと退散するに限る。
 途中からスピード優先で進めることにしたため、よくよく見れば気になる部分はあるが、来た時よりも格段に綺麗になったのだから手抜きと言われる筋合いはない。
 発掘された衣類やタオルなどは、ベランダに積み上げられたゴミ袋のせいで干せるはずもなく、そもそもそこまでしてやる義理もないと、洗濯かごと段ボールに押し込んで洗濯機の側に放置してある。その他、破棄していいのか分からない物も、キッチンカウンターの下に合計五箱、揃えて置いた。
「で、あとはゴミ捨てだけど、あの量って出して大丈夫なのか?」
「それ以前に、明日ってゴミの日じゃないよね」
 言いながら弘貴と春平は視線を投げて、難しい顔をした。視線の先にあるベランダには、不燃ゴミはなかったが、可燃ごみと資源ゴミ、新聞紙などの古紙が山積みにされている。ゴミの日ではない日に出すのは、当然マナー違反だ。それにあの数を全て出すと、確実に歩道を塞ぐ上に道路にはみ出す。
「あの、あたしもそれ気になって調べたんだけど……」
 香苗が申し訳なさそうに言った。
「ここまでの量になると、多量ゴミって言って、ゴミの日にちょっとずつ分けて出すか、自分で回収業者に頼んで回収してもらうか、あとはゴミ処理場に持ち込むしかないの。しかも、お金がかかるみたいで……」
「えっ、そうなの?」
 行政が無料で回収してくれないのか。ゴミの日に少しずつ出すにしても、この量を全て出し切る頃には夏が終わっていそうだ。生ゴミが怖い。
「ふーん。でも、どっちにしろ明日は出せねぇんだし、大体そこまで俺らがやる必要ないだろ。ここまでやってやったんだからあとは自分たちで何とかさせようぜ」
「同感。自分たちが出したゴミだし」
「大人だしね」
 弘貴の言い分に大河と春平が大きく頷いた。
「てことで」
 よっこらせと腰を上げた弘貴に倣って、大河と春平も立ち上がった。
「帰るぞ、香苗」
 ほら、と手を差し出した弘貴に、香苗は恥ずかしそうな笑みを浮かべて頷いた。
 力強く手を引っ張られて立ち上がった香苗に、春平が言った。
「そうだ。香苗ちゃん、携帯持ってるよね。終わったって報告してくれる?」
「あ、うん」
 香苗は鞄のサイドポケットを探り、ふと振り向いた。
「……春くんたち、携帯は?」
 掃除をしている間にすっかり慣れたようで、当たり前のように名前を呼んだ香苗に、春平が嬉しそうにはにかんだ。
「置いてきたんだ。寮を抜け出したのバレるから。ていうか初めから読まれてたと思うけど」
 え? と香苗が目を丸くし、大河が口を挟んだ。
「あ、やっぱり春もそう思う?」
「うん。宗史さんたちが僕たちの行動パターン読めないわけないよ」
「てことは、宗史さんたちも香苗のこと心配して、わざと俺らを行かせたってことか。じゃあ初めから行かせてくれりゃいいのに」
「それは無理じゃない? 敵の罠かもしれないのに、わざわざ行かせないよ。絶対しげさんたちが反対する」
「そりゃそうだけど……」
 えーでもさぁ、と不満そうな顔でぼやきつつ帰り支度をする弘貴たちに、香苗が焦った様子で口を挟んだ。
「あの……っ、抜け出してきたって、どういう……」
 と、ガチャンと玄関の扉を開く音に香苗の言葉が遮られ、とたんに弘貴が舌打ちを打った。
「帰ってきやがった。急げ」
 弘貴の指示に慌てて全員が鞄を掴む。
「あ? 何だこの靴。おい香苗! 誰か来てんのか!」
 無駄な大声と荒い足音がこちらに向かってくる。弘貴を先頭に和室を出たところで、父親と女がリビングに入り、とたん父親が顔をしかめた。
「お前ら、あそこにいたガキ共じゃねぇか。おい香苗、なんでこいつらがここにいるんだ」
 じろりと睨まれ、香苗は怯えた顔で胸の鞄を強く抱きしめた。代わりに口を開いたのは弘貴だ。
「そんなのどうでもいいだろ。見た通り掃除終わってるから、俺ら帰る」
 行くぞ、と大河たちを促して脇をすり抜けようとした弘貴の前に、父親が立ちはだかった。
「待て待て。まだ終わってねぇ」
「は?」
 心の底から不愉快そうな顔をした弘貴に、父親がベランダに向かって顎をしゃくった。
「ゴミ出しまでが掃除だろ。出してこい」
「はあ!?」
 掃除をしない奴がよくも偉そうに。今にも掴みかかりそうな勢いで声を上げた大河と弘貴を制したのは、春平だ。
「待って二人とも」
 春平は弘貴の隣に進み出て、臆した様子もなく真っ直ぐ父親を見上げた。
「出せないんです」
「あ?」
 どうやらゴミの日を把握していないらしい。なるほど、あの惨状も頷ける。
「明日はゴミの日じゃないですし、あの量になると多量ゴミと言って、出しても回収してくれないそうです」
「はあ? そんなわけねぇ。ゴミはゴミだろ」
「はい。ですが、そういう決まりだそうなので、僕たちにはどうにもできません。ご自分で小分けにしてゴミの日に出すか、ゴミ処理場に持ち込むか、回収業者に依頼してください。携帯で調べれば詳しいことは分かります。僕たちにはこれ以上は無理です」
 きっぱり言い切った春平に、大河は心の中で拍手喝采した。これで反論できるならしてみろ、と言いたげに見上げる大河たちに、父親はふんと鼻を鳴らした。
「そんな決まり知るかよ。こっちは税金払ってんだ、出しときゃ回収すんだろ。ほら、屁理屈捏ねてないで出してこいよ」
 屁理屈の意味を間違えている。常識もルールも通用しないらしい。
「あんた……」
「やめた方がいいんじゃない?」
 大河の声を遮ったのは、黙って成り行きを見守っていた女だ。どちらに言った言葉なのか分からず、思わず口をつぐむ。女は手に持っていた携帯をバッグに入れて、父親を見上げた。
「ゴミババアがうるさいわよ」
 ゴミババアとはまた奇怪なあだ名だ。父親は眉をひそめ、舌打ちをかました。
「あいつか。ったく、いちいち人んちのゴミ漁って分別チェックしてんじゃねぇよ暇人が。さっさと死ね」
 どうやら分別に厳しい近隣住民がいるらしい。溜まったゴミは、ゴミの日を把握していないだけではなく、そのゴミババアなる人も原因の一つのようだ。だが、ゴミが出た時に分別をすればいいだけの話で、死ねなどと悪態をつくほどのことではない。実際に分別して分かったのだが、やってみると思っていたほど難しくない。ビンの色分けをしなければいけないとか、古紙はビニール紐で縛ってはいけないとか、もっと細かい決まりがある地域や県もあるらしいと春平が言っていた。それを考えると、たかが可燃ゴミと資源ゴミの分別など何ということはない。
 それはともかく、女が止めてくれたのは意外だった。ゴミババアがよほど鬱陶しいのだろうが、それでもこれ以上口論にならずに済んだ。ゴミババアさんもありがとう、と大河は合掌した。だが。
「どっかその辺に捨ててくればいいでしょ」
 女が信じられないことを口走り、大河たちは言葉を失った。
「ああ、そうだな。この人数いるし、バンもあるから押し込めば積めるだろ」
「はあ!?」
 再度大河と弘貴が素っ頓狂な声を上げた。
「それ不法投棄だろうが!」
「手ぇ貸すわけないだろ! 皆、行こう!」
 弘貴と大河の抗議に、父親はうるさそうに顔を歪めた。何言ってんだこいつら、と顔に書いて、弘貴、春平、香苗の順に父親と女の横をすり抜ける――と。
「や……っ」
「おい!」
 女が香苗の抱えていた鞄に素早く手を伸ばして奪い取った。弘貴と春平が驚いた顔で振り向く。
「何やってんだよ!」
 まさかのことで反応が遅れた。香苗の背後から咄嗟に伸ばした大河の手を女が鞄を高く上げて交わし、その拍子にサイドポケットに入れていた携帯がするりと落ちた。ごとんと鈍い音をさせた携帯に向かって、大河と女が同時に手を伸ばす。先に掴んだのは、大河に鞄を押し付けて阻んだ女の方だった。
「返せ!」
 鞄を胸に抱えたままもう一度手を伸ばした大河の腕を掴んだのは、間に割って入った父親だ。女はしらっとした顔で数歩下がり、携帯をいじる。
 弘貴が春平を押し退けて女の方へ踏み出すと、父親がじろりと睨んだ。
「指一本でも触ったらセクハラで訴えるぞ」
 今度は反論の声すら出なかった。滅茶苦茶だ。人の携帯を無理矢理奪っておいて何故被害者面をしようとするのか。呆然とする大河たちに、父親はしたり顔を浮かべる。
「やっぱり。そうじゃないかと思ったのよね」
 女が得意げに言って、嘲笑うかのような薄い笑みを浮かべた。
「何だ?」
 父親は大河の腕を離し、しかし注視しながら女のところまで下がった。
「GPSよ」
「GPS?」
「そう。こいつらGPSを設定してる。これ、多分あそこにいた奴らよ。近くにいるわ。なんで来ないのかは分からないけど、まあ好都合ね」
 父親に携帯の画面を見せながら、女は勝ち誇ったような顔で大河たちを見やった。何故GPSのことが分かったのだろう。まさか、この女は敵なのか。
「マジかよ。じゃあ、この場所が分かったのはこれか」
「そ。あたし、元彼にGPSで行動を監視されてたことがあったから、もしかしてって思ったのよね」
 女が弘貴で視線を止めた。
「初めはGPS設定されてることに気付かなくて、どうやって分かったのかって聞いたらね、あんたと同じこと言ってたわ。そんなのどうでもいいだろってね」
 弘貴がぐっと唇を噛み、鋭い目で女を睨み付けた。
「だから何だよ。あんたらに関係ねぇだろ、返せ」
「関係があるから確認したのよ。言ったでしょ、ゴミなんかその辺に捨てればいいって。返して欲しかったら言うこと聞きなさい」
 ニヤついた笑みで携帯を左右に振る女の隣で、父親が喉を低く鳴らして笑った。相手が大人だとはいえ、日々樹たちを相手に訓練しているのだ。容易に取り返せる。
 弘貴と春平も同じことを考えたのだろう、静かに息を整えた。だが。
「いらないなら別にいいけど、携帯なんて個人情報の宝庫でしょ。欲しがる奴はいくらでもいるわ。確か高校生よね。学校の友達も登録してあるんじゃないの? 女子高生の情報って、いくらくらいになるかしらねぇ。それとも、その子の情報を拡散されたい? 写真付きの方がいいけど、名前と住所と携帯番号、それとちょっとメッセージを付けて晒せば、どっかの馬鹿な男共が釣れるわよ」
「な……っ」
「あ、そうだ、すげぇ美人いたろ。名前なんだ? 手当たり次第にかけりゃ分かるか」
 ふざけんな! と大河たちが口を開くより先に、父親が微塵も気にする素振りを見せず話を逸らし、携帯に手を伸ばした。女がむっとして携帯を遠ざける。
「ちょっと、あたしの前でよく浮気宣言できるわね」
「え? いやいや冗談だって」
 げらげらと下品な笑い声を響かせる二人に、最低だな、と弘貴がぼやいた。最低なんて言い方は生ぬるい。不法投棄を何とも思っていない感覚もだが、それ以上に自分の娘の情報を人質にされたというのに怒ろうともしない父親の態度が最低最悪だ。後ろにいる香苗は、どんな思いでどんな顔をしているのだろう。
「分かりました」
 承諾を口にしたのは春平だ。
「手伝ったら、返してくれるんですよね」
 もう、それ以外の選択肢がない。女の口元が弧を描いた。
「決断が早くて助かるわ。でもその前に、あんたたちもGPS設定してるわよね。携帯出しなさい」
「持って来ていません」
「そんなわけねぇだろ。この期に及んで無駄な抵抗してんじゃねぇよ」
「本当です。家から出るなと言われていたので、ここへは住所をメモしてタクシーできました。荷物を確認しますか?」
 女が香苗を一瞥して、大河たちを一人一人舐めるように視線を動かした。携帯を服のポケットに入れていないか確認しているらしい。冬服なら分からないが、夏の薄着だと重さや膨らみから分かる。
「後ろを向きなさい」
 言われるがまま後ろを向く。非常に不愉快だが、触られて独鈷杵や霊符を取り上げられずに済んだのは幸いだ。
「その場で鞄をひっくり返して荷物を出しなさい。出し終わったら鞄を置いて後ろの部屋に下がって。おかしな真似したらその子の情報拡散するからね」
 個人情報を晒すことはもちろん違法だが、こいつらならやる。
 おかしな真似してんのはお前らだボケ! と大河は歯噛みして後ろを振り向き、押し付けられた鞄を香苗に返した。ごめんなさい、とごく小さく呟いた声は、震えていた。
 言われるがままリュックの口を開けはじめた春に倣い、大河と弘貴もしぶしぶと鞄をひっくり返す。と言っても、財布と着替えくらいしか入っていない。
 鞄を置いて四人が和室へと下がると、父親が拾い上げてポケットの中まで確認する。
 大河はニヤニヤと笑みを浮かべる女を一瞥した。GPSといい、不用意に近付かないところといい、妙に手慣れている。過去にもこうやって人を脅したことがあるのだろう。そもそも、ゴミ一つでここまでやる神経が信じられない。こんなことをしている暇があったら業者に連絡すればいいのに。大体、こうなったのは自分たちの怠惰のせいだろう。何故人にその処理を押し付ける。
 考えれば考えるだけ怒りが増していく。

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