第2話

文字数 2,481文字

「さて。では、美琴」
「はい」
 笑いを噛み殺した宗一郎が風呂敷へ手を差し出した。美琴が少し緊張した面持ちで腰を上げると、満面の笑みの千作が手を振った。皺だらけで荒れた、無骨な手だ。美琴は戸惑い気味に浅く会釈し、ディフェンス組からは鋭い視線が飛ぶ。
 手を振るのも駄目だなんて、よっぽどやらかしてきたんだろうなこの人、と少しだけ千作を不憫に思いつつ、大河は身を乗り出した。新品の独鈷杵を見るのは初めてで、わくわくする。ガタガタと椅子から立ち上がり、樹たちが集まって来た。柴や紫苑、熊田と佐々木も前のめりになって覗き込み、皆、興味津々だ。
 美琴は風呂敷の前に膝をつき、一度深呼吸をして風呂敷に手をかけた。しゅる、と上品な音をさせて結び目が解かれ、花弁のようにひらりと広がる。
 包まれていたのは、四方から赤の平たい紐でくくられた、長方形の浅い桐箱。ふわりと柔らかな木の香りが漂った。紐を解き、両手を蓋の側面に添えて、ゆっくりと持ち上げる。まるで宝箱でも開けるように丁寧に、慎重に。蓋を横に置き、被せられた白い薄葉紙(うすようし)を左右に開く。
「うわ……」
 お目見えしたのは、サテンの布に埋もれた独鈷杵。思わず感動と意外が混じった、吐息のような感嘆が漏れた。
 ほんの小さな傷も、わずかな曇りすらもない、鈍くも美しい金色。小ぶりで丸みがあり、しかし見るからに重厚感がある。左右の爪(())は、それほど長くない。持ち手の部分は、中央が楕円形に盛り上がり、鱗のような模様が細かく施されている。そこから鈷へ向かって左右に龍が一匹ずつ、持ち手に絡むように彫り込まれている。しかし、繊細にかたどられてはいるが全体的に簡略化されていて、細かな模様が施されている宗史たちの独鈷杵と比べると、ずいぶんとシンプルだ。
 それなのに、伝わってくる躍動感はどこか生々しい。力強く、それでいて優雅で、昨日見た閃の変化した姿を思い出させる。
 これを、あの人が作ったのか。
 美琴が目を丸くして息をのみ、やがて恐る恐る両手で独鈷杵を取り出した。両の手の平に乗せ、食い入るようにじっと見つめるその横顔は、頬がわずかに上気していて、興奮しているのが分かる。
「美琴ちゃん、色味はどうじゃ? あまり派手なのは好まんようじゃから、落ち着いた色にしてみた」
 不意に千作から問われ、美琴ははっと我に返った。
「あ、はい。もっと、キラキラしているのかと思ってたんですけど……」
 美琴が不思議そうに小首を傾げた。
「真鍮は銅と亜鉛の合金でな、配合の比率によって色味が変わるんじゃよ。亜鉛が少ないと赤みを帯び、多ければ黄金色、さらに銀白色と色が薄くなる。ただ、亜鉛の量が多いと、硬度は上がるが同時に脆くもなる。その辺は(なまり)(すず)を添加して問題はないが、独鈷杵は法具じゃ。どのみち酸化するにしても、あまり色が薄いのも威厳がなくなるじゃろう。どうしようか迷ったんじゃがのう。嫌じゃなかったか?」
「はい。このくらいなら大丈夫です」
「おお、良かった。じゃあ、さっそく握って感触を確かめてくれんか」
 ほっとした顔の千作に言われ、美琴はこくりと頷いて右手に収めた。きゅっと握ると、持ち手がすっぽり手に収まり、両側から鈷が顔を出す。
「あ、すごい」
 すぐに美琴が独り言のように呟いた。
「いい具合かの?」
「はい。すごい、全然違和感がないです。ぴったり」
「そりゃあ良かった」
 目を丸くしてすごいを繰り返した美琴に、千作は満足げに笑った。さっきまで宗史たちとくだらない争いを繰り広げていたとは思えない、落ち着いた自信たっぷりの笑み。
 美琴の好みに合わせて素材を選び、装飾のデザインをする。かつ、法具という本来の意味をおろそかにしない。きっと、長い時間をかけて技術や感性を磨き、知識を蓄えてきたのだろう。猫背や手の荒れがその証拠だ。彼は、匠というべき職人なのだ。
 しきたりや陰陽術と似ているなと、久々に思い出した。
「やっぱり、何度見ても綺麗ねぇ」
 うっとりした顔で独鈷杵を見つめる華が、ほう、と感嘆の息を吐く。夏也と香苗が無言で何度も首を縦に振った。
「このサイズでこの龍の完成度かぁ。さすがですね、千作さん」
「そうじゃろう、そうじゃろう」
 褒めた茂に、千作は得意げにふふんと鼻を鳴らして胸を逸らした。
「僕、龍の独鈷杵って初めて見た。すごい」
「俺も。こういうデザインもできるんだな」
「龍、めっちゃかっこいい!」
「いいなぁ、生で見たいです」
 目を輝かせる春平と弘貴と大河、羨ましそうに訴える陽に笑い声が上がり、さらに気をよくした千作がますます胸を突き出す。
 下平が、はー、と感心の息を吐いた。
「すげぇな、こんなちっこいもんに彫刻なんて。俺なら気が狂いそうだ。お前らのもこんな色だったのか?」
「ううん。僕たちのはもっと金ぴかだった。あんまり気にしてなかったから」
「俺は、初めは抵抗がありましたね。でも、使い込むと酸化していい感じになってくるんです」
「へぇー」
 樹と怜司の説明に漏れた二度目の感嘆は、刑事組一同と大河からだ。
 独鈷杵を使っているとはいえ、新品を見るのは初めてだ。大河は、尻ポケットに入れている独鈷杵を上から撫でた。今使っているのは、宗史から借りたものだ。これも千作が宗史のためにあつらえて、初めは黄金色をしていたのだろう。今はすっかり酸化して鈍色だが、それは宗史がたくさん訓練をしたという証でもある。独鈷杵一本に、色んな思いや努力や時間が刻まれているのだ。
 ちゃんと手入れをして、大切に使おう。
「あ、あのっ」
 喜びと感動を握り締めるように感触を確かめていた美琴が、はたと我に返って顔を上げた。両手で独鈷杵を持ち直し、宗一郎から携帯の中の明、作造、そして千作で目を止める。
「ありがとうございます。大切にします」
 ぺこりと頭を下げた美琴に、宗一郎たちが嬉しそうに微笑んで頷いた。
「では、ひとまずしまっておきなさい」
「はい」
 美琴は独鈷杵を丁寧に桐箱へ戻し、蓋をして紐をくくり直す。
 あとでゆっくり見せてもらおう、見たい見たい、と樹たちが騒ぐ中、宗一郎が作造へ視線を投げた。
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