第14話

文字数 2,240文字

 紺野と北原が車内で溜め息に埋もれている頃、樹と怜司は下京警察署の少年課を訪ねていた。
「今日中っつっただろうが」
「今日中でしょ。まだ一分残ってる」
「屁理屈言うな馬鹿」
「目撃者に馬鹿って言う刑事ってどうなの? 未成年助けた一般人に向かってさぁ」
「お前、ちょっと見ねぇ内に生意気になったな」
「大人になったって言ってよ」
「大人は屁理屈なんざ言わん」
「何言ってるの。屁理屈が上手くなってこそ大人じゃないの?」
「誰だそんな馬鹿げたこと言ったのは」
「さあ誰だったかな。それより、調書の確認するんでしょ。早くしてよ」
 ほらほら、と差し出した手を居丈高に振る樹に、下平が盛大に舌打ちをかました。
 少年課に足を踏み入れたとたん、下平という刑事に噛み付かれた。入口を塞いだまま、淡々と口を挟む隙もなく口論を始めた二人を、怜司は呆れ顔で眺めた。
 樹は口が達者ではあるが、刑事をここまで軽くあしらうとはさすがと言うか容赦がないと言うか。それとも、昔からの知り合いだから遠慮がないのか。
 調書を取った時と同じ席に促され腰を下ろすと、下平は調書とペンを机の上に滑らせた。
「内容を確認して、間違ってなければ下の欄にサインしろ。二人ともだぞ」
「はい」
「はーい」
 つらつらと内容を眺める怜司の横から樹も覗き込む。
 内容は間違っていない。丁寧に詳細に、こちらが話したことが忠実に書かれている。けれど正直、たかがこれだけの内容に何故あの女刑事は二時間もかかったのか分からない。よほど理解力がないのか、調書を取るのが初めてだったのか。今日は非番なのか席を外しているのか、姿が見えない。いたらいたで樹の機嫌が悪くなるので、こちらとしては助かった。
 早々に読み終えた樹がペンを取り、象形文字のような字でサインした。
「もっと綺麗に書けねぇのか?」
「うるさいなぁ。困ってないんだからいいでしょ別に」
 樹が下平の苦言に拗ねた声で反論した。日々の報告書はパソコンだ。哨戒ノートは、一度樹に任せたら全員から読めないと苦情が殺到し、それから怜司の担当になった。以前、霊符を描くようになったら全体のバランスが気になって字が多少綺麗になった、と弘貴が言っていたが、どうやら樹には当てはまらないようだ。
「困ってねぇって、そういやお前、今何の仕事してんだ」
「内緒」
「変なことしてんじゃねぇだろうな」
「してない。ちゃんと働いてる」
「……ふーん……」
 納得しかねると言いたげな目付きの下平に、樹が心外とばかりに睨み返した。
「里見くんは同じ会社か?」
「はい。まともな職場ですよ」
 ただし普通ではないが。
「そうか。里見くんが言うなら心配いらねぇな」
 すんなり納得した下平に樹がむっと唇を尖らせた。
「ちょっと、何で怜司くんの言うことは信じるの」
「里見くんは信用できる」
「何で! 会ったばっかりでしょ!」
「刑事の勘だ」
「何それ、くだらない」
「どうぞ、間違いありませんでした」
 このまま放っておけば延々と続きそうだ。遮るように怜司がノック式のペン先を引っ込めながら調書を戻すと、下平はサインを確認して頷いた。
「よし」
「終わりだね。行くよ、怜司くん」
 下平が頷いたところを見るなり腰を上げた樹につられて、怜司も腰を上げる。同時に下平も立ち上がり、声を上げた。
「おい、樹」
 硬い声に、樹が振り向いた。
「お前、最近あの店に行ったか?」
 妙に重苦しい声で尋ねた下平に、樹が怪訝そうに眉を寄せた。
「行ってないけど……何で?」
 首を傾げて問い返した樹を真っ直ぐ見据え、下平はほっとしたように息を吐いた。
「いや、行ってないのならいい。悪かった。帰っていいぞ」
 お疲れさん、と言って下平は調書を持って横を通り過ぎ、席へと戻った。
「行こう、怜司くん」
 言いながら視線は下平に向けたまま、扉へと足を向けた。
 下京署を出て、すぐに予定していた哨戒ルートの南区へと向かう。烏丸通を南へ真っ直ぐ、京都駅の方だ。
 烏丸通は京都のメインストリートとされ、四条烏丸交差点周辺を中心として京都のビジネス街にもなっており、多くの企業や銀行、ホテルなどが立ち並ぶ。そのため、日が変わったこの時間帯は交通量も少なく閑散とする。
 ここ最近、樹の興味は大河に向いている。
 体術や結界をはじめ、一度とはいえ具現化を成功させたあの成長ぶりは目を見張るものがある。そして昼間見せ付けられた、あの尋常でない規模の巨大結界。術に固執する樹の興味をそそるには十分な人材だ。未だ、早く霊符無しで式神を召喚させてやる、と息巻いていたことは大河には黙っておこう。
 いつもなら、巨大結界のことをあれこれと詮索するはずの樹が、今は車窓を流れる街灯やコンビニ、アーケードの明りをじっと眺めたままだ。窓枠に肘を乗せ、拳を唇に押し当てるようにして、微動だにしない。
 おそらく、先日遭遇した件と言うよりは、先ほどの下平の質問を気にしているのだろう。
「怜司くん」
 不意に樹が口を開いた。けれど体勢はそのままだ。
「悪いんだけど、行き先変えてくれる?」
 やっぱりだ。
「分かった。どこだ?」
 すんなり了承すると、樹は一拍置いて言った。
「西木屋町の、アヴァロンってクラブ」
 あの周辺は、客引きがウザいから嫌だと言って、樹があまり行きたがらない地域だ。
「了解」
 怜司は短く了承し、脇道へと進路を変えた。
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