第14話

文字数 5,481文字

 紺野と北原が捜査本部へ呼び戻された頃、晴が合流した寮では訓練の真っ最中だった。
 独鈷杵の訓練は、初めに何を具現化するかを決め、特徴を頭に叩き込む。次に具現化の訓練と、刀ならばそれに合わせてあつらえた木刀などを使用した訓練を同時に進めるのが通例となっている。具現化するまでには時間がかかるため、その間に剣術を身につけ、感覚を慣れさせるのが目的だ。ちなみに宗史は弓矢を具現化すると決めた時、弓道場に通った。
 陽炎のように揺れたあと、ふっと消えた霊刀に樹から溜め息が漏れた。つられて大河も溜め息をつく。
「駄目かぁ……」
「すみません……」
 腰に両手を当てたまま肩を落とした樹に思わず謝った。
「何が駄目なんだろう? 一度は成功させてるんだよね?」
「はい。木刀でしたけど」
 うーん、と唸り、樹は口元に手を添えた。
「霊刀って、反りとか刀身の厚みとか重さをイメージできれば、ぶっちゃけ詳しい構造を知らなくてもいいんだよね。見た目をコピーしてるみたいなものだし、分解するわけじゃないから。オリジナルの刀でもいいけど、実物があった方が想像しやすいでしょ。だから実際の刀を具現化してるんだけど……大河くんの頭じゃ木刀が限界なのかな?」
 真顔で物凄く酷いことを言われた。淡々と理屈を述べて出した結論がそれか。今度は大河が肩を落とした。
 もう少しなんだけどなぁ、どうしよう、と方法を模索する樹から、いたたまれなくなって視線を地面に落とす。
 早朝から始めて、もう何度目だろう。柄や鍔は曖昧で、細さや反り具合は形成できるが安定しない。ゆらゆらと揺れたあと、力尽きたように消える。この繰り返しだ。何度も繰り返した刀のイメージも、もう瞼に焼き付いている。それなのに形成しない。何が原因なのか分からない。
 結界も破邪の法も霊符も、皆が驚くほどの速度で会得できたのに。やる気に実力が追い付かない。付き始めていた自信が、少しずつ薄れていく。大河は周囲に視線を向けた。
 庭いっぱいを使って、弘貴は怜司、春平は晴から体術を、美琴は宗史から陰陽術の訓練を各々受けている。見るからに自分とは違うレベルの動きと、真言の長さ。
「ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウン・タラタ・カン・マン――」
 美琴が真言を唱える声が高らかに響いてくる。先日、樹が真っ二つに叩き割った花壇の石を対象にして訓練中の真言は、その長さから大河でもレベルの高いものだと分かる。
 美琴の真言に反応した霊符が石に張り付き、地面に黄金の五芒星を描いた。
帰命(きみょう)(たてまつ)る、縛鬼滅鬼(ばっきめっき)永劫封緘(えいごうふうかん)千古幽隠(せんこゆうおん)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)
 言い終わるや否や、霊符が光を放ちドーム状に結界を形成した。先日大河が張った結界とほぼ同じ大きさだ。
「美琴ちゃん、不動明王の中呪結界できるようになったんだ。この前始めたばっかりなのに、頑張ったねぇ」
 樹が感心した様子で言った。不動明王の中呪は、確か中級の中でも上位の方の術だったはずだ。それだけ難しい術を一年で会得するなんて。
「うん、ブレがなくなって綺麗な結界だ。あとは強度だな。問題ないとは思うが、一応」
 下がって、と宗史に言われ、美琴が数歩下がった。宗史は霊刀を具現化させて振り上げると、一拍置いて振り下ろした。霊刀を弾き返すようにバリッと火花が散った。
「えっ」
 宗史が力加減を誤ったのだろうか、結界には罅一つ入っていない。いつもなら嘘みたいにすんなり破るのに。
 唖然とする大河とは逆に、宗史は満足気に頷いている。そしてもう一度構えた。正眼の構えではなく、脇構えだ。腰を落とした半身の状態で、右脇に構えた霊刀の剣先を下に向けている。ゆっくりと息を吐いて吸い込み、止めた。一気に両手で刀を振り抜く。大河の結界を破った時とは比べ物にならないほどの甲高い音を立てて、粉々に砕け散った。宗史の気合いの入れ具合といい、それだけ結界の強度が高い証拠だ。
 消えていく結界の破片を確認し、宗史が霊刀を消しながら美琴を振り向いた。
「上出来だ。短期間でよく頑張ったな」
「ありがとうございます」
 わずかに美琴の頬が緩んだ。それを見届けた宗史は、ふと思案顔を浮かべた。
 美琴ちゃんが笑ったとこ初めて見た、と新鮮な気持ちで眺めつつも、弱気以上にふつふつと湧き上がってくる負けん気に、大河は独鈷杵を握る手に力を込めた。
「悔しい、樹さんもう一回!」
 興奮気味に振り向いて催促した大河に、樹がにやりと笑みを浮かべた。
「当然、できるまでやるよ」
「樹さん、すみませんちょっといいですか」
 と大河の気合を削ぐかのように、宗史から声がかかった。怜司と晴にも声をかけている。
「ああ、ちょっと待ってて。何?」
 四人は合流し、何やら話し合いを始めた。弘貴と春平は四人を気にしつつも、乱れた息を肩で整えている。
 待つ間、大河はじっと手の中の独鈷杵を眺めた。何故あの時、具現化できたのだろう。今とどう違うのだろう。
 木刀を具現化した時、摸造刀を振り回すきっかけになった漫画のことを思い出していた。憧れた主人公、迫力ある戦闘シーン、心を打たれた台詞。
「そうだね、いいんじゃない?」
「美琴なら大丈夫だろう」
「器用だからな、あいつ」
「じゃあ、試してみましょうか」
「うん。様子見て、大丈夫そうだったら宗一郎さんたちに報告だね」
「許可が出たら美琴と相談する」
「分かりました、お願いします」
 どうやら話がまとまったらしい四人の声に我に返った。美琴の元へ戻る宗史の背中を視線で追いかける。
「美琴、そろそろ独鈷杵の訓練に移ろう」
「え……」
 思いがけない提案に、美琴が驚いた顔で宗史を見上げた。弘貴と春平も同じような顔で二人を見つめている。
「不動明王の中呪が行使できるのなら、霊力量も集中力も十分だ、大丈夫。俺の独鈷杵を貸すから、今日は霊力を込めるところまでやってみよう。何を具現化するか考えておいてくれるか」
「あの……」
 美琴が少し照れ臭そうに、見上げていた視線を逸らした。
「どうした?」
 宗史が首を傾げると美琴はわずかに俯いて、言った。
「もう、決めてるんです」
 え? と皆から間の抜けた声が漏れた。
「いつか独鈷杵を扱えるようになりたいと思っていたので、もう決めてあるんです。イメージもできます」
 照れ臭そうな態度とは裏腹に、はっきりとした口調だった。唐突に、樹がぽんと手を打った。
「もしかして、美琴ちゃんがいっつも部屋に籠ってたのって、イメトレするため?」
 樹の問いに、美琴がわずかに頬を赤く染めて小さく頷いた。次に、晴がそういえばと口を開いた。
「美琴って、新しい霊符やけに早く描けてたよな。器用なんだと思ってたけど、俺らが教える前から練習してたんじゃねぇの? 一覧コピーして渡されてるだろ」
 図星なのか、美琴がさらに頬を赤くして俯いた。それを見て、大河はあれっと意外に思った。
「そうか。影でも努力してたんだな」
「偉いな、お前」
「真言の暗唱も早かったのは、先に覚えてたからか」
「偉いよねぇ、どっかの誰かさんも見習って欲しいなぁ」
 賛辞に混じってここぞとばかりに樹からの嫌味が飛んだ。大河に向けられたものだろうが、弘貴と春平も刺さったらしく、三人揃ってぐっと声を詰まらせた。四人から笑い声が漏れる。
「美琴、擬人式神は行使できるな?」
「はい」
「しっかりイメージができているのなら、誘導はいらないかもな……一度自分でやってみるか」
「え……」
 不安そうな面持ちで顔を上げた美琴に、宗史がふっと笑みを浮かべた。
「大丈夫、努力してきたんだろう。自信持ってやればできるよ」
 言いながら宗史が自分の独鈷杵を手渡すと、美琴は恐る恐るといった様子で受け取り、じっと視線を落とした。やがて顔を上げ、真っ直ぐ宗史を見上げた。
「はい」
 力が籠った返事に頷きを返し、美琴から距離を取った。
「自分のタイミングで始めていいぞ」
「はい」
 美琴は緊張した面持ちでぎゅっと独鈷杵を握り締め、両足を肩幅に広げた。独鈷杵を握った手を体の前に出す。ちょうど腰の高さだ。目を閉じ、肩の力を抜いて、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
 皆、その場から一歩も動かずに美琴を見守る。身じろぎすらも許されない雰囲気に、大河は小さく喉を鳴らした。
 現在独鈷杵を扱えるのは、成人組では霊力が弱い夏也を除いた全員。陽は分からないが、寮の学生組ではまだ一人もいない。これで成功すれば、美琴が一番乗りだ。
 ふっと美琴の手の中に光が生まれた。握った手を覆い、徐々に強さを増す。その光が集結するように、親指側からゆっくりと光が伸びた。それは大河の時と違い、一切揺れることなく安定し、真っ直ぐだ。ゆっくり、時間をかけて慎重に、丁寧に。独鈷杵を覆う形で柄が、そして(つば)から刀身へかけてじわじわと形作られてゆく。同時進行で色が変化する。黄金色から鈍色(にびいろ)へ。
 感覚が時間を忘れ、夏の喧騒がそこだけ掻き消されたように、寮の庭は静寂に包まれていた。
 どのくらい時間が過ぎただろう、切っ先で、黄金色が泡のように消えた。太陽の下、日差しを乱反射させながら成した刀身は腰反りが高く、切っ先は直線に近い。刃文や鎬筋(しのぎすじ)、目の詰まった地鉄(じがね)の細かさ、柄や鍔の細工まで、細部に渡って見事に再現されている。
 その美しさに、大河は言葉を忘れて魅入った。無意識に吐息が漏れる。
 霊刀は仕事や訓練の時にしょっちゅう目にしていて、見慣れたと思っていた。けれど、こうやって時間をかけて形成される場面は初めてだ。
 霊符を描いてもらった時と似ている。あの時も集中してゆっくりと、一筆一筆、丁寧に線を描いていた。同じくらいに寮に入ったのに、美琴の霊符の方が上手いと言った昴の言葉を思い出す。霊刀を具現化するように、霊符もイメージトレーニングも、時間をかけてこつこつと積み重ねてきたのだろう。誰も見ていないところで。
 美琴がゆっくりと長く息を吐いた。
「へぇ、小竜景光(こりゅうかげみつ)かぁ。良い趣味してる」
 大河は、樹の称賛の声にはっと我に返った。まるで夢から覚めたような感覚だ。
 宗史ら四人が美琴の周囲に集まり、まじまじと霊刀を眺める。
「見事な再現率だな」
「これ、相当研究しねぇと無理なレベルだろ。すげぇな」
「一度で成功するとはな。まさに努力の賜物だ」
 怜司、晴、宗史がそれぞれ感想を述べる中で、美琴は太陽に掲げるように慎重に霊刀を立てた。出来を確認する職人のように、切っ先からゆっくりと視線を下ろす。そして柄の部分に辿り着いた時、分かりやすく頬が緩んだ。
「お、ちゃんと再現できてるか?」
 晴が尋ねると、美琴ははっと我に返り、恥ずかしそうに俯いて小さく頷いた。その姿を見た宗史らが、微笑ましそうに笑みをこぼす。
「何かあるの?」
 大河は小走りに寄り、尋ねた。こんな時の説明は宗史だ。ちょっといいか、と美琴に霊刀をこちらに向けるように言うと、美琴は霊刀を寝かせ宗史へと寄せた。大河が覗き込む。間近で見ると、その精巧さと美しさがよく分かる。
「あれ、龍がいる」
 全身ではないが、頭から少し下の部分が柄からちらりと覗いていた。
「小竜景光は、覗き竜景光とも言う。この、ちょうど柄と刀身の間に、不動明王が持つ倶利伽羅剣(くりからけん)に絡みつく龍が彫られているんだ。で、その上に装着されているこの(はばき)という部品から覗いているように見えることから、そう呼ばれるようになったらしい。裏には不動明王の種字が彫られてる。こっちは柄に隠れていて確認はできないけど……」
 宗史が視線を上げると、美琴は「一応」と答えた。やっぱりな、と晴たちが苦笑した。
 つまり、その龍が再現できていて嬉しかったのだろう。再び自分の方へ寄せ、満足気に霊刀を眺める美琴を見やり、大河は相好を崩した。羨ましいという気持ちはもちろんあるけれど、それ以上に初めて美琴のこんな嬉しそうな顔を見られた嬉しさの方が勝っている。
「倶利伽羅龍も種字も護符になる、良い選択をしたな」
 宗史が軽く頭に手を乗せると、美琴は伏せ目がちに俯いて、ありがとうございますと小さく呟いた。
「それはそうと、美琴ちゃん。すごい集中力だね」
 未だ綺麗に形を保っている霊刀を眺め、樹が口を開いた。
「ああ、確かにそうですね。慣れないうちはすぐに消えるんですけど」
「そういえば、大河も維持できてたんだよな」
「やっぱり集中力の差か。大河は元々ある方だし、美琴はイメトレの成果か」
「イメトレの重要性が証明されたねぇ」
 確かに、と宗史、晴、怜司が納得の声を上げて頷いた。
「ここまでできれば十分ですね。父さんに連絡しておきます」
「そうだね、そうして」
「はい。美琴、一旦休憩しよう。あとで強度と速度を上げる訓練だ」
「はい」
 美琴はふっと肩の力を抜いて霊刀を消し、宗史は携帯を操作する。
「大河くん、僕たちも休憩しよう」
「あ、はい」
「怜司さん、俺らもちょっと休もうぜ」
「ああ。弘貴、春、休憩だ」
 怜司が声をかけると、皆から離れた場所で様子を窺っていた二人が返事をして、縁側へと足を向けた。
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