第3話

文字数 2,066文字

「あの……」
 先に声をかけて来たのは、男性の方だ。振り向くと、男性は腰を上げ、不安そうに眉尻を下げた女性がこちらを見上げていた。
「よく分からないんですけど、俺たちも事情聴取とか受けるんですか?」
「すみませんが、お願いします。あ、でも、長時間拘束されることはないですから」
「さっきの話、した方がいいですか?」
 意外な質問だった。榎本は、心配そうな眼差しでちらりと見やった男性につられて、彼女に目を落とした。視線を逸らし俯いたその態度は、どこか後ろめたそうに見える。ふと、寮の写真が脳裏に浮かんだ。
 いつからか、霊感があると公言する芸能人や一般人が増えたように思う。心霊体験をネットで語り、仕事に繋がったりもするそうだ。それはそれで喜ばしい。しかし、人とは違う力があるせいで、辛い思いをした人を知っている。幽霊が見えるとなると怖い思いをしたこともあるだろうし、懐疑的な人もいる。面白半分でからかわれたり、口さがないことを言う人もいるだろう。少なくとも彼女は、そんな体験をしている。だから人に話したくない。そんな思いが、ひしひしと伝わってくる。
 こちらとしては好都合だ。だが胸に湧いた気持ちは、それだけではなかった。
 榎本は、もう一度彼女の前に膝をついた。
「さっきの話、しなくていいです。あくまでも、あたしたちの間で、その可能性もあるというだけのことなので」
 言い聞かせるようにゆっくり告げてやると、彼女は少しだけ表情を和らげて、はいと小さく頷いた。余計なお世話だろうかと思うが。
「それと、何か困ったことがあったら連絡をください。信頼できる人を知っています」
 そう言って笑うと、彼女は一瞬驚いた顔をして、嬉しそうな、ほっとしたような、それでいて泣き出しそうな顔で笑った。
「はい。ありがとうございます」
 彼のように心配してくれる人がいるのならと、思わなくもない。お守りなどを持ち歩いて、対策をしているかもしれない。けれど、専門家に伝手があると思えれば、きっと今以上に気持ちに余裕が生まれる。加えて、紹介者が警察官だ。一般人よりは信用してくれるだろう。
 これは、同情かもしれない。自分に霊感などないのに、軽率かもしれない。でも、彼女の様子を見ていると不安になる。思い詰めて詐欺やおかしなカルト集団なんかに頼らせるわけにはいかない。それに、寮の人たちのような――朝辻昴のような人を、もう増やしたくない。
 榎本は笑顔を返し、腰を上げた。
 店内にはさらに制服警官が増え、開きっぱなしの扉の外にも何人か見える。あちこちで状況や怪我の確認、事情聴取が行われ、携帯を握って興奮気味に応じる客、もう帰っていいでしょと不安顔で訴える客もいれば、反対に冷静に対応してくれる客もいる。浮足立った雰囲気ではあるが、不穏な空気はなくなった。
「榎本」
 とりあえず前田のところへと思っていたら、レジ横の奥まった通路から新井がひょいと顔を出して手招きした。トイレのある場所だ。
 警察官がせわしなく行き交う客席の間を抜け、小走りに駆け寄ると、大滝たちが神妙な顔をして集まっており、前田は背を向けてどこかに電話していた。店内とは反対に、重苦しい緊張感が漂っている。
「口止めできたか?」
「はい。本人もあまり話したくなさそうだったので、大丈夫だと思います」
 そうかと頷き、新井は前田へ視線を投げた。その目には、心配の色が滲んでいる。
「ちゃんとお守り持ってるな? ……分かった、十分気を付けろよ。じゃあな」
 誰に電話しているのだろう。前田は溜め息と共に電話を切り、こちらを振り向いた。
「無事だった。何も変わったことはないそうだ」
 そう告げるや否や、新井たちがほっと安堵の溜め息をついた。
「あの……」
 説明して欲しい。榎本は言外に訴える。
「冬馬だ」
「冬馬さん? ですか?」
 見た目は若く見えるが、冬馬は榎本より年上なので「さん」付けだ。前田たちは、榎本と同様に下平を介して面識がある。だが、何故ここで出てくるのだ。
「あの女性客、黒い煙がいるって言ったそうだな」
 新井から聞いたらしい。ええ、と少々不満げな顔で頷く。説明して欲しいのはそこではない。
「さっき現着した奴から聞いたんだが、この辺一帯で同じようなことが起こってて、騒ぎになってるらしい」
「この辺一帯って、あっ!」
 一瞬で全てが繋がった。思わず口を押さえた榎本に、前田たちが満足そうに頷いた。
「この騒ぎは犯人が仕掛けたものだ。陰陽師たちは全員出払っている。となると、目的は冬馬だ。騒ぎに乗じて拉致するか、あるいは殺害。そう思って店に電話したんだけどな、何も変わったことはないらしい。ただ、周りは騒がしいみたいだな。念のために、自宅にいる智也にも伝えとくって言ってたし、あいつらお守り持ってるから、まあ大丈夫だろ」
 まだ開店前だが、スタッフは出勤する時間だ。開店時間まで店の前でたむろする客もいる。にもかかわらず、この辺り一帯で同じようなことが起こっているのにアヴァロンでは何もない。二人が護符を持っているからとしか考えられない。
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