第10話

文字数 2,441文字

      *・・・*・・・*

 弥生は、本当はとても優しくて、根気強い、お姉さん気質だ。そうでなくては、真緒と里緒への態度の説明がつかない。好戦的な面が目立つのは、あの事件が彼女をそうさせたのだ。あの忌まわしい事件が、彼女を変えた。
 自分も、そうだったように。
 弥生に続いて砂地を蹴った健人は、半身で霊刀を構える樹を見据え、奥歯を噛み締めた。綺麗な構えに、人形のような無表情。殺気も感じられない。隙がない。けれど、怯んではいられない。
 健人は霊刀を振り上げ、真っ直ぐに振り下ろした。一瞬だった。樹の霊刀がひゅっと音を立てて空を切り、腕に痺れが走る。強風で煽られたように腕が横へ流れて体が傾ぎ、反射的に足を踏ん張った。
 単に、強く弾き返されたのだと思った。振りかざしかけた自分の霊刀の異変に、健人は目を瞠り動きを止めた。半分に折られている。折られてくるくると横に吹っ飛んだ刀身が、砂地に突き刺さった。
 一撃でこれか。
「ねぇ」
 不意に聞こえた樹の声に我に返り、健人は飛び退いた。刀身を再形成する。まだ腕に残る痺れを押し込むように、霊刀を握る手に力を込めた。
 樹が振り抜いた格好から体勢を戻し、ゆらりと瞳を上げた。
「まさか、これが全力じゃないよね?」
 まるで何かをねだるように小首を傾げ、こちらを見据える。その冷ややかな黒い眼差しに、健人はごくりと喉を鳴らした。嫌な汗がじわりと滲む。
「鈴がね、君たちの実力は怜司くんと同じくらいだと見た方がいいって、言ってたんだ。でもねぇ、怜司くんはもっと強いよ? あの程度で霊刀を折られたりしない。それとも、鈴が買いかぶりすぎたのかな?」
 穏やかな口調と冷徹な眼差しのちぐはぐさ。さらに整った顔立ちのせいで、妙な威圧感と迫力がある。
 怯むな。負けるわけにはいかないと思ったばかりだろう。健人は自分に言い聞かせ、笑みを浮かべた。
「全力なわけないだろう。見くびるなよ」
「それなら良かった」
 精一杯の虚勢に、樹は気付いているのかいないのか。にっこり笑った。
 寮内最強、賀茂宗史と同等と評価され、あの平良が固執するほどの相手。正直、勝てるとは思えない。けれど今はまだ、負けるわけにはいかない。
 健人は細く息を吸い込んで、ぐっと止めた。同時に駆け出す。樹の霊刀の方が、刀身が長い。それは対策済みだ。簡単に捕えられたりしない。
 下から振り上げた霊刀を容易に弾き返され、真横から襲いかかった霊刀を、腰を落として避ける。そのままの体勢で樹の左側へ移動し、低い位置から平行に霊刀を振った。樹が霊刀を立てにしてそれを受け、右足を横に振り抜いた。仰け反った健人の頬を、つま先が掠った。勢いのままごろごろと転がって距離を取る。
 健人は、足で砂地を擦って止まり、余裕の表情で佇む樹を見据えた。頬がひりひりと痛む。少々柔らかい砂地を、ぐっと踏み込んで駆け出した。
 澄んだ剣戟の音が、連続して鼓膜に響く。残響に砂を擦るざらりとした音が混じって、不協和音を奏でる。
 振り下ろした霊刀を樹は強く弾き返し、瞬時に切り返した。健人はそれをかろうじて弾き返し、わずかによろめきながら後退する。背後に流れる川に片足が浸った。
 このズシンとくる感覚は覚えがある。満流や昴と手合わせをした時と同じ。一撃一撃が重く、じわじわと、しかし着実に疲労が溜まっていく。しかも、これほどの攻撃をしながら樹は息切れ一つせず、顔色一つ変えない。あの二人もそうだが、こいつらは化け物か。
 顔を歪めて踏ん張った健人へ、樹が駆け寄った。飛び跳ねて一回転し、反動を利用して霊刀を横に振り抜く。霊刀を立てて受けたところへ、間髪置かずに足を振り上げた。
 ――速い!
「ぐ……っ」
 見事に横っ腹に入り、呻き声が漏れる。勢いのまま吹っ飛ばされ、水面を滑り、ばしゃんと水しぶきを上げながら落ちる。そこへ、樹が縦にした霊刀を大きく振りかぶり、飛び上がった。とっさに横へ転がりぎりぎりでかわすと、霊刀が水中に突き立てられた。
「ノウマク・サマンダ・バダナン・バロダヤ・ソワカ」
 健人は体を起こしながら真言を唱えた。樹を見据え、中腰の体勢で大量の水を纏った霊刀を水平に構える。大きく飛び跳ね、岸まで後退した樹目がけて一閃。後ろ向きで川から離れつつ、樹が襲いかかる水塊を難なく叩き切る。衝撃で水煙が上がり、あっという間に姿が見えなくなった。
 もうもうと上がる水煙を見据えたまま、健人は全身で息を整える。
 先の水龍の攻撃も多少影響しているのだろうが、それ以上に樹の攻撃を捌く負担の方が大きい。霊刀を強固に維持し続ける分、いつもより霊力の消費が激しい。それと体力。少し対峙しただけでこのザマだ。実力の差を、まざまざと思い知らされる。
 ぐっと歯噛みした時、樹の霊気が高まるのを感じた。突如、地面が小刻みに揺れ、水煙に横一文字の切れ目が入った。はっと我に返った時には、すでに樹が霊符を構えていた。
「――急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)
 しまった! そう思った次の瞬間。ゴッ! と鈍い音が鼓膜を襲った。反射的に顔を覆い、強烈な風を起こしながら土の塊が目の前を通過する。
「オン・バザラナラ・ソワカ。帰命(きみょう)(たてまつ)る。尖鋭鋼炎(せんえいこうえん)――」
 串刺しは避けられたとか、怪我の有無を確認する隙もない。風が止む間もなく真言が聞こえ、健人は弾かれたように顔を上げた。いくつもの土の針に囲まれ、すでに頭上には真っ赤な針が顕現しつつある。
堅忍不撓(けんにんふとう)穢澱貫滅(あいでんかんめつ)――」
 健人は真っ赤な針を仰ぎ見て、一瞬怪訝な表情を浮かべた。この配置、まさか――いや、考えている暇はない。林立した土の針から抜け出すにはもう遅い。火属性である樹の火天を九字結界で防げるとも思えない。ならば。
 健人はすぐ側の土の針に向かって霊刀を構え、目いっぱい振り抜いた。間に合うか。
急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)
 赤い針が樹の最後の真言に呼応して降り注いだのと、一本の土の針が土埃を上げて倒れたのが同時だった。腹に響く重低音が一瞬聴覚を塞ぎ、空気を震わせた。
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