第17話

文字数 2,977文字

「榎本、地図調べてただろ。分かったか?」
「あ、はい」
 榎本が下平たちに、佐々木が紺野と熊田に携帯を差し出し、楠井家と武家屋敷の場所を指で示す。同じ加古川市といっても、楠井家はほぼ西、武家屋敷は東の端に位置している。車で三十分ほどの距離だ。
 楠井家があると思われる場所は周囲に何もなく、しかも林の中にあるようで住宅は確認できない。また武家屋敷の方も同様で、屋根だろうか、道路脇に茂った林の中に細長い建物が見えるくらいだ。こちらは二車線道路を挟んで、鉄工所や工場、貿易会社などがあり、ソーラーパネルらしきものが整然と並んでいる。
「これ、まさに心霊スポットって感じだな」
 ストリートビューにしているのだろう、大滝が引き気味に言った。
「昼間なのにそれっぽいよな」
「いかにも出そう」
「夜になったらもっと怖そう」
「所有者は何で放置しているんでしょう。ここまで荒れていたら、不法投棄する人もいるんじゃないですか?」
 一人ずれた感想を漏らした榎本に、前田たちが白けた視線を投げた。紺野たちも画面を切り替える。
 道路から少し奥まった場所に突如現れる大きな門構えは、形は綺麗に残っているが見るからに老朽化しており、門扉すらない。上から見えた屋根らしきものは、この門の瓦屋根らしい。そしてその側には、完全に崩れ落ちた物置小屋のような小ぶりの廃屋が一棟、伸び放題の雑草や葉を茂らせた枝に埋もれている。
 空は晴れ渡り、光が降り注いでいるのに、そこだけ空気が違う。不気味さもあるけれど、まるで時代に取り残されたような、ひっそりとした物悲しさが漂っている。
 門の大きさといい、武家屋敷と噂されるところといい。さぞや名のある家柄だったのだろう。それが今や心霊スポットだ。門柱には「立ち入り禁止」と書かれた看板が取り付けられ、門の前には侵入防止用のロープが渡されている。だがそれも緩みきっていて、役目を果たしていない。
「ここ、色んな噂があるみたいですよ」
 大滝が自分の携帯をいじりながら言った。
「元は武家屋敷で、そのあとは養豚場だったとか、一家惨殺や集団自殺、あとは赤ん坊が捨てられていたとか」
「本当か、それ」
 問い返したのは下平だ。
「ええ。でも、武家屋敷と養豚場はともかく、他は根拠のない単なる噂話みたいです。心霊現象も色々。人影が見えるとか、子供の声が聞こえるとか、あとは呪いの井戸、首なし幽霊とか」
 子供の声の話は玖賀家にもあったし、心霊スポットにはありがちだ。と、これまでなら一蹴するような話だが、その手の専門家から注意を促された今では笑えない。皆一様に口を閉じ、嫌な空気が流れた。
 やがて、熊田がぎこちなく笑って話題を変えた。顔が引き攣りまくっている。
「そ、そうだ紺野。さっきの、北原に渡す報告書なんだけどな」
「はい」
「俺らが渡してやるよ。お前、沢村さんが一緒だと渡すに渡せねぇだろ」
「あ、いいですか。お願いします」
「印刷できねぇなら、USBか?」
「はい。携帯を新調したと連絡がないし、ネットに繋がなければ、パソコンかタブレットは持ち込めると思います。USBにロックをかけるので、パスはメッセージに送ります」
「USBって、ロックかけられるのか?」
「ええ。そういう機能が付いているものもありますが、無料ソフトでもかけられますよ。機能付きのものを持っているので、そっちを使います」
「へぇ、便利なもんだな」
「同時通話したままメッセージが使えることを知らなかったのに……」
「下平さん」
 ぼそりと余計な口を挟んだ下平へ冷ややかに突っ込む。くくっと低く喉を鳴らして笑う下平を睨んでいると、今度はニヤついた顔の熊田が余計な質問をした。
「ロックかけなきゃいけないようなヤバいデータって何だ?」
「秘密です」
 高校時代、学祭のクラス企画でカフェをしたのだが、男子はメイド、女子は執事で接客をするというわけの分からない案が出て何故か採用されたのだ。今思い出しても男子は見るに堪えない有様だった。悪ノリしたクラスメートから送られた何十枚という写真は当時の携帯の容量をどんどん圧迫し、仕方なくパソコンに保存し、そして数年前、買い換えをきっかけにUSBへ移し替えた。ひっそりとデスクの引き出しの奥にしまってある。もちろん、そのまま北原に渡すなんて馬鹿なまねはしない。一時的にパソコンに避難させる。
 ぷいとそっぽを向いた紺野に、つまらんと熊田がぼやいた。さっきまで引き攣った顔をしていたのに、現金な。死んでも口を割ってたまるか。
 気になる、気になるな、と興味津々な眼差しを向けてくる前田たちを軽く睨みつけると、紺野と下平の携帯に着信が来た。メッセージだ。確認すると栄明からの招待で、すぐに返事を送る。
「何か、実際に土御門明から話を聞くと実感が湧いてきますけど、まだ完全に実感しきれてない感じもします」
 ぽつりと、けれど緊張感を伴って呟いた大滝に、榎本たちが神妙な顔をした。前田が言う。
「榎本は実際に見てるけど、俺たちは見てねぇからな。陰陽師連中とも会ってねぇし」
「でも、あたしも未だに、あれは夢だったんじゃないかって思う時がありますよ」
「そうなのか?」
 新井が問い返した。
「ええ。だって、突然のことだったし、わけが分からないままどんどん状況が進んで。あたしは、何もできなかったので……」
 悔しそうな顔をした榎本を見やり、下平が言った。
「俺もそうだったぞ。あんなのいきなり見せられて、とっさに動ける方がどうかしてるだろ。廃ホテルの事件でがっつり見てから、やっとって感じだったな」
「あたしたちもそうよ。式神に会ったあとも、あまり実感が湧かなかったもの」
「そうそう。展望台の事件でやっと実感が湧いて、そのあと寮であいつらの訓練見てからだ」
 佐々木と熊田が追随し、ですよねと下平と三人、顔を見合わせる。
 陰陽師や鬼などは、史実には残っているものの伝説や創作としか思っていなかったのだ。大河のように自分が術を行使できるのなら話は別だが、こちらはそんな力を持ち合わせていない。対処できるようになるのも、実感が湧くのも時間がかかって当然だ。
 初めて土御門家を訪れた時の感覚や昴の力、朝辻家の文献に犬神。これらがなければ、紺野自身、そう簡単に信じたりしなかっただろう。きっと、協力するのはもっと遅れた。
「ん」
 そういえば、今まで悪鬼はおろか、幽霊なんか見たことがなかったのに。この事件に関わってからだ。
 朝辻家の血を引いているのは間違いない。霊感がもともと備わっていたのなら、明たちの霊力に感化された、のだろうか。
「とにかくだ」
 下平が話を戻した。真剣な眼差しで、榎本たちを順に目に止める。
「お前ら、明日は絶対に動くなよ。奴らがどこに何を仕掛けているか分からん。俺たちは助けに行けねぇからな。家で大人しくしてろ、命令だ」
「はい」
 榎本たちが、険しい表情で答えた。
 こちらが狙いに気付いていることは、犯人側も承知の上だろう。こちらが勝利すれば、この事件に幕が下りる。けれど、もし負けるようなことがあれば、終息するどころかこの国は混沌とした時代を迎えることになる。
 たった一日に、たった数人の陰陽師たちの肩に、これからの未来の全てがかかっている。
 ――頼むぞ。
 紺野はさっそく届いた明からのメールに目を落とし、心からそう祈った。
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