第3話

文字数 7,121文字

「二人とも」
 いつの間にか縁側に腰をおろしていた宗一郎が、楽しそうに笑みを浮かべていた。
「強度の確認をしたい。大河、そのまま宗史の霊刀を受けてみなさい。どうせなら反撃しても構わない」
「は?」
 大河と宗史の声が重なった。優雅に腕を組んで何を言い出すかこのトンデモ当主は。つまり、手合わせしろということではないか。ド素人陰陽師とエリート陰陽師の手合わせなど結果が目に見えている。目をしばたいて自分を見つめる二人に、宗一郎は微笑んだ。
「もちろん、宗史は手加減してやるんだよ」
 二人が承諾していないのにすでに決定したらしい。大河と宗史は顔を見合わせた。
「大河がいいのなら、俺は別に構わないけど」
「宗史さんがいいのなら俺も別に……手加減してくれるよね」
「大河次第だな」
「そんなこと言われたら反撃できないじゃん。怖いこと言わないでよ」
 しかめ面で訴えると、ははっ、と宗史は短く笑った。父親が父親なら息子も息子だ。
「ん、霊刀?」
 聞き間違いでなければ、宗一郎は霊刀と言った。宗史の武器は弓矢だったはずだが。
 大河は疑問符を浮かべつつ適度に距離を取り、宗史と向かい合う。宗史がパーカーのポケットから独鈷杵を取り出した。一瞬にして独鈷杵が光り、成した形はやはり刀だ。さすがに速い。あのレベルに到達するのにどのくらいの時間を要するのだろう。
「宗史さんって弓矢なんじゃ……」
「ああ、場所と状況によって使い分けてる。でも、先に体得したのはこっちの方が先なんだ」
「じゃあ刀の方が得意?」
「同じくらいかな」
「……マジか」
 刀と弓矢。どちらが厄介かと言われれば飛び道具の方が厄介だと思うが、相手は宗史だ。どちらにしろ同じだ。
 大河は両足を肩幅に広げ、受ける体勢を取る。一方宗史は、剣道の基本である正眼の構えだ。攻防どちらにも対処できる。
 二人が対峙したところで、宗一郎が告げた。
「では、始め」
 開始の号令と同時に宗史が地面を蹴った。
 真上に振りかぶり、真っ直ぐに振り下ろされた霊刀を、大河は腕を上げて結界を移動させ真正面から受け止めた。バリッ、とプラズマが弾ける。
「ッ!?」
 思っていた以上に一振りに重みがあり、大河は息を詰めて腕に力を込めた。比べて申し訳ないが、昴の一撃とは段違いだ。
 すぐさま宗史が右から左に霊刀を薙いだ。慌てて後退して結界で防ぐ。切っ先が表面を滑り、金属が擦れ合うような火花が散った。左下から右斜め上へ、真上から真下へ、右下から左斜め上へと、流れるような動きでじりじりと大河を後退させる。スピードはそれほど速くないが、無駄のない動きのせいで攻撃する隙がない。その上、一撃一撃が重く、実戦慣れしていない大河はその都度防ぐのに精一杯で次の動作に遅れが出る。
 このままでは一度も反撃できずに終わりだ。だがどうすればいい。この結界は防ぐためのものであって攻撃力はないし、夏也から教わっている足技もまだ身に付いていない。反撃する術がない。
「くっそ……っ」
 宗史相手に勝てるとは思っていない。けれど、このまま何もできずに終わるのは情けない。せめて一度だけでも反撃できれば。
 宗史がまた霊刀を真上から振り下ろした。大河はそれを顔の近くで受け止めると、一歩後ろに引いていた右足で水平に弧を描いて脇腹へと振り上げた。宗史が咄嗟に飛び跳ねて後退する。
 掠りもしなかったため、勢いで一回転してから前を向き直ると、宗史が不敵な笑みを浮かべていた。
「へぇ」
 綺麗な顔をしているせいで変に凄味がある。大河は心の中で悲鳴を上げながら、ちらりと宗一郎を盗み見た。にこにこと楽しそうに笑っている。止めてくんないの!? と心で叫び、宗史へと視線を戻した。
「上等だ」
 宗史は一言呟くと何の迷いもなく八相(はっそう)の構えを取った。野球のバッティングフォームに似ていて、剣先が上を向いているため必要以上の力がいらず、無駄な力を浪費することがない。剣道の試合ではほぼ使われることがない反面、長時間刀を振るう実戦に適した構えだと言われている。
 大河もひと通りの型を教わってはいるが、正眼の構えばかりで、八相の構えなど使ったことがない。そんな構えをすんなりと迷いも違和感もなく構えるということはつまり、スポーツしてではなく実戦を前提として剣道――いや、おそらく剣術として体得しているはずだ。
 大河が影正から教わった剣道は、まったく役に立たないわけではないが、やはりスポーツとしての範疇だ。実戦を前提にして体得している宗史に勝てるわけがない。
「ちょ、宗史さん? 冗談……っだ……ッ!?」
 宗史は地面を蹴ると、霊刀を右上からから左斜め下へと振り下ろした。結界の上を霊刀が火花を上げながら滑る。足を踏ん張って受けたが、さっきよりスピードが上がっている上に重みも増していて、腕がびりびりと電気が走ったように痺れた。大河は歯を食いしばり、顔を歪める。これはさすがに何度も受け切れない。
 て言うかなんで本気モード!? 一回蹴り入れようとしただけじゃん!
 しかも掠りもしなかった。大河次第だとは言っていたが、もしや宗史は格下の者が反撃するのを良しとしないタイプか。そう言えば先日の会合の時も、宗一郎を疑っていた宗史を皆がいじっていたにも関わらず、反撃したのは大河だけだった。あの場には陽もいたが、陽は弟のようなものだろうし何せ明と晴の実弟だ。
「だからって何で……っ」
 宗史のスピードについていけない。足元がガラ空きになっている。宗史があえてそこを狙わないお陰で防げているが、もし相手が敵なら両脚は切断されている。
 顔を狙った突きを真ん中で止め、力任せに押し返す。同時に後方へ下がって距離を取り、上がった息を整える。対する宗史は平然としている。すべてにおいて格が違い過ぎる。
 どうすればいい。と、
「そこまで」
 宗一郎が終了を告げた。大河と宗史は同時に宗一郎を見やり、息を吐いて結界と霊刀を消した。
「たった二日の訓練で宗史の霊刀にあれほど耐えるとは見事だ。問題無い。宗史、感想は?」
 そうですね、と宗史は逡巡した。
「正直、ここまでの強度とは思いませんでした。反応は心許ないですが、実戦を重ねればすぐに身に付くかと思います」
「同意見だ。この調子でいけば、そのうち宗史の全力の攻撃を防ぎ切れるようになるかもしれないな」
 え? と大河は宗史を見やった。
「宗史さん、今の全力だったんじゃ」
「まさか」
 即座に否定したのは宗一郎だ。どこか自慢気な顔をしている。
「宗史はあんなものではないよ。実力の半分も出していない」
「ええっ!? マジで!? あれで!?」
 一撃一撃に相当なスピードと重さがあったが、あれで全力ではないのか。ふと大河はさっきの宗史の態度を思い出した。
「でも俺が反撃した後、宗史さん超怖かったんだけど。逆鱗に触れちゃいました的な。だから全力なのかなって」
「あれは、反撃してくる余裕があるならもう少し大丈夫だろうと思って」
「……ほんとに? 上等だの後にてめぇこの野郎って付かなかった?」
「付かないよ」
 もし宗史が全力で戦ったらどれほどのものなのだろう。想像もつかない。苦笑する宗史を大河が「すげぇ」と呟いて羨望の眼差しで見つめると、宗史は困ったように眉を下げた。
「父さんも大河も買いかぶり過ぎです。俺は鬼に全く歯が立たなかったし。それに――」
 宗史は一旦言葉を切り、ふいと視線を投げた。その先には、フルフェイスのヘルメットを下げた晴の姿があった。
「俺より、晴の方がよほど強い」
 ほんのわずかに表情を曇らせた宗史に、大河は首を傾げた。悲しげな、それでいて憐れむような、そんな複雑な表情だった。
 宗史さん? と声をかけようとしたが、僅差で晴がいつもの飄々とした口調で言った。
「よお。何、もしかして手合わせしてたのか? もう終わっちまった?」
 宗史が短く目を伏せ、小さく息を吐いた。目を開いた時には、いつもの穏やかな表情になっていた。
「つい今しがたな」
「マジか残念。どうだった?」
「上々だったよ」
「へぇ。良かったな、大河」
「え、あ、うん。宗一郎さんにも褒められた」
 不意に話を振られ、大河はしどろもどろに頷いた。
「おー、やるじゃねぇか。油断してたらあっという間に追い抜かれるな、俺ら」
「お前と一緒にするな。俺はちゃんと訓練している」
「人聞き悪ぃな。俺だってやってますぅ」
紫苑(しおん)に負けてからだろ」
「言うな。結構ショックだったんだぞ」
「お前が?」
「……前から思ってたんだけどよ、お前、俺のこと誤解してねぇ?」
「神経が出雲大社の注連縄くらい太いことか」
「失礼極まりねぇな。俺ほど繊細な神経の持ち主も珍しいのよ?」
「形状記憶合金でできてるくせにどの口が言ってる」
「お前はほんっと可愛くねぇなぁっ!」
「可愛くなくて結構」
 ぴしゃりと一蹴した宗史に、晴が眉をひそめた。
「宗、なんか機嫌悪ぃな。どうした?」
「いや? いつも通りだけど」
 宗史が本当に分からない様子で首を傾げる。そうか? と晴も不思議そうに頭を掻いた。
二人のやり取りを傍で眺めていた大河は、晴の言った意味が分からなくて頭に疑問符を浮かべた。別段これと言って宗史の機嫌が悪いとは思わなかったが。さっきのやり取りもいつも通りだったし、複雑な表情を浮かべているなとは思ったが、機嫌が悪いようには感じなかった。
 幼馴染みだからこそ感じられる機微だろうか。
 それにしても暑いな、去年よりはマシらしいけど、どこが、災害レベルじゃないところが、どっちにしろ暑いんじゃねぇか、まあな、と他愛のない会話をする二人を眺めていると、宗一郎に手招きをされた。隣にはいつの間にか明が腰を下ろしている。
「何ですか?」
「独鈷杵を使ってみてくれるか」
「俺、まだ全然使えないですよ?」
「できる範囲で構わない」
 そう言って渡された独鈷杵を、大河はまじまじと見つめながら宗史と晴の元へ戻った。素材は樹にもらった物と同じ真鍮のようで、少々不安が残る。安物だと言っていた樹の独鈷杵とは違うのだろうが、果たして割らずに使いこなせるだろうか。
「何、独鈷杵? 予備あったのか」
 大河の手元を覗き込んだ晴が、ああこれ、と懐かしげに目を細めた。
「宗が昔使ってたやつか、懐かしいな」
「これなら多分、大河の霊力量にも耐えられると思うけど……」
「こいつの霊力、底が知れねぇからな。ま、とにかくやってみれば?」
「ああ。大河、誘導はどうする?」
「頼んでいい? 結界と破邪の法で手に集中させるところまでは覚えたんだけど、そこからはまだ」
「分かった。じゃあ、途中まで一人でやってみて」
「うん」
 大河は右手に独鈷杵を握り締め、体勢を整えて目を閉じ、大きく深呼吸をする。宗史と晴は距離を取ってそれを見守っている。
 思いがけず割ってしまったせいで一度だけしか独鈷杵の指導を受けていないが、霊力を手に集中させるまでは結界や破邪の法の時と同じ要領だ。全神経を手に集中する。
 すぐに右手から光が放った。
 速くなってるな、と宗史と晴が囁き合う。
「そのまま、独鈷杵に霊力を移動。注ぎ込むイメージで。ゆっくり、焦らなくていい」
 光が徐々に小さくなっていく。電池が切れかけの懐中電灯が徐々に光を失っていく様に似ている。
「刀をイメージして。前と同じ、形は気にしなくていい。長さだけを伸ばして」
 影正の部屋から失敬して遊んだ刀を思い出し、大河は瞼の裏にそれを描く。
 後で影正に聞いた話だが、大河と省吾がぶん回していた「童子切安綱(どうじぎりやすつな)」は、平安時代、あの有名な酒呑童子(しゅてんどうじ)を切り捨てたと言い伝えられる剛剣の模造刀らしい。刀身は八十センチで細身、反りは強く、切っ先に近付くにつれて細くなる――他に色々ご教授を賜ったが、特別興味があったわけではないため覚えていない。黒がかった細い刀身が格好良い、くらいだ。
「そう……いい感じだ」
 そう言えば、模造刀を振り回すきっかけは何だったか。確か、省吾と一緒に読んでいた漫画だったはず。
 当時、侍を主人公にした漫画が爆発的に流行っていた。ギャグやほろりとくる人情話だったりと、シリアスな内容との落差が激しく、それがまた面白さを際立たせていた。主人公を取り巻く他の登場人物も皆、個性的で人間臭く、魅力的だった。今思えば、あの主人公は確実に大人として駄目な部類に入る。だがとても情に厚く、鬼のように強く、そして優しい。そんな主人公に憧れたのが、模造刀を振り回すきっかけになった。
「……大河、大河……大河っ!」
 突然肩を揺さぶられ、大河ははっと我に返って目を開いた。目の前には宗史と晴の心配そうな顔。
「大丈夫か?」
「え、ああ、うん?」
 何故こんなにも心配されているのか分からない。大河が目をしばたきながら見返すと、二人は眉をひそめた。
「大丈夫に見えるか?」
「見えねぇなぁ……」
 そう言って二人は大河の手元に視線を落とした。非常に複雑な表情を浮かべた二人の視線を辿り、自分の手元に視線を落とした大河は、無言でそれを目の前に掲げた。
「…………木刀?」
「木刀」
「だな」
 大河の手の中には、あの漫画に出てきた木刀が見事に再現されていた。
「……ごめん」
 模造刀からあの思い出を連想したからだ。へらっと笑って謝った大河に、二人は顔を見合わせて複雑な表情を浮かべた。刀が木刀に変わってはいたが、具現化に成功したことは確かだ。叱るべきか褒めるべきか迷っている。
 晴が呆れ気味に尋ねた。
「お前、何考えてたんだ?」
「あー、模造刀をイメージしてたら、模造刀で遊ぶきっかけになった漫画のこととか思い出しちゃって」
「なるほどな」
 宗史が呆れているのか感心しているのか分からない笑みを浮かべた時、縁側から宗一郎が三人を呼んだ。
「大河は維持したまま、こちらへ」
 華と茂、陽が興味深げに集まる。
 大河が宗一郎の前に立つと、宗一郎は木刀を見せるようにと手を伸ばした。二人の背後から、腰を屈めた華たちが覗き込む。
「見事に木刀だな」
「木刀ですねぇ」
「これ、僕見覚えがあるんですけど。漫画のやつですよね」
「あら、そうなの?」
「僕も知ってるよ。今でも企業コラボのCMで見かけるよね」
 まじまじと眺める五人に、大河はすみませんと謝った。雑念が多いと言われたら反論できない。
「いや、今は刀だろうが木刀だろうが構わない。とりあえず独鈷杵が使えるのは分かったからな。上出来だ」
「ありがとうございます」
 自分でもまさかできるとは思っていなかった。思い出に浸ってしまったのが逆に良かったのだろうか。大河は顔を綻ばせた。
「大河くん、報告書にあったけど、今は苦しくないかい?」
 明が心配そうに尋ねた。
「んー……ちょっと息苦しい感じはします」
「ああ、悪い。もう消していい、ありがとう」
 宗一郎に言われ、大河はふっと肩の力を抜いた。するといとも簡単に霊刀は消え、手の中には独鈷杵だけが残った。呼吸は楽になったが、掌が汗まみれだ。大河は独鈷杵を左手に持ち直し、Tシャツに右手を擦りつけた。
「今の状態で苦しいってことは、これ以上精度も強度も上げれねぇってことだな」
 晴が腕を組んで唸る。
「やっぱり、早めに影綱の独鈷杵を探した方がいいかもしれないな」
 影綱の霊力を受け継いだのなら、影綱が愛用していた独鈷杵は大河の霊力を受け入れるだけの器を持っているだろうし、相性もいいだろう。やはり戻るしかないのだろうが、京都へ来てまだ三日目だ。何だが落ち着かない。
「でも、本当にどこにあるのか見当もつかなくて。このまま帰って探しても無駄足になる気がするんだけど」
「影唯さんたちがまだ探してくれてるんだよな」
「うん」
「じゃあ、もう少し待つか。その独鈷杵、大河に預けておくから」
「ありがとう。気を付けて使う」
 ん、と宗史は嬉しそうに微笑んだ。
「さて、大河も独鈷杵を使えるようだし、宗史、晴」
 改まった声で告げる宗一郎に視線を向けると、明共々にっこりと微笑んだ。
「仕事だ。大河も一緒に」
「…………は?」
 大河、宗史、晴の間の抜けた声が重なった。仕事とはつまり、どこぞからの依頼で除霊をするというあれか。
「ちょっと待ってください、俺結界しかまともに使えないのに……」
 大河が戸惑いながら反論すると、明が言った。
「こちらが現時点で把握している範囲での話だが、公園での事件からこっち、敵側に特に目立った動きがない。何か企みがあるのかは分からないが、こちらとしては好都合だ。今のうちに、できるだけ皆のレベルを上げておきたい」
 確かに、今のところそれらしい事件が起こったというニュースや紺野(こんの)たちからの報告もないし、哨戒報告でも特別変わったことはない。何らかの理由で敵側が動きを止めているのだろう。そしてその隙にこちらは戦力を上げる。理屈は分かるしもっともだと思う。
「でも……俺、二人の足手まといになりたくないんですけど」
「大河」
 自信なさげにごにょごにょと続ける大河を、宗一郎が真っ直ぐに見据えた。
「判断はこちらでする、そう言ったはずだ。従いなさい」
 息が詰まる程の強い口調と視線で諭され、大河はしぶしぶ頷いた。
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