第4話
文字数 3,667文字
今思えば、そんな気持ちがあったから、知らず知らずのうちに焦っていたのだろう。のちに二人で「俺らほんとアホだよな」と笑い合えたのは、樹 と一緒にいる冬馬が、とても穏やかに笑うようになってからだ。
初めは、自己嫌悪でいっぱいだった。高校生相手に度胸も何もない。怒られて当然だ。もちろん二度とやらない、反省もしている。でも、冬馬と樹が一緒にいる姿が当たり前になってきた頃、あの時の馬鹿な行動も捨てたもんじゃなかったのかもと、少しだけ思った。
樹に嫉妬しなかったと言えば嘘になる。高校生とは思えない落ち着きように頭の回転の速さ。仕事の覚えも早く、何より度胸があって腕が立つ。冬馬が欲する人材そのもの。しかし、売りをしようとしていたことと、不気味なくらいの無表情から、何か複雑な事情を抱えているのだろうと思うと、簡単に敵視はできなかった。
後ろめたさや同情心もあったのだろう。けれど、少しずつ、時間をかけて馴染んだ頃には、はっきりと仲間意識が芽生えていた。
それなのに――三年前、樹を置き去りにした。
突然腹が割け、大量に噴き出した真っ赤な血を見て理性が吹き飛んだ。心霊スポットという場所で、樹が「いる」と断言した。しかし自分の目には何も見えない。いつ樹のように見えない何かに襲われるか分からない。そんな状況が、混乱と恐怖を呼んだ。
ただ怯え、良親に言われるがままに冬馬を運んだ。ミュゲに向かう車の中で、繰り返し繰り返し頭の中で再生される。倒れ込む樹の姿と、冬馬の悲痛な叫び声。
正気に戻った頃には、もう遅かった。
仲間を置き去りにした現実と事実に、自分の不甲斐なさを呪った。自分たちのことを気にかけてくれた冬馬。安易な行動から傷付けてしまったのに許してくれた樹。支えられて、許されたから――あの二人がいたから、自分たちは今ここにいる。
それなのに――。
本当は認めたくなかった。それが保身のためか、冬馬と樹のためかは分からない。でもどう考えても、あの様子では、きっと助からない。一緒に過ごしてきた時間と、廃墟で一人置き去りにされて事切れた樹の姿が脳裏に浮かぶ。言葉では言い表せないほどの強烈な罪悪感や孤独、寂寥 に涙があふれ、何度も心の中で樹に謝罪した。
もう消えてしまいたいと願うくらい、後悔した。だから、きちんとけじめを付けようと思った。
ひとまず合流しようと冬馬へ連絡を入れると、思いもよらないことを言われた。樹がいない、と。
何がどうなっているのか分からなかったけれど、もしかして生きているかもしれない。そう思ったら、探さない選択肢はなかった。
良親から告げられた罪名を聞いて現実味と恐怖が濃くなり、一瞬覚悟がくじけそうになった。でも、このまま知らないふりをすれば、必ず後悔する。それにもし本当に樹が生きていたら、ちゃんと謝りたい。今度は許してくれないだろうが、それでもいい。自己満足でもいい、とにかく、樹に会って謝りたかった。
冬馬によると、あの場所は血が洗い流されていたらしい。樹もおらず、血痕も見当たらない。例え通報しても、確固たる証拠がないと警察は動かない。なら、独自で探すしかない。
それから一ヶ月半後、下平が久しぶりに顔を見せた。冬馬からは事前に、下平には言うなと釘を刺されていた。せめて下平には言った方がいいのではと進言しても、絶対に言うなの一点張りだった。下平に言えば、必ず動いてくれる。しかしそうなると、あの事が露見する。今の状態なら、証拠がないため逮捕されることはないだろうが、樹が発見されれば免れない。
今思えばあれは、自分たちのことを気遣っていたのだ。
下平が協力してくれれば、樹を探し出せる可能性がある。冬馬が保身のためにその可能性を放棄するはずがない。樹の安否を知るためなら、自分の保身など二の次だ。それは、これまでの二人を見ていれば分かる。
あの二人は、不思議なくらいお互いを大切に思っていた。その証拠に、樹がいなくなってから冬馬は自分を追い込むように仕事に没頭し、そして、作り笑いでしか笑わなくなった。やはり冬馬にあんな笑顔をさせられるのは、樹しかいないのだ。
だから必死に探した。ない頭を捻ってあちこち探したけれど、結局樹は、見つからなかった。
一年後、リンがアヴァロンに来るようになった。可愛くてノリも良くて、何よりあの無邪気な笑顔に惹かれた。カウンターに入っている時にリンがドリンクの注文に来て、ここぞとばかりに声をかけた。最近よく来てくれてるよね、と。すると、リンは嬉しそうに笑った。それから話をするようになり、しばらくして紹介されたナナは、圭介の好みど真ん中。
互いに冬馬に助けられたことがあると分かって、話は盛り上がったし共感もした。けれど、同時にリンが本気で冬馬に惚れていることも分かった。
いつだったか、リンは言った。
「振り向いてもらうのは、難しいって分かってるんだ。でも、好きでいることくらいはいいよね」
と。
どう転んでも冬馬に敵うとは思わない。もちろん好きな人には幸せになって欲しい。でもできることなら自分が幸せにしたい。
矛盾する気持ちを抱えながらも、リンと距離が縮んでいくことは嬉しかった。明るくて無邪気で友達思いで優しくて、一途。知れば知るほど思いは募り、しかし、距離が縮んでいくごとに――恋をすること自体に、罪悪感を覚えた。
樹はまだ、見つかっていないのに。
さらに二年が経ち、例の噂が流れた。樹が生きているかもしれないと喜んだと同時に、不安にもなった。もし本当に噂を流したのが樹だったとしたら、自分たちを恨んでいるのだろうと。でも、だからこそあの時のことをきちんと話して、せめて冬馬への誤解だけでも解かなければと思った。
そんな矢先に、良親 から脅された。もちろん、迷うことなく絶対に嫌だと断った。けれど、
「可愛いよな、あの二人」
良親は、うっすらと笑みを浮かべてそう言った。ホストをしているだけに、見た目もノリもいい。けれど、女癖の悪さには正直言って警戒していた。リンとナナも、わざわざ紹介したわけではなく、二人と話をしている時に偶然良親が来店し、紹介せざるを得なかっただけだ。さらに、冬馬との微妙な関係も薄々気が付いていた。わずかでもバランスが崩れれば一気に崩壊してしまうような、そんな危うさを孕んだ空気が、いつも二人の間に流れていた。まさか、あんな真似をするとは。
一方冬馬からは、
「絶対に余計なことをするなよ。常に警戒して、リンとナナのことを最優先に考えろ。この話が漏れたら一番危険なのは二人だ。忘れるな」
そう言われていたにも関わらず、イツキを探しに来た二人組の男が刑事だと見抜けなかった。あれは口実かもしれなかったのに。
冬馬は、いつも人のことばかり心配する。樹が来店した時も、本当はきちんと話をしたかっただろうに、警戒しろ油断するなと言った。不可解な噂や良親からの脅しと、不穏なことが立て続けに起こる中での、樹の来店。客やスタッフを巻き込むわけにはいかないとでも思ったのだろう。だからあんな態度を取った。でも最後に、本音が飛び出した。
さすがに驚いた。樹を巻き込むようなことを言うなんて。でも、それだけ冬馬は精神的に限界だったのだ。樹の安否は分からず、しかし仕事を休むわけにはいかない。追い打ちをかけるように、わけの分からない噂が流れ、良親から脅迫されて。
それなのに廃ホテルの時、譲二にやられたあと、七階まで行く途中で言ったのだ。
「俺のことはいいから、お前たちは良親に従え。何があっても抵抗するな。リンとナナのことだけを考えろ」
自身も標的になっていると知っておきながら、殺されるかもしれないと分かっておきながら、どうしてそこまでできるのか。結局、冬馬と良親の間にどんな確執があったのか分からなかったけれど、精神的に追い込まれた原因の一つなのかもしれない。
樹たちに助けられて、これで終わったかと思ったら、次は龍之介 の件だ。
今度こそ自分たちが守らなければと、そう思った。リンとナナも、そして、冬馬も。
どうやら、廃ホテルにいた式神が護衛についてくれているらしい。でも油断は禁物だ。
冬馬が言うには、樹たちの方も龍之介と因縁があるらしい。彼らがどんな問題を抱えているのかは分からない。悪鬼とかいう悪霊や平良 を見る限り、危険なものなのだろう。
人には向き不向きがあることは分かっている。小心で、臆病で、度胸もない。いつも人に従うばかりだった。三年前も、今も。
『そういう人だからな』
いつか言われた昇の言葉を思い出した。
また何かあれば、冬馬は無茶をして自分たちを守ろうとするのだろう。
もし本当にリンとナナが狙われていて、樹たちが抱えている問題に龍之介が絡んでいるのだとしたら、ここで捕まえることができれば、樹の役に立てるだろうか。
酷いことをしておきながら二度も許してくれた樹に、そして、助けてもらったあの日からずっと支えてくれた冬馬に、恩を返せるだろうか。
初めは、自己嫌悪でいっぱいだった。高校生相手に度胸も何もない。怒られて当然だ。もちろん二度とやらない、反省もしている。でも、冬馬と樹が一緒にいる姿が当たり前になってきた頃、あの時の馬鹿な行動も捨てたもんじゃなかったのかもと、少しだけ思った。
樹に嫉妬しなかったと言えば嘘になる。高校生とは思えない落ち着きように頭の回転の速さ。仕事の覚えも早く、何より度胸があって腕が立つ。冬馬が欲する人材そのもの。しかし、売りをしようとしていたことと、不気味なくらいの無表情から、何か複雑な事情を抱えているのだろうと思うと、簡単に敵視はできなかった。
後ろめたさや同情心もあったのだろう。けれど、少しずつ、時間をかけて馴染んだ頃には、はっきりと仲間意識が芽生えていた。
それなのに――三年前、樹を置き去りにした。
突然腹が割け、大量に噴き出した真っ赤な血を見て理性が吹き飛んだ。心霊スポットという場所で、樹が「いる」と断言した。しかし自分の目には何も見えない。いつ樹のように見えない何かに襲われるか分からない。そんな状況が、混乱と恐怖を呼んだ。
ただ怯え、良親に言われるがままに冬馬を運んだ。ミュゲに向かう車の中で、繰り返し繰り返し頭の中で再生される。倒れ込む樹の姿と、冬馬の悲痛な叫び声。
正気に戻った頃には、もう遅かった。
仲間を置き去りにした現実と事実に、自分の不甲斐なさを呪った。自分たちのことを気にかけてくれた冬馬。安易な行動から傷付けてしまったのに許してくれた樹。支えられて、許されたから――あの二人がいたから、自分たちは今ここにいる。
それなのに――。
本当は認めたくなかった。それが保身のためか、冬馬と樹のためかは分からない。でもどう考えても、あの様子では、きっと助からない。一緒に過ごしてきた時間と、廃墟で一人置き去りにされて事切れた樹の姿が脳裏に浮かぶ。言葉では言い表せないほどの強烈な罪悪感や孤独、
もう消えてしまいたいと願うくらい、後悔した。だから、きちんとけじめを付けようと思った。
ひとまず合流しようと冬馬へ連絡を入れると、思いもよらないことを言われた。樹がいない、と。
何がどうなっているのか分からなかったけれど、もしかして生きているかもしれない。そう思ったら、探さない選択肢はなかった。
良親から告げられた罪名を聞いて現実味と恐怖が濃くなり、一瞬覚悟がくじけそうになった。でも、このまま知らないふりをすれば、必ず後悔する。それにもし本当に樹が生きていたら、ちゃんと謝りたい。今度は許してくれないだろうが、それでもいい。自己満足でもいい、とにかく、樹に会って謝りたかった。
冬馬によると、あの場所は血が洗い流されていたらしい。樹もおらず、血痕も見当たらない。例え通報しても、確固たる証拠がないと警察は動かない。なら、独自で探すしかない。
それから一ヶ月半後、下平が久しぶりに顔を見せた。冬馬からは事前に、下平には言うなと釘を刺されていた。せめて下平には言った方がいいのではと進言しても、絶対に言うなの一点張りだった。下平に言えば、必ず動いてくれる。しかしそうなると、あの事が露見する。今の状態なら、証拠がないため逮捕されることはないだろうが、樹が発見されれば免れない。
今思えばあれは、自分たちのことを気遣っていたのだ。
下平が協力してくれれば、樹を探し出せる可能性がある。冬馬が保身のためにその可能性を放棄するはずがない。樹の安否を知るためなら、自分の保身など二の次だ。それは、これまでの二人を見ていれば分かる。
あの二人は、不思議なくらいお互いを大切に思っていた。その証拠に、樹がいなくなってから冬馬は自分を追い込むように仕事に没頭し、そして、作り笑いでしか笑わなくなった。やはり冬馬にあんな笑顔をさせられるのは、樹しかいないのだ。
だから必死に探した。ない頭を捻ってあちこち探したけれど、結局樹は、見つからなかった。
一年後、リンがアヴァロンに来るようになった。可愛くてノリも良くて、何よりあの無邪気な笑顔に惹かれた。カウンターに入っている時にリンがドリンクの注文に来て、ここぞとばかりに声をかけた。最近よく来てくれてるよね、と。すると、リンは嬉しそうに笑った。それから話をするようになり、しばらくして紹介されたナナは、圭介の好みど真ん中。
互いに冬馬に助けられたことがあると分かって、話は盛り上がったし共感もした。けれど、同時にリンが本気で冬馬に惚れていることも分かった。
いつだったか、リンは言った。
「振り向いてもらうのは、難しいって分かってるんだ。でも、好きでいることくらいはいいよね」
と。
どう転んでも冬馬に敵うとは思わない。もちろん好きな人には幸せになって欲しい。でもできることなら自分が幸せにしたい。
矛盾する気持ちを抱えながらも、リンと距離が縮んでいくことは嬉しかった。明るくて無邪気で友達思いで優しくて、一途。知れば知るほど思いは募り、しかし、距離が縮んでいくごとに――恋をすること自体に、罪悪感を覚えた。
樹はまだ、見つかっていないのに。
さらに二年が経ち、例の噂が流れた。樹が生きているかもしれないと喜んだと同時に、不安にもなった。もし本当に噂を流したのが樹だったとしたら、自分たちを恨んでいるのだろうと。でも、だからこそあの時のことをきちんと話して、せめて冬馬への誤解だけでも解かなければと思った。
そんな矢先に、
「可愛いよな、あの二人」
良親は、うっすらと笑みを浮かべてそう言った。ホストをしているだけに、見た目もノリもいい。けれど、女癖の悪さには正直言って警戒していた。リンとナナも、わざわざ紹介したわけではなく、二人と話をしている時に偶然良親が来店し、紹介せざるを得なかっただけだ。さらに、冬馬との微妙な関係も薄々気が付いていた。わずかでもバランスが崩れれば一気に崩壊してしまうような、そんな危うさを孕んだ空気が、いつも二人の間に流れていた。まさか、あんな真似をするとは。
一方冬馬からは、
「絶対に余計なことをするなよ。常に警戒して、リンとナナのことを最優先に考えろ。この話が漏れたら一番危険なのは二人だ。忘れるな」
そう言われていたにも関わらず、イツキを探しに来た二人組の男が刑事だと見抜けなかった。あれは口実かもしれなかったのに。
冬馬は、いつも人のことばかり心配する。樹が来店した時も、本当はきちんと話をしたかっただろうに、警戒しろ油断するなと言った。不可解な噂や良親からの脅しと、不穏なことが立て続けに起こる中での、樹の来店。客やスタッフを巻き込むわけにはいかないとでも思ったのだろう。だからあんな態度を取った。でも最後に、本音が飛び出した。
さすがに驚いた。樹を巻き込むようなことを言うなんて。でも、それだけ冬馬は精神的に限界だったのだ。樹の安否は分からず、しかし仕事を休むわけにはいかない。追い打ちをかけるように、わけの分からない噂が流れ、良親から脅迫されて。
それなのに廃ホテルの時、譲二にやられたあと、七階まで行く途中で言ったのだ。
「俺のことはいいから、お前たちは良親に従え。何があっても抵抗するな。リンとナナのことだけを考えろ」
自身も標的になっていると知っておきながら、殺されるかもしれないと分かっておきながら、どうしてそこまでできるのか。結局、冬馬と良親の間にどんな確執があったのか分からなかったけれど、精神的に追い込まれた原因の一つなのかもしれない。
樹たちに助けられて、これで終わったかと思ったら、次は
今度こそ自分たちが守らなければと、そう思った。リンとナナも、そして、冬馬も。
どうやら、廃ホテルにいた式神が護衛についてくれているらしい。でも油断は禁物だ。
冬馬が言うには、樹たちの方も龍之介と因縁があるらしい。彼らがどんな問題を抱えているのかは分からない。悪鬼とかいう悪霊や
人には向き不向きがあることは分かっている。小心で、臆病で、度胸もない。いつも人に従うばかりだった。三年前も、今も。
『そういう人だからな』
いつか言われた昇の言葉を思い出した。
また何かあれば、冬馬は無茶をして自分たちを守ろうとするのだろう。
もし本当にリンとナナが狙われていて、樹たちが抱えている問題に龍之介が絡んでいるのだとしたら、ここで捕まえることができれば、樹の役に立てるだろうか。
酷いことをしておきながら二度も許してくれた樹に、そして、助けてもらったあの日からずっと支えてくれた冬馬に、恩を返せるだろうか。