第3話

文字数 5,425文字

 紺野は気を取り直すために一つ咳払いをしながら、ひとまずメモ帳を尻ポケットに突っ込んだ。
「それでだ、近藤。襲われた時の状況の説明を――」
 言いかけた時、下から今度は聞き覚えのある二人の声が聞こえた。
「どこ行きやがったあいつ」
「近藤くんもいませんね。トイレでしょうか」
 静かなだけにすぐに誰の声か分かった。
「すみません、ちょっと」
 紺野は言い置くと、急いで階段を下りる。廊下に出て通用口の方を覗くと、やはりだ。小太り体形の男と、長い髪を一本にまとめた女性。二人ともスーツ姿だ。
「熊さん、佐々木さん」
 声をかけると扉を開きかけた熊田(くまだ)佐々木(ささき)が振り向き、あっと小さく声を上げて駆け寄った。
「紺野、探したんだぞ」
「そんな所で何して……」
 苦言を呈す二人の視線が、階段を下りてきた下平と近藤へ注がれた。
 怪訝な表情を浮かべた熊田と佐々木に突っ込まれる前に、紺野は二人を非常階段の方へ誘いながら話を振った。
「さっきの足音、北原のご家族ですか」
「あ、ああ。ちょうどそこで会って……」
 と、はたと我に返った熊田が思い出したように紺野の腕を掴んだ。
「つーかお前、ちょっと来いっ。今度こそ隠してること全部吐いてもらうぞっ」
 ぐいぐいと廊下の方へ腕を引っ張られて、紺野は足を踏ん張った。
「熊さん、今は監視がいるので無理ですって」
 熊田が足を止めて振り向いた。
「もういねぇよ。今は俺たちが監視だ。呼び出されて捜査本部に戻ったら、お前も病院に行ってるって聞いたから代わったんだよ」
「こんな状況だし、紺野くんたちと親しいのは他の捜査員たちも知ってるでしょ。まあ、だからこそあまりいい顔はされなかったけど」
「お前には聞きたいことが山ほどあるから押し通した」
 補足した佐々木にさらに補足して、熊田と佐々木は紺野を見据えた。
 監視がいなくなったのは都合がいいけれど、しかしどうするか。この様子では話すまで解放してくれそうにない。口をつぐんだ紺野の代わりに、下平が口を開いた。紺野の肩に手を置いて進み出た下平を、熊田と佐々木が不審な目で見やる。
「紺野、とりあえず外に出よう。どちらにせよ、監視がいないのなら外の方がいい」
「……そうですね。熊さん、佐々木さん、ひとまず外に出ましょう。話はそれから」
 熊田の手をやんわりと解きながら促すと、二人は解せない様子で、しかししぶしぶと頷いた。
「近藤、お前はどう……」
「行くに決まってるでしょ」
 紺野の言葉を遮って、近藤は横を通り過ぎた。
 三人の背中を追いながら、紺野はさらに小声で下平に問うた。
「どうしましょうか」
「正直言って、人手が欲しいところだが……」
 下平も困り顔だ。
「……下平さん」
「うん?」
 紺野は一瞬躊躇い、しかし結局こっそり耳打ちした。
「……そうか、分かった」
 下平は、神妙な顔で佐々木の細い背中を見つめた。
 時間外通用口の目の前は、駐車場になっている。表玄関の方とは違い、数台ほどのスペースしかない駐車場には、紺野の車の隣に下平の捜査車両が、さらに隣には見慣れた捜査車両とワンボックスカーが停められている。北原の家族が乗って来たものだろう。
 示し合わせたように紺野の車の前で足を止めると、近藤がボンネットに寄りかかるように尻を乗せた。
「それで?」
 端的に要求され、紺野と下平は顔を見合わせる。どうするべきか、まだ答えが出ない。答えあぐねる二人に、熊田が言った。
「その前に、紺野」
 言外に「誰だ」と尋ねられ、紺野は思い出したように背筋を伸ばした。
「ああ、すみません。こちら、下京署の下平さんです。下平さん、右京署の熊田さんと佐々木さんです。右京署時代の先輩です」
「どうも、下平です」
「下京署……?」
 会釈をした下平とは逆に、熊田と佐々木は同時に反復した。ますます怪訝な顔をしつつ、ひとまず挨拶を交わす。
「佐々木です……」
「どうも、熊田です。下京署の方が、どうしてここに?」
 熊田に尋ねられ、再び口をつぐんだ紺野と下平に、近藤が痺れを切らした様子で盛大な溜め息をついた。
「あのさ。二人が何を隠してるのか知らないけど、こんなことになる前に、せめて熊さんたちにだけでも話していれば、回避できたかもしれないんだよ?」
 それは事件の本質を知らないから言えるのだ、と反論できたけれど、確かにこうなってしまっては返す言葉もない。もし熊田と佐々木に話していれば、北原は一人で行動しようとは思わなかっただろう。
 冷静な叱責をした近藤から紺野は苦い顔を逸らし、下平は申し訳ない顔で頭を掻いた。
「それと、言っとくけど、僕は被害者なんだよ。真実を知る権利がある。それにこのまま蚊帳の外なんてまっぴらごめんだからね。話してくれるまで帰さないよ」
 熊田と佐々木がここぞとばかりに便乗した。
「近藤の言う通りだ。緊急招集がかけられて、捜査本部も大騒ぎになってる。観念して白状しろ」
「紺野くん。こうなった以上はもう待てない。言いなさい」
 佐々木が目を細めて威圧した。彼女は、普段は優しいが熱しやすい熊田と比べて、常に沈着冷静なタイプだ。こんな表情をするなんて珍しい。それほど怒りを感じているということなのだろう。
 陰陽師らのことを信じてもらえるかどうか、という懸念もあるが、それ以上に、事件に深く関わらせてしまっていいのかという不安の方が大きい。下手をすれば、北原の二の舞になりかねない。それに、佐々木は被害者遺族だ。高校生の時に父親を殺されている。ただ、佐々木には母親と夫がいる。母親は施設に入っていて、夫はそこの介護職員だと聞いた。時折話を聞いていたが、家族仲も良いようだ。それに、鬼代神社に通い母子を励ましていたという事実もある。しかしこれまでのパターンを鑑みると、完全にシロだと言い切れない。どうする。
 先に決断したのは下平だった。
「分かりました」
 勢いよく振り向いた紺野を見やり、下平は言った。
「厳しいことを言うなら、近藤を疑ってたにも関わらず、一人で動いた北原は軽率だった。だが、だからこそシロだと分かった。あいつが動かなかったら、俺は今でも近藤のことを疑ってただろう。それに」
 下平は熊田と佐々木に視線をやった。
「熊田さんと佐々木さんも、こうして話を聞き出そうとしなかったんじゃないですか?」
 何の話かといった顔をしつつも、熊田と佐々木は頷いた。
「ええ。こいつの自宅謹慎にこの事件ですから、我慢の限界でした」
「いつ聞き出そうかと話していたところです」
 下平は再度紺野に視線を戻した。
「どう考えてもこのまま二人で動くのは限界がある。俺に話をしたのもそれが理由だっただろう。北原の行動をただの軽率で終わらせないためにも、三人には話した方がいい。それに、熊田さんと佐々木さんは、お前を刑事として育ててくれた人たちだろう。大丈夫だ」
 真っ直ぐな目で明確に言い切られ、紺野は目を丸くした。遠回しに、信用していると言われたも同然だ。
 紺野は唇を引き締めて、三人を順に目に留めた。近藤はともかく、熊田と佐々木には昔から世話になりっ放しだ。暴走しがちな自分を諌め、諭し、励まし、叱り、褒め、本部に異動が決まった時は心から喜んでくれた。
 刑事として育ててくれたのは、間違いなく彼らだ。
 事件に深く関わらせてしまうことに、不安はある。けれどきっと、現代に存在する陰陽師たちのことも、この事件がどれだけ危険かも、彼らなら正確に理解してくれる。近藤は頭がいいし、熊田と佐々木は刑事だ。
「分かりました。お話します」
 三人は納得したように頷いた。
「ただ……」
 紺野はふと口をつぐみ逡巡した。下平の時にも言ったが、非現実的な話だ。特に近藤は科学者で、証拠を出せと言われかねない。だとしたら。
 ふいと上を見上げると、三階建ての病院の屋上に人影が見えた。明は式神を寄越すとだけ言っていたから、閃ではないのだろう。しかしこの暗さでは目を凝らしても誰か分からない。
「おーい、ちょっと」
 紺野が手招きをすると下平たちが一斉に見上げ、次の瞬間、人影は躊躇なく飛び下りた。
「えっ、なに、ちょっと……っ」
「やめ……っ」
「おい!」
 口々に中途半端な声を上げる。近藤は珍しく驚いて腰を浮かせた。落ちてくる人影を、近藤と熊田と佐々木だけが息を詰めて視線で追いかける。瞬きをした一瞬だった。人影はあっという間に落下して、着物の裾を翻しながらふわりと地面に着地した。
「ああ、左近(さこん)か」
 見た目は右近と瓜二つだが、着物を着崩しているため見分けがつく。とりあえず、と紺野は下平を見やる。
「下平さん、左近です。左近、下平さんだ」
「下平だ。よろしくな」
 気安く挨拶をした下平に、左近は無言のまま浅く会釈をした。
「もしかして、聞こえてたか?」
「ああ」
 左近は当然のように頷いた。神の聴覚は犬並みか。次に紺野は、近藤たち三人を見渡した。
「近藤、熊さん、佐々木さん」
 目を覚まさせるように少し語気を強めて呼びかけると、魂が抜けたようにぽかんとして左近を見つめていた三人が、はっと我に返った。
「え、ちょっと、何……? 夢?」
 近藤は口が利けるだけでも立派だ。熊田と佐々木は声すら出ないようで、ただただ目をしばたいている。
「残念だが現実だ」
 紺野は改めて三人を見渡して、告げた。
「ご紹介します。陰陽師、賀茂家当主・賀茂宗一郎の式神の、左近です」
 おん……、と近藤が中途半端に呟き、口を閉じた。真っ直ぐ左近に顔を向けている。頭が回り出したらしい、自分の目で見たものと状況を照らし合わせ、紺野の言葉の真偽を判断しているのだろう。しかし、今度ばかりは熊田と佐々木の判断の方が早かった。
「確か、土御門明も」
「陰陽師を名乗っていましたね」
 熊田と佐々木が神妙な面持ちで言った。
「俺たちが知っている情報を話すには、まず彼らの存在を信じてもらう必要があります。実際に見てもらった方が早いと思ったので、今あえて会っていただきました」
 どうでしょう、と言外に尋ねた紺野に答えたのは、すっかり平常心を取り戻した近藤だった。
「疑う余地なんてないでしょ。あの高さから飛び降りて無事な人間なんていないよ」
 常識を覆され、近藤は悔しそうに頭を掻いた。熊田と佐々木も、確かに、と呟いて顔を見合わせ、引き締めた顔を紺野へ向けた。
「信じるしかねぇな」
 刑事の勘だろうか。真っ直ぐ向けられてくる目には、覚悟の色が見える。
「左近、周りに異常は?」
「ない」
 ということは、北原と近藤を襲ってそのまま引き上げたのか。だが油断はできない。紺野は下平を見やった。
「今のうちにどこかへ移動しましょう。さすがにここで話はできません」
「だったら、うちの署はどうだ。本部はまずいだろ」
「そうですね。左近、下京署に移動するから、悪いが付き合ってもらっていいか」
「承知した」
 紺野はポケットを探って鍵を取り出すと近藤に放り投げ、先輩刑事たちに向けて言った。
「近藤は俺の車で待ってろ。すみません、少し待っていてもらえますか。北原の家族の様子を見てきます」
 紺野が踵を返すと、下平、熊田、佐々木が自分もと続いた。近藤と左近を二人きりにして大丈夫かと、ある種の不安が脳裏をよぎったが、悠長にしている暇はない。これまでのことを全て話すとなると時間がかかる。
 廊下を進んだ先には、長椅子に腰を下ろした北原の家族がいた。未だ赤く灯る「手術中」の文字を見上げている男性は兄だろう。母親が両手を組み合わせて祈るように俯き、両隣りに座っている二人の女性は、姉と兄の嫁か。さらに隣では父親が腕を組み、不安を発散するように貧乏ゆすりを繰り返している。まだ若い青年二人は、おそらく弟たちだ。じっと俯いたまま動かない。
「北原さん」
 紺野が静かに声をかけると、一家は一様に視線を向けた。
「府警本部の紺野と申します」
 足を止めて名乗ると、ああ、と全員が思い当たったように瞬きをして、父親が腰を上げた。
「貴方が……、匠から聞いています。とても良くしていただいていると」
 そんな風に話していたのか。いえ、と恐縮した紺野に、母親が勢いよく立ち上がって詰め寄った。お母さん、と女性の一人が肩を掴んで制する。
「犯人は……っ、犯人は分かったんですか!?」
 潤んだ目と胸の前で震える組んだ両手が痛々しくて、紺野は目を細めた。
「現在、捜査中です」
 むやみに話すわけにはいかない。本当は分かっているのに伝えてやれないことが、酷くもどかしかった。母親の目から涙がこぼれ落ち、弟二人も駆け寄った。
 この短時間に、家族全員が病院に駆けつけた。北原がどれだけ愛されて育ったのか、よく分かる。
 紺野は財布から名刺を取り出すと、父親に差し出した。
「厚かましいお願いで申し訳ないんですが、手術が終わったら直接連絡をいただけませんか。いつになっても構いません」
 父親は、紺野の一歩後ろで待つ下平たちへ視線を投げ、もう一度紺野を見た。
「分かりました」
 そう言って名刺を受け取ると、紺野を真っ直ぐに見据え、ゆっくりと頭を下げた。
「よろしくお願いします」
 これから捜査に向かうと分かってくれているのだろう。父親に倣って一様に頭を下げた母親たちを見て、紺野たちは表情を引き締めた。
「――必ず捕まえます」
 そう、紺野は力強く告げた。
 紺野たちは彼らに深々と頭を下げて、その場を後にする。
 遠ざかる四人の刑事たちの背中に向かって、父親がもう一度、深く頭を下げた。
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