第4話

文字数 4,861文字

 続々と駐車場を出ていく捜査車両に続いて、紺野が運転する車も続く。隣から少なからず圧を感じるのは、沢村が大柄だからか、それとも監視という役目があるからか。
「沢村さん。すみません、先に行きたいところがあるんですが」
 沢村は横目で一瞥し、一拍置いた。
「……ああ、構わない」
 察してくれたのだろう、落ち着いた声に、無駄のない答え。
「ありがとうございます」
 北原とは、もちろん事件の話はするが、全く関係のないことやくだらない話も多かった。会話のテンポも違う。何だか、違和感がある。
 街の喧騒とタイヤがアスファルトを擦る音が響く車内に、沈黙が落ちた。
 事件の話でもした方がいいのかと思うが、寡黙なタイプだし、黙っている方が正解だろう。そう紺野が結論付けた時、沢村の方が沈黙を破った。
「北原は、人から恨まれるタイプとは思えない。のだが」
 唐突な意見に驚いた。最後に付け加えられた自信がなさそうな一言もそうだが、沢村が誰かのことをそんなふうに語るところを初めて聞いた。寡黙で付き合いが悪い。けれど人に興味がないわけではないらしい。むしろ、きちんと見ているのではないのか。
「俺もそう思います。ただまあ、刑事なので、どこで恨みを買っているか分かりませんから。こんな事件の最中ですし」
「……そうだな」
 また一拍置いた沢村に気が付いた。彼は母と逆のタイプだ。思ったことをすぐ口にする母と、一度考えてから口に出す沢村。母だけではない、他の同僚や友人にもいないタイプ。
「紺野」
「はい」
 今度は、一拍置いたというより、言いあぐねたといったような間が開いた。赤信号で停車して、紺野は沢村を見やる。真っ直ぐ前を見据えたままの無表情は、何を考えているのか分からない。
「お前から見て、土御門明はどういう人物だ?」
 予想外の質問に、明ですか? とついて出そうになった言葉を飲み込んだ。
 警察内部にいる協力者は、沢村も例外ではない。同僚とはいえ、少女誘拐殺人事件を担当した加賀谷の後輩だ。油断は禁物。気を引き締めねば。
 紺野は前を向き直って逡巡する。
「そうですね……」
 いけ好かない狸です、とはさすがに言えない。
「年のわりに落ち着いていて、妙な貫禄がありましたね。愛想は良いですが、その分胡散臭い感じがしました」
 しょっちゅう連絡を取っているせいで勘違いしそうだが、明と直接会ったのは聞き込みと会合の時、少女誘拐殺人事件のファイルを渡した時の三回だけだ。初めて会った時の印象を思い出して口にするが、それは今も大して変わりない。
「どうしてですか?」
 今のところ参考人の扱いになっているが、事件発生当初に初めて名前が上がった人物だ。今でも明を疑っている捜査員は多い。けれど何故今さら。それに先程の妙な間。何が目的だ。
 信号が青に変わり、車を発車させる。
「近所の聞き込みからは、良い印象しか出てこなかった」
 矢崎徹(やざきとおる)の評判を聞いた時の自分と同じか。誰でも叩けば塵の一つや二つ落ちると思っているのだろう。
 明の近所での評判は、一貫して聞かれたのが「良いお兄ちゃん」だ。他には、しっかり者、穏やか、優しい、礼儀正しい好青年と、とにかく高評価だった。否定はしない。否定はしないが、腹黒いと性悪と狸を付け加えたい。
「まあ、矢崎徹もそうでしたからね」
 一応フォローは入れておく。しばらく間が開いて、沢村が口を開いた。
「陰陽師のことを、少し調べた」
「は、ああ、はい」
 唐突な話題転換。
「陰陽師は、現代でいうところの公務員だったらしい。朝廷とも深い繋がりがあり、政治への影響力も強かった。その後、時代と共にオカルト色が強くなり、明治政府によって陰陽寮が廃止。陰陽師たちは各地へ散らばり、土御門家も影響力を失っていった」
 抑揚のない口調は、まるで教科書を読んでいるようだ。沢村は一旦口を閉じて、再び開いた。
「もし、土御門明が本当に安倍晴明の子孫で、陰陽師なら。そして表向きは衰退したと見せつつ、裏で朝廷や幕府との繋がりを保っていたとしたら、あの多くの政治家や企業家たちとの繋がりも、不思議ではない」
「ああ……まあ、確かに」
 どういういきさつで政治家や大企業とのパイプを持ったのか不思議だったが、そんなふうに考えることもできるのか。
「こればかりは、土御門明から直接聞くしかない。だが、もし本当に彼が陰陽師なら、これまでの証言に嘘はないのではないか、と思う」
 紺野は眉根を寄せた。
「沢村さんは、あの鬼だの何だのというおとぎ話を信じるんですか?」
「いや、それはさすがに」
 ここは即答だ。
「だが、お祓いをしてもらったと証言をした者たちを含め、大人がする適当な言い訳としては、稚拙だ」
「だからこそ、真実なのではないかと?」
「……あくまでも、俺の個人的な意見だ。証拠もない」
 他の者からすれば馬鹿馬鹿しい話だろうが、真実を知っている立場としては見事としか言いようがない。
「それ、加賀谷監理官には?」
 尋ねると、沢村は口をつぐんだ。上司と部下とはいえ先輩後輩で、他の捜査員たちよりは気安いだろうと思ったのだが。
「……言ったが、一蹴された」
 でしょうね、とは言えず、紺野はそうですかと聞き流した。
「でも、どうしてそれを俺に?」
 一番不可解なのはそこだ。これまで必要以上に会話をしたことがない自分に、何故突然個人的な意見を話したのか。目的が分からない。
「昨夜、北原と一緒にいた科捜研の近藤は、お前たちと親しいらしいな」
 全力で否定したいがここは我慢だ。
「ええ、まあ……」
「土御門明を最初に聴取したのは、お前だ。そして、朝辻昴、三宅、北原、近藤。お前自身もそうだが、周りの人間が、事件に関わりすぎている。何か、あるんじゃないかと思った。こう……因縁、のような」
 途中でぎくりとして、最後で脱力しそうになった。意図的なのか本気なのか分からない。
 しかし、沢村が協力者でなければ、さすがに陰陽師らと手を組んでいるなどとは思わないだろう。だが、もし沢村が協力者だったとしたら、最後はともかく、こうもあからさまに鋭い指摘をするだろうかとも思う。それに、沢村の言葉を借りるなら、ごまかすにしろ最後にスピリチュアルな理由を放り込むのは、大人としてあまりにも稚拙だ。
 なんにせよ、怪しすぎる。
 沈黙した紺野に、沢村は自信がなさそうに少しだけ視線を落とした。
「……すまない。そうとしか言いようがない」
 変わらず単調な喋り方だが、わずかに申し訳なさそうな声色に、紺野は我に返った。
「ああ、いえ。……確かに」
 続けた紺野に沢村がついと視線を向ける。
「言われてみれば、そうかもしれません。でも、もし本当に俺とこの事件に何かしらの因縁があって、沢村さんの推理が正しかったとしたら、俺に話すのはまずいんじゃないですか。もしもとは、考えなかったんですか?」
 被疑者(すばる)の肉親であるからこそ私情を挟まないように捜査から外され、同時に疑われてもいるのだ。そんな立場の人間に易々と個人的な意見を話し、それが正しかった場合は自身が危険に晒されることくらい分かるだろうに。やはり何かの罠か。
 率直に指摘すると、沢村は視線を前に向け、言葉を選ぶようにゆっくり口を開いた。
「……被害者も増え、被疑者も浮かんでいる。だが、一向に捜査は進展しない。仕方がないとは思うが、監理官は、急いでいるというか……少し、冷静さを欠いているように見える」
 正直、よく分からない。加賀谷が担当する事件を捜査したことはもちろんあるが、その時とさして変わらないように思えるが。長い付き合いだからこそ分かる違和感か。
「俺は、お前と事件に因縁があるのではと思ったが、お前自身は疑っていない。これまでのお前や北原、周りの人間を見ていれば分かる」
 意外な言葉に、紺野は目を丸くした。それと同時にちくりと胸が痛む。
「だから、話すことで、何か気付けないかと思った」
 会話の中から事件解決のヒントを得ようとしたのか。加賀谷のために。
「そう言っていただけて嬉しいですが……。すみません、俺は何も……」
「いや、俺が勝手にそう思っただけだ。気にするな」
 車内に沈黙が落ちて、紺野はハンドルを握り直した。仕事は真面目で同僚たちからの信頼もある。だが、沢村のことをよく知らない。
 彼の言葉を、どこまで信じていいのか分からない。
「沢村さんは、加賀谷監理官と部活の先輩後輩だったと聞いていますが」
 沈黙を破った紺野を沢村が振り向いた。
「ああ。弓道部だった」
「加賀谷監理官は、どんな先輩だったんですか? 正直、和気あいあいとしてる姿が想像できないんですけど。あ、これオフレコでお願いします」
 正直に尋ねると、視界の端で沢村がほんのわずかに笑ったような気がした。
「あの人の周りには、いつも人がいた。明るくて、成績優秀で、弓の腕も良く、面倒見もいい、誠実な人だった。その分、やっかみも多かったようだが。俺は、人付き合いが苦手で話下手だから、入部したての頃は孤立していた。そんな俺にも、あの人は気軽に声をかけてくれて、部に馴染めた。恩人だ」
 そう語る沢村の横顔は、とても穏やかで、懐かしそうな目をしていた。
「だが……」
 沢村はふと顔を曇らせた。
「警察官になって再会した時には、もう、あの頃の面影はなかった。何があったのかと尋ねても、何もないの一点張りで、決して話そうとしてくれない」
 沢村が語る加賀谷は、別人じゃないのかと思うほど今の姿とかけ離れている。いつも難しい顔で眉間に皺を寄せ、笑った顔はもちろん、捜査以外で人に囲まれている姿を見たことがない。
 あくまでも法律に則った上での権限である以上、警察にも限界はあるし、警察官らしからぬ行為をする者もいれば、不正や職権乱用も後を絶たない。どれだけ誠実に公務をこなしても、未だに税金泥棒だの暴言を吐かれることもあるし、逆恨みもされる。もちろん、いつか北原が言ったように、警察官としての誇りや志を持って職務に当たっている者の方が多い。けれど現実を目の当たりにし、やりがいを失ったり絶望する警察官は確かにいるのだ。捜査中の加賀谷はそう見えないが、もしかして、彼も何か思うところがあったのだろうか。
「そうですか……」
 この人は信用できる。そう思いかけて、紺野は気持ちにブレーキをかけた。こんなに情に弱い質だっただろうか。昔と変わってしまった先輩を未だ慕い、様子がおかしいと憂える沢村が、こんな事件を起こすはずがない。そう思う反面、やはり、まさかあの人がと言われる人物が犯人だった事件をどれだけ見てきたのだとも思う。
 加賀谷の後輩であり、よく知らない沢村を協力者から外すのは早計だ。しかし、だからこそ知る必要がある。
「意外です」
 不意に呟いた紺野に、沢村が振り向いた。
「加賀谷監理官もそうですが、沢村さんがこんなに喋るなんて。もっと寡黙なタイプだと思っていました」
 ああ、と沢村は呟き、前を向いた。
「……元々、話すのは得意じゃないが……」
 沢村はもごもごと言い淀み、ぼそりと言った。
「話がつまらないと、言われたことがあって……」
「誰にですか?」
 遠慮なく突っ込むと、沢村はうっと声を詰まらせて車窓へ顔を向けた。こぼれそうになる笑いを噛み殺す。見た目は厳ついが、なかなか繊細な性格のようだ。話をするのが苦手なところに、つまらないと言われれば余計口数も減るだろう。けれど沢村は、自分から話を振った。
 少しだけ、信じてみてもいいだろうか。
「俺は、つまらなくなかったですよ」
「……それは、事件の話しだからだ」
 つまり、雑談が苦手なタイプか。
「気にしなくていいんじゃないですか」
 沢村が振り向いた。
「会話が苦手だろうが何だろうが、一課の皆は沢村さんのこと信用してます。ちゃんと分かってますよ」
 変わり者だと噂はするけれど、それでも沢村の仕事ぶりはきちんと評価されている。妻は全てを承知の上だろうし、おそらく加賀谷も。
「……そうか」
「ええ」
 紺野が頷くと、沢村は真っ直ぐ前を見据えた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み