第3話

文字数 5,453文字

「つまりだ」
 感傷に浸る間もなく、おもむろに晴が腕を組んで神妙な顔を浮かべた。
「樹ラブの平良がお前に会いたいがための事件だったってわけだな?」
 間違っていないがその表現の仕方はどうなのか。樹が目を剥いて勢いよく顔を上げた。あ、泣いてない。大河は少々残念な気持ちで笑いを噛み殺した。
「ちょっとおかしな言い方しないでよ、気持ち悪いなッ!」
「だから言っただろう、ひねくれた愛情表現は誤解を生むと」
「何の話!?」
「樹さん、モテモテじゃん」
「会うためだけにこれだけの事件を起こすなんて、相当こじらせてるな。よく考えろよ、樹」
「よぉし、その喧嘩買った」
 扉から背中を離し、僕を変態の餌食にしないでくれる!? と言いながら繰り出された拳は、いつもよりかなり弱々しかった。大河は笑いながら、すんなりと何度も受け止めた。紺野と北原、柴と紫苑以外の全員から笑い声が上がる。
「おい、こいつらいつもこんな感じか?」
「こんな感じだな」
「はい、こんな感じです」
「いつも通りで安心しました」
 紺野の呆れ気味の質問に、志季が満足気な笑みを浮かべ、陽と椿が微笑んだ。紺野から溜め息が、北原からは苦笑が漏れた。
「おいお前ら、仲が良いのは結構だが後にしろ。まだ疑問が残ってるぞ」
 樹にヘッドロックをかけられたまま一時停止し、視線を向ける。
「結局のところ、少年襲撃事件と噂は樹をアヴァロンにおびき寄せるためで、誘拐事件の狙いは陽。まあ犯人は同じだとしても、片方は依頼主がいるわけだし、二つは本来別件ってことだよな」
 そうだね、と樹がするりと腕を離した。さして力が入っていたわけではないが、大河は念のため首を振って無事を確認した。
「さっきのお前の話を聞いて思ったんだけどな、そもそも何で良親に協力させたんだ? しかも冬馬たちまで。平良は全部把握してるはずだし、他に仲間がいるならそいつらにやらせた方が確実だろ。おかしくねぇか」
「……言われてみれば、不自然ですね」
 北原が口を挟み、紺野がだろと続けた。
「依頼主はすぐに分かるって言ってたから、別にいることは確かだ。だとすれば、依頼を完遂できなかったってことになる。報酬も入らない。万全を期すなら、当初の目的通り樹と接触を図って、噂の件に意味を持たせるべきだろ。最終的に誘拐も冬馬たちが関わっていると悟られるにしても、気付くまでの時間は稼げる」
「冬馬が関わってるって知らなかったんですかね?」
 何だかややこしい話になってきた。大河は眉間に皺を寄せて頭をフル回転させた。つまりは、陽を誘拐・殺害する依頼を受けておきながら、樹に悟られる可能性がある良親たちを使ったのは何故か、という話だ。
「……もしかすると、どちらでもよかったのかもしれません」
 ぽつりと言った宗史の見解に、紺野と北原が怪訝な視線を投げた。
「どういうことだ」
 宗史は顎に手を添え、考え込む姿勢で言った。
「平良の目的は、樹さんと接触を図ることです。真面目な話、三年越しですよ。奴からすれば、他はどうでもよかったのではないかと」
 樹が、端正な顔立ちが台無しになるほどの渋面を浮かべた。
「本気で依頼をこなす気がなかったってことか?」
「おそらく。依頼を受けたからとりあえず実行したというだけで、報酬も度返し、そこに誰が絡んでもどんな思惑が便乗しても構わなかった。殺害できれば良し、できなければそれでも構わない。樹さんと接触を図ることができれば、それで」
「だったらアヴァロンに行った時に接触すれば……」
 ふと紺野が言葉を切った。ええ、と宗史が頷いた。
「奴にとって、これはゲームです。俺たち――特に樹さんが、どこまで気付いてどう動くかを楽しんでいた。結局は陽の外出が早かったため、樹さんが動く前に決行になったんでしょう。あれだけの悪鬼を集め、挙げ句窓から放り出しておいて、顔を見るためと言った矛盾もそれで説明がつきます」
「どういうこと?」
 大河が首を傾げた。
「平良の言葉を思い出してみろ。強い奴がいると聞いたから探していたと言ってただろう」
「うん」
「つまり、樹さんの実力を計っていた。奴からしてみれば、あの程度で死ぬような奴と対戦する気はないということだ。樹さんの今の実力は、内通者から聞いているだろうしな」
 大河は言葉を失った。あんぐりと口を開けたまま、間抜けな顔で宗史を見やる。
 これから先、対峙することになる樹との「ゲーム」をより楽しむためにこんな事件を起こした。そのためだけに大広間を埋めつくさんばかりの量の悪鬼を集めた執念もすごいが、平良はあれを「あの程度」だと捉えているのか。平良の実力も、相当なものだという証拠だ。
「さらに言うなら、良親さんを含め、全員悪鬼に食われても構わなかった。あるいは、食わせる気だった」
「あ、それ僕も思ったよ」
 樹が小さく手を上げた。
「良親さんたち二人を食ってすぐ窓に向かったから、おかしいなと思ったんだ。あの時、まだ捕食対象がいたでしょ」
「口封じのために、自分と繋がってるあの二人は確実に食わせるつもりだったってことか?」
 いやでも、と紺野は怪訝な表情を浮かべて考え込む姿勢に入った。
 良親は依頼主をはじめ、平良の正体や樹を探している理由さえも知らなかった。互いのことに深く干渉する仲ではなかっただろう。連絡先を絶ったのなら、口を封じる必要はない。ただ事件そのものに関わり、顔も知られている者たちを放置しておくよりは、処分してしまった方が後々安心ではある。しかも、証拠が残らない悪鬼を使って。
 何だか、噛み合わない。
「大河くん、どうしたの?」
 無意識に溜め息をついた大河の顔を、樹がひょっこり覗き込んだ。
「え、ああ、いや……」
「何か気になることでもあるのか?」
 口ごもる大河に宗史が重ねて問う。大河は一つ低く唸り、ずっと感じていた違和感を口にした。
「なんか、噛み合わないなって思って」
「どういう意味ですか?」
 陽が首を傾げた。
「うん……だって、少年襲撃事件で樹さんと怜司さんを遭遇させる方法とかさ……分かりやすいじゃん。陽くんを誘拐するのに式神を介入させたのも、いかにも鬼代事件と繋がってますって教えてる方法だし」
 かと言って他に方法が思い付くかと言われたら困るが。濁した大河に、皆がああと察した。
「それなのに、良親って人たちから情報が漏れないように悪鬼に食わせるっておかしくない? 自分の情報が漏れないようにするんなら、初めからここにいればいいのに。顔バレしても名前が分かんなかったらこっちは調べようがないよね。良親って人が自分のこと喋るの分かってたみたいだし、こっちが情報引き出してからじゃ遅いと思うんだよ。前科があって、紺野さんたちがいるって分かってるなら余計に。俺たちに教えたいのか教えたくないのか、なんかやってることが矛盾してる気がして……」
 自分で言いながら混乱してきた。上手く伝わっただろうか、と少々不安気に様子を窺うと、宗史と晴、樹と怜司、そして志季が目を真ん丸にして大河を凝視していた。
「え……何……?」
 やはりおかしかっただろうか。そんなことも分からないのかとか思われていたらどうしよう。大河は上目遣いで宗史らに視線を巡らせる。
「大河くん」
「はいっ」
 至極真剣な眼差しで見つめてくる樹に、大河は緊張の面持ちで視線を投げた。すると、
「ちょっとは賢くなったんじゃない? 乱闘で脳みそが刺激されたのかな?」
 真面目な顔で飄々と皮肉られた。この男は人のプライドを傷付けるのが趣味なのだろうか。いや、さっきからかった仕返しかもしれない。いい加減突っ込む気も反論する気も失せて、大河はがっくりと肩を落とした。全員から憐みの視線が向けられる。
 悪びれもせず、樹が続けた。
「まあ、それについては仮説くらい立つよね」
「ええ。目的が違うのと、隠す気がないんでしょうね」
 仮説と言うわりには明言した宗史に、大河は顔を上げる。
「目的?」
「ああ。手段については、こちらに鬼代事件と繋がっていると隠すつもりがないからだ。むしろわざと煽っているようにも思える。樹さんも言っていたが、あからさま過ぎるだろう。奴らにとって事件そのものがゲーム感覚だとしたら、そう考えるのが妥当だ」
 ゲーム、と大河はぽつりと反復した。やっぱりそうなるのか。
「内通者に関しては――」
 ふと言葉を切った宗史の後を引き継いだのは、樹だ。
「近々事態が大きく動くから?」
 数秒樹を見つめ、宗史は観念したように息をついた。
「さすがですね、その通りです。ただ、それが何かは俺たちの一存では言えません。父に確認しますので、もう少し待っていただけますか」
「うん、分かった」
 俺たちと言った。晴も知っているのだろう。素直に頷いた樹を見て、宗史は話を戻した。
「つまり、近々内通者が判明するような大きな事件が起こる。あるいは大きな事件を起こすために、内通者を呼び戻す。今回の事件はその布石であり、かつ寮内に疑心を生ませ、仲間割れを誘っているとも考えられる。その点については、こちらが皆にどう説明するかにかかっているが。平良個人の情報に関しては、初めは偽名かとも思ったんだが、刑務所で会っているなら譲二という男は本名を知っているだろうし、良親に紹介された時に偽名だと怪しまれる。おそらく調べても何も出てこないんだろう」
 戸籍を調べたとしても、住所や家族構成くらいしか分からない。平良が起こした事件についても、事件内容が分かるくらいでほぼ同じだろう。今現在、どこにいるかまでは分からない。
「ただ、携帯は別だ。解約したのは、こちらに連絡先が漏れることを想定した上での処置だろうな。紺野さんたちが正攻法を使えなくても、こちらには伝手がある」
「伝手?」
「エクシード・グループは知ってるか」
「あ、うん。弘貴と春から聞いた。越智さんはそこの副社長だって……あ、そっか」
 日本屈指の総合電子機器メーカーで、通信サービスも手掛けている。平良がエクシードを利用していなくても、同じサービスを提供している会社や企業などと交流くらいあるだろう。この状況だ、裏から手を回せる。内通者がいるのなら、その情報も向こうに渡っているはずだ。
「違法だから褒められた手じゃないけどな。番号が分かれば電波の発信場所が割れる。そうなると奴らの大体の居場所は絞り込めるだろう。新たに契約するにしても、仲間がいるのなら問題ない。今はな」
 仲間名義の携帯ということだ。平良の解約日以降に契約した者全員の身元を調べるわけにはいかないし、携帯の契約台数に制限はない。敵側全員の身元が判明していない今では、完全に見失う。
「それでも、良親さんたちを悪鬼に食わせたんだ……」
 良親は何も知らない。これ以上情報が漏れることはないのに、わざわざ。
 大河が視線を地面に落とすと、紺野が口を開いた。
「いや、もしかして、他に理由があるのかもしれねぇな……」
 重い口調に視線が集まる。
「実は、少年襲撃事件の犯人が割れた」
「本当ですか」
 宗史が食い付いた。
「ああ。名前は菊池雅臣(きくちまさおみ)、現在十八歳。一年前から行方不明になっていて、家族から捜索願が出されているそうだ。本当は今日、下平さんから詳しい話を聞くはずだったんだが、こんなことになっちまったから今のところそれだけだ」
 ただ、と紺野は続け、以前下平から得ていた情報と推理を話した。
「もし菊池が良親の話を聞いていたとしたら、当然許せねぇだろうな」
 菊池は、彼女を人質に同級生からカツアゲをされていた。良親もまた、同じ手段で冬馬たちを脅していた。自分を苦しめた手段と同じ方法で人を脅した良親を、菊池は許さないだろう。だから、食わせた。
「十八……高校生なんだ……」
 大河はぽつりと呟いた。
 成人男性ですら従うしかなかった手段を高校生で仕掛けられたら、きっと成す術もない。下平の推理通り、もしカツアゲの最中に菊池が悪鬼を生み、同級生らを食らったとしても不思議ではない。
 菊池の気持ちは理解できる。どれだけ辛く苦しんだのか、想像しただけで胸が痛くなる。昨日の少年と同じだ。理不尽に傷付けられて、その憤りが他人にも向いてしまった。
 賀茂家の会合で、晴が言った一言を思い出した。必要悪、と。
 では、内通者はどんな理由でこの事件に関わったのだろう。
 この世を、日本を混沌に陥れる――そんなゲームのつもりなら、鬼代神社の宮司と影正はそんなくだらないゲームのために命を落としたことになる。柴と紫苑が影正を運んでくれた時、樹と怜司以外全員揃っていた。どんな気持ちで影正の遺体を見ていたのだろう。あの場所で、何を考え、思っていたのだろう。
 疑問ばかりが浮かぶ。理解しがたい心理に、大河は唇を噛んだ。
「何だか、やり切れませんね……」
 陽が切ない顔でぽつりと呟いた。うん、と大河も小さく頷く。
 犬神事件もそうだった。加害者が被害者になり、被害者が加害者になった。それに鬼代事件の犯人たちが手を貸している。本気で自分たちを必要悪だと思っているのだろうか。
 もし思っているのなら、それは勘違いだ。鬼代神社の宮司と影正は犯罪者ではない。本来殺害されるべき人間ではないのだ。
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