第9話

文字数 2,634文字

 寮に戻ると、宗史らが出迎えてくれた。それはいいが、
「宗史さん、美琴ちゃんは?」
「もう部屋に下がってるぞ」
「大丈夫そうだった?」
「ああ、心配ない」
 室内へ上がる大河の質問に答えながら、宗史を先頭に、(せい)(いつき)怜司(れいじ)夏也(かや)は顔を歪め口と鼻を覆ってじりじりと後退して距離を取り、
「とりあえず風呂に入って来い」
 と言い捨ててリビングに入るなり勢いよく扉を閉めた。
 酷い、俺ら頑張ったのに、と文句を垂れ流す大河と弘貴の後に続いて風呂場へ向かう。しばらくして柴と紫苑も入ってきた。順応力が高いのか、すっかり手慣れた様子で蛇口やシャワーを使うのには感心した。ただ。
「あれは紫苑の至福の時間なんだよ。優しく見守ってあげようよ」
 うっとりとした顔で柴の髪を優しく洗う紫苑を引き気味で見ていると、大河が悟りモードでそう言った。
 そんな大河は、温まって背中の痛みが増してきたのか、浴槽に浸かることなく先に出た。骨折や罅はないだろうが、打撲しているかもしれない。
 大丈夫かな、と心配そうにする茂と昴を横目に、春平は浴槽に浸かって細く息を吐いた。
 帰り道、わざと話を逸らした。自分も、大河も。
 隗だと認識した時、大河から感じたのは、間違いなく邪気だった。それも強烈な。感じたとたん、酒吞童子の邪気と同じくらいの悪寒が全身を駆け抜けた。いっそ恐怖だったと言っても過言ではない。柴と紫苑が止めなければ、どうなっていたか。あの場にいた誰もが、そう感じたはずだ。
 肉親を殺害した犯人と顔を合わせれば、誰だって殺意くらい覚える。けれど大河のそれは、常人のものを遥かに超えていたように思えた。
 それを実際に肌で感じてしまった今、影正が残した言葉は、間違っていないとも、酷だとも思える。夏也は、もう整理が付いているのではと言っていたけれど、おそらくこちらが想像している以上に、大河が抱えている憎しみは、大きくて深い。
 それでもあんな風に笑える、笑っていられるのは彼の強さなのか。それとも、影正のおかげなのか。もし自分だったらと考えると、とてもではないが笑ってなんかいられない。放っておいてくれと言いたくなる。
 自分とは比較にならない大河の強さに嫉妬する。どうしてあんなにも強くいられるのか、分からない。
「春くん、大丈夫? 疲れた?」
 気が付くと、茂と昴が心配顔で覗き込んでいた。春平は我に返り、いえ、とぎこちない笑顔を浮かべた。
「大丈夫です。ただ……、大河くんすごいなぁって思って」
「あー、分かるそれ」
 弘貴が湯船に浸かりながら同意した。
「あいつ、術を行使できるっつっても、悪鬼を相手にすることに関しちゃぶっちゃけ素人だもんな。それなのに、あの状況で咄嗟にあの判断できるってすげぇよ。俺なら無理、けどめっちゃ悔しい」
 春平の言った意味とは違うが、弘貴の言う通りだ。悪鬼と対峙したのは、初陣の時と廃ホテルのたった二度。それなのに、地天の術は上級を行使した。上級を行使できるだけでも驚きなのに、咄嗟に初級では捕縛できないと判断したのだ。
 だが、昼間もそうだったが、ムカつくとか嫉妬心を口に出して言えるのは、弘貴の強さだと思う。こんな風にはっきり言えれば、すっきりするのだろうか。
「昨日の会合でね、樹くんが、大河くんは実戦で成長するタイプだって言ってたんだ」
 茂がゆったりと口を挟んだ。そういえば、昼間宗史もそんなことを言っていた。
「それもあるんだろうけど、大河くんは幼い頃から剣道を嗜んでたから、その分、相手を観察する癖がついてるんじゃないかな。相手の動きや力量や空気を読んで、次はどう仕掛けてくるか、どう仕掛ければいいか、動きながら考えるようにって、影正さんから叩き込まれたんだと思うよ。まあ、相手が人間じゃないから、勝手はちょっと違うだろうけどね」
 大河は長い間、影正から「相手を倒す方法」を体で教わっていた。実戦に強いはずだ。一刻も早く陰陽師としての経験を積ませるという目的もあったにせよ、だから宗一郎たちは、あんなに早く大河を初陣に出したのか。
「確かにそうか。いいなぁ、ずるいよな大河。つい最近まで陰陽師だって知らなかったくせにさぁ」
 唇を尖らせて不平を漏らす弘貴に、あはは、と茂と昴が笑った。
「はっきり言うねぇ」
「だって本当じゃないすか。それに、あんなの目の前で見せられたら悔しいっすもん。愚痴の一つや二つ言いたくなりますって」
「でも、弘貴くんだって今まで仕事をしてきて身に付いてるだろう?」
「そりゃまあ、それなりに。でも、指示は春の方が向いてるし、経験値が少ない大河も香苗も自分で判断して術を行使したし。俺、実際のとこ自分で何もやってないんですよね」
「詳しい話はあとで聞くけど、何となく想像できるかな」
「僕はちょうど見ましたけど、土の塊と擬人式神の欠片が残ってましたからね」
 補足した昴に、茂がそうそうと相槌を打った。
「やっぱ油断してるとすぐに追い越されそうだなー」
 気合い入れねぇと、と弘貴は手を組んで腕を前に突き出した。
「そうだねぇ、気合い入れておかないと、どんな処分を言い渡されるか分からないよねぇ」
 にっこり笑顔で抜け出したことを遠回しに責めた茂に、弘貴がぴたりと動きを止めた。
「あ――っ、それ忘れてたぁ!」
 弘貴がしまったといった顔を半分湯船に沈ませ、春平も遠い目をして「そうだった」とぼやいて天井を仰いだ。宗史たちが想定していたとしても指示に従わなかったことに変わりない。確実に処分対象になる。
「どんな処分が出ると思う?」
「そうですね……やっぱりレベル上げに関することだと思いますけど。しげさんだったらどんな処分にしますか?」
「僕だったらねぇ、もういっそ夏休みの宿題終わらせること、とか? この状況だし、先に終わらせちゃった方が後々楽だと思うんだよね」
「ああ、確かにそうですね。残りを全部訓練に使えますもんね」
 茂と昴の顔はとてもにこやかだが話している内容がにこやかではない。春平は顔を引き攣らせ、弘貴が海坊主よろしく勢いよく湯船から顔を出した。
「二人して恐ろしいこと言わないでくださいよ! あの量を一気にやったら俺寝込むから、倒れるから脳みそ破裂するから! 何この二人めっちゃ怖い! 大人っていいよな宿題なくて、早く大人になりたーい!」
 やろうと思えばできないこともないが、確かに熱は出そうだ。よくそんなに舌が回るなと言いたくなる勢いでまくしたてた弘貴に、茂たちの笑い声が浴室に反響した。
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