第14話

文字数 2,880文字

 治癒が終わり、お茶が全員に回った頃、宗一郎が明へ電話した。
「もしもし。お疲れ様です」
 明の声がリビングに響く。
「お疲れ。いいか?」
「ええ。そちらは?」
「とりあえずな」
 宗一郎の答えに、一同首を傾げる。あとで栄明か誰か来るのだろうか。
「先に、熊田さんと佐々木さんにご挨拶を」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
 そう言うと、宗一郎はおもむろに袂を探った。出てきたのは、コンパクトな折り畳み式の携帯用スタンドだ。またずいぶんと用意周到な。四次元ポケットか。
 宗一郎はスタンドをテーブルに置き、携帯をセットすると熊田と佐々木の方へ向けた。二人が姿勢を正す。
「初めまして、熊田です」
「佐々木です」
「初めまして、土御門明と申します」
「土御門陽です」
 どうやら二人並んで画面の前にいるらしい。明が続けた。
「このたびは、大変お世話になりました」
「いえ、とんでもない」
 熊田の顔が曇った。
「同じ警察官として、情けない限りです。申し訳ありません」
 悔しげな声に、紺野らも顔を曇らせる。
「いいえ。皆さんがお気に病む必要はありません。ところで、陽がお二人にどうしてもお礼が言いたいそうですよ」
「お礼ですか?」
「ええ」
 意外な申し出に二人が小首を傾げ、陽の声が届いた。
「あの、録音のことなんですが、ありがとうございました。嬉しかったです」
「え?」
 一体何のことだと言いたげに瞬きをする二人とは反対に、あれかと察したのは、あの場にいなかった茂や華、柴、紫苑、下平以外の全員だ。事情は知っていても、録音は聞いていないらしい。
「お二人とも、すごく怒ってくださったので」
 照れ臭そうな陽の声に、熊田と佐々木が「ああ、あれか」といった顔をした。
「本当にありがとうございました」
 深々と頭を下げているのだろう、二人はいいえと微笑ましそうに笑った。そして再び顔を見合わせると、佐々木が改めて口を開いた。
「あの、一つご報告が」
「はい、何でしょう?」
 明に代わった。
「岡部が、今朝がた死亡したそうです」
 虚をつかれた顔をしたのは、寮の全員だ。
「手遅れでしたか」
「はい。かなり進行していて、手の施しようがなかったと」
「そうですか」
 明の受け答えには、まったく動揺が見えない。宗一郎も宗史も晴も、また式神も同じで、まるで分かっていたかのように表情が変わらない。
「ねぇ、何の話?」
 尋ねたのは樹で、答えたのは下平だ。こちらのことは知っているようだ。
「聞いてねぇのか」
「うん。岡部が見つかって自白したって聞いただけ」
「神社で発見した時、岡部は腎臓を患っていたそうだ。話しを聞いたあとに倒れて、病院に搬送されてたんだよ」
 ふーん、と樹はさして興味がなさそうに相槌を打った。驚きはしたが、正直に言って感慨など湧かない。大河をはじめ、他の者も皆「そうなんだ」といった顔だ。
 佐々木が続けた。
「それと、これは事件に関係ないんですが、一応ご報告を」
「はい」
 佐々木は深く息を吸い込んだ。
「岡部は、二十四年前に父を殺害した、犯人の一人でした」
 さすがに誰もが驚きを隠せなかった。まさかこの場でその話が出るとは。しんと静寂が落ち、目を丸くして佐々木を見つめている。
「間違いありませんか」
 宗一郎も驚きの表情だ。
「はい。近藤くんから連絡があって、確認してきました。岡部が、証拠を所持していました」
 それもまた驚きを誘う報告だった。
「不躾ですが、どのような事件だったのか聞いてもよろしいでしょうか」
「はい」
 宗一郎の要求に、佐々木は嫌な顔一つせずに語った。
 今から二十四年前、京都府八幡市で、一人の男性会社員が押し入り強盗に殺害される事件が起こった。
 被害者は佐々木剛(ささきつよし)、当時四十歳。佐々木の父親である。事件発生時刻は夜中の一時頃。その時、佐々木と母親は二階のそれぞれの自室で就寝しており、父親は一階にある居間続きの和室で持ち帰った仕事の書類の整理をしていた。
 すっかり眠りについていた佐々木は、一階から響いた大きな物音で目が覚めた。お父さん何をしてるんだろうと思いベッドから下りた時、やめてくれ! と父親の怒声が響き、さっきよりも大きな物音が家中に響いた。何かが派手に倒れる音や割れる音、そして微かに聞こえる男の声。
 何が起こっているのか分からない恐怖に体は硬直し、佐々木はベッドの側で立ち尽くした。すると、向かい側にある両親の部屋の扉が開く音がして、すぐにノックと共に母親の声が届いた。小走りに駆け寄って扉を開け、不安顔の母親にしがみついた。どうしたの、何があったの、と切羽詰まった声で尋ねる。その時には、何の物音もしなくなっていた。
 母親が佐々木を背中に庇って、できるだけ足音をさせずに廊下を進み、階段へと辿り着く。そろそろと覗き込むようにして階段を見下ろし――目に映った光景に言葉を失った。
 数秒後、二人の悲鳴が家中に響き渡った。
 悲鳴を聞いて集まった近所の住民らが警察に通報し、現場検証が行われた。庭と室内には男と思われる二人分の足跡が残されており、縁側には煙草とライター、数本の吸い殻、灰が散らばっていた。父親のビジネスバッグの側に落ちていた財布からは現金が抜き取られ、荒らされたのは和室や居間、キッチン。引き出しが引っ張り出されて物が散乱し、ダイニングテーブルの椅子が倒れていた。しかし通帳は二階の金庫にあり、現金も置いていなかったため、被害額は一万円ですんだ。そして階段下には、血が付着したガラス製の灰皿が転がっており、両手をガムテープで後ろ手に縛られ、頭と胸から血を流した父親が横たわっていた。司法解剖の結果、後頭部に殴打された跡が、胸には鋭利な刃物で心臓を一突きにされた刺し傷があった。致命傷は刺し傷の方で、即死だった。
 以上の状況から、警察はこう推測した。
 佐々木家は父方の祖父母から受け継いだ古い一軒家で、裏手に小さいながらも蔵があり、周辺の民家と比べて多少敷地も広かった。狙われたのはそれが理由だろう。
 犯人は男二人。庭に潜み、家人が寝静まるのを待っていた。しかし、運悪く父親が煙草を吸いに縁側に出てしまった。犯人たちは咄嗟に凶器で脅し、父親はその際に煙草と灰皿を落とした。犯人らは父親を拘束して金の在り処を聞き、財布から抜き取り、さらに部屋の中を物色したが見つからず、二階へと上がろうとした。二階には妻と娘がいる。止めようとした父親と犯人の一人が揉み合いになり、もう一人の犯人が灰皿で父親の頭を殴り付け、さらに揉み合ううちに父親を刺した。
 佐々木が聞いた「やめてくれ」という父親の叫び声は、二階へ上がろうとした犯人を止めた時のものだろう。
 しかし、事件の状況は判明したが、凶器やガムテープ、家財などから犯人らの指紋はおろか、髪の毛一本残されていなかった。おそらく目出し帽で頭をすっぽり覆い、手袋をしていたのだろう。当時は、住宅街の防犯カメラの数はまだまだ少なく、個人で取り付けている家も珍しかった。さらに犯行時間が夜中だったため目撃者もなし。犯人につながる手掛かりを一切発見できないまま、捜査は打ち切られた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み