第18話

文字数 2,851文字

 皓の話を聞いて、似ていると思った。夜襲から始まり、大戦へと発展したあの戦と今回の戦。
 この戦の目的は、今のところ、この世を混沌に陥れることだと見られている。つまり、人を完全に滅亡させることではない。
 そもそも、話を聞く限り雅臣と健人の家族は存命で、彼らに恨みがあるわけではないのだ。ならば、下平らと同じように護符を持たせるなどして保護するつもりだ。一方で、隗と千代は人の滅亡を望んでいる。標的は同じ「人」であっても、存続させるか滅亡させるか、一番重要な部分が大きく食い違っているのだ。
 大戦時、千代が剛鬼と手を組んだのは、おそらく陰陽師の存在が大きいだろう。茂によると、陰陽師は七世紀後半、飛鳥と呼ばれる時代からすでに存在していたらしい。つまり、安倍晴明によって陰陽道が確立されるまでの間も、人は悪鬼に対抗し得る手段を持ち合わせていたことになる。千代がどの時代の生まれなのか定かではないし、陰陽道が確立されるまで、どの程度の術が編み出されていたのかははっきりしていない。けれど、千代が人を駆逐できずにいたのなら、間違いなく陰陽術は機能していた。
 そうなると、いくら悪鬼を従えることができたとしても、おいそれと人に手は出せなかったはずだ。ならば、剛鬼率いる野鬼の戦力は利になる。やはり、あんな詭弁で丸め込まれるわけがないのだ。
 そして現代。楠井家と手を組んだ理由は、戦力を得ることに加え、皓と同じくこの時代や陰陽師の情報が目的だろう。ならば、最後は裏切る可能性が高い。これは隗にも同じことが言える。
 一方で、何故楠井家は人を滅亡させることが悲願である千代と隗を復活させたのか、という疑問が残る。昴が盗んだ朝辻家の文献に書かれているはずなのに。
「いや、待て……」
 剛鬼、隗、千代、楠井家、それぞれの目的――。
「……そうか」
 紫苑は神苑へと向かいながら、一人呟いた。
 大戦時との一番の違いは、剛鬼と楠井家だ。剛鬼ら野鬼は、陰陽師ではない。千代を敵に回せば勝てる見込みは薄い。だからあんな詭弁で丸め込もうとした。だが楠井家は陰陽師だ。千代に対抗し得る手段を持つ唯一の者たち。
 千代は戦力と情報、楠井家は戦力。初めから互いを利用するつもりで手を組み、最後は裏切るつもりだ。そう考えれば、最終目的が相反する相手と手を組んだ理由に納得がいく。
 彼らは気付いていないのだろうか。それとも、分かっていて共にいるのか。利用されていることも、裏切られるかもしれないことも。
 ただ、これはかつての戦を手掛かりにした、あくまでも憶測にすぎない。だが、せめて柴にだけは報告しなければ――と、分かっているのだが。
 紫苑は浮かない顔をして五十鈴川を大きく飛び越え、見えた光景に目を瞠った。
 雅臣を背にし、真緒と犬神が華と夏也、朱雀一体と対峙している。そして雅臣は弘貴と春平と交戦しているのだが。
「何をしている!」
 朱雀は一体に減っているが、華と夏也の動きに問題はない。思わず苦言が漏れたのは春平と弘貴、というより春平にといった方が正しい。
 気付かなかったなどということは、さすがにないだろう。取り憑かせていた悪鬼の調伏に失敗したのか、雅臣の背中から伸びた触手に捕獲され、宙に浮いている。だが、触手が巻き付いているのは腰だけで、両手も自由で口も塞がれていない。それなのにじたばたともがくだけで、何故か術を行使しようとしない。いくら独鈷杵が使えないとはいえ、術を使えば逃れられるはずだ。あれでは誰も攻撃できない。確実に盾にされる。それを警戒してか、弘貴は憎らしそうな顔をしたままひたすら触手を避け続けている。
 収めた刀を抜き、正殿を一瞥する。犬神が悪鬼を呼んだためだろう。朱雀へと変化した鈴が大量の炎を吐き出し、悪鬼を燃やし尽くしている。もう少し時間がかかりそうだ。
 紫苑は小さく舌打ちをかまし、神苑を囲む御垣(みかき)の前へと降り立った。すぐさま玉砂利を蹴る。全員の視線が一瞬だけこちらへ向けられた。雅臣が苦々しく顔を歪め、一部の触手が軌道を変えて紫苑へ襲いかかる。
「紫苑!」
「よそ見をするな!」
 間髪置かずに一蹴すると同時に、弘貴の足を触手が掠った。
「さっきからいてぇなこの野郎! お前覚えてろよ!」
 悪態をつける元気があるなら、弘貴は放っておいて大丈夫だろう。体力だけなら寮内一だ。問題は春平。何故術を使わない。
 足を止めることなく触手を叩き切りながら、紫苑はちらりと春平を見上げた。今にも泣きそうな、バツの悪そうな顔。
 何があったのか知らないが、今は春平の救出が最優先事項。
「あっ!」
 声を上げたのは弘貴だ。触手が春平を地面に叩き付け、そのまま鞭のように大きくしなって空中へ高く放り投げた。あの高さから落下すれば、全身の骨が粉々に砕けて即死だ。
「春ッ!」
 弘貴の叫び声が神苑に木霊する。
 紫苑は舌打ちをかますと、地面を滑りながら無理矢理足を止めて、めいっぱい踏ん張った。玉砂利が硬質な音を鳴らして割れ、さらに地面が抉れた。
 割れた玉砂利を飛び散らせながら紫苑が飛び上がり、夏也が指示を出し、華の略式を発動させ、そして雅臣が春平へ触手を伸ばしたのが同時だった。
「朱雀!」
「オン・バザラナラ・ソワカ!!」
 朱雀が触手目がけて炎を吐き出し、華が炎を纏った霊刀を真緒へ向かって振り抜いた。
 競うように春平との距離を縮める紫苑の視界の端で、触手が速度を落として形を失ってゆく。そして落下する春平へ手を伸ばした、次の瞬間。春平の目が、大きく見開いた。視線は紫苑の向こう側。
「紫苑ッ!」
 春平が悲痛に叫んだのと、紫苑が一瞬だけ肩越しに振り向いたのが同時だった。すぐ目の前に、うねる犬神の太い触手。
「く……っ」
 紫苑は一つ呻き、春平の体をドンと強く押した。春平は向こう側へ軌道を変え、そして紫苑は反動を利用して体ごと振り向き、刀を振り上げた。だが、その刃は触手には届かなかった。
「――紫苑ッ!」
 春平と弘貴の切羽詰まった叫び声に、
「――夏也ッ!」
 華の悲鳴に似た叫び声が重なり、同時に、胸の中央を触手が貫いた。
「がは……ッ!」
 大量の口から血を吐き出しながら見えた地上の光景に、紫苑は瞠目した。
 夏也の腹を犬神の触手が二本、貫いている。触手を真っ赤な血が伝い、夏也が膝から崩れ落ちた。
「夏也……っ」
 ズッ、と生々しい音を立てて一気に触手が抜かれ、さらに大量の血が溢れ出し、体から力が抜ける。手から刀が滑り落ち、靄がかかったように視界が曖昧になっていく。落ちていく感覚が分かった。
 虚ろな意識の中で聞こえたのは、かつて交わした古い約束と、主からの信頼の言葉。
『紫苑、行毅。柴主を頼んだぞ』
『父上の後を継ぐのは、お前しかおらん。死ぬなよ、紫苑』
 ――玄慶様、行毅。
『皆を、頼むぞ』
 ――柴主。
 二人との約束と主からの信頼が、こんな所で、こんな形で終わろうとは。
「もう、しわけ……ありませ……さいしゅ……」
 地上から響き渡る怒声と轟音が、掠れた声をかき消した。
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