第14話

文字数 2,233文字

 怜司はさっそくパソコンを取りに腰を上げ、華は夏也たちのカップやグラスを回収し、にこにこ顔の茂はローテーブルに移動して、放置された美琴の数学の問題集に目を通す。いつもならきちんと片付けるのに、よほど夏也が心配だったのか。樹は麦茶を取りに冷蔵庫へ向かいながら、柴と紫苑に是非を聞く。
 そして大河は一人、にやけたままグラスを持ち上げた。
 本音を言うと全曲聞いて欲しいところだが、さすがに押し付けるわけにはいかない。あの曲はお気に入りだし、一曲でも気に入ってくれただけでも十分嬉しいのだ。
 と、喜んでばかりはいられない。一つ謎がある。大河はキッチンの華へ視線を投げた。
「あの、華さん」
「うん?」
「あの時、なんで俺に歌うように言ったんですか?」
 華はあの時、何か歌って、と言ったのだ。何故突然そんなことを言ったのか、全く見当がつかない。尋ねた大河を全員が振り向いた。
「え、あれって大河くんの判断じゃないの?」
 樹が麦茶のポットを抱えて小首を傾げた。
「違いますよ。俺どんだけ自信家なんですか」
「うん、すっごい自信だなって思ってた」
「悪い大河、俺も思った。確かに上手かったけど」
「ごめん、僕も」
「ごめんね、僕もちょっと……」
「私もだ」
 弘貴に春平、さらには昴と紫苑にも便乗され、大河は盛大に溜め息をついた。そんなに自信たっぷりに見えたのだろうか。
「なんでだよ、そんなわけないじゃん。ていうか、紫苑は俺らの後ろにいたよね、見てたよね」
「人に言われたからといってほいほい歌うのだ。自信がなければできぬだろう」
「ほいほい!?」
 即座に突っ込むとどっと笑い声が上がった。
 何て言い草だ。夏也のために何かできないかと考えた結果をほいほいとは失礼な。じろりと睨むと、紫苑はふいと視線を逸らした。いつの間にそんなスルースキルを身に付けた。
「っていうか話が逸れてる」
 珍しく柴と紫苑のグラスに麦茶を注ぎながら、ごめんごめん、と樹が悪びれもなく謝った。今日嵐になったのは樹のせいだ、と理不尽な責任を押し付けて睨む大河に、華がキッチンでけらけらと笑った。
「あんなに上手なんだから、もっと自信もっていいのに」
「もうやめてくださいっ。ていうか、華さんっ」
 褒められるのは嬉しいが、同時に茶化されると嬉しさは半減どころか激減する。大河がふてくされた顔で答えを求めると、華はくすくす笑いながら答えた。
「前の仕事のあと、夏也に話したのよ。大河くんすごく歌が上手だったわよって。そしたら、聞いてみたいですって言ってたから」
「……それは、社交辞令だったんじゃ……」
「そんなことないわよ。夏也、双子を寝かしつける時に時々子守唄歌うから。気になったんじゃないかしら」
「えっ、夏也さん歌うんですか?」
「ええ、上手いわよ。なんていうのかしら、癒し系? ふわっとした感じ」
「ああ、何となく想像できます。夏也さんの声質で歌ったらそんな感じかも」
「でしょ? あたし、夏也の声好きなのよね」
 声質自体は、落ち着いていて柔らかい。抑揚のない口調でも冷たく感じないのはそのせいだろう。頼んだら歌ってくれるかな、と大河がうずうずしていると、樹がポットを冷蔵庫に戻しながら話題を変えた。
「そういえばさぁ、弘貴くん格好良かったよねぇ」
 にやにやと含み笑いを浮かべながら自分の席へ向かう樹に、弘貴が大仰に肩を揺らした。
「あ、それ俺も思った。なんか自然で格好良かったよ」
 お姫様抱っこを見たのは三度目だ。しかし、晴の時は親切心の裏に下心があったし、閃は合理性を考えただけのように思える。でも弘貴は、なんというか、当然のような振る舞いだった。夏也は姉代わりだろうし、気心が知れているからこそ自然にできたのだろう。
 無邪気な笑顔で褒めた大河とにやけ顔の樹、そして声を殺して笑う茂たちを見た弘貴の顔がじわじわと赤く染まった。一方、柴は不思議そうな顔で、紫苑は少々不憫な目をしており、唯一春平だけが諦め顔だ。
 突然、弘貴が無言で勢いよく立ち上がり、素早くグラスを持つと小走りで扉へ向かった。
「俺部屋に籠ってくる!」
 そう言い置いて弘貴はリビングを飛び出した。
 バタンと乱暴に閉められた扉を、大河はきょとんとした顔で眺めて小首を傾げる。
「弘貴、なんであんなに照れてんの?」
 いつもなら自慢げに笑ってもっと褒めろと言ってきそうなのに。大河が振り向くと、春平だけでなく全員がえっと驚いた顔をした。何をそんなに驚いているのだろう。頭にクエスチョンマークを躍らせる大河を見つめる春平の目は、信じられないと言いたげだ。
「えっと……、た、大河くんっ、今から霊符描くんだよね、お風呂入ろうお風呂! 早く入らないと時間無くなるよ!」
 せわしなく立ち上がり、ほらほらと腕を引っ張られながら、大河ははたと気付いて掛け時計を見上げた。もう九時だ。
「あ、ほんとだ。俺、地図も覚えなきゃいけないんだった」
「そうそう、早く入って覚えなきゃ!」
「柴と紫苑はー?」
 春平に腕を引っ張られながら振り向くと、柴がグラスから口を離した。
「飲んだら、行く」
「そっか。あれ、弘貴はいいのかな?」
「筋トレするって言ってたからいいんじゃないのかな!? 汗かくしね!?」
 そうだね、と納得する大河の背中をぐいぐいと押しながら、春平が少々乱暴にリビングの扉を閉めた。
 せわしなく足音が風呂場の方へと消えていく。
「あれ、ほんとに気付いてないの……?」
 小さな笑い声に包まれたリビングで、樹が呆然と呟いた。
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