第6話

文字数 2,401文字

 菊池雅臣が指定してきた時間は、午後九時。会合時間と同時刻だ。そして支度が始まったのは、八時半頃。急がないと間に合わない。
 春平に表の門を閉めてくると告げ、樹や怜司と共に、事情を知らされていない大河、弘貴、夏也を離れの支度へ向かわせた。美琴は香苗と一緒にお茶の支度を任せ、茂は華と一緒にこっそり車の鍵を持って抜け出した。この時点で、華はもちろん、柴や紫苑とも話はついていた。華が車のエンジンをかけると、聞き付けた柴が屋根伝いにこちらへやって来た。華はそのまま車で、茂は柴に背負われて紅葉峠展望台へ向かった。
 待ち伏せされているだろうことは、初めから念頭にあった。その相手が、渋谷健人かもしれないことも。
 展望台の近くまで来た時、空中に浮かぶ小さな物体が目に入った。月の光を浴びて、輪っかになった悪鬼の触手に立つ人影は一人。その足元は、暗闇がぽっかりと口を開けている。そして木のてっぺんにもう一人。光の加減で髪が白っぽい銀色に輝いている。
「柴。隗と、あと一人は誰か分かる?」
「しゃしん、とは、ずいぶん異なる見てくれだが、おそらく渋谷健人だ」
「……そう」
 顔を曇らせ無機質に呟いた茂に、柴が静かに問うた。
「どうかしたか」
 うん、と茂は曖昧に相槌を打った。
「実は、僕が先生をしていた時の、教え子なんだ」
「……そうか」
 柴は、それ以上突っ込んでくることなく口を閉じた。
 まさか、誰がここへ来るかまで把握していたわけではあるまい。偶然か。それとも因縁か。
 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。茂は頭を切り替えた。相手が一人ならば柴を先に行かせたのだが、そう都合よくはいかないようだ。
 待ち伏せされていたのは、展望台の近くにある富栄池(とみさかいけ)。有名な観光スポットになっているわけでもなく、いわれがあるわけでもない、ただのため池だ。けれど、透き通ったエメラルドグリーンの水が美しく東屋もあって、散策コースになっているらしい。
 集落より小高い場所にあり、周りは山と畑ばかり。視界が開けていて、展望台は池の向こう側にある山頂。見張るにはうってつけの場所だ。
 開けた場所で水があるのは有難いが、それは健人も同じ。むしろ属性が水ならば、彼の方が有利だ。それに、山に囲まれているとはいえ、近くには民家がある。騒ぎを大きくするわけにはいかないが、時間がない。隗もいるのなら強行突破は難しい。さて、どうするか。
 茂が思考を巡らせていると、隗が動いた。木のてっぺんを伝ってこちらへ向かってくる。柴が先に判断を下した。
「下りるぞ」
 言うや否や、そのまま森の中へ飛び込むように下降し、着地した。茂は柴の背中から下りて、すぐさま独鈷杵を取り出した。隗も下りたらしい。地面を覆った枯れ葉を踏んで疾走する足音が、こちらへ向かってくる。
 茂が霊刀を具現化した次の瞬間、柴が地面を強く蹴った。
 木々の隙間からちらちらと赤い光が見え、瞬きをする一瞬の間に隗が姿を現した。首塚の時と同じ黒づくめの格好で白い髪をなびかせ、赤い目は爛々とし、口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。
 足を止めることなく繰り出された拳を、柴は左手で難なく受け、そのまま右手で腕を掴むと半回転して上へ放り投げた。追いかけるように、柴が上を仰ぎ見て大きく飛び上がった。すぐに、ガツンと骨と骨がぶつかる音が不気味に響いた。
 はらはらと葉が舞い散る中で、茂は霊刀を正眼に構え――突如、触れた悪鬼の気配に勢いよく振り向いた。同時に霊刀を右上へと振り抜き、上から迫った霊刀を弾き飛ばす。ギンッ! と鈍い音が響く。悪鬼に乗って近付き、飛び下りたらしい。茂は後ろに跳ねて距離を取り、少しだけ靴底で地面を滑って止まった。また健人も着地して数歩後退する。
 茂は、すぐさま腰を落として左脇に霊刀を構え、前を見据えた。
 視線の先には、背後に悪鬼を連れた健人の姿。防がれたことに驚いた素振りも見せず、霊刀を握って、静かな眼差しで茂を見つめていた。
 柴と隗があちこちに移動しているらしい。そのたびに揺れて擦れる枝葉の音が木霊する。
「お久しぶりです、先生」
 十一年ぶりの再会を喜んでいる声でも、こうして敵対することになったことを嘆く声でもない。ただ機械的に挨拶をしただけの、酷く冷めた声だった。
「久しぶり。覚えててくれたんだね」
「先生こそ」
「君は、教え子の中でも一番手先が器用だったから」
 十一年ぶりに開いた卒業アルバム。まだ幼さが残ったあどけない笑みを湛えて、彼は写真に収まっていた。
 健人は、会社員の父親と、パート勤めの母親の三人家族。家庭環境や生活態度に問題はなく、成績や身長、体躯もごくごく平均的。特別目立つ生徒ではなかったけれど、一つだけ他の生徒より頭一つ抜きんでている特技があった。それが、手先の器用さだった。
 家庭訪問では、いらなくなった時計やDVDプレイヤーなどの電化製品をあれこれ分解しては組み立て直し、最近では掃除機をやられて困っている、と母親がぼやいていた。学校では見られない彼のやんちゃぶりに驚いたものだ。また、家庭科の授業で作ったティッシュケースに施された刺繍、技術の授業で作ったキーホルダーの細工は実に見事で、教科担当の教師も絶賛していた。それを健人に伝えると、彼は嬉しそうにはにかんで笑った。
 骨を綺麗に残したまま、肉や内臓を炭化するほど燃やし尽くすなんて芸当、よほど繊細なイメージと知識がないと行えるものではない。人体の構造も完璧に理解しなければならない。
三宅を殺害したのは、彼だ。今目の前にいる、あの頃からは想像もできないほど冷たい表情をした、元教え子。
 ――まさか、こんな形で再会するなんて。
 普通の再開ならば、すっかり立派になってと感極まり食事にでも誘うところだが、あいにく感動の再会からは程遠い。互いに家族を殺され、けれど違う道を選んだ。
 渋谷健人は、敵なのだ。

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