第10話

文字数 2,818文字

*・・・*・・・*

 大河たちが山口へ向かっている時間、下平は榎本と共に菊池家へ車を走らせていた。
 昨日、病院から署へ戻り、とりあえず平良のことだけを報告したあとのことだ。下平の携帯に尊の父親から連絡が入った。尊から聞いたらしい、怪我のことを謝られた。それと、菊池の両親に謝罪がしたい、と。
 元々は雅臣が被害者で、尊が加害者だった。それが逆転し、しかし原因はやはり尊側にある。尊はもちろん、両親もそう判断したのだろう。
 さすがにこちらで判断するわけにはいかない。前田に菊池家へ連絡を入れさせ、対応した母親に事情を説明してどうするか尋ねると、夫に相談するとの返事をもらった。けんもほろろでないだけ、まだマシだ。
 そして今朝。捜査会議という名の報告会をしている最中に、雅臣の父親から電話が入った。返事は分かりましたとのこと。両家の都合をすり合わせた結果、本日の十一時に菊池家にて顔を合わせることになった。河合家の方は急遽父親が休暇を取っており、菊池家は父親が休みだったためだ。
 修羅場になる可能性がある。初めから同席するつもりでいたが、それを伝える前に雅臣の父親から頼まれた。冷静でいられなくなるかもしれないから、と。賢明な判断だ。
 下平は、車窓から嫌味なくらい晴れ渡った空を見上げた。今頃、大河たち帰郷組みは新幹線の中だろうか。
 海に浮かぶ自然豊かな小島。それはそれは海の幸が美味いだろう。海を眺めながら、ビール片手に新鮮な魚に舌鼓を打つ。なんて贅沢な。
 ただの帰郷でないことは分かっている。敵に襲撃される可能性も高い。けれど羨ましく思うのは、昨夜冬馬からもたらされた、新たな懸念のせいだろうか。


 予定通り冬馬を拾って居酒屋――ではなくファミレスに入った。最近ではどのファミレスも全席禁煙になってしまって煙草は吸えないが、居酒屋に入ると一杯ひっかけたくなる。
 下平はねぎとろ丼にミニうどんのセット、冬馬はハンバーグセットをそれぞれ注文し、まずはリンたちの報告から。
 リンとナナは職場に事件のことを報告し、一日休暇をもらったらしい。冬馬は圭介を車で拾い、リンはナナの両親と共に智也が入院する病院へ。到着した時、智也は検査中で、リンたちは待っている間に両親に何度も深く頭を下げた。もういいから、大丈夫だからと言っても顔が晴れないリンとナナに、智也の母親はこう言ったらしい。
『あの子ね、小さい頃から臆病で。恥ずかしい話し、心配でいつまで経っても子離れできなかったの。でも、あの子はこうして貴方たちを守った。あの傷は、勲章なの。小さい頃から臆病だったあの子が、貴方たちを守ったっていう勲章。親として、誇りに思うわ。だから、もう謝らないで?』
 言葉どおり誇らしげに笑った彼女に、リンはさらに泣きじゃくり、ナナはありがとうございますと頭を下げた。
 母親の気持ちは、よく理解できる。子離れできないほど臆病だった息子が、二人の女性を守って怪我をしたなんて、誇りに思わないわけがない。もちろん心配はするし、最悪の結果になっていたらと思うとぞっとするけれど、女性も息子も無事だった。ならば、その現実に喜ぶべきだ。智也が息子なら、よくやったと大いに褒めてやる。
 リンとナナを責めるわけでもない、自分が子離れできていないと自覚もある。冷静で優しい。子離れして欲しいとこぼすわりには仲がいい理由が、よく分かる。
 その後、智也は車椅子で退院し自宅へ、ナナの両親は帰宅し、冬馬たちは直接警察署へと向かった。聴取の確認が終わったあと、今日はナナがリンのアパートに泊まると言い、圭介が夜まで一緒にいると言ったので自宅前で三人を下ろし、冬馬は帰宅。そのあとで下平に連絡を入れたらしい。
 一通り報告が終わったタイミングで注文の品が届き、さっそく手を付ける。
 聴取の確認は特に問題なかったらしい。ただ、椿のことに関しては疑念たっぷりに追及されたそうだ。
「当たり前だろ。自分たちの守護霊なんて言い訳が通用するか」
 呆れ顔で下平が突っ込むと、冬馬は意味深に笑った。圭介から言い含められたリンとナナも含め、揃いも揃って守護霊ですと証言し、さらに冬馬が一芝居打ったところ、中年の刑事は一瞬凍りついて質問を変えたのだという。
「……何したんだ、お前」
「大したことはしていませんよ。見えるふりをしただけです。一課の中年の刑事さんなら経験豊富でしょうし、ねぇ?」
「ねぇじゃねぇ。不謹慎な奴だな」
「しょうがなくです」
 苦笑いで肩を竦めた冬馬に、下平は大きな溜め息をついた。殺人、強盗、放火、誘拐などの凶悪事件の担当は、捜査一課だ。殺人現場に臨場したことがあると踏んで何かしたらしい。冬馬に当たったことが運の尽きだ。その刑事に心から同情する。
 さらにその上、防犯カメラは古かったけれど椿の姿は映っており、しかし画面斜め上から突然映り込んできたことが、捜査員たちを混乱させているようだ。
 ただ、防犯カメラを見れば椿が共犯者でないことは一目瞭然だ。龍之介の聴取と仲間の行方の方に重点を置くだろう。
「つーか、リンとナナは納得したのか」
「どうでしょうね。特に突っ込んで聞いてきませんでしたけど」
 リンはともかく、ナナが信じるだろうか。しかし、突っ込んでこなかったということは、何か事情があると察してくれたのだろう。
「冬馬、お前にだけは言っておく」
 改まった口調でうどんのお椀を置いた下平に、冬馬がナイフを止めて顔を上げた。
「龍之介の仲間は、十中八九、生きてねぇ。つまり、逮捕できねぇってことだ」
 龍之介は捕まった。仲間も生きていない。しかし、警察の捜査では「仲間は逃走し、行方知れず」とみなす。事情を知っている人間からすれば安心だが、知らないリンとナナからしてみれば不安が残るのだ。
「左近もそう言っていました。分かっています。ですが椿のこともありますし、あの二人なら信じてくれますよ」
 要は、椿の件で「何か事情がある」と匂わせたことが、「大丈夫」だと断言する冬馬たちの言葉に真実味を持たせることになるのか。
「なるほどな」
 思っている以上に、彼らの信頼は強いらしい。ええ、と頷いて、冬馬は手を動かした。
「ところで、草薙製薬が大騒ぎになってますね。しかも横領で。あれも下平さんたちが?」
「まあ、色々あってな。そっちの聴取、ちょっと時間かかるかもしれん」
「構いません。どのみち、龍之介が出てくることはありませんから」
 まるで他人事のように、冬馬は一口大に切ったハンバーグを美味そうに口に放り込んだ。ぶっちゃけ、拉致事件の聴取が取れようと取れまいと龍之介が釈放されることはないし、仲間はもういない。リンとナナが怯えることは、もう何もないのだ。
 一応、草薙らへ下された処分を伝えると、冬馬は涼しい顔で「自業自得です」と言い捨てた。
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