第6話

文字数 2,117文字

 集中していたからだろう。感覚が妙に研ぎ澄まされていた。
雅臣は悪鬼を使って飛べるし、何より春平を盾にされている以上、術での攻撃ができない。こんな時霊刀が使えていればとは思うが、今は悔しく思っている場合ではない。やはり無理にでも近付いて、素手でぶっ飛ばすしかないか。
 そう、触手を避けつつ春平を助ける方法を考えながら、一方では膨らんだ鈴の神気と減っていく悪鬼の気配を感じていた。
 鈴が変化して悪鬼を一掃している。あと少し、もうすぐで援護が来る。だがそれまで春平がもつかどうか。このままでは触手に胴体を握り潰される。何か手はないか。今の自分ができる、何か――。
 十七年間生きてきて、一番頭を使った時間だった。そんな時に、紫苑が苦言と共に現れた。
 どうやって皓を退けたのかとか、そんなことはどうでもよかった。ピンチの時に現れた紫苑がヒーローのように見えて、つい、集中力が切れた。
 一直線に向かって来る紫苑を回避しようとしたのだろう。雅臣が春平を上空へと放り投げ、思惑通り紫苑が飛び上がった。二人目がけて伸びる触手、夏也と華の叫び声、火玉と霊刀が激突する音。朱雀に触手を燃やし尽くされて諦めたのか、鈴の援護を察したのか、雅臣が真緒を回収して広場の方へ下がった。春平は紫苑が助ける。ならば。
 ――逃すか!
 そう思ったのも束の間。春平が悲痛な声で紫苑の名を呼んだ。再び見上げた時には、もう、犬神の触手が紫苑の胸にまで迫っていた。
「――紫苑ッ!」
 反射的に叫ぶとほぼ同時に触手は胸を貫き、さらに。
「――夏也ッ!」
 華の悲鳴に似た甲高い叫び声が意識に割り込んできた。弾かれるようにして目を向けた光景に、心臓が止まった。
 犬神の触手に腹を貫かれた夏也が、目を大きく見開いて上を見上げたまま、勢いよく口から血を吐き出した。ガクンと膝から崩れ落ち、引き抜かれる触手に引っ張られるようにして、前のめりに地面に倒れ込んだ。みるみるうちに地面がどす黒く染められてゆく。朱雀へ指示を出した隙を狙われたのだろう。
 紫苑と夏也、双方を貫いた触手を引き抜いた犬神が、広場の前の雅臣たちへと駆け寄った。
「式神が来る、撤退だッ!」
 真緒が背中に飛び乗るや否や、揃って広場へと駆け込む。木々を遮蔽物にして広場、あるいは鎮守の森から逃げる気だ。
 雅臣の鋭い声を聞いてはっと我に返り、一瞬にしてはらわたが煮えくり返った。
「逃すかクソがああぁ――――ッ!!」
 全身の血が沸騰して噴き出すんじゃないかと思うくらい、我を忘れた。
「ノウマク・サマンダ・ボダナン・アギャナウエイ・ソワカ! 帰命(きみょう)(たてまつ)る。鋼剛凝塊(こうごうぎょうかい)渾天雨飛(こんてんうひ)――」
 霊符を取り出し、怒鳴り散らすように火天の上級の真言を唱える。その怒りに呼応して弘貴の周囲に顕現したのは、神苑一帯を真っ赤に染め上げるほどの、大量の火玉。
 広場上空に現れた雅臣が目を丸くして振り向き、犬神が旋回してこちらへ向きを変えた。
斥濁砕破(せきだくさいは)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!!」
青龍(せいりゅう)白虎(びゃっこ)朱雀(すざく)玄武(げんぶ)勾陳(こうちん)帝台(てんたい)文王(ぶんおう)三台(さんたい)玉女(ぎょくにょ)!」
 犬神にまたいだ真緒が九字結界を行使した。霊符が放たれ、火玉がものすごい勢いで一斉に空を切った。
 入れ替わるように、春平を俵担ぎした鈴が目の前を勢いよく通り過ぎた。少々乱暴に、放り出すようにして春平を下ろすと、すぐさま落下してくる紫苑の真下まで駆けて軽く飛び上がる。
一度の瞬きすらする間もなく、腹に響くほどの轟音が神苑に響き渡った。防ぎ切られたか。
 もうもうと上がる煙が霧散し、次第に薄れて見えた向こう側には、もう雅臣たちの姿はなかった。拳を握り、ぎりっと歯噛みする。
「く……っ、そおおぉぉ――――ッ!」
 夜空を仰ぎ、全身から絞り出した絶叫が、神苑一帯に響き渡った。上から目線の物言いといい、春平を盾にした挙げ句、夏也まで。腹立たしすぎてどうにかなりそうだ。
「鈴、早くッ!」
 不意に響いたのは、華の涙交じりの叫び声。弘貴は勢いよく振り向いた。
 横たわる夏也の側で、華が膝をついている。そして、どうやら間に合ったらしい。さっきまで雅臣がいた場所に座り込んだ春平が激しく咳き込んでおり、華の背後にお姫様だっこした紫苑をゆっくりと下ろした。胸元が血で真っ赤に染まっている。
「春、夏也姉、紫苑!」
 腹立たしさと同じくらい心配だが、紫苑も夏也も鈴が治癒してくれる。ならば、今自分が気にかけるべきは春平だ。魂が抜けたように呆然とする春平へ駆け寄り、大丈夫か、と声をかけようとした時。
「無理だ」
 紫苑を見下ろして、鈴が悲痛な顔でひと言呟いた。
「――え?」
 弘貴も、春平も、華も。その言葉の意味を理解するのに、少しの時間を要した。鈴が紫苑から離れ、夏也の側にしゃがみ込む。意識を失っているか、と一人ごちて傷口に手をかざす。華が体ごと振り向いて紫苑を見やり、這うように側に寄った。真っ青な顔。今にも泣きそうだ。
「紫苑……、紫苑、しっかりして!」
 無理――どういう意味だ。
「……う、そだろ……」
 弘貴はゆらりと腰を上げ、何かに追い立てられるように紫苑へ駆け寄った。そんなわけない。鬼は治癒力も生命力も桁違いのはずだ。そう簡単に死ぬわけがない。紫苑が死ぬわけない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み