第23話

文字数 2,621文字

「覚えてるんですか!?」
「覚えてんのか!」
「本当かそれ!」
「そうなの!?」
 弾かれたように一斉に迫られて、紺野はぎょっと身を引いた。どうして北原が知っていたのかはともかく、これは何か勘違いをしている。
「ちょ、ちょっと待ってください。確かに近藤と名前は同じですけど、俺が助けた近藤千早は、女です」
「――は?」
 一瞬時間が止まり、間の抜けた声が揃い、呆然とした顔が並ぶ。
「女、の子……?」
 北原がかろうじて絞り出した言葉は、おかしなところで切れていた。
「そうだよ。だから、初めて近藤と会った時は驚いたぞ。ほんとにいるんだな、同姓同名って」
 一人感心した顔でそんなことを口にする紺野から、北原はそろりと胡乱な目を下平へ投げた。下平が焦って弁解する。
「待て待て、間違いねぇよ、ちゃんと確認したって。あれは間違いなく」
「僕だよ」
 扉が開く音と共に、近藤の声が遮った。一斉に視線を向ける。
 手にコンビニの袋を下げ、近藤は嫌味たらしい溜め息をつきながら、後ろ手で扉を閉めた。
「紺野さんが助けた小学生は、僕」
 そんなことを言いながらつかつかと歩み寄る近藤を追って、全員の視線が動く。
「お前、何言ってんだ」
「思った以上に元気そうだね。はいこれ、お見舞い」
「え、あ、はい。ありがとうございます……」
 紺野を無視して袋を北原に手渡し、近藤はもう一度深い溜め息をついて紺野を見やった。
「何度も言わせないでよ。紺野さんが助けたのは」
「いやいや、あれはどう見ても女だったって。お前、女だったのか?」
 言葉を遮った紺野に、近藤の頬がぴくりと引き攣った。
「何わけの分かんないこと言ってるの、そんなわけないでしょ。僕は今も昔も男だよ」
「ほらみろ。だったら違うじゃねぇか」
 人工呼吸をして無事に息を吹き返した彼女は、小動物のような黒目がちの目が印象的な美少女だった。百歩譲って彼女が男だったとしても、このもっさり男と同一人物だなんて冗談にも程がある。
 したり顔で胸を張った紺野に、近藤は三度目の溜め息をついた。
「頑固なジジイだなぁ」
「誰がジジイだ!」
「これ、覚えてない?」
 即座に飛んだ苦言を無視し、近藤は面倒臭そうに長い前髪をかき上げた。いつか見た、額の右側に走る大きな一文字の傷があらわになる。
 確かにあの少女も額に怪我をしていたが、何せ十七年も前だ。紺野はしかめ面で記憶を手繰った。
 抱えていたのは――左腕。シャツにべったり血痕が付いていて、止血をする時に、こう、提供されたハンカチを右の額に――。
 そこまで思い出して思考が停止した。同姓同名に、同じ位置の傷。偶然で片付けるには、できすぎだ。
 ぽかんとして見つめる紺野に呆れ顔をして、近藤はかき上げた髪を下ろした。
「やっと思い出した?」
「じゃあ、お前……本当にあの時の……?」
 半信半疑の問いかけに、近藤は苛立ったように頭を掻いた。
「だからそう言ってるでしょ、嘘ついてどうする……何、じっと見て。気持ち悪いな」
 前髪の向こう側でこれでもかと眉間に皺を寄せているのだろう。近藤は言葉どおり気味悪そうに体を引いた。それを追いかけるように、紺野は右手を伸ばす。
「え、何……」
 紺野は、何をされるかと肩を竦めた近藤の前髪をかき上げて、改めて確認する。
 綺麗な卵型の輪郭に高い鼻梁、描いたような三日月形の綺麗な眉、長いまつげに縁取られた知的な切れ長の瞳。初めてまともに見た近藤の顔は、美少女の面影はすっかり見当たらないけれど、十分すぎるほど整っていた。
 それに、この黒目がちの瞳。
 紺野はふと口角を緩めた。
「せっかく綺麗な顔してんのに、傷跡残っちまったな。まあでも、髪で隠れるし」
 いつだったか、ふと思い出したことがあった。あの時助けた少女は、トラウマになっていやしないかと。まさか男で、しかもこんな身近にいたなんて。
「良かったな、何ともなくて」
 そう言って相好を崩した紺野に、全員が唖然とした。
 手を離し、何ともないって言うのも変か、と一人呟く紺野をよそに、近藤たちは示し合わせたようにベッド回りに集まって顔を突き合わせた。
「見ました? 紺野さんが笑いましたよ!」
「しかも満面の笑みだぞ」
「あいつ、ちゃんと笑えるんだな」
「あんな笑顔、あたし初めて見たわ」
「僕も。天変地異でも起こるんじゃないの」
「あんたら人を何だと思ってるんですか」
 まるで珍獣扱いだ。北原、下平、熊田、佐々木、近藤の失礼な言い草に、こめかみに青筋を浮かばせて冷ややかに突っ込む。
 そんなに驚くことだろうか。確かに相好を崩すことなど滅多にないけれど。紺野は何となく照れ臭くなり、ふてくされて話しを逸らした。
「つーか、なんで北原があのこと知ってんだよ」
「ああ、だって、下平さんが近藤さんのこと調べたので」
「おう。俺が調べて北原に教えた」
 警察が事故として処理しているから、データに残っていて当然だ。紺野は顔を覆って息を吐いた。しまった、失念していた。
「だから初めて病院でこいつを見た時、近藤だって分からなかったんだよな」
「どういうことですか?」
 佐々木が不思議そうに瞬きをして尋ねた。
「職員名簿の写真って、ちゃんと顔が映ってるじゃないですか。綺麗な顔してんなって印象が強くて、まさかこんなふうになってるとは思わなかったんですよ」
 だからあの時、下平は驚いたのか。職員証にも写真は載っているが、科捜研にいる時は邪魔臭いと言って外している上に、資料やファイルに埋もれているため見たことがない。
 あー、と納得の声を上げながら向けられた視線に、近藤はむっと口をへの字に曲げた。
「こんなふうって、失礼だなぁ。それより、昨日何かあったんでしょ? 草薙製薬大騒ぎになってるけど、大丈夫なの? 話してくれる約束だよ?」
 髪を切れだのと言われるのが鬱陶しいのだろう、さっさと話題を変えた。
「話してやりたいのはやまやまなんだけどな、時間がかかるから」
「じゃあ家の鍵貸して」
 さも当然とばかりに手を差し出され、紺野は渋面を浮かべた。
「なんでだよ」
「僕もう上がってるから。このまま紺野さんち行って待ってる」
「お前、昨日も帰ってないんだろ。親に心配かけんなって」
「前も言ったでしょ。信用されてるの」
 ほらほら早く、と居丈高に振られる手を忌々しげに睨みつける。先延ばしにしてうるさく言われたくないし、仕方ない。
 しぶしぶポケットから鍵を引っ張り出す紺野を見て、近藤がよしと偉そうに相槌を打った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み