第6話

文字数 3,362文字

 鈴が二体の使いを形成したあと、
「どうぞ、よろしくお願い致します」
 そう言って、大宮司は深々と頭を下げた。結界を張るために残った鈴とも鳥居の前で別れ、使いと共に春平たちは駆け足で階段を下りた。もうずいぶんと陽が落ちて、景色が曖昧になってきている。
「いくら結界張るっつっても、ほんとに大丈夫なのか?」
 薄暗い参道を駆け戻りながら、弘貴が心配そうに眉を寄せた。
「結局聞き入れてもらえなかったわね。でも、鈴の結界が簡単に破られるとは思えないわ」
 華の見解に、そうだけどと言いつつ、弘貴は渋い顔をした。
 周囲は神宮宮城林と呼ばれる広大な鎮守の森で囲まれている。正宮はもちろん、全ての建物を丸ごと結界で隔離し、鎮守の森で敵を迎え撃つ。建物が破壊される可能性を考えると、それが一番安心だ。だがそれだと、五十鈴川を越えて駐車場、さらに街の一部をも巻き込んだかなり巨大な結界を張ることになる。そうなると、道路の行き来が不可能になり、見える人に見られ、間違いなく怪奇現象として噂になる。
 そこで、正宮と荒祭宮を中心に結界を張ることになった。建物の位置や結界の形状から推測して、授与所や神楽殿は結界内。鈴の判断にもよるが、風日祈宮は入るかどうかといったところだ。完全に結界から外れるのは、御手洗場から宇治橋鳥居の間にある、全ての建物と参道。
 大宮司にそう説明すると、彼は強い意志を瞳に宿して言った。
『危険であることも、皆様に余計なご心配をかけてしまうことも重々承知しております。ですが、危機的状況だからこそ、ここを離れるわけにはまいりません。どうか、許可をいただけないでしょうか』
 当然、説得しようとした。しかし、意外と頑固な一面があるのか、それとも神宮に仕える者としての責任か。大宮司は頑なに首を縦に振らなかった。
 承諾したのは、鈴だ。
『そこまでの覚悟があるのなら仕方ない。お前たちも、ますます気合いが入るであろう?』
 それ以上に不安なんですけど。といった春平たちの視線に気付いているのかいないのか、鈴は「よくよく務めを果たせ」と大宮司に上から目線で告げていた。いや、鈴は神なのだからいいのか。今頃、大宮司は祈りを捧げているのかもしれない。
 どこからか見ていたのか、それとも霊気を追っていたのか、御手洗場まで戻ってきたとたん、背後に結界が張られた。ちらりと振り向いて、しかし速度を落とすことなく神苑を目指して走る。
 火除橋の辺りから空が開け、誰ともなしに速度を落とした。燃えるような赤に塗り替えられた空は、今度は闇に飲まれようとしている。
 神苑に到着し、各々足を止めて息を整える。使いが春平の腕と弘貴の頭に止まった。さすがに先日の変化した左近ほどではないが、羽を広げた姿は二メートルはありそうだ。
「出した腕が空しい……。てかお前、何で頭なんだよ」
 上目づかいで朱雀に文句を垂れる弘貴をよそに、華が言った。
「さてと、ひとまずここで待機ね」
「では、私は擬人式神を」
「ええ。お願い」
 夏也は頷きながら擬人式神を取り出し、目星をつけていたのか端に設置されているベンチへと走った。華は独鈷杵や霊符の確認をし、弘貴はやる気をみなぎらせて柔軟を始め、つられるように春平も軽く体を動かす。
 敵は、こちらの予想通りに動いてくれるだろうか。
 誰が来るにせよ、満流たち人間は鈴や紫苑との戦闘を避け、隗、皓、杏がいた場合、鈴と紫苑の排除を狙うことは間違いないからだ。人はどうあがいても人外に勝てない。ましてやそれが、一人二人ではなおさら。一瞬で決着がついては、こんな計画を立てた意味がない。ゆえに、自動的に満流たちは春平たちのところへやってくる。そして、こちらと違って向こうは人外が同じ場所に配置されることはない。一番有利な状況は、人外がいないこと。鈴が悪鬼の排除、紫苑がこちらの加勢に入ってくれれば短時間で決着がつく。
 と期待してみても、結局は始まってみないとさっぱり分からないのだ。こんな凄惨な事件を起こし、あまつさえゲームだと言い切る奴がいる。理屈が通用すると思わない方がいい。
 と、かさかさと紙が擦れる乾いた音がした。ベンチで二十体、いや十五体ほどだろうか。擬人式神が空中で浮遊している。夏也が何か告げると、擬人式神は羽をはばたかせるように両腕を振り、一斉に森の中へと飛び去って行った。しばらく見送って、夏也が身を翻して駆け戻ってくる。
 春平は動きを止め、胸のあたりのTシャツを握った。さっきまで落ち着いていたのに、心臓の鼓動が速くなっている。
 敵側は全員独鈷杵が使える。一方こちらは華だけだ。彼ら相手に、霊符だけでどこまで応戦できるのだろうか。
「春」
 不意に呼ばれて、春平ははっと我に返った。弘貴が最後の仕上げとばかりに伸びをし、至極真剣な眼差しを向ける。
「ごちゃごちゃ考えんな。勝つことだけ考えろ」
 射抜くような強い声と真っ直ぐな瞳に、息が詰まった。夏也が合流し、華と一緒にこちらを見つめる。
 徐々に陽が落ちる中、三人の強い眼差しだけがやけに鮮明で、春平は唇を引き締めた。そうだ。今はただ、勝つことだけに意識を集中しろ。戦いは、待ってくれない。
「うん」
 表情を引き締めて頷いた春平に、弘貴たちは笑みを浮かべて頷き返した。
 静寂に包まれた神苑。四つ角に設置された外灯に明かりが灯り、ほんのりと周囲を照らす。頭上の空はすっかり闇に覆われ、名残惜しそうに太陽が森の中へその身を沈めていく。
 不意に、感じ慣れた気配が感覚に触れた。と思ったら、がさっと枝葉が揺れる音がして、春平たちは頭上を見上げた。軽々と神苑を飛び越える人影。紫苑だ。
「来るぞ。おそらく地上だ」
 ひと言残し、紫苑は西へと姿を消した。
「地上?」
 弘貴が怪訝そうに眉をひそめた。華が霊刀を具現化し、春平たちは霊符を取り出す。紫苑は西へ向かったが、まだ邪気は感じられず、どこから来るかわからない。互いに背を向けて円形になり、四方へ目を向ける。
「悪鬼を囮に地上からってことかしら。……地上……」
 華がぽつりと呟き、唇に指を添えた。
「巨大な邪気は気を取られやすいですし、霊気や気配を隠すにはうってつけですね」
「紫苑が先に向かったってことは、鬼か式神がいるのかな」
「てことは、満流の可能性があるな」
 まだ感覚に邪気は触れないが、上から見張っていた紫苑なら敵の姿くらい確認できるだろう。夜目が利く上に視力がいい。
「皆、ちょっと」
 何か思案していた華が、ちょいちょいと手招きした。周囲に注意を払いながら距離を詰め、耳だけを傾ける。
 こそこそと推測とその対処法を告げたあと、ただね、と華は言葉を切った。視線を向けると、心配そうな眼差しと目が合った。無表情な夏也の瞳にも、同じ色が浮かんでいる。ああ、やっぱり気付かれていたか。春平はバツが悪そうに視線を泳がせた。華の推測通りなら、余計な体力や霊力を消費しなくて済む。けれど。
「大丈夫」
 きっぱりと言い切ったのは弘貴だ。全員の視線が集中する。
「俺がいるから、大丈夫」
 その自信どこから来るんだよと突っ込みたくなるくらいの、不敵な笑顔。春平は苦笑いで嘆息し、華と夏也を見やった。真っ直ぐ見据え、強く頷く。
 弘貴の真っ直ぐさと強さは、どこから来るんだろう。
 そんなことをちらりと考えながら再び元の位置に戻った――その時、突如として強烈な邪気が感覚を襲った。
 弾かれたように四人が同時に同じ方向へ視線を投げる。紫苑が向かった西側。大量の邪気と比例して近付いてくるのは、強風に吹かれた木々が激しくざわめいているような葉音。ぞくりと全身が粟立ち、嫌な汗が背中を伝う。
 真っ直ぐこちらを目指している。近い。
 春平たちは後ずさるようにして輪を小さくする。それに比例して葉音がさらに大きくなり、そして――森の中から葉を撒き散らせながら、大量の悪鬼が飛び出してきた。
 会合の時に見た悪鬼とは比べ物にならない大きさ。神苑どころか一帯を覆い尽くすほどの巨大な悪鬼が、躊躇いもなく突っ込んでくる。
 一度瞬きをする間だった。一瞬だけ視界の端に映った人影は、上前方で見物を決め込む菊池雅臣と玖賀真緒。悪鬼があっという間に目の前に迫り、強く手を握られた次の瞬間、抵抗することなく悪鬼に飲み込まれた。
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