第2話

文字数 4,339文字

 実家と朝辻に連絡を入れた方がいいな。紺野が内ポケットを探った時、タイミング良く携帯が着信を知らせた。液晶に表示されている名前は「母」。
「もしもし?」
「ああ、やっと繋がった! 誠一(せいいち)、ちょっとどういうことなの!?」
 開口一番の詰問に、失笑した。元気そうで何よりだが、それはこっちが聞きたい。
「どうって言われてもな」
「話せないのは分かってるわよ。けどあんた、朝辻さんのところに行ったそうじゃないの。陰陽師がどうとかって。一体何なの?」
「だから言えねぇって」
「分かってるわよ」
 じゃあなんで聞いた。母は、思ったことがそのまま口から出るタイプらしく、繊細な年頃の息子のプライベートにも容赦がなかった。一度考えてから口に出せと何度も言ったが、一向に改善する気配がなく、今ではそういう人種なのだと諦めている。
「もうね、根掘り葉掘り聞かれてうんざり。人柄から離婚の原因まで聞かれたのよ? いくら捜査に必要だからってちょっと不躾すぎるんじゃないの? ああでも、昴の霊感のことは言わなかったわよ。価値観の不一致ですって言っといたわ。どうせ信じてくれないでしょ」
 母にしては良い判断だ。性格ではなく価値観というところも間違っていない。「どうせ信じてくれない」と言われるのは同じ刑事として複雑だが、否定できない。まあな、と紺野が同意すると、盛大な溜め息が届いた。
「それでね、(ゆたか)さんのところにも警察の人が行ったみたいで、あんたと連絡がつかないってうちに電話があったのよ。豊さんたちすごく心配してて、連絡がついたら電話させますって言っちゃったわ」
「分かった。あとで電話しとく」
「お願いね」
 ああ、と頷いたところで、珍しく母が黙った。いつもなら一ミリも口を挟む隙がないくらいの弾丸トークで喋り倒し、満足したら一方的に電話を切るのに。どうした? と尋ねるより先に、母が言った。
「違うわよね?」
 重苦しい声。悪く言えばデリカシーがなく単純だが、良く言えばおおらかで前向きな性格だ。泣き顔を見たのは、朱音が死んだ時が初めてだった。
「違うわよね、昴じゃないわよね?」
 重ねて尋ねられ、紺野は口をつぐんだ。余計なことを吹き込まれたのだろう。刑事としては、加賀谷の指摘が否定できない以上、何とも言い難い。しかし。
「信じろよ。あいつはそんなことするような奴じゃねぇ。それに、姉貴の子だぞ」
 叔父としては、そうとしか言えない。電話の向こうで、そうよね、と自分に言い聞かせるように母が呟いた。
「そうよね、昴は優しいもの。朱音の子だもの。でも、あんたの子ならちょっと疑ったかもしれないわねぇ」
 余計なひと言が加わった。こういうところだ。
「失礼だな、どういう意味だよっ」
「だって、あんた昔から短気で喧嘩っ早いじゃない。反抗期も酷かったし。もうどれだけ手を焼かされたことか。今思い出しても気が滅入るわ」
「それは母さんが余計なことばっかり言うからだろうが!」
「ほらまた。そうやって怒鳴るでしょ?」
 誰に似たのかしら、と溜め息交じりの呟きに歯噛みする。
「誰のせいだと思ってんだ……っ」
 紺野は歯の隙間から苦々しく吐き出した。まったくこの母親は。疲れた溜め息が自然と漏れる。
「ねぇ、警察は昴を探すのよね?」
 人をこき下ろしておいて悪びれもなく話題を変えるのはいつものことだ。
「そうなるな」
「じゃあ、見つかったら伝えてくれる? いつでもいいから帰ってきなさいって。豊さんのところでもうちでもいいから、待ってるからねって」
 無神経だと思うこともたびたびだが、こういうことを恥ずかしげもなく言えるのは、少し尊敬する。紺野は口元を緩めた。
「分かった、伝える」
「お願いね。忘れないでよ?」
「ああ」
「それと、すぐに豊さんのところに電話しなさいよ? いいわね?」
「分かってるって。――母さん」
「うん?」
 不安がらせるだろうか。紺野は逡巡し、しかし結局言った。
「気を付けろよ」
 刑事である息子の神妙な声と忠告を母はどう解釈したのか、わずかに間を開けたあと、はつらつとした声で言った。
「やあね、分かってるわよ。あんたも気を付けなさいよ? 今年も猛暑なんだからちゃんと食べて……あらいけない、そろそろてまりのお散歩行かなきゃ」
 「てまり」は、朱音が亡くなったあとに飼い始めた犬の名前だ。もうずいぶんな老犬だが、自宅の回りをゆっくりと一周する散歩を楽しみにしている。彼女には、家族全員ずいぶんと救われた。
 てまりにせがまれているらしい、はいはい分かってるわよ、と話しかける声がした。
「じゃあね誠一。何かあったら連絡してね」
「ああ」
 もう一度、じゃあね、と言う母の声を聞いて通話を切った。
 待ち受け画面に戻った液晶を眺めながら、紺野は少々複雑な面持ちになった。いつもは呆れることの多い母の性格も、こんな時はやっぱり母なのだと実感させられる。
 朝辻の番号を呼び出してかけると、待ち構えていたようにコール一回で繋がった。
「もしもし、誠一くん!?」
 こちらも興奮気味だ。
「すみません、出られなくて。母から聞きました」
「いや、こっちもごめんね。仕事中かなとは思ったんだけど、家内も動揺してるし、居ても立ってもいられなくてね」
「いえ構いません」
「もうびっくりして、まだ頭が整理できてないんだけど……捜査上のことは話せないよね」
「すみません」
 と、すれ違った四人組の若い女性たちから、甲高い笑い声が響いた。距離もあって車の通行もある。さらに彼女たちの声に掻き消されて監視役にはさすがに聞こえまい。
「豊さん、俺がそちらに行ったことは話しましたか」
 話していればさっき指摘されていただろうが、念のためだ。一応声をひそめて尋ねると、朝辻はいやと否定した。
「情けないけど、受け答えする余裕しかなかったから。文献のことも話してないよ。話した方が良かったかな」
「いえ。勝手に動いたことなので、助かります」
 朝辻は短く笑ったあと、小さく息をついた。
「まさかこんなことになるなんて……何がなんだかさっぱりだよ……」
 疲れ切った朝辻の声に、紺野は口をつぐんだ。青天の霹靂とはまさにこのことだ。
「誠一くん。警察は昴を探すんだよね?」
「ええ」
「見つかったら教えてもらうなんてことは……」
 窺うような口調に、ちくりと胸が痛んだ。実は見つかりましたと言って、安心させてやりたい。
「連絡するだけならできますが、取り調べをして無関係だと分かるまで、面会は難しいです。すみません」
「そうか……。いや、教えてもらえるだけでも有り難いよ。お願いしてもいいかな?」
「もちろんです」
「ありがとう。それともう一つ頼めるかな?」
「ええ」
「僕も家内も待ってるからと、伝えてくれるかい?」
 母といい朝辻といい。紺野は地面に目を落とし、伏せるように目を細めてはいと返した。
「ああそれと、遅くなってしまって悪いんだけど、誠一くんに話しておこうと思ってたことがあるんだ」
「何ですか?」
「実は、三日くらい前にね、近所の人が昴の知り合いだって言う人に会ったらしいんだ」
「知り合い、ですか?」
 紺野は怪訝な表情を浮かべた。
「そう。バス停で道を聞かれたらしくてね。なんでも、以前昴と一緒に仕事をしたことがあって、その時にうちのことを聞いたんだって。仕事で近くに来てふと思い出したから寄ってみたって言ってたみたいだよ」
「豊さんは、その人には会わなかったんですか?」
「残念ながら。でもほら、近所の人は昴がいなくなったの知ってるから、あれこれ聞いてくれたみたいなんだ。二年前に短期のバイトで知り合って、それっきりだったんだって。その人、養子のことも行方不明になってたことも知らなかったらしくて、驚いてたみたい。残念そうな顔をして帰って行ったらしいよ」
「どんな人が聞きましたか」
「二十代くらいの男性で、礼儀正しい人だったって」
 紺野は少し苦い顔になった。近所の住民がその男にあれこれ聞いたのは、昴が行方をくらました原因を作った罪滅ぼしのつもりなのだろう。朝辻は噂を知らないらしいし、さぞや後ろめたいことだろう。
「他には何か言っていませんでしたか」
 朝辻は低く唸った。
「すごく愛想が良い人だったってことくらいかなぁ」
「そうですか……」
「これって、もしかして事件に関係あるのかな?」
「今は何とも言えませんが……。でも、どんな情報でも助かります。ありがとうございます」
「いや、僕は何もできないから……」
 中途半端に言葉を切ったと思ったら、ああどうも、と挨拶の声が聞こえた。
「ごめん、誠一くん。これから自治会の人たちと夏祭りの打ち合わせがあるんだ」
「ああ、すみませんお忙しいところ。豊さん」
「うん?」
「念のために、気を付けてください」
 事件の犯人たちに加え、正体不明の男。どこからどう狙われるか分からない。
「うん、分かった」
 硬い声の返事に、紺野は一人頷いた。
「ではこれで失礼します」
「うん。誠一くんも気を付けて。どうかよろしく頼むね」
「ありがとうございます。では」
 うん、と朝辻の返事を聞いて、通話を切った。携帯をポケットにしまいながら、前を睨むように見据える。
 二十代で、礼儀正しい愛想の良い男。そして、昴と一緒に働いていた。三日くらい前と言えば亀岡殺人が起こる以前。だが、朝辻と接触せずに帰ったのなら、三宅のことを探るために来たとは考えにくい。そもそも、朝辻は三宅のことをほとんど知らないのだ。もし会っていたとしても情報は何も得られなかっただろう。では何をしに来たのか。昴自身のことか、あるいは本当に昔一緒に働いていて事件とは無関係か。
 もし敵側の人間だと仮定するなら、今のところ人相に当てはまるのは渋谷健人ただ一人だ。雅臣(まさおみ)はまだ高校生に見えるし、平良(たいら)だったら真反対の印象が出る。しかし、他の仲間や誰であったとしても、目的が分からない。
 バス会社に問い合わせをして、会ったという住民に車載カメラの映像を確認してもらえば正体は判明するだろうが、今は動けない。おそらく北原にも監視はつくだろうが、三宅の事件の情報は手に入る。深町仁美(ふかまちひとみ)の件は一課で話を聞けば監視にはバレない。だが、例の事件の再捜査は困難だ。ただ一つ、このタイミングで牽制してきたということは、やはりあの事件を調べられると困るということだけは分かる。
 紺野は顎に手を添えて考え込む姿勢に入った。すぐ先に見える目的のバス停には、家族連れ、友人同士やカップル、外国人観光客が列を成し、辺りに楽しげな笑い声が響く。
 家族や朝辻を危険に晒すわけにはいかないが、今のところ可能性は低い。けれど油断はできない。
 ひとまず深町仁美の件を探るか。
 列の横を通り過ぎながら顔を上げ、紺野は最後尾に付いた。
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