第3話

文字数 3,029文字

 一昨日の北原(きたはら)の事件は、昨日の昼前に東山署が報道陣に公表した。不可解な点が多分にあるせいで、現場と犯人と思われる男の特徴以外の説明がされず、テレビやネットのニュースでは短く報じられる程度で終わっている。
 そして鬼代神社宮司殺人事件特別捜査本部には、亀岡の事件と北原の事件が合同となり、複数の警察官が動員された。
 捜査会議は、まず東山署の報告から始まった。
 改めて、事件が起こるまでの経緯、監視をしていた捜査員二名と近藤(こんどう)、目撃者の証言などが詳しく説明された。北原と近藤が会っていたことについては、科捜研の別府たちからの証言で事件前日から近藤に会いたがっていたことが分かり、また「花筐(はながたみ)」の場所も別府(べっぷ)たちが教えたことが分かった。しかしその理由までは分からず、近藤も「話をする前に刺されたから分からない」と証言したそうだ。目撃者全員を再び聴取したが新しい証言は得られていない。また北原の携帯の復元はやはり不可能で、所持品からも犯人につながるものは出なかった。裁判所への令状は請求済みらしい。
 この話は、昨夜宣言通りびしょぬれで訪れた近藤から愚痴混じりで聞かされたので知っている。同じことを何度もしつこい、とぼやいていた。
「こちらの映像をご覧ください。現場から花見小路通りに抜けた所にある防犯カメラです。残念ながら現場は撮影範囲から外れていましたが、犯人が逃げる姿は映っていました」
 東山署の捜査員は、そう言ってパソコンを操作した。スクリーンに映し出された映像は、説明通り団栗通りを正面に捉えているが、現場までは映っていない。数秒間動きのない映像が流れ、突如半袖パーカーのフードを被った男が画面に映り込んだ。あっという間に団栗通りを抜けて左手に曲がり、その少しあとにスーツ姿の男が同じ道を辿った。速いな、と隣で沢村(さわむら)がほんの小さくぼやいた。
「御覧の通り、フードを被っていて顔は映っておらず、手ぶらです」
 いくら刑事と近藤の証言が一致しているとはいえ、やはり半信半疑だったのだろう。どこにいったんだ、何でないんだ、と小さなざわめきが起こる。
「では次を。この映像は、花見小路通りを突き当たって左の路地へ曲がり、その先を四十メートルほど進んだ先にあるアパートの防犯カメラ映像です」
 あの路地は確か、左側は建仁寺の板塀が十メートルほど続き、途切れた先は店が軒を連ねている。一方右側は、大中院という寺の白壁がずっと続いていたはずだ。
 画面が切り替わり映ったのは、アパートの入口を左斜め上から取った白黒の映像だった。入口の右側に照明が取り付けられているらしく、白んでいるが見えないことはない。画面の左寄りに入口があり、右上辺りに道と壁が映り込んでいる。この角度なら、必ず映り込む。だが。
 ざわっと捜査員たちがざわついた。やがて映り込んだのは、私服ではなく明らかにスーツ姿の捜査員だ。捜査員は戸惑った様子でゆっくりと足を止め、あちこちを見渡す。そして一旦通り過ぎるとすぐに引き返して、そのまま花見小路通りの方へ走り去った。
「この通り、カメラに犯人の姿は映っていませんでした。アパートまで曲がれる道はありません。建仁寺と大中寺の壁は乗り越えられなくもないですが、足場もありませんし、助走がないとさすがに難しいと思われます。乗り越えている間に追いつくかと」
 言いながら彼は映像を止めた。
「通報後、すぐに周辺を捜索しましたが見当たらず、未だ行方は分かっていません。それと西花見小路通りまでの足取りですが、周辺の防犯カメラにはどれも映っていませんでした。範囲を広げて捜索中です。以上です」
 捜査員は難しい顔のまま席に戻り、同じ顔をした捜査員たちから困惑した声が漏れる。犯人の顔は映っておらず、あるはずの凶器も映っていない。どこから西花見小路通りに入ったのかも不明。まるで幽霊かマジックだな、と誰かが呟いた。
 加賀谷(かがや)が渋面のまま視線を投げた。
「分かった。次、北原の身辺から何か出たか?」
 立ち上がったのは、府警本部の同僚の(まき)だ。
「今のところ、誰かと揉めていたという話や、不審な人物の目撃情報はありません。近所の住民は、会えば挨拶をするくらいで特に付き合いはなかったと。恋人の方は、時折二人で近くのスーパーで買い物をしている姿が目撃されています。携帯の通信履歴を確認後すぐに連絡を取り、お守りの件と共に聴取します。それと、実家の方からは何も出ませんでしたが、自宅のパソコンに恋人との写真が保存されていました」
 槇は席を離れ、パソコンの前まで行って操作するとすぐに戻った。北原が撮ったのだろう、一人の女性が、河川敷に腰を下ろし、幸せそうに笑ってこちらを見ている写真がスクリーンに映った。背景から見て鴨川だ。二十代前半くらい、肩までの黒髪で色白、口元の右側にほくろがあり、大きな目が特徴でかなり可愛い。これまで何度も彼女の話を聞いているが、顔を見るのは初めてだ。
 今頃、彼女はどうしているのだろう。連絡が付かずに心配してるだろうに。
「紺野」
 不意に加賀谷が紺野へ視線を投げた。今度は何だ。目に見えて嫌な顔をした紺野を意にも返さず、加賀谷は言った。
「北原から何も聞いていないのか」
「……何かとは」
「メモ帳のことだ。犯人が持ち去った様子はないと証言が出ているが、実際メモ帳は無くなっている。北原が何か事件に関する証拠を掴んでいた。あるいはプライベートで悩んでいた、揉めていたという話は?」
 後者については心当たりが一つあるが、果たして喋っていいものか。彼女を巻き込みたくはないが、連絡先が分かるのは時間の問題だし、どのみち聴取は受けることになるのだ。喧嘩していたことは分かる。
「以前、恋人と喧嘩をしていると聞いたことはあります」
「いつの話だ」
「確か……三、四日前だったかと。どうなったのかは聞いていません」
「何故言わなかった」
「すみません、忘れていました」
 言い訳もせず謝罪した紺野に加賀谷は嘆息し、報告した東山署の捜査員へ視線を投げた。
「恋人に繋がるような物は自宅から出なかったんだな?」
「はい。私物はありましたが、写真以外のメモなどのような物は一切」
「では、連絡先が分かり次第恋人を聴取。他の者は……」
 と、部屋の後ろの扉がノックされ、加賀谷の声を遮った。一斉に向けられた視線を浴び、ゆっくりと開いた扉から顔を覗かせたのは、制服を着た女性警察官だ。
「会議中失礼します。あの、先程遺失物として届けられたんですが……」
 そう言って、彼女は近くの席の捜査員に持っていた茶色の封筒を差し出した。捜査員はそれを見るなり小首を傾げた。
「何だ」
 加賀谷の問いに、捜査員は上着のポケットから白いハンカチを引っ張り出しながら読み上げる。
「右京警察署、鬼代神社宮司殺人事件特別捜査本部御中、と印字されています」
 この捜査本部宛てのようだが、遺失物とはどういうことだ。困惑の空気が漂う。捜査員は封筒を受け取り、ハンカチを取り出した加賀谷へ手渡した。指揮陣が、揃って同じように訝しげな顔をする。
 封筒をひっくり返し、裏書きを確認した加賀谷が彼女へ視線を投げた。差出人の名はなかったようだ。
「これを届けた人物は?」
 硬い声で尋ねられ、彼女は少し怯えた様子で答えた。
「あ、親子です。今手続きを」
「誰か直接話を聞いてこい」
「はい」
 言い終わる前に加賀谷の指示が飛び、先程封筒を受け取った捜査員ともう一人が、彼女を連れて部屋を出た。

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